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第九十三話

 戦術輸送機の機内は、赤いランプの明滅と低く唸るエンジン音に包まれていた。 特殊軽量装甲服に身を包んだ愁は、黙々と装備の確認を終え、超硬ナイフをホルスターに滑らせ、カスタムされたグロック23を確かめるように軽く握り直す。 2丁は腰のホルスターへ、さらに2丁を左右の ショルダーホルスターに収め、スペアも含め全ての弾倉には貫徹力に優れる徹甲弾が装填されている。 足元には6連装のM32グレネードランチャー。 どこか冷ややかな戦場の匂いが、彼の呼吸と共に濃くなっていく。 隣では凛が両腕を見せつけるように軽く振る。 手首に装着された黒金属の光沢を放つ―― 特殊兵装《レヴェナント》カートリッジを交換することで鋭利なワイヤーが射出され、対象を切断するも、振り子のように移動するも自在―― その機構を凛は指先の癖のように確かめ。 さらにサイドアームのCZE vz.61 “スコーピオン” のスライドを引き、短い呼気を吐いた。 猫っ毛を揺らす動きが、戦闘前の緊張を隠しきれていない。 そして向かいの座席には 「葉月ッスよ、千草 葉月。忘れたんすか?」 葉月。彼は少し不満顔でボルトを操作しながら 視線を二人へ。 長い黒髪を無造作に金へ染め、垂れ気味の赤い 瞳の片方を髪で隠した青年は、分厚いケースからBarrett M82を取り出し最後の点検をしている。その動きは繊細で、しかし馴れたものだった。 凛が少し肩をすくめて笑った。 「ごめんって、でも言っても、葉月とは何回か端末で話しただけで、直で会うの初めてじゃない?」 「んでも、こっちは3000m手前から皆をバックアップしてるし、愁にはいつも熱視線も送ってるスよ!ね、愁♪」 葉月はライフルから取り外したスコープを覗く ふりをし、髪の隙間から愁を見上げる。 「うわ、ストーカー怖……」 凛は少し引き気味に呟き。 愁は小さく瞬きし、柔らかく答えた。 「……そうですね。たまに……そんな視線を感じてたよ。」 「へへッ……やっぱり視線だけで気持ちに気付いてくれるのなんて……愁だけッス……♡」 脱力気味に笑う葉月。その声を受け、愁はふと 笑みを浮かべる。 「葉月、頼りにしてるよ。」 その一言に、心臓を撃ち抜かれた葉月の指から スコープが滑りかける。 「うぁ……♡」 すかさず凛がむっとした声を上げた。 「葉月、惚れちゃダメだかんね!愁ちゃんは、 ボク……と葵ちゃんの彼氏なんだから!!」 「……そりゃ、もう手遅れっしょ……♡」 「はッ!?」 「ふふ……♪」 愁は微笑みながら凛の猫っ毛を撫で、宥めるように言った。 「凛、怒らないで。葉月は俺たちの背中を守ってくれるんだから……ね?」 撫でられた凛は頬を赤らめ、少し肩を落とす。 「……うん……ごめん、愁ちゃん……」  そして場の空気が少し和らいだところで、機内のランプが赤く点灯する。 「そろそろ、葉月の降下ポイントだ。 頼りにしてる。」 愁が短く告げると、機体後方のハッチが唸りを 上げて開き始めた。 「……ふふん、愁の背中はオレに任せるっス♡」 パラシュートを装着した葉月は、弾薬を大量に詰め込んだバッグを背負い、ライフルを抱えながら軽やかに立ち上がる。 「ボクはッ!?」 「んー、ついでに守ってやるッス〜♪」 指でピースサインを作り、ひょいと兎のように 跳ねると、葉月は夜の闇に吸い込まれていった。 ***  葉月が降り、残された機内。 「……愁ちゃん、平気……?」 凛の小さな声が落ちる。 「ん……?」 「今日の任務……大掛かりだし……標的は 結構強そうだし、怖くないかなって……」 愁は凛の不安を知っていた。最重要の破壊目標は日々進化を続ける“特異体”に守られ、その個体数は目標地点の熱画像によれば、100や200ではない。 更にそれらの頂点に立つとされる、最重要標的は下手をしたら愁達、“戦闘特化体”すらも凌駕するかもしれない。 ――だが、それでも。 愁はふっと微笑んだ。 「うーん……別の部隊が多方から同時に攻めるし相手はそれで分断されて、俺達の後ろには百発千中の葉月がいるし……それに」 言葉と共に、彼の手が凛の肩へ置かれる。 「俺の隣には頼りになる凛がいるし、平気かな♪」 愁の普段と変わらない微笑みに、凛の胸に灯が ともるように赤い瞳が輝いた。 「うんっ♪」 ――次の瞬間。 ――ドガォォォォンッッッ!!!!! 轟音と共に、前方が閃光に包まれる。 「ッ!?」 操縦席付近に炸裂した爆発で、機体は炎を噴き、制御を失って大きく傾いた。 鉄の躯体が悲鳴をあげ、内部は激しい揺れに 蹂躙される。 「愁ちゃんっ!!」 「ちょっと待っててッ!!」 愁は即座に操縦室へ向かい扉を開ける―― そこには、炎に呑まれた空洞だけがあった。 燃え盛る断片と夜風が怒涛のように押し寄せ、 髪を乱す。 「……ッ!」 踵を返した愁は、揺れる機体を蹴り飛ばすように駆け。  床に転がったM32グレネードランチャーを 拾い上げ。 「凛ッ!俺の後ろッ!」 「ッ!うんッ!!」 動作の止まったリアハッチに銃口を向ける。 「――開けッッ!」 ドォンッッ!!!ドォンッッ!! 重爆音が機内に轟き、炸裂した弾丸が鉄板を歪め、炎と煙と共にハッチを吹き飛ばす。 赤い非常灯の明滅と、外から流れ込む夜風が交錯し、視界が激しく揺らめいた。 愁はランチャーを投げ捨て、迷わず凛の手を掴む。 「行くぞッ!!」 「うんっ!!」 二人の身体は闇夜へと飛翔した。 背後で炎上する輸送機が爆ぜ、巨大な火の鳥のように空を赤々と染めていく。 ***  高射砲に撃ち抜かれた機体から飛び出した 愁と凛はパラシュートもなく、ただ重力に引き ずり込まれるように落下していた。 耳を裂く風切り音。凄まじい速度で迫る地表。 それでも愁は凛の手を離さない。  握る凛の手の温もりが、自分を現実に繋ぎ止めていた。 「……りぃんッ、大丈夫!?」 「……なんとかぁぁ……でもぉ、どうしよぉぉぉ……?」 互いの声が、風に呑まれそうな中、小さく響きあう。 死が近い――それを互いに理解していた。 「愁ちぁぁゃん、ひょっとしてぇぇこれが ぁぁ……ボクらの最後かなぁぁぁ!?」 「いまぁ……そうならないようにぃぃ……ッッ」  愁の赤い瞳が、下方に煌めく異様な光景を射抜いた。 かつては滑らかに湾曲していたはずの巨大シェルター。その表面には、今やウニの棘のように高射砲が無数に突き出ていた。輸送機を撃ち落としたのも、あの棘だ。 「……凛ん。あれにぃ、ワイヤァ掛けられるぅ?」 愁の指先が示したのは、鋭く突き出た砲塔の 一つ。 「出来なきゃぁぁ死んじゃうならぁぁ……やるよぉぉ。でもぉぉ、ボクの腕ぇぇ……千切れちゃうぅぅ、たぶんんん……!!」 「そこはぁぁ……信じてぇぇ!」 その一言に、凛は強く頷いた。 「……うんッッ!!」 腰から弾倉を素早く交換した凛は、腕に装着した《レヴェナント》を構え、照準を棘の一本に合わせる。 愁は凛を胸に抱き締め、落下する二人をさらに強く一つにまとめた。 ――カシュンッ!! ワイヤーが閃光のように夜空を走り、先端が砲塔へシュルシュルと絡みついた。 直後、凄まじい衝撃が凛の腕を伝う。 「――ッッ!」 凛の表情が苦悶に歪む……瞬間―― その衝撃を横から奪い取るように、愁がワイヤーの根元を強く掴み締めた。 「ぐっ……ッ!」 手のひらを覆う特殊繊維がギリギリと軋む。血は出ない。だが、落下の全衝撃が愁の腕に流れ込み、全身を無理やり引き裂かれるような痛みが奔り、そして―― 「ッッ……切り離せッッ!!」 「……ッ!!」 刹那、凛が即座にワイヤーを切り離し。2人は 再び自由落下。 ――だが、愁の足は既にシェルター表面を捉えていた。 ――ガ、ガ、ガ、ズガガガガガガガッッ!! 金属を爪で削り裂くような音が夜空を震わせる。愁の掌が鈎のように表面を削り、火花を散らしながら減速していく。 「止まれえぇぇぇぇッ!!!」 片腕で凛を抱き、もう一方の手は鈎の形のまま 鋼鉄の表面を削る。 ギィィィィッッ!! 火花が散り、甲高い悲鳴のような音が夜を裂いた。 「ぐ……ッ!!」 速度が削られ、衝撃が骨に叩き込まれるたび、 愁は奥歯を噛みしめる。 装甲服が軋み、破片が宙を舞った。 最後の瞬間―― ガァァァン……!! 愁は足でシェルターを蹴り、勢いを殺しながら 地面へと飛び降りる。 ドンッ――。 土煙が舞い2人の身体は、地上に転がり込んだ。 「……っはぁ……ッ!!」 息を荒げながらも、愁は腕の中の凛を強く抱き締め。 「愁ちゃんッ……大丈夫っ!?」 「ッ……なんとか、ね。少し……身体の色んなとこが痛いけど……大丈夫……。凛こそ、怪我は……?」 心配する赤い瞳に微笑みを返す愁。 凛は胸に顔を埋め、息を震わせた。 「……ボクは、平気……愁ちゃんのおかげ、だよ」 「……そっか……」 ほんの一瞬。静かな時間が二人を包む。 だが――愁の視線は既に遠くを睨んでいた。 「……もう……ちょっと、こうしてたいけど……続きは、また今度。」 「むぅ……いいとこ、だったのに……」 暗闇の中から、無数の気配が立ち上がる。 その数、およそ五十。いや六十か。蠢くたびに、地表が濁った音を立てる。 愁は立ち上がり、赤い瞳が光を帯び、声が低く響く。 「……さあ、ここから……」 その背後に凛が並び立つ。 二人を取り囲む特異体の円が、じりじりと狭まっていく。 夜風が凍りつくように張り詰め、次の瞬間―― 戦場が動き出した。

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