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第三十七話

 中心市街地の真ん中。 普段は賑わっているはずの街中に、人の気配は 一切ない。 わずかな風が紙袋を転がす音だけが、 アスファルトに虚しく響いていた。  愁は、潰れた黒いバンの運転席から離れた 位置に立っていた。  着地の瞬間に伝わった衝撃は、想像以上に足腰に響いている。  全力で、限界以上の速度で、この車を追い続けていた。肺は焼けるように熱く、喉の奥は血の味で満ちている。  息を整えようとするが、肺が悲鳴を上げている。ふらつく視界、軽いめまい。  それでも、立ち止まっていられるはずがない。 「涼、風さん……」  わずかに震える声で名を呼びながら、愁は車へと近づく。  その瞬間、スライドドアが開いた――  中から、あの男が現れた。日焼けした肌に盛り上がった筋肉。片手には拳銃。もう一方の腕で、葵の体を引きずるように抱え込んでいる。 「ッ……」  葵の首元には、鋭いナイフが添えられていた。 彼の頬には泣きそうな光が滲み、唇はきつく結ばれている。 「……ガキぃ……動くなよぉぉ……!!」  男が低く唸る。  憎しみに濁ったその声は、握ったナイフのように鋭く、そして狂気を含んでいた。 「その一歩で、こいつの喉を掻っ切るッ! てめえ、あんだけ派手に動けりゃ、やっぱ人間じゃねえんだな……っ!」 愁の足が止まる。 「ああ、見ろよ葵ぃ、あのガキは化けもんだ! あんなのと一緒にいたら、てめえも終わりだ!!」  けれど、表情は変わらない。微かに肩が上下し、呼吸の乱れが残っているだけ。 「……俺に何かすれば、こいつの命はない。 いいか、てめえが近づくたびに、ナイフは深く入っていく。さあ、どうするよぉ……ッ!!」  言葉の最後に合わせて、男は愁に向けて引き金を引いた。  乾いた銃声。  愁はわずかに動き、弾丸が肩をかすめた。 焼けつく痛みが走る。  次の一発は脚を掠めた。膝が一瞬、地面に崩れかける。  だが――愁は、表情を歪めもしなかった。 「……ごめん、なさい……涼風さん……」  その一言を、小さく呟いた。  目が合う。愁の赤い瞳には、痛みではなく、 深い悔恨と優しさが滲んでいた。 「全部……最初から……話すべきでした……」  次の瞬間。  風が鳴った。  愁の姿が男の視界から掻き消えたかと思えば、衝撃が響いた。  まるで時を超えたかのように一瞬で距離を詰め、男の手からナイフも銃も一瞬で弾き飛ばした。  葵を抱え込んでいた腕が引き剥がされ、男の 巨体が地面へと叩きつけられた。  一撃だった。  地面に転がった男は意識を失い、動かない。  周囲には誰もいない。 静寂だけが、ふたたび街を包み込んだ。  葵は地面にへたり込み、震えていた。  愁は葵のもとへと歩み寄る。肩と脚からは血が滲んでいる。 「っ……大丈夫ですか……?」  静かに、手を差し伸べる。  けれど――その手を見た葵の身体が、わずかに震えた。  怯えていた。  その目に、愁が"化け物"として映っているのだと、痛いほど思ってしまった。 「ぁ……」  愁は、手を引っ込める。  そっと目を伏せて、ぽつりと呟いた。 「……ごめんなさい。迷惑ばかりかけて……怖がらせて……ぁ、の……ケガとかあったら……大変なので救急車……呼んでおきますから……」  震えそうになる声を、懸命に抑える。  それでも、声の奥に滲む痛みと後悔は、隠せなかった。  愁は、ゆっくりと背を向けた。  今すぐこの場から、立ち去らなければ。  これ以上、葵に恐怖を与える前に。  歩き出そうとした、その瞬間―― 「ッ……」  背中に、あたたかな重み。 「……涼、風……さん……?」  後ろから、ぎゅっと、両腕で抱きしめられていた。    葵の顔が、愁の背にうずめられている。  あたたかくて、震えていて、でも――  そこにあったのは、たしかに――

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