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第百七話
病院を後にした京之介は、砂利の駐車場で
ワインレッドのFD――RX-7に乗り込み。
キーを回すと、ロータリー特有の甲高いサウンドが夜を震わせる。
ブゥンッ、ブロロロロ……!
「んふ……♪」
アクセルを軽く煽れば、砂利を蹴散らして車体が滑るように走り出す。
ちょっとした仕事のせいで途中で遮られた。
けれど、今日も愁に会えた。それだけで胸の奥がじんわりと温まる。
(あの子も、もうあないに格好良うなったのに……なんやかんや、うちの前ではまだ甘えん坊や……ほんま、可愛ぃ……♡)
ヒュン、ヒュン、と峠道を駆け抜けながら、
京之介の視線は遠くへ向かっていく。
(……あれから、もう10年か……早いなぁ……)
愁との出会い。その始まりを、今でも鮮やかに思い出せる。
***
――12年前。
組織の研究施設がとある勢力に襲撃され、赤い瞳の子供たちが攫われた。
彼らは、訓練を受けていたものは兵器として、
そうでないものは慰み者として――裏の世界で高値で取り引きされる存在となってしまった。
当時の組織はまだ発足されたばかり、人員も
技術も足りず。それでも誰もが怒りと悲しみに
震え、総出で子供たちの奪還作戦に乗り出した。
京之介もその1人。
子供たちが攫われてから2年。その日、彼が
襲撃したのはラブホテルを改造した犯罪の巣窟。
違法売春、薬物、臓器売買……ありとあらゆる穢れが染みついた建物。ここに赤い瞳の子供が
出入りしているとの情報が入ったのだ。
ガシャァン!!
扉を蹴り飛ばした内部に突入した京之介の
小太刀が閃き。赤い飛沫が舞い、廊下を染めた。
「ぎゃああああああ!!」
「や、やめ……!」
悲鳴をあげる屑共は、次々と血に沈む。京之介の足元で、命が紙のように軽く潰れていった。
やがて――一人の男が震えながら跪く。
「なぁ、素直になったらええわぁ。どうせ、あんたが最後や……あっちの連中みたいに
生きたままバラバラにされたないやん……?」
「は、はい!言います!言いますから命だけは……ね!……ね!お金も全部差し上げますから……ね!」
先ほどまで、この組織のトップを気取っていた男は、醜悪な顔を脂汗で歪め、必死に喚いた。
「あそこ!あそこのカーペット!あそこを捲れば扉があります!暗証番号は4649!ヨロシクって……」
「やかましい」
ザシュッ!
次の瞬間、男の両腕も腰から下も細切れにされた。どちゃり、と残骸が床に落ち、血も出ぬまま不気味に蠢く。
「あひょ……おれの……て、て、て、どこ……ここが……ぁあ……」
無様な呻きがこだまする。京之介は冷たい眼差しでそれを見下ろし。
「お似合いの姿やわぁ。しばらく這いつくばって、分相応の世界を味わいや」
「ぉぐべ……ッ」
蹴り飛ばして、見苦しい残骸を闇の奥へ追い
やる。
指し示されたカーペットを捲れば、果たして
そこには隠し扉。暗証番号を打ち込むと、
ガチリ……と錠が外れる音。
階段を降りると、古びた扉が3つ並んでいた。
1つ目を開ければ――
「っ……」
中は腐臭と蝿にまみれた死体の山だった。
救出対象の子供たち以外の少年や少女だった骸も重なり、無惨に朽ち果てている。
「……かんにん……間に、合わへんかった……」
2つ目の扉の中も同じ惨状で……嗚咽のように呟く京之介の声が、闇に沈む。
最後の3つ目。軋む扉を押し開けたその瞬間――
「……や、やめてくださぃ……!」
暗がりで、赤い瞳の子供が小さな身体を震わせ、もう一人の子供を庇っていた。
「この子に酷いことしないで……おれが代わりになんでもするから……!」
痩せ細った体。汗とカビの匂い。
酷く薄暗く、寝床もトイレもなく、躯体剥き出しの床にはバケツが置いてあるだけ。
そして2人の首には、爆発物付きの首輪。
「なんもしいひん……なんもしいひんから……な」
京之介は膝を折り、そっと手を差し伸べた。
その瞬間、少年――はぎゅっと歯を食いしばり、目をつぶって身を固くした。
どれだけ、この子の前に伸びた手は暴力だったのか……考えるだけで胸の奥が張り裂けそうになる。
視界が滲み、頬を伝うものに京之介は気づいた。
「遅なって、かんにん……もう大丈夫や。うちが来たから……」
震える腕で、ふたりの子供――愁と、その胸に抱かれていた凛を、やさしく抱きしめた。
小さな身体は硬直していたけれど、ほんの少しだけ、その震えが和らいだ気がした。
***
(ほんま……2人とも、綺麗に育ったわぁ……凛ちゃんは天使みたいに可愛うなって……愁は、
頼もしい男前になって……)
京之介の胸は、思い出すだけでじんわりと熱くなる。
(けど……まさか、うち……愁に、こない惚れ込むなんて……)
バックミラーに映った自分の頬が、じわりと
紅潮しているのに気づき、京之介は思わず目を
逸らした。
「……な、なんや、うち……乙女みたいやん……」
小さく呟いて、ハンドルをギュッと握り直す。
その拍子にYシャツの下、胸元で小さく冷たい
感触が動いた。
京之介はふと、シャツ越しにペンダントを
そっと押さえる。
「……んふふ……♡」
峠道のカーブを切り抜けるたび、ロータリーサウンドが夜を震わせ。
笑みを噛み殺しながらも、胸の奥はくすぐったくて仕方がない。胸に手を当てたい衝動を抑えるように、京之介はハンドルを握り、アクセルを
踏み込む。
夜風が窓を叩き、視界の景色が流れ去る。
けれど、どれだけスピードを上げても、胸の高鳴りだけは振り切れなかった。
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