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第九十二話
学園祭の夜から……もう、何日経ったかな?
気づいたら、あの熱みたいな時間も夢みたいに
遠のいて……けど、胸の奥にまだ、余韻が残ってる感じ……。
「それでは葵さん、ちょっといってきます。」
「いってくるね、葵ちゃん♪」
夕方、喫茶店「日向」の片づけを終えたところで、愁くんと凛くんにお仕事が入ったとか……。
2人が揃って動くなんて、これまで一度もなかったから、ちょっとびっくり。
……でも、本人たちはいつもと変わらない顔を
してる。
それでも、どうしてだろう……?
胸の奥に小さなざわめきがあって、落ち着かない。嫌な予感っていうんじゃなくて……ただ、
なにかが変わりそうで……。
「葵さん、戸締まりだけは気をつけてくださいね。寝落ちして鍵の閉め忘れは、だめですよ。」
愁くんは、優しく目を細めて笑った。
その声も表情も、いつもと変わらないのに……
なんだか心が締めつけられる。
「わかってるってば。もう、子供扱いしないでよ?僕のほうが歳上なんだから。」
なんて口では強がってみせても、愁くんの笑顔には敵わない。やっぱり僕は、この子には甘くなる。
「んふ♪葵ちゃん、ちょ〜っと可愛いとこあるからね。それと……オヤツの食べすぎも気をつけて。特に、冷蔵庫のボクの濃厚チョコパイ、食べないでね!」
凛くんがふわっと猫っ毛を揺らして、子供みたいに笑って。可愛いんだから、ん……?
「……え?あれ、食べちゃいけなかったの……?」
「はぁ!?……ボクのだったのに!」
学園祭のあと、3人で朝まで無茶したから……
お腹空いて、つい手を出しちゃったんだっけ。
凛くんの頬がぷくっと膨れて、それがもう可愛いすぎて……思わず笑っちゃう。
「あはは、ごめん、ごめん。また同じの買っておくから。」
そう言うと、凛くんの表情がほんの一瞬、陰ったように見えた。……気のせいかな?
「……ちゃんと、買っといてよ。三箱でいいから!」
「ん……わかった。ちゃんと買っておくから……
二箱ね。」
「もうっ!」ってむくれる声も、なんだか甘い。
そんな僕たちを見ていた愁くんは、小さく笑って言った。
「ふふ……♪凛、そろそろ時間だから。行こうか。それでは……」
そう言って、僕の頬にそっと――
チュッ、と。
え……?と戸惑う間もなく、反対の頬に凛くんも同じようにキスしてきて、
「約束……だからね♪」
って、小さく囁いた。
玄関を出ていく2人の背中を見送って……僕は、
しばらく動けなかった。
――「いってきます」のキス。
生まれて初めての、それは、胸の奥を温かくも
切なくもする魔法みたいで。
小さく触れた唇の余韻を両頬に抱えながら……
僕はいつも通りに思ったんだ。
どうか……必ず、無事に帰ってきてねって。
次の「ただいま」を……僕は、待ってるから。
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