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第百八話

 土曜日。  京之介さんが『日向』を手伝ってくれた2日目は、とにかく地獄みたいに忙しかった。 初日の京之介さんがSNSで普通にバズったせいで、お客さんが雪崩みたいに押し寄せてきて……。 若い子はもちろん、宝塚ファンっぽいマダム達 まで大行列を作って、もう厨房も客室もパンク 寸前。 「オーダー入ったよーッ!チョコチップパンケーキーッ!それと、チョコレートソースのストックが足りないよッ!」  気づけば僕と凛くんは汗だくで、腕も足も棒 みたいになってた。 「ん……ブレンド、あと20杯……おたのもうし ます〜♪」 でも、京之介さんは――どこまでもマイペース。 笑顔でひらひら接客して、相変わらず妖艶な オーラを纏ったまま、最後のオーダーストップ まで息も乱さず働き続けていた。 *** 「んふふ……♪あかんねぇ、若いのに二人とも、もうバテバテやん? 今日も、うち愁のとこ 先に着いてまうでぇ?」  ……化け物だ。 そう思った。凛くんが言った通り、本当に最強 なんだ……。 「べ、別に……競争してるわけじゃないですし……」 「そうだよ……! あっ、そういえば、 京兄ちゃん!」 だからこそ作戦発案者の凛くんは、今、作戦を 決行しようとしている。何かひらめいたみたいに目を輝かせる演技は、ちょっとわざとらしい けど……  「んん? なんや、凛ちゃん……?」 「えっと……愁ちゃん、明日退院でしょ? だから、ささやかだけど、うちで退院のお祝い パーティーをしようかなって。どう、葵ちゃん」 「あ、う、うん……いいんじゃないかな。お料理は、僕が、作るし……」 ……口にした瞬間、僕も人の事言えないなって 思った。  そして凛くんは、そのまま京之介さんの胸に ぽすっと抱きついて――見上げた。 「それで京兄ちゃんも参加してくれるかなって、もちろん参加してくれるよね? ボクと葵ちゃんからの、お店手伝ってもらったお礼も兼ねて、 なんだから……ね?」  天使の上目遣い。あんな顔されたら、きっと 全財産だって差し出す人もいると思う。 案の定、京之介さんは一瞬固まって…… 「……おおきに、凛ちゃん……」  優しい声音で凛くんを抱き上げてしまった。 「まだ子供や思うとったけど、そないなこと思いつけるなんて!うち嬉しいわぁ……葵ちゃんも、おおきにな。もちろん、うちも参加させてもらう……♪」  ――その笑顔。あまりに綺麗で、胸の奥がずきりと痛んだ。完全に騙してるわけじゃないんだけど……。  でも、ここで止めるわけにはいかない。 そうじゃなきゃ、京之介さんに振り回され続ける未来しかないんだから。 ***  そうして僕らは三人で片付けと明日の仕込みを終えて、愁くんの病院へ。今日は抜け駆けされることもなく平和に辿り着いた。 ……ひょっとして、京之介さんって、仲良くなったら普通に良い人……なのかも……? そう思った矢先。 「愁ーッ、今日もうち、頑張ってお手伝いしてきたわぁ〜♪」  病室のドアを開けた瞬間、京之介さんが愁くんに飛びついた。 「わ、ぅわッ……お、お疲れ様でした……ありがとうございます……ッ!?」 「ええんよ……♪愁のためやもん……その代わりに、な? ンッ♡」  ――チュッ。  愁くんの頬に、あっさりキス。 「なっ……!?」  前言撤回。頭が真っ白になって、気づいたら 僕も愁くんに抱きついていた。 「ちょ、ちょっと愁くん! なに普通に京之介さんのキス受け入れてるんだ!」 「そうだよッ! まずはボクでしょ!一番頑張ってるのボクなんだから!」  凛くんも僕に続いてベッドに飛び込んでくる。3人がかりで愁くんを取り合って――もうベッドはぎゅうぎゅう。 「んふふ……♡ちゃうもんねぇ。愁は優しいから、不慣れな環境で一生懸命頑張ってるうちを 労うてくれるんやもんね……♡」 「ずるいですってば京之介さん……!」 「京兄ちゃんばっかぁぁ……!」  そんな混沌の中。愁くんは少し困った顔で 僕らを見回して、そして―― 「ちょっと……落ち着いてください、3人とも。 俺は……」  言葉を区切ると、唇を寄せて――チュ、チュ、チュ……。  僕と、凛くんと、京之介さんの頬に、 それぞれ1度ずつのキス……。 「俺は、3人に同じくらい感謝してます…… これじゃ、だめ、ですか……?」  その瞬間、ふっと照れたように微笑んだ。 「はぅ……♡」 「ぁ……♡」 「んん……♡」  ……もう、駄目だった。 心臓がバクバクして、身体が熱くなって、頭まで溶けてしまいそう。 綺麗で、可愛くて、そして何より格好いい―― 愁くんにしかできない笑顔で、僕は……いや、 凛くんも、京之介さんも、まとめて落とされてしまった。  やっぱり。 僕だって、凛くんだって、京之介さんだって……愁くんにしか、どうにもできないんだ……♡

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