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第二十八話

 冷たい海風が吹き抜ける、東アジア某国の湾岸地帯。  そこには政府の目を欺くために建てられた、 表向きは化学プラントという名目の巨大複合施設があった。実態は、非合法な資金洗浄、兵器密売、傭兵派遣までを一手に引き受ける“拠点”―― その名も「シンプロジア製薬 第四研究棟」。  月美 凛は、夜の海を背に、黒いフード付きの戦闘スーツを揺らしながら屋上の排気口に降り立った。 両の手首には、凛のお気に入り。漆黒の金属で形作られた腕時計型兵器「レヴェナント」が密着している。  文字盤に当たる位置には、赤いデジタル数字が冷たく光る。  《32》  凛は小さく息を吐いた。 「兄さ……うんん……愁くん。ボク、ちょっと だけ遅くなるけど……ちゃんとお土産話、持って帰るからね」  その声は優しく、けれど芯が強い。ふんわりした印象を裏切るような集中力が、その赤い瞳に宿る。 ――次の瞬間。  屋上の通気孔を抜け、凛の身体は闇の中を軽やかに駆け抜けていった。  廊下、監視カメラ、武装した私兵。すべての動きが凛には見えていた。まるで施設そのものが 呼吸しているように、壁の脈動すら感じ取るかのように。 「動線に穴あり。五秒後に見張りが死角へ」  《29》  凛の両腕から、糸よりも細い銀のワイヤーが射出された。  ふわりと舞うように、だが鋼の強靭さを持つ その線が、警備兵の喉元を斜めに走り――声を上げる暇もなく、倒れた。  血の音すら、施設のけたたましいBGMに吸われて消える。 「んー、ここまで17人。ボクの最高記録かも……」  ぽそりと呟きながらも、凛の表情に余裕はない。すでに内部警戒は最大レベル。進行方向から重火器を構えた兵士たちの足音が迫る。  《24》 「こっちも疲れるんだよね、もう……」  凛はくるりと空中で一回転すると、天井の梁にレヴェナントを引っかけ、スパイダーマンのように逆さまのまま移動。左右から狙撃の光点が走る。  ワイヤーを鞭のように振るうと、銃を握る腕が切断され、悲鳴が続いた。  血が飛ぶ。骨も裂ける。だが凛の足取りは軽やかで、まるで殺戮が舞踏に見えるほどだった。  《17》  追い詰めるべき“標的”は、地下深くにいた。 薄暗い金属製の階段を駆け降りる凛の前に、 二重の防弾扉が立ちはだかる。  「なんとかしろやッ!!今すぐッッ!」  中から響くのは、40代の息子の怒声。  「ヘリの準備はまだかッ!?このままじゃ奴に……」  それに続くのは、60代の父――悪徳政治家を経て財団を率いる“影の顔”の男。目の下に皺を刻み、見下すような目で端末を睨みつける。  「組織など関係ない。あの“実験体”が生き残っていることが異常だ。あんな化け物が、 また……」  あの“少年”という言葉で、彼らは一度も呼ばなかった。  だが、その少年はすでに階段の踊り場にいた。  「残念。逃げ足の遅い豚さんたちは……ここでゲームオーバー、のはずだったんだけど」  赤い瞳。天使の顔。だがその目だけが、死神のように光っていた。  《3》  ワイヤーが最後の力を振るう。  一斉に飛び出した私兵の銃撃を、凛は梁を蹴って天井へ跳ね上がりながら全てかわし、跳躍中にワイヤーを振るい――銃を持った手、腕、首が宙を飛んだ。  だが――  《0》  「……あれ?」  表示が真紅のゼロに変わった瞬間、レヴェナントは空回りした音を立てた。  標的たちの背後――巨大な格納扉が開き、 軍用ヘリがその巨体を現した。  「逃げるぞッ!」  父子がタラップを駆け上がる。  凛は、迷わずレヴェナントから飛び出した最後のワイヤーを、ヘリの尾に巻きつける。  だが――滑る。  残弾がゼロという事実は、切断力の維持にさえ影響を及ぼす。  指先が外れる。  「ッ、くっそおおおおおおおおお!!」  夜の闇に、凛の悲痛な声が響いた。彼の指先が、ヘリの尾に届く寸前で、金属が断ち切られた。  墜ちる。地面に着地する直前に転がり、肩を打つも、立ち上がった凛の目はまだ死んでいない。  「……絶対に、逃がさない。ボクの愁くんを 巻き込んだ、クズ共め……!」  その小さな背中が、どこまでも大きく見えた。  夜の海に、軍用ヘリのプロペラ音が遠ざかっていく。  その場に残された凛のデジタル表示は、ゼロのまま、かすかに赤く点滅していた。

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