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第九十七話

 愁と凛が螺旋シャフトを落下している頃――。 彼らが潜入したゲートからシェルターを挟んだ 反対区画。  そこは他の区域に比べてひときわ広大で、対空砲火の死角が多い。高射砲の射程と射角の制約から、空は開けている分、地上の防衛は異能体の 群れで補われていた。その数、まさに飽和。 そして地獄の地上戦を切り裂くのは、無数の赤い瞳を宿した戦士たち。 先陣に立つは《ザ・クリーナー》。  轟音と血煙が交錯する戦場。彼を中心とした 紅い閃光の群れが、異能体の波を押し返して いた。 爆ぜる肉片、飛び散る骨。耳を劈く断末魔と金属の軋む轟音が入り混じる、ここは生き地獄そのものだ。 『グゥゥゥッ……斬っても、撃っても……ッ!』 背後から迫る気配に即座に反応し、体を滑らせるようにひねる。 振り抜いた《ハウリングブレード》は轟音と共に異能体の装甲を粉砕し、体を上下に裂いた。 断面から臓腑が飛び出し、灼けた血液が蒸気の ように上がる。 「ギギギィィッ!!」 横から迫る3体の異能体には、背中から抜き放ったショットガンの銃口を突きつけ、 ――ドゥゥンッ!! 散弾が炸裂し、頭蓋も胴体も原形を留めず肉塊へと弾け飛んだ。 だが、その直後。 ――カチッ。 空虚な引き金の感触。弾倉が空になった。 『……ガルルルルッ!!』 ショットガンを地面に叩きつけると、好機とばかりに四方から群れが吠え猛る。鉄と肉の重い足音が大地を揺らし、牙の群れが殺到する。 ザ・クリーナーは大きく息を吐き、ブレードを 両手で構え直し。 『ガァァァアアアッ!!』 咆哮と共に、群れへ突っ込んだ。 刃は血飛沫を撒き散らし、次々と肉を裂き骨を 砕く。切り刻まれた死体が折り重なり、地面は ぐちゃぐちゃの血の池に変わっていく。 ブースター準備完了を伝える音が狼を模した マスクの中で、鳴り響く。 『ガルルルルルッッ!!』 腰にブレードを収め、両手の超鋼鉄の爪を展開。背部のブースターが閃光を吹き、クリーナーの 身体は、ほぼ四足獣のように跳躍した。 ――ドヒュォォォォォォォ……ッ!! 閃光を尾のように引き、異能体の群れを次々と 裂き、穿ち、八つ裂きにする。内臓が地に撒き散らされ、頭が宙を舞い、断末魔が重なり合って 爆音の合唱と化した。 『ガゥゥ……切りが無い……私の時間を奪うだけでなくッ!!イライラとまでさせるなんてぇぇ!!ガァァァァアァァァッ!!』  その暴走の最中、ふと脳裏に蘇るのは……数時間前の事。恋人との時間をゆっくりと過ごして いた《ザ・クリーナー》の中身。 この作戦の事をさっぱり忘れる程、甘々な久しぶりの休日を過ごしていたところ。鬼の様な連絡が入り 「……オレのことなんて、いいから……大切な お仕事なんでしょ……いってきて……」 なんて―― 微笑んでくれていたけど寂しそうな、弱々しい 声に送り出されてしまったものだから、その怒りも一際である。 そして味方の侵攻も予定より遅く、本来なら後方待機し弱い部分へのサポートに回るはずが、 結果、前線の先頭に立ち縦横無尽に暴れ回っていた。 『バカァァァッッ!!あの時、引き留めてくれたらァァッ!!』 ザ・クリーナーの胸の奥に、再び怒りが煮えたぎった。 爪が肉を裂き、骨を抉るたびに、赤い血潮が スクリーンを染める。 『私が「仕方ないですね……また、埋め合わせしますから……」なんて大人の余裕を見せつけなければぁぁぁぁぁッ!!ガルルルルッッッ!!!』 爆発するような連撃、異能体は次々と引き裂かれ、瓦礫に叩きつけられて肉片となっていき。 やがて、警告音が甲高く鳴り響き、ブースター は限界に達して自動停止する。 ――ゴウンッ。 勢いを失って膝をつき、吐き出すように息を荒げる。 『……ガル、ルル……少し、すっきりです……』 だが、マスクの奥の赤いには、まだ渦巻く苛立ちと寂しさが残っていた。 戦場の騒音の中、ザ・クリーナーは一瞬だけ虚空を見上げる。 (……戻ったら、次の休日こそ、離しませんから……。絶対に……) そう心の奥で誓い直すと、再び視界を戦場に戻した。 後方の仲間がようやく追いつき始めている。 クリーナーは短く鼻を鳴らし、嵐のように荒れ 狂った心を押し殺しながら本来の任務へと戻っていった。 ***  一方その頃、血と炎の戦場を、まるで舞踏会の フロアを歩くように九条京之介は進んでいた。 ――コツ、コツ、コツ。 ヒールの硬質な音が静かに響くたび、焦げた空気を裂く銃弾が雨のように降り注ぐ。 だが、その艶やかな身体に命中することはない。 キンッ、キン、キンッ、キン、キンキンキンッ、 キン、キィン――ッ! 金属音だけが空へ弾け飛び、ワインレッドの スーツには一滴の汚れも許されない。 朱を含んだボブの髪が炎を受けて揺れ、唇の端に妖しく笑みを浮かべた。 「んふふふふふ……♪ ようやく暴れ甲斐が出てきよったなぁ……けど……」 油断したと思った異能体が背後から飛び掛かった瞬間―― ザシュッ――ッ!! 白鞘の小太刀が稲妻のように閃き、次の瞬間、 異能体の四肢は宙を舞っていた。 骨が裂ける音、血が切り口から溢れ出す音、 そして断末魔の呻き。 それらを背に、京之介はただ、ただヒールの音を速めていく。 心の内にはただひとつ、愁と凛への心配が渦巻いていた。 (……輸送機が落とされたやなんて……愁、凛ちゃん……無事やろなぁ……)  その思いが募るほどに、足取りは舞から疾走へと変わる。 コツコツという軽やかな音が、やがてダン、ダン、ダンッ!と戦場を貫くリズムに変わり 京之介の周囲は赤い閃光だけが残る。 ザシュッ……! ズバッ……! ドチャッ……! 次々と異能体は細切れにされ、破片のように大地へ散っていく。 血が雨のように降り注ぎ、地面は真紅に染まる。 その鮮血のシャワーすら、彼のスーツに汚れを残すことはなく。 ――誰も、彼を止められない。 ***  その数分後。実験区画を挟んだ反対側のエリアへと京之介は辿り着いていた。 周囲には異能体の残骸が山のように積み上がり、高射砲の棘は撃ち落とされ、ゲートはひしゃげている。 「んふふふふふ……♪やっぱり愁は頼りになる お兄ちゃん、やねぇ……♡」 血の海の只中で、彼は楽しげに笑い。 その時―― イヤホンにノイズ混じりの声が響く。 『九条さん……どうしてこっち側に……?』 「葉月、ご苦労さん。状況はどないや?」 『こっちは粗方掃除完了ッス。あ、あと……2人 なら、15分くらい前に内部に侵入したッス!』 「んふふ……やっぱりなぁ。ほな、あんたは引き続きお掃除や、うちは中に――」 言いかけた瞬間。 「ドガァァァァンッ!!」 ひしゃげたゲートから、凛が凄まじい勢いで飛び出してきた。 京之介の赤い瞳が、驚きと安堵に細められる。 「おやおや……♡ うちの可愛い弟ちゃんが帰ってきよった……♪」 戦場に咲く鮮血の花の中、九条京之介はなおも 妖艶に、恐ろしく、美しく微笑んでいた。

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