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第四話

 シルビィから降りて、まず最初に感じたのは、空気の違いだった。 ひんやりしてて、街の埃っぽいのとは全然ちがう。反対側とはいえ同じ山にある、うちのお店とも違って、草と、土の匂いが強く混ざったような、なんだか懐かしいにおいが鼻をくすぐった。 「今日も良い走りだよシルビィ。」 言いながらルーフをポンポンと軽く叩く。 小さな駐車場の端にそっと収まったシルビィは、エンジン音を止めたあとも、まだ少しだけ熱を帯びている。 「ここか……」 水汲み場。 お店の常連さんに教えてもらった、山の湧き水が出てるっていう無料の場所。 たしかに道路に面した小さな駐車場があって、 そこまでは分かりやすかったけど――。 「……わぁ……高ぁ……」 想定外だった。目の前にある石段を見上げた 瞬間、思わず声が漏れた。 ゴツゴツとした、使い込まれたような石の階段が、山肌に沿ってずっーと上まで続いてる。 途中で終わりが見えないくらい長い。 道案内の看板も古びていて、文字がところどころ薄れてるけど、「名水○○」みたいな名前はかろうじて読めた。 「これ……ほんとに登るの、僕……」 思わず、持ってきた空のポリタンクを見下ろす。 今は軽いけど、水を入れたら、それ相応の重さを持ってこの階段を下りるってことになるわけで。 額にうっすら汗がにじんできた。 日差しはまだ穏やかだけど、気持ちのほうが ちょっとだけ先に疲れを感じてしまう。 「……でもなぁ」 ぼそっと呟いて、この石段を登るには不向きな 革靴のつま先で小さく地面を蹴った。 これを頑張って登ったら、お店のコーヒーは もっと美味しくなるかもしれない。 そう思えば、こんな階段、僕が登れないはずがない……たぶん。 「うん、大丈夫。ここまで来て水汲みしないで 帰るなんて、もったいないし」 そう自分に言い聞かせて、ポリタンクの取っ手をぎゅっと握り直す。 もう手のひらがじんわりと汗ばんできてる。 「よし……行こ。」 一段目に足をかけて、息を吸い込んだ。 登るたびに、少しずつ朝の空気が身体に染み込んでくる。 心臓がじんわりと跳ねてる。きっとこれは、期待の鼓動――――だと思う……たぶん。 僕はゆっくりと、一段、また一段と、石の階段を踏みしめていった。

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