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第四十三話

 日が傾き、柔らかな夕陽がカフェの窓を紅く染めていた。  そんな穏やかな時間の中で、京之介は “嵐のように” 去っていった。  愁の膝の上に座ったまま、甘えるように身体を預け、イタズラっぽく唇を尖らせて―― 「それじゃあ愁ちゃん、時間できたらまた顔出すから……♪」  ワインレッドのスーツがきらめき、艶やかな香りだけが残る。 「……次に来た時は、久々に一緒にお風呂入ろなぁ♡」  妖艶すぎる微笑と共に、指先が唇のすぐ横を掠め、ふわりと立ち上がる京之介。  愁の太ももから熱が抜けた。  その背を見送りながら、愁はひとつ深く息をついた。 ……やっぱり、嵐だ  京之介の言葉――次の任務の通達は、どこか演劇のセリフのようだった。  「日向」に居ながら、いつでも動けるように。大きな事件が迫っている可能性がある、と。  だが愁は、それよりも「次に来たら風呂に入ろう」の方が強烈に印象に残っていた。  久々に兄のような上司の顔が見られたことは、率直に嬉しかった。  あの底知れぬ艶笑も、懐かしい。……が、身体の自由を奪われた時間はそれなりに長かった。 ……でも……もう一人って誰だろ……殲滅型は、相性が悪いから……同じ型の……ひょっとして……  肘をつきながらぼんやりと考える。が、  その答えの前に、別の一人が  ――ぬるり、と。  まるで猫のように静かに、愁の膝の上へ。 「……え?」  思考が追いつくより先に、太ももにぺったりと跨った腰の重みと柔らかさが、愁の太ももに じんわりと沈み込んだ。  長い黒髪がふわりと揺れて、膝の上で機嫌の悪そうな顔をした葵が、こちらを見上げていた。  また、距離が近い。息がかかる。 「……ぁ……」  なにか言おうとするが、愁の言葉は途中で止まる。  葵の顔が、ぐいっと近づいて―― 「……あの人……ほんっとに月美くんの上司なんだろうね?」  ぽつんと落とされた声に、『恋愛のいろは』を熟読した愁は、瞬時に察する。  京之介が、「愁ちゃんの上司兼お兄ちゃんの 九条京之介どす♪はじめまして葵ちゃん、よろしゅうね♡」と、何か自己紹介みたいな事は言ったが、その位置が悪かった。  愁と京之介が向かい合って、睦み合っている様な姿を見せつけられて、葵は間違いなく嫉妬している……と。  葵は唇を尖らせたまま、愁の目を見て離さない。 「上司でお兄さんって、聞いたけど……」  納得はした。でも、納得して“気が済んだ”わけじゃないらしい。 「ぇ、ええ、その通りですよ……」 「ふーん……でも、上司でもお兄さんでも、 こんな、恋人みたいな事しないよね普通」 「ぁ……はは、京之介さん昔から距離感ゼロですか……むぐっ!?」  言いかけた愁の唇が、葵の唇と重なる。  頬が熱くなる。京之介の置き土産である熱が、別の熱に塗り替えられていく。 「ん……納得出来ない……だから、今日は僕が 納得するまで……優しくラブラブしてくれなきゃ、許さないんだから!」 「え、と……昨日も、一昨日も……いっぱい…… その……」 「関係ない!」  即答だった。にっこりとしたその笑顔は、少しだけ意地悪だった。  けれど、葵の指が愁の首元に絡み、さらに距離を詰めてくる。  ここ八日で愁が学んだこと。こうなると愁に 選択肢はない。 ……なんだろう、俺は、これからずっと…… この人に翻弄されていく気がする……  ひとつ小さくため息を吐いて、微笑み 愁は静かに目を閉じた。

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