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第六十一話

 カウンター席に座った僕は、愁くんと、一応、凛くんを待ってた。  そしたら休憩室のドアが開いて、まずは凛くんが、とぼとぼと出てくる。そのすぐ後ろを、支えるみたく愁くんが付き添ってて、二人並んで僕の方へ歩いてきて。 「ぁ、の、ごめんなさい……さっきは、酷いこと言って……」 「ごめんなさい、葵さん……ほら、凛、ちゃんと頭下げるの」 「さ、下げてるってば!」  凛くんが、なんと僕に頭を下げていた。 しかも横で愁くんまで一緒にペコリ。 ……あれ、この二人、兄弟らしいじゃないか。 さっきまでの冷静すぎる愁くんと、愁くんに絡みつく凛くんの構図しか知らなかったから、なんだか新鮮。 「……いいよ、いいよ。そこまでしなくて…… 僕だって、ちょっと大人気なかったし」 凛くんはパッと顔を上げて、 「やった、愁ちゃん許してもらえたよ♪」 と嬉しそうに報告。 すると愁くんがすかさず、 「こら、ダメでしょ……そういう態度だと、本気で謝っても、信じてもらえなくなる。」 と、また説教モード。 「もぉ……堅いんだから……」 と凛くんが口を尖らせ、再び二人そろってペコリ。完全にコント。 「ふふふ……♪もう気にしてないから……それと」  笑いながら、僕はバッグから封筒を取り出して、凛くんに差し出す。 「はい、これ」 「え?」 「君のバイト代。」 ぽかんとする凛くん。数秒の間を経て、 突然パッと表情が弾けた。 「やった♪ 愁ちゃん、ボク初めてお給料もらえたよ! やったー!」 「良かったね、今日は凛いっぱい頑張ったもの……♪」 ……あれ、普通に無邪気で可愛い子じゃないか。 それに愁くんといる時はちゃんと“弟”をしてる。 ……うん、これは眼福。 お客さんがこの二人を見てニヤニヤしてた理由が、今やっと分かった。 で……一応聞いてあげるか。 「どうする?」 「ふぇ……ボク?」 「うん。働くって言ってたけど、これからも続けるのかなって」 「働いて……いいの?」 ちょっと上目遣い。……なにこの“ちっちゃい愁くん”、可愛いにもほどがあるんだけど。 「まぁ……もちろん、“大切な仕事”の都合もある だろうし……特に凛くんは学校とか……」 「働く!! 今、待機中で定時報告以外する事ないし、暇だし、……あ、ほとんど土日になっちゃうけど」 「そ、そう……そういえば何歳なのかな?」 「ん……十七歳だよッ、よろしくね葵ちゃん♪」 「ダメだよ凛。葵さん、店長なんだし、ちゃんと礼儀正しく。」 「あ……ごめんなさい……」  ……ぽんって凛くんの猫っ毛の上に手を おいて、やさしく叱る愁くん……なんて叱り方なんだ……僕にもしてほしいよ…… 「っ……いいよ愁くん、別に気にしないし。 じゃあ土日だけお願いね。で、ここまでどう やって通勤する?」 「通勤?」 ……ん? なんでそこで“はてなマーク”出るの? 「住所は?」 「ないよ?」 「へ……?」 「ん?」 ……あ……なんだろ、これ、嫌な予感してきた。  うん、なんでも凛くんの話だと、愁くんの アパートで一緒に待機する予定だったらしく……別の部屋なんて、用意してもらってなかったみたい。だから…… 僕のシルビィの後部座席には、初めて物じゃなくて人が座っている。 「わぁ……はやぁい♪ 葵ちゃん、運転めっちゃ上手なんだね♪」 「そ、そうかな……?」  褒められると、なんだかくすぐったいような嬉しいような。  駅までくらいなら送ってあげようと思ってたのに……まさかそのまま同居になるなんて、夢にも思わなかった。  カーブが続く峠道。街灯の間を縫うように、シルビィのライトが地面を照らす。  助手席の愁くんは黙って前を見つめ、後部座席の凛くんは窓の外に顔を近づけて、子どもみたいに「わぁ…」って声を漏らす。  正直ちょっと誇らしい。  本当は「君達の所属しているとこは何でも出来るっぽいんだから、他のホテルとか部屋、用意してもらったらどう?」って言えるタイプなら良かったんだけど……僕はそうじゃない。  あんなに愁くんを好き好き言ってる 凛くんを、別のとこに……って、ちょっと可哀想な気もする。  そもそも……僕が、自分のアパートに戻ればいいだけなんだろうけど……あそこに一人で戻る 勇気が出ないし―― 「凛、ちゃんとシートベルト締めるんだよ」  助手席で“お兄ちゃん”らしく振る舞う愁くんをちらりと見て――僕は、ほんの少しでも彼と離れたくないと思ってる。  途中でスーパーに寄って食材を買い込んで、 愁くんのアパートに到着。    シルビィから降りた凛くんは、大きく伸びをして、愁くんは僕のすぐ傍に。 「はぁ、楽しかった♪」 「凛、部屋は二階の二〇一号室ね、これ鍵。」 「うん、ありがと。愁ちゃんは?」 「ちょっと荷物を降ろすから、凛は先に入って るといいよ。」 「はーい」  黒いキャリーケースをころころ転がし、凛くんは階段を登っていった。 「はー……」 「どうしたんです?」 「ごめんね、僕が居るせいで、部屋……狭くなっちゃう」 「なんだ、そんなこと気にしませんよ。」  食材の詰まったエコバッグを両手に持った愁くんが、僕の横に並んで歩きながら言う。  その声音は軽いのに、不思議と胸に残る。 「でも……」 「もぅ……言わせないでください。俺は少しも 葵さんから離れたくない、んです……」 「はぅ……!?」  さっきまで凛くんに注意してた時と同じ、落ち着いた口調で。  でも最後の一言は、本人も気付いたみたいで、みるみる顔が赤くなる。  ……言われた僕も、もちろん真っ赤だ。 「あ、ありがと……」  同じ気持ちなんだってわかるだけで、胸の奥が温かくなる。 「ぁ……あの、ちょっと止まってもらっていいですか」  一階の階段の踊り場。外灯の届かない少し暗い場所で、愁くんが立ち止まる。  僕も足を止めると―― 「なに……んっ……」  唇と唇が、そっと触れ合った。ほんの一瞬、 でも、やけに長く感じる軽いキス。 「……凛がいるから、部屋じゃキス出来ないと思って……」  俯きながら言う愁くんの耳まで真っ赤で、 なんだかズルい。 「では……先に荷物運びますから」 「う……うん……」  そう言って、カンカンと軽快な音を立てながら階段を駆け上がっていった。  僕の心臓は、まだ暴れていて、もう少しここで立ち尽くしていようと思う。

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