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第百話

 病室に入った凛は、いつものように明るく振る舞っていた。けれど、机にフルーツの包みを 置き、丸椅子に腰掛けたあたりで――ふいに、 しん……と空気が静まる。 「……凛……どうしたの……?」 愁が問いかけると、凛は唇を結んで、意を決したように立ち上がり顔を近づけてきた。 「愁ちゃん……首とか、怪我してない……?」 ひんやりとした指先がぺたぺたと愁の首筋、頬を撫でる。猫の前脚みたいに軽く、けれど必死な優しさが伝わってくる。 「ぃ、いや……別に……両腕と左肩と、両脚以外は大丈夫だけど……」 「そう、良かった……」 その安堵の呟きの直後だった。 ――バチィィンッ!! 乾いた平手打ちの音が病室に響く。 愁の頬が熱を持ち、じんじんと痺れる。凛は振り抜いた手を強く握りしめ、赤い瞳を潤ませながら震えていた。 「もう……二度と、あんなことしないでね…… 愁ちゃん……ッ」 その声に、愁の胸はツキンと締めつけられる。  昨日――中央制御室に入った凛を、あの男に近づけさせたくなかった愁は、扉の制御パネルを撃ち抜き、自分の傍には戻さなかった。 「……ごめん……」 「……ボク……そんなに信頼出来ない……?一緒に 戦ったら……もっと早く倒せて……ちゃんと地上にも連絡、出来たかもしれないのに……」 信頼していない訳ではない。凛が強いのは愁が 一番わかっている。それでも、咄嗟の判断では 自分の命より先に、凛の身を案じてしまった……。 「……ごめんね……凛……」 呟いた途端、凛が抱きついてくる。普段の勢いのある飛びつきではなく、愁の身体を気遣うように、そっと……そっと。 「……ボクのほうこそ……ごめん……わかってるんだ……ボクが頼りなくて……愁ちゃん、優しい から……ぐすっ……」 その赤い瞳から涙がぽろりと零れる。 愁はふと気づく、京之介とのキスの効果。 ――両腕が、朝よりも動く。 だから、凛の頬に伝う涙を人差し指でそっと 拭い。 「違うよ……」 「……ぇ……?」 「凛を信頼してる……。昨日も言ったでしょ……? あそこまで辿り着けたのは凛がいたからって」 「でも……ボクを庇ってばっかで……愁ちゃんが……」 「それは……考えるより先に、身体が勝手に動いちゃうんだよ……大切な凛に何かあったら、 耐えられないから……」 そう囁き、彼の猫っ毛をくしゃっと撫でる。 撫でられた凛は顔を真っ赤にし、瞳を揺らし、 わなわなと唇を震わせ。 「ズルい……そんなふうに言われたら……何も言えなくなっちゃうじゃん……」 「ふふ……♪ごめんね……」 その瞬間、凛の指先が愁の頬に触れる。さっき 自分が叩いた場所を撫でながら。 「痛くない……? 愁ちゃん、ケガしてるのに……」 「平気だよ……」 2人の視線が絡む。心臓の鼓動が ドクン……ドクン……と、やけに大きく響く。 「昨日……本当はボクがキスする予定だったのに……な……」 「凛……」 愁と凛の吐息は重なって。距離はゼロへと縮まり、自然に唇が触れ合い。拙くも真っ直ぐな、 凛からのキス。 拙いけれどそこには、愁を想う強烈な愛情が溢れていて。 「ふ……ぁ……夕方……葵ちゃん、来るから……ン……♡」 ――ちゅ……ちゅぷ……ちゅる……。 舌を絡めた瞬間、凛の癒しの力が濃厚に流れ込んでくる――それは、甘い蜜のように……。 「……心配させないように、軽いケガだって伝えてあるから……それまでに、ちょっとでも元気になって……愁ちゃん……ン♡」 医療機器の電子音は、ピーピーと鳴り続け。 そのリズムすらも二人の鼓動と重なっていく。 愁は熱を帯びる身体で凛を抱きしめる。 「ぁ……凛の、癒し……もう少し、もらっても いい……」 「ん……もらって……もっと……愁ちゃん…… いっぱい、癒させ、て……♡」 頬を赤らめて、涙の跡を残しながら微笑む凛は、可愛いという言葉を飛び越えて、愁にとって かけがえのない存在に思えた。 愁はそのまま、子猫のように抱きついた凛からのキスを受け入れ……。 ――ちゅぷ……ちゅるる……ちゅ……♡ 抱きしめた腕の熱と、蕩けそうな舌の感触。 そのすべてを受け入れながら、甘えるように凛の唇を求めた。

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