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第九十六話
重たい拳が、防御すら許さずに愁の装甲を叩き潰す。
ガン……ッ!ギシィ……ッ!
軽量装甲は波打つように歪み、壁へと叩きつけ続けられる。息が喉から漏れ、鉄臭い血の味が口内に広がった。
男は薄く笑った。美しい顔立ち、冷たいほど
整った唇が愁を嘲る。
「期待はずれ……期待はずれ……時間の無駄……」
拳の軌道は寸分の狂いもなく、逃げ場を先読み。1秒の間に10度以上は愁の身体を穿つ。完璧な
殺意。
愁は歯を食いしばり、壁に背を押しつけられたまま、辛うじて意識を繋ぎ止め。
「く……ぅ……」
「ほら、1発くらい避けてみなよ……君、死ぬよ……どちらにしろだけど。」
その時、耳の奥に凛の声。
『愁ちゃん……! こっちは準備出来てる……
っていうか、されてた。もうボクが操作しなくても、あと15分……あぁ、ないくらいで、ここ
吹き飛ぶ予定だったみたい……』
「ッ……そう、か……」
短い返答。その声に、男の唇がにやりと釣り上がった。
「そうだよ♪必要なものはもう完成した。
ここはもう、僕らに必要ないからね――どうせなら、君たちも一緒に、消してあげようと思って……」
愁は血を吐きながらも、通信に向けて絞り出す。
「凛……そこ、別の出口……ある……?」
『ぁ、あるけど……なんで……』
「……そこから、脱出して……」
『馬鹿ッ!!そんなの出来るわけ――ボクも一緒に戦……』
返答を断ち切るように、愁はグロックを抜き、
バンッ! バンッ! バンッ!
銃声が中央制御室の扉の制御パネルを撃ち抜き、火花が飛び散る。
「お願ぃ……みんなを、助けて……」
『ッッッ……バカッ!!!』
ブツと切れた通信。
最後に聞こえたその言葉に、愁は薄く笑った。
(……最後に聞くのが、それって……)
男は嗤い。
「ふふふ……自らを犠牲に仲間を救う……良い話
だね♪涙が出そうだよ。でも、そうはさせない……君を殺して」
拳を構え、
「怯えたあの子も追いかけて、殺してやるからッ――」
その拳が愁の顔面を狙った瞬間、乾いた衝撃音が響いた。
ガシッ!
愁の手が、男の前腕を掴んで止めていた。
「っ……!?」
「そんなこと、させない……」
反撃。
ズブ……ッ!
超硬ナイフが脇腹に突き立つ。肉を裂く音が響き、赤黒い血が弾け飛んだ。
しばらく、自らの身体を犠牲にしての観察。
男の呼吸、間合いの詰め方、攻撃の角度。それは
愁自身が叩き込まれた《戦闘特化体》の動作原理を、完璧に模倣していた。
今まで、訓練以外では戦う事のなかった相手。
その「型」を見抜いた瞬間、愁の視界が鮮明になった。
男は一瞬呻くが、すぐにその美しい瞳に愉悦を宿す。
「く……はは……気付いたんだッ!良いね。その
順応性、今後の参考にさせてもらうッ!!」
愁は呼吸もままならぬ身体で、なお拳を重ねる。
ドガッ! ガンッ!
避ける先を読まれ、打ち込まれる拳の角度まで見透かされながら、それでも反撃を続ける。
「まだまだ……ッ!!」
だが、男は脇に刺さった刃を無造作に引き抜き、愁と寸分違わぬ構えを模倣してみせた。
赤黒い血が滴る腕で、笑みを浮かべながら。
「同じ……けど、僕の方が君より優れてる。」
愁も、もう一本のナイフを抜き、同じ構えで
向かい合う。
二人の間に、電撃のような緊張が走った。
次の瞬間――
ガキィンッ!ガキンッ!バチッ!ガキッ!バチィッ!ガキンッ!!
ナイフとナイフがぶつかり、火花を散らす。
刃が触れ合い、弾かれ、再び激突する。その速度は人間の目で追えない。
「はははッ! 楽しいッ……!楽し過ぎる!
最高だッ!!」
狂気の笑声が響き渡り、通路に閃光のような
火花が乱舞する。
だが――
「ッ……!」
一瞬。愁の指から力が抜け、刃が遅れた。
――ザシュッ!
鋭い痛み。男のナイフが肩を抉り込む。
次の瞬間――ドゴォッ!!
回転の蹴りがナイフの柄を叩き、愁の身体を吹き飛ばす。
ガンッ! バキィッ!
「か……はッ……」
床に叩きつけられ、肺から息が抜ける。
男は白衣を翻し、笑みを崩さない。
「互角の動きが出来ても……君は、ここに来るまでに既にボロボロだった。その差は恨まないでよ?」
愁は震える身体で天井を仰ぐ。脚に力は入らない。左肩からは止まらぬ血が滴る。
「……恨ま、ないよ……」
そう呟き、微かに笑って人差し指を掲げた。
そこには小さなピンが1本……。
「は……?」
「だから……これも、恨まないでね……。」
ドォォォォンッッ!!
爆発。白衣のポケットに忍び込ませた手榴弾を
中心に、轟音が巻き起こる。熱と火花と金属片。異能の男は衝撃に飲み込まれ、破裂音とともに吹き飛んだ。
***
愁は壁に寄りかかり視線を天井に向け、荒い息を繰り返す。
「はぁ……はぁ……出れた、かな……」
血に濡れた唇で、ふと笑う。
「……怒る、かな……凛……ふふ……」
最後に聞いた「バカ」の言葉を思い出し、口元がわずかに緩んだ。
愁の肺に血が逆流する。立ち上がろうとしても
脚は震え、装甲ごと叩き潰された身体はもう
自分のものじゃないみたいに重い。
左肩は肉が裂け、血が滲み続けて止まらない。
そして、葵の事を思い出すと胸が締め付けられる……。
(……もう少しだけ、隣に居たかった……)
赤い瞳に涙が浮かび、
(……俺が、居なくても……葵さんは……ちゃんと……)
一筋が頬を伝った。
(……せめて最後に……一目だけ、でも……)
――その時だった。
――コツ、コツ、コツ。
高らかに響くヒールの音。
戦場に似つかわしくない優雅なリズムが、血と煙の中をゆっくり近づいてくる。
愁の視界に映ったのは、艶やかに朱を含んだ
ボブの髪。
ワインレッドのスーツが、絹のような光沢を纏って妖しく揺れる。
白鞘の小太刀を左手に携え、優美な肢体は異様なほどこの場から浮き立っていた。
九条京之介――。
彼は愁の前に跪き、血に濡れた頬へと細い指を添えた。
「んふ……よう、頑張ったみたいやなぁ……」
その声は甘やかで、どこまでも優しい。
「……京、之介……さん……俺……」
「なぁんにも言わんでええ。……あとは、うちに任せとき……ンッ」
言葉の途中、京之介は唇を重ねてきた。
戦火の只中とは思えない、濃厚で蕩けるような
キス。愁の瞳が驚きに見開かれると、その手を
そっと掴まれ、指を絡められる。
「ふっ……ぁ……京之介さ……」
「んふふ……♪ 今度は、もっと特別濃いぃの、注いどくさかいなぁ……♡」
舌がねっとりと絡み合う。甘やかな熱が、愁の中に流れ込み……息を奪われた。
――その時。
「ちょっとォッ!!京兄ちゃん、何してんだ
ッッ!!」
甲高い声と共に、風を裂く足音。凛が飛び込んできた。
そして、京之介を愁から乱暴に引き剥がす。
「ぷはっ……んん……いけずやなぁ、凛ちゃん。
……うちかて、愁と……」
頬をほんのり染め、片手で隠す京之介。だが凛は鋭い眼差しで睨みつける。
「愁ちゃん!大丈夫!?血っ、すっごい出てるッ!!!」
「凛……良かった……無、事だった……」
弱々しい笑み。それを見た瞬間、凛の赤い瞳に
涙が溜まり、堰を切ったように零れ落ちた。
「バカぁぁぁ……!!愁ちゃんが、あんな風に
言うからッ!ボク、必死に頑張ったんだからッ!残ってた異能体、たっくさん引きちぎって……っ……」
言葉は泣き声にかき消される。
「外に出たら京兄ちゃんがなんか、ちょうど待ってて……一緒に来たら、一緒に来たで、いつの間にか追い抜かれるしッ!しかもッ!愁ちゃん
弱ってるのをいいことに、エッロいキスしてるしッッ!!」
「んふふ……♡ えッろいんやなくて……これは
慈愛のきっすやぁ♡」
「それは、ボクがする役目なのッ!!」
ふたりのやり取りを聞きながら、愁は苦笑し。
「……ねぇ、ところで……ここ、爆発するんじゃない……?」
その一言に――
「「あっ!!」」
凛のガントレットが赤い警告を表示する。
《残り 2:32》
***
ドォォォォォンッッ!!
爆音を背に、京之介が愁を軽々と肩へ抱え上げ、疾走する。
「愁、しっかり抱きついとき……ッ!」
地面を蹴る音は銃弾のよう。ヒールであるにもかかわらず、爆速。
風圧が愁の髪を逆立て、視界が流れる。
後方からぞろぞろ沸き出す異能体が牙を剥き飛びかかる。
「邪魔や……!」
京之介は小太刀を抜きざま、縦横無尽に閃く斬光
――ズバァッ! ズシャァッ!
喉を、脚を、胴を次々と切り裂き血飛沫が舞う。
凛もワイヤーを射出し、シュバァン! シュルルッ! と宙を駆ける。
「愁ちゃんはボクが守るんだったらッ!!」
超極細の鋼線が異能体の首を断ち、腕を切断、
骨を軋ませ、肉を弾け飛ばせる。
「――んふ♪もうちょい……」
ゲート目前。なお追走する異能体の群れ。
京之介は愁を肩に抱えたまま、もう片方で小太刀を横一閃。
ゴギャッ! ドシュッ!
異能体は、肉塊となって四散する。
凛も必死に食らいつき、ワイヤーを天井を引っ掛けて飛び、異能体の首を引き千切り。
ひしゃげたゲートから飛び出した3人。
まだまだ追いかけてくる異能体を無視して、
止まることなく疾走り続け。
《0:00》
爆炎が地下の奥深くで、膨張――
ボゴオオオオオォォォォォンンッッッ!!!!!
激しい爆発音!!
内部に残っていた異能体は悲鳴とともに、極高温の爆風に消し飛ばされる。
かまわず疾走り続ける愁を抱えた京之介と凛。
「うわぁぁぁぁぁッ!?死ぬッ!死ぬッ!こんなん巻き込まれたらぁぁぁッ!!」
地鳴りとともに大地が抉れ、シェルターが崩落に呑み込まれ。それだけでなく地面そのものが、
クレーターの様に凹んでいく。
「んふふ……♪えらい威力やなぁ……」
後ろから追いかけて来ていた異能体は、次々地面とともに呑み込まれ、それでも追ってきた数体の頭は
パァンッ! パァンッ!
と破裂。
葉月の遠距離援護射撃だった。
『も少し速く走るっスよ〜♪ みんな撤退完了で凛達ビリっス〜、そのままだと死んじゃうっス〜♪』
「うっさぁぁいッ!これでも全力疾走なんだってばァァ!!」
凛の絶叫。
愁は揺れる視界の中、凛の顔を見上げ。
「……凛……助けて、もらったら……お礼……言わないと……」
「愁ちゃぁぁぁあんッ!いまそれどこじゃなぁぁいぃぃぃッッッ!!」
「んふふふ……♡ 3人揃うと、修羅場も楽しいもんやなぁ……♪」
「ちぃっとも楽しくなぁぁぁあいッ!!」
京之介は笑い、愁はぐったり、凛はテンパりながら血飛沫と爆炎と大々崩壊を背に、なお激しく
疾走り続ける。
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