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第九十五話

 厚い鉄とコンクリートの塊――「第4炉心地下実験区画」のゲートは、爆破の衝撃でひしゃげ、鋭い断面から火花を散らしていた。葉月が撃った 2発の特製炸裂弾が開けたのは、獣の顎のような黒い穴。 そこへ愁と凛は、迷うことなく飛び込んだ。 ――ゴォォォォォン……ッ。 内部は、残響が途切れず反響する鉄と石の墓場。床には黒焦げの防護服が散乱し、ところどころに溶けかけたヘルメットや、焼き潰された肉塊が転がっている。腐臭と焦げ臭、そして鉄錆のにおいが鼻腔を刺す。 「愁ちゃん……ここ、外と通信、出来ないね。」 問いかけの声に応じるより早く、愁は振り向きざまに引き金を絞る。 ――バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! 銃声が狭い通路で爆ぜ、銃火が内部の扉から次々現れる獣の赤い眼を次々に撃ち抜く。背後から 押し寄せる異能体の群れ、肉を裂き、骨を砕き、鉄を撃ち割る音が響く。 「だいたい、こういう時はそんなものだよ。」 凛は走りながら笑った。 「そっか。ボク、経験ないんだけど……こういうときって“中ボス”とか出てきたりしないの?」 「……ゲームみたいにはいかないよ。現実は、 全員がボスみたいなもの……じゃないかな?」 愁の答えと同時に「ふーん……」と凛の声。 それとワイヤーの発射音が鋭く通路を切り裂いた。 ――キィィィンッ! 凛が《レヴェナント》の射出口に取付けたアタッチメントが天井に打ち込まれ、繋がったワイヤーを引っ張った次の瞬間、銀色の糸が扇状に広がる。 「新作だよッ♪」 ワイヤーが閃光のように張り巡らされ、群れの 先頭が勢いよく突っ込んだ瞬間―― ――ズシャッ! ザンッ! ギャァアアアアアッ!! 異能体の胴体が一斉にスライスされ、血飛沫と 臓物が霧のように舞う。床にはサイコロ状の肉片がバラ撒かれ、後続の異能体たちがその上で足を滑らせ、怒声混じりに崩れ落ちた。 「これでしばらくは大丈夫だよ、愁ちゃん!」 「……ありがと。あれ、派手だね……ふふ♪」 「えへへ♪」 束の間、二人は戦場の中で笑い合い――そのまま 異能体の爪痕と銃痕で刻まれ、床は焦げ跡と血の斑点に覆われた通路を駆け抜け―― そこの先で、愁と凛は足を止める。 ――ガァァァァァァン……ッ。 視界に広がるのは直径十五メートルの巨大シャフト。  鉄の螺旋階段が延々と下へ巻き付き、非常用の昇降ケージが吊られている。底は闇に沈み、深さは計り知れない。 その闇の中で、赤黒い光が幾つも瞬く。 異能体。壁を這い、階段を蹴り、牙を剥いて、 こちらを睨んでいる。 「……愁ちゃん……弾、あとどのくらい残ってる……?」 「……4丁全部、今装填してるので最後。凛は?」 「……えへ。弾切れ。でも《レヴェナント》は、まだ少しだけ。」 その瞬間――異能体の群れが一斉に咆哮を上げた。 ――グワァアアアアアアアアアアアッ!!! 壁を爪で裂き、鉄骨を揺らしながら、四方八方 から愁と凛に殺到してくる。 「だったら――」愁が言いかけた刹那。 「行くしかないよね!!」凛が叫び、2人は ケージへ駆けた。 ――バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! 愁の2丁拳銃が火を噴き、頭を撃ち抜かれた異能体が次々と落下していく。だが群れは止まらない。壁を蹴り、螺旋階段を駆け上り、血と泡を 吐きながら飛びかかる。 「凛ッ、先に行ってッ!」 「うんッ! 愁ちゃんも早くッ!」 凛がケージに飛び乗ると同時に、銃声が 途切れる―― 弾切れ。愁は即座に2丁を捨て、腰からもう1丁を抜きざまに飛び込んでくる異能体の口内へ撃ち込む。 ――バァンッ!! 獣の頭が爆ぜ、黒い脳漿が壁を汚した。愁は返り血を浴びながら、振り返ることなくケージへ 跳び乗り、咄嗟に凛を抱き締め。 「準備は?」 「早く!もう限界だよッ!!」 「じゃあ、落ちるよ。」 愁は銃口をケージを吊るすワイヤーへ向け、 引き金を引き。 ――バンッ! バンッ! バンッ! バンッ!  バンッ! バンッ! バンッ! バンッ!…… 襲い来る異能体と、鋼線が次々に断ち切られ。 ――ギギギギギギィィィ……ッ!! スライドが後退したままのグロックを投げ捨てた、次の瞬間―― 昇降ケージは重力に引きずられ、轟音とともに 急降下を始め。 「うわぁぁぁぁぁッッ!!!」 「ッ……」 予想以上の勢いに叫ぶ凛の声と、愁の低い息が 混ざり。 ガァァァァァァァァァァァン……ッ!! 金属が悲鳴を上げる音と共に、昇降ケージは闇を裂いて墜ちていき。 床との激突寸前、愁は重力に抗うように膝を曲げ。 凛を抱いたまま――跳ぶ。 ――ドガァァァァァァンッ!! 次の瞬間、粉砕音と共にケージは落とした粘土のように潰れ、鉄片が四方に飛び散る。  愁は背中から着地し、全衝撃を自らの身体で受け止めた。 「……ッ」 骨が軋み、呼吸が詰まる。 だが腕の中の凛は無傷。愁はすかさず腰から グロックを引き抜き、周囲へ銃口を向けた。 ――シン……とした静寂。 ここは「2次隔離区画」――かつて研究ラボだった場所。 無数の培養槽が立ち並び、ひしゃげた端末や割れた試験管が床を覆う。赤黒い液体を満たしたままの槽の中では、未完成の異能体が痙攣していた。 泡を吐き、骨の突き出た腕でガラスを叩く―― ヒビが走る培養槽、いつ割れてもおかしくはない。 「はぁ……はぁ……なんか……今日は落ちてばっか……だね……」 凛が粉々になったケージを振り返り、青ざめて つぶやいた。 「……一応……目標には近づいてる。」 愁は荒い息を整え、凛のガントレットのヒビに目をやる。 「……凛、大丈夫?」 「……だ、大丈夫。ごめんね……なんか、庇ってもらってばっか……」 小さな声でそう呟く凛の肩が震えていた。 愁はその肩を強く抱き寄せ。 「そんなことないよ。凛がいなきゃ……俺は、 俺達は、ここまで来れてない。」 「……愁ちゃん……」 二人は密着したまま短く視線を交わした。 その刹那だけ、戦場の冷たさが溶け。 「もう少し、一緒に頑張ろう。」 「……うん!」 そうして愁と凛は立ち上がり、奥へと進んでいく。 ***  ――カチ、カチ、カチ……。 ラボを抜ける通路のモニターは壊れかけながらも点滅を繰り返す。 《警告》《試料逸脱》の赤い文字が、血のように壁を染めていた。 やがて、何かが内側から破裂したように歪んだ 鉄ゲートをくぐると、視界は急に狭まる。 コンクリートの壁に制御パネルによって開閉する鉄扉が並ぶ通路。 左手の一室――そこがナビによれば目標の中央制御室。最後の扉。 だが、愁の視線は自然と最奥の突き当たりの扉に吸い寄せられた。 「Δ-00」 進入禁止を示す赤黒いマーク。その前に―― 男が立っていた。 ――ゾクッ。 愁の背筋を、今まで感じたことのない悪寒が走る。一瞬で理解する。この男は“強い”。 「凛……」 ただの強さではない。異能体の群れよりも、死地の数々よりも、はるかに。 「目標は、左の扉の奥。行って。」 「ッ……でも愁ちゃ……」 「いいから早くッ!!」 いつもの柔らかい声音は消え、刃のように鋭い声。凛は怯えたように目を揺らし、唇を噛んで頷いた。たたっと、男を警戒しつつ走り、制御パネルを弄り、扉を開き中へと消える。 それを邪魔する気配は……あの男からはまるで感じなかった。 ――カツ……カツ……カツ……。 革靴の音が通路に響く。 「ふふふふふ……良いねぇ、君。」 その声は澄みきった美声。冷気のように肌を 撫で、心臓を締め付ける。 「隣にいたあの子は怯えていて碌なデータをくれそうになかったから……先に殺してしまおうかと思ったけれど……色々と手間が省けた。」 銀色の髪、雪のように白い肌。赤黒い瞳と金色の瞳――左右異色の眼が愁を射抜く。スーツを纏ったその上に、血飛沫に染まった白衣を羽織るその姿は不気味なほど、美しい。 「お前は、誰だ……。」 「ふふ……さっきの君達の会話に準えるなら、 少し用事があって、偶然君達と遭遇したラスボスってとこ……かな?」 愁は即座に銃口を向け――バンッ! バンッ! 火花が散り、弾丸は空を裂いた。 「……!?」 男はいなかった。次の瞬間、背後で声が囁く。 「ふむふむ。その反応、悪くない。けれど、期待した以上ではないね。」 振り返る愁の前に、男は律儀に姿を現す。 異色の瞳を細め、薄く笑い―― 「さあ、そんな当たらない玩具は捨てて。本気でかかってきなよ。」 愁は男の言葉に従いグロックを腰へ戻し、拳を 握る。迷いはない。 拳が閃光のように飛ぶ――何発も、何十発も…… しかし全て、空を切る。 「あはははははッ……君、身体中痛めてる割には速いね。」 余裕を崩さず、避けながら会話を続ける男。 「けど……」 ――ドンッ! 男の左拳が弾丸のように愁の顔面を狙った。愁は右前腕で受け止める。 「ぐッ……!」 「遅すぎて……退屈してきちゃった。」 特殊軽量装甲がひしゃげ、骨にまで衝撃が伝わる。 そのまま愁の身体は横に吹き飛び、コンクリートの壁に叩きつけられた。 ――ドガァァァァァンッ!! 壁が砕け、粉塵が舞う。肺が焼けるように痛い。 「貴重な時間なんだ……もう少し、楽しませてよ……ね?」 異色の瞳が、愁を見下ろして嗤う。

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