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第五十三話
営業終了後の「日向」。
“凛”って子が帰って、やっと静かになった――
はずなのに、僕の心の中は全然静まらなかった。
だって、あの子……兄弟みたいな関係とか言いながら、カウンターで愁くんの肩にぴったり寄り添って、手でペタペタ愁くんに触って……あげくの果てには唇の近くにキスまで。
……あれは兄弟じゃなくて、もう恋人未満くらいの距離感だよね……?
しかも、今夜は……本当なら愁くんと、いっぱいキスして、甘く過ごすはずだったのに。
僕の愁くんが、他の誰かに触られてるなんて……
正直、嫉妬でお腹の中がぐつぐつしてる。
愁くんも、そんな僕の空気を察してるのか、帰り道はほとんど話しかけてこない。
わかってる、愁くんは悪くない。全部わかってるけど……どうしても素直に笑えない自分がまたヤになる。
そのせいか、僕のシルビィも気分を反映したみたいに、やたらアクセルが重くなる。
峠を下るカーブでは、タイヤが路面を鳴かせて、
後輪がすべる感覚がハンドルから伝わってくる。
「……!」って助手席の愁くんが軽く肩をすくめるのを横目に、僕はギアを落として次のコーナーへ。
……うん、完全にドリフトだ。八割は自分の
不機嫌、二割は腕の自慢。
そして、愁くんのアパートに帰宅。
最初ここに来たときは、シングルのパイプベッドと小さな冷蔵庫しかなかった部屋。
でも、今は違う。
僕が前の部屋から持ってきた大きめのテレビと
テーブル、その前に二人で買いに行った、
ふかふかの三人掛けソファ。
壁際の棚には、僕が集めたDVDや漫画がぎっしり並んでる。
コーヒーカップも、毛布も……お洒落な観葉植物まで……気づけばこの部屋はもう「僕と愁くんの部屋」になってた。
でも……今日は、いつもみたいに隣に座って他愛ない話をする気分じゃない。
一緒にいても、愁くんが僕を気遣って、話しかけづらそうにしてるのがわかるから。
「……シャワー浴びてくるね」
そう言って脱衣室へ向かおうと背を向けた瞬間――キュッて、やさしく手が握られた。
振り返ると、愁くんが少し俯きながら、
「……ごめんなさい」
って、小さな声で。
……なんで謝るの、君は何も悪くないのに。
それなのに、年下なのに、こんなふうに気を遣わせて。
「僕こそ、ごめん……」
言葉が勝手に出た。
「僕、愁くんのこと……大好きで……でも、大好きだから、君が他の誰かとあんなに仲良くしてるとこ見ちゃうと……つい、イライラしちゃって……」
自分で言ってて、顔が熱くなる。大人げない。完全に嫉妬。
でも愁くんは、そんな僕を見て、ふっと目を丸くしてから――
「……葵さんが、下の名前で……」
なんて、頬を赤くして呟く。
そうだ、僕、今自然に「愁くん」って呼んだ。
いっつも「月見くん」って呼んでたから……
でも、先に「葵さん」って呼んで、ドキドキさせたのは君の方なのに……
……もう耳まで真っ赤になるなんて……本当に……
かわいい。
「葵さん……嬉しいですね……ただ名前で呼ばれただけで……こんな気持ちになるなんて」
胸を押さえながら言うその姿が、もう、反則級に愛しい。
僕も、今朝、突然「葵さん」って呼ばれたとき、嬉しくて変な声が出そうになったんだから、
おあいこだ。
「……葵さん」
「……愁くん」
「……葵さん……」
「……愁く、ん……」
気づけば、お互いに何度も名前を呼びあって、どんどん顔が近づいて――
唇がそっと触れた。やさしく、ゆっくり、溶けるみたいなキス。
唇が離れたあと、ぽーっとしたままの僕は、
思わず口に出してしまった。
「ぁ……ね、愁くん……」
「……なんですか、葵さん……?」
「……僕も、愁くんと……一緒にお風呂入りたいな……」
愁くんの顔が、さらに真っ赤になったのは言うまでもなかった。
シャワーから流れるお湯が、ぱしゃぱしゃと
タイルを叩いて。
湯気がもわぁっと立ちこめるユニットバスの中で、僕と愁くんは向かい合っていた。
「……髪、上げてるんですね」
愁くんが、ふっと微笑んだ。
「いつもお風呂あがりにはポニーテールに戻ってるから……こうしてまとめてるの、可愛いって知れるの、嬉しい……」
言われて、つい笑ってしまう。
「な、なんか変だよ……こんなの、ただのお風呂用のまとめ髪なのに」
「でも……可愛いです……」
湯気のせいじゃないはずだ。僕の頬は、じんわり熱くなる。
愁くんの両手が、泡をたっぷり含んで、僕の肩や背中をぬるり、ぬるり……って撫でてく。
泡がすべるたび、くすぐったいような、妙に
気持ちいいような感覚が走る。
「ん……っ……」
変な声が漏れそうで、慌てて口をつぐんだら、愁くんの耳まで真っ赤になっていて。
「……葵さんの笑った顔……キレイ……」
そんなことを真面目に囁くから、もうお湯だけじゃない熱が胸の奥まで広がってしまって――。
「……ばか……そんなことばっか言われたら……
したくなっちゃうじゃないか……」
ぽろっと、口からこぼれる。
「……葵さん……」
震える声に、心臓がきゅっと掴まれたみたいになる。
見つめ合ったまま、唇が重なって、ゆっくり、ゆっくり……舌を絡める。
ぬるん、ぬるん、って泡がはじける音と、くちゅ、くちゅ、って僕らの呼吸が混ざる音。
愁くんの手が、お湯で温まった僕の肌を、柔らかく撫でながら……敏感なとこを優しく擦る。
……もう、のぼせちゃいそうだ。
「……このままじゃ……ふたりとも茹だっちゃうね……」
僕は、笑いながらおでこを愁くんに軽くこつんと当てた。
「ベッド……いこ……。……いって……しよ」
泡を流しながらそう言うと、愁くんは小さく「……はい」と返してくれた。
僕は彼の手を取って、湯気の向こうへ引っ張った。
シャワーの音が止まると、二人の鼓動だけがやけに大きく響いていた――。
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