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第八十八話

 教室の前を凛くんが通りすぎただけなのに……もうそれで充分だった。 現実に引き戻されちゃって……。 「……お、俺……なにして……き、着替えてきます……」 「は……ぅ……うん……」 慌てて立ち上がった愁くんは、ひらっとスカートを揺らしながら、シャーってカーテンの中へ。 ……あれ、絶対わざと見せたよね……一瞬、白い 生地に包まれたお尻―― ……もー、僕、熱冷ますの、すっごい大変なんだから……。 ***  カーテンの中からガサゴソ音がして、 少ししてから「お待たせ……しました……」 って、いつもの凛々しい愁くんが戻ってきた。 ……ああ、ちょっともったいなかったな…… 写真、もっと撮っておけば……って、そういえば凛くんから…… 僕はスマホの着信通知が何件かたまってるのを 確認して、凛くんが送ってくれた写真…… 「ぁ、葵さん……?」 「はぅッ!?にゃ、なんでもないよっ!いこいこっ!」  ガタッて椅子を鳴らしながら、スマホをポケットにしまった僕は、愁くんの手を握って教室を飛び出した。まるで「乙メン♡カフェ」から逃げるみたいに。 ……ありがと、凛くん……僕と君の絆は永遠だよ。今度、君の好きなケンチキをバケツで何個でも 買ってあげるからね……♡ ***  校庭に出たら、賑やかな音と匂いが一気に 押し寄せてきた。  歌に笑いに、たくさんの屋台の美味しそうな 匂い……あぁ、もう最高……♪ 「もふゅ……ん……美味ひぃ♪」 僕の片手には、アメリカンドッグと唐揚げの串。交互にかじると、もう幸せで死にそう。 「葵さん、そんなに食べると喉詰まらせちゃいますよ……はい」 って愁くんが差し出してくれたコーラの飲み口を、僕はそのまま唇で受け取った。 「ごきゅ……ぷはーっ!このジャンクな感じ、たまんない♪」 「ふふ……っ♪なによりです」 あぁ……愁くんのその笑顔、さっきまでメイド服で可愛すぎたくせに、今は格好良すぎて…… でも、あれは、なんだったんだろ? メイド服の魔法……とか? *** 「ふわ……ん……甘ぁ〜〜い♡」 「ん〜〜最高……♪」  生まれて初めて食べた綿あめ。口に入れると じゅわって溶けて……まるで愁くんとのキスの 味みたいで――ってなに考えてんの僕!?  露店を渡り歩いて、ちょうど他の模擬店の手伝いを終わらせた凛くんと合流。ふわっとした メイド服はそのまんま。 ほんと「まだ着てるの!?」って、びっくりしたけど……まあいいや可愛いし、なんか楽しいし。 「あっ、ボク、次はフランクフルトがいい♪」 「うん、絶対美味しいよね、あれ♪」  気づいたら愁くんは、僕と凛くんの真ん中で、 凛くんが腕を組んでた。 ずるいなぁって思って、僕も反対側から真似してギュって腕を組んでみた。 ……これ、凄くいい。 落ち着くし、愁くんを挟んで歩くと、まるで2人じめしてるみたいで……♡ 「葵さん、凛……食べ過ぎ……って言っても、ダメ ……ですよね……ふふ♪」 「大丈夫だよ♪愁ちゃんの作ってくれるご飯も 絶対残さないし、まだまだ食べれるし♪」 「うん♪僕もまだいけるよ♪」 ああ……楽しい♪ 愁くんと手を繋いで、凛くんと笑って、屋台を巡って。 ちょっとエッチで、ちょっと危なっかしくて……でも、それ以上に青春みたいで、甘くて、最高に――。 ***  ――楽しかった。 そして本当に……嬉しかった。 「こんなこと、経験できるはずない」って思ってたのに、全部できちゃって……しかも大好きな 彼氏と、初めての友達と一緒♪  僕はいま、愁くんと先に帰ってきたアパートでその余韻に浸ってた。 凛くんは片付けがあるとかで、ちょっと遅れるって言ってたけど……。  キッチンからは、いい匂いがふわぁって広がってくる。愁くんは晩ごはんの準備中。 さっきまであんなに食べたのに、愁くんの料理の匂いでもうお腹が空いてくるから不思議…… って、思ってたら。 「たっだいまー♪」 元気な凛くんの声がして、僕と愁くんは顔を見合わせ、声を揃えて返した。 「「おかえりなさーい♪」」 ぱたん、とリビングの扉が開いた瞬間、僕らは 同時に声を上げた。 「「えっ!?」」 ……だって、凛くん。 まだメイド服のままだったんだ。 ふわっとスカートを揺らして、まるで舞台から 飛び出してきた人形みたいに入ってくる。 「凛、その格好で帰ってきたの……?」 愁くんが慌てて尋ねると、凛くんは悪戯っぽく 笑った。 「うん♪ みんなに“そのままでいて”って言われちゃって。校門出るまで着替える暇もなかったんだよね。……えへへ、いいでしょ?」 「か、帰りの電車とか……大丈夫だった?」 僕は思わず心配してしまう。 「うん♪ みんなジロジロ見てきたし、変なおじさんとかに何回も声かけられたけど……平気♪」 その答えに、愁くんの表情が一変した。 ざくん、と包丁の音を置き去りにしてキッチンから飛び出してくる。 「……大丈夫? へんなことされなかった? 凛のことだから大丈夫だと思うけど……相手の顔とか、声、覚えてる? 降りた駅とかも……? ちょっと俺が任務のついでに消――」 最後の方は物騒すぎて耳が勝手にシャットアウトした。でも凛くんは、にっこり笑って愁くんの 胸に飛び込む。 「えへへ♪ 愁ちゃん心配しすぎ。どんだけボクのこと好きなの……♡」 その声があまりにも甘くて、愁くんの頬がぽっと赤くなる。 僕から見たら、ただの溺愛カップル。……いや、もはや過保護な親? ……いいなぁ。僕もあんな風に抱っこされたい…… あとで……うん……してもらお…… ついそんな風に思った。 嫉妬っていうより、凛くんが羨ましいって気持ちの方が強い。 「そ、そんなこと……」 「そんなこと?」 「……ちょっと料理してるから、あとで……ぁ、 ちゃんと手洗って、うがいするんだよ!」 たたっと慌ててキッチンに戻っていく愁くん。 可愛いったらありゃしない。  そして、ソファーに座る僕の前に立った凛くんが腰を折って、僕にコソコソ声で囁いた。 「……葵ちゃん」 「……な、なに……?」 メイド服のフリルを揺らしながら、悪戯っぽい目をしてる。 その赤い瞳は、さっきまでの“可愛い友達”じゃ なくて、なんか危ない誘惑の色をしてた。 「ちょっと……ボクの部屋に来て……」 にゃっと笑って、腰をくいっと揺らしてみせる 凛くん。 フリフリのスカートが目の前でふわりと舞って、太ももが白く光る。  僕は……ふらふらと、まるで凛くんの尻尾に釣られるみたいに、立ち上がってしまった。 あれ……僕、まんまと……? 写真の恩があるから――なんて言い訳は、通じそうにない。 これはきっと、もっと甘い何かに誘われてるんだ……。

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