100 / 173
第百話
病室に入った凛は、いつものように明るく振る舞っていた。けれど、机にフルーツの包みを
置き、丸椅子に腰掛けたあたりで――ふいに、
しん……と空気が静まる。
「……凛……どうしたの……?」
愁が問いかけると、凛は唇を結んで、意を決したように立ち上がり顔を近づけてきた。
「愁ちゃん……首とか、怪我してない……?」
ひんやりとした指先がぺたぺたと愁の首筋、頬を撫でる。猫の前脚みたいに軽く、けれど必死な優しさが伝わってくる。
「ぃ、いや……別に……両腕と左肩と、両脚以外は大丈夫だけど……」
「そう、良かった……」
その安堵の呟きの直後だった。
――バチィィンッ!!
乾いた平手打ちの音が病室に響く。
愁の頬が熱を持ち、じんじんと痺れる。凛は振り抜いた手を強く握りしめ、赤い瞳を潤ませながら震えていた。
「もう……二度と、あんなことしないでね……
愁ちゃん……ッ」
その声に、愁の胸はツキンと締めつけられる。
昨日――中央制御室に入った凛を、あの男に近づけさせたくなかった愁は、扉の制御パネルを撃ち抜き、自分の傍には戻さなかった。
「……ごめん……」
「……ボク……そんなに信頼出来ない……?一緒に
戦ったら……もっと早く倒せて……ちゃんと地上にも連絡、出来たかもしれないのに……」
信頼していない訳ではない。凛が強いのは愁が
一番わかっている。それでも、咄嗟の判断では
自分の命より先に、凛の身を案じてしまった……。
「……ごめんね……凛……」
呟いた途端、凛が抱きついてくる。普段の勢いのある飛びつきではなく、愁の身体を気遣うように、そっと……そっと。
「……ボクのほうこそ……ごめん……わかってるんだ……ボクが頼りなくて……愁ちゃん、優しい
から……ぐすっ……」
その赤い瞳から涙がぽろりと零れる。
愁はふと気づく、京之介とのキスの効果。
――両腕が、朝よりも動く。
だから、凛の頬に伝う涙を人差し指でそっと
拭い。
「違うよ……」
「……ぇ……?」
「凛を信頼してる……。昨日も言ったでしょ……?
あそこまで辿り着けたのは凛がいたからって」
「でも……ボクを庇ってばっかで……愁ちゃんが……」
「それは……考えるより先に、身体が勝手に動いちゃうんだよ……大切な凛に何かあったら、
耐えられないから……」
そう囁き、彼の猫っ毛をくしゃっと撫でる。
撫でられた凛は顔を真っ赤にし、瞳を揺らし、
わなわなと唇を震わせ。
「ズルい……そんなふうに言われたら……何も言えなくなっちゃうじゃん……」
「ふふ……♪ごめんね……」
その瞬間、凛の指先が愁の頬に触れる。さっき
自分が叩いた場所を撫でながら。
「痛くない……? 愁ちゃん、ケガしてるのに……」
「平気だよ……」
2人の視線が絡む。心臓の鼓動が
ドクン……ドクン……と、やけに大きく響く。
「昨日……本当はボクがキスする予定だったのに……な……」
「凛……」
愁と凛の吐息は重なって。距離はゼロへと縮まり、自然に唇が触れ合い。拙くも真っ直ぐな、
凛からのキス。
拙いけれどそこには、愁を想う強烈な愛情が溢れていて。
「ふ……ぁ……夕方……葵ちゃん、来るから……ン……♡」
――ちゅ……ちゅぷ……ちゅる……。
舌を絡めた瞬間、凛の癒しの力が濃厚に流れ込んでくる――それは、甘い蜜のように……。
「……心配させないように、軽いケガだって伝えてあるから……それまでに、ちょっとでも元気になって……愁ちゃん……ン♡」
医療機器の電子音は、ピーピーと鳴り続け。
そのリズムすらも二人の鼓動と重なっていく。
愁は熱を帯びる身体で凛を抱きしめる。
「ぁ……凛の、癒し……もう少し、もらっても
いい……」
「ん……もらって……もっと……愁ちゃん……
いっぱい、癒させ、て……♡」
頬を赤らめて、涙の跡を残しながら微笑む凛は、可愛いという言葉を飛び越えて、愁にとって
かけがえのない存在に思えた。
愁はそのまま、子猫のように抱きついた凛からのキスを受け入れ……。
――ちゅぷ……ちゅるる……ちゅ……♡
抱きしめた腕の熱と、蕩けそうな舌の感触。
そのすべてを受け入れながら、甘えるように凛の唇を求めた。
ともだちにシェアしよう!

