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第百二十五話

 木曜日。朝の8時50分。黒鉄駅の前。 ここは、ちょっと前に葵ちゃんと愁ちゃんが待ち合わせしてた場所。  今日は――ボクと愁ちゃん、ふたりっきりデートの待ち合わせ場所。  ……デート……♡ 任務でも、葵ちゃんや京兄ちゃんがいるでもなくて、ちゃんと「デート」。 考えただけで胸が、ぎゅってなる。  「一緒に出ればいいのに」って愁ちゃんは 言ってたけど……待ち合わせの方が、なんだか ロマンチックで、特別っぽい気がしたんだ。 ……良いデートにしたいもん。  そのために昨日は学校が終わってから街に 寄って、スマホでファッションを勉強しながら 洋服を選んできたんだ。 トップスはライトグレーのカーディガン。白の カットソーを合わせて爽やか。ボトムスはグレーのワイドパンツ。ナチュラルで落ち着いた感じを狙って―― みたいなことが書いてあった。  洋服屋さんの鏡の前で何度もチェックして、 可愛いかどうか悩んで……店員は「似合ってますよ」って言いながら連絡先渡してきたけど、もちろん無視した。 ……だって、ボクが気に入ってもらいたいのは、愁ちゃんだけだから。ここで初めて見てほしかったから、出掛ける時も愁ちゃんの視線を掻い潜って出てきたし。  くるっとその場で回って、足元を確かめて…… ……うん、大丈夫……だよね? 愁ちゃん、気に入ってくれるよね……。 もし、あの店員の感想が間違ってたなら…… 高さ600mの電波塔のてっぺんに、切れかけの タコ糸で吊るし上げてやるから!  なんて思ってるところに―― 「凛、お待たせ……♪」  ――愁ちゃん。  思わず、胸がドキッとした。  愁ちゃんの今日の服装、カジュアルなライト グレーのジャケットに白のインナー、黒のスリムパンツ。 ファッション雑誌を読み込んだおかげで、名前が分かっちゃう自分がちょっと誇らしい。 ……色、お揃い……。……ボクと愁ちゃんの好みって、似てるのかな……嬉しい……♪ それに、仕事の服とかもピシッとして格好良い けど……今日の愁ちゃんは飛び抜けて格好良い……だけじゃなくて可愛い……もう、好き……好き…… 好き……好き……大好き……♡ 「凛……?」 「う、うんっ!?待ってたよ、愁ちゃん……♪」  一瞬、見惚れて声が遅れちゃった。 しっかりしなきゃ、今日がボクにとってどれだけ大事な日か……忘れないようにしなきゃ……。 なんて決意してたら―― 「なんだか、今日の服すごく可愛いね♪」  柔らかく笑いながら言ってくれる、その一言で、全身が一気に熱くなってきた。 ……よかった……頑張って選んで……。あの店員……命拾いしたね。嫌いだけど。 「そ、そうかな……♡ 愁ちゃんも……かっこいいよ」 「ふふ……♪ありがと。デートだから、ちょっとだけ……お洒落、頑張ってみたんだけど、自信なくて……安心した……♪」  そう言って、胸の前で小さく手を握る仕草―― ずるいよ、それ。 キュンって、心臓ごと持っていかれちゃうから。 「今日は行きたいとこ、たくさんあるんでしょ……凛?」 「はっ!? あ、うんっ!」 「電車、乗り遅れないようにしなきゃだから、 行こうか。」 「うん、行こ行こ……!」  ……危なかった。ぼーっとしてる場合じゃない。今日は、ボクと愁ちゃんだけの初デート。 ……落ち着いて……まずは楽しまなきゃ……。  切符を買って、並んで改札を抜ける。 すぐ横にいる愁ちゃんの横顔を盗み見て、胸の奥で何度もつぶやいた。 ――楽しいデートの始まりだって。 ***  黒鉄駅から数駅――目的地に向かう電車に乗り込んだボクたち。  通勤ラッシュの時間からは少し外れてるけど、それでも車内は結構混んでて……ぎゅっと押されて、扉の近くにふたり並んで立つ形になった。  ガタン、ゴトン……って車体が揺れるたびに、人の波も一緒に揺れて、押してきたり、擦れたり。その瞬間――愁ちゃんがすっと腕を動かして、ボクと他の乗客の間に壁を作ってくれた。 「……大丈夫、凛」 低くて優しい声。真横で囁かれたら……それだけで心臓が跳ねちゃう。 ――ボク、というかボク達、周りの普通の人達より ずっと強いし、守られる必要なんてないのに。 でも、愁ちゃんに「守られてる」ってだけで、 頬がぽっと熱くなる。 「……うん……だいじょぶ……」  つい、愁ちゃんの肩に小さく触れて、見上げて……その綺麗な横顔に、引き寄せられるみたいに顔を近づけちゃった。 ほんの少しで……唇が触れちゃう、その手前で―― 『次は……海浜水族館前――海浜水族館前――』  車内アナウンス。ガタン、と停車の衝撃。 惜しい距離で止まっちゃって、ボクは慌てて一歩下がった。  そのとき。 「ねえ、あのふたり……」「やっぱり……本物だよね……!」 「『日向』の……愁さんと、凛くん……」「写真で見るより綺麗……」 ひそひそ声が耳に届く。  ……やっぱり気づかれてるんだ。 最近、『日向』が「芸能人なんかより美形が集まる幻の喫茶店」ってネットやSNSで大人気。 愁ちゃんは特に……。 ……その愁ちゃんと、ボクがこうして一緒にいる ところを、電車の中で見られてる……。  人波に隠れてるはずなのに、みんなの視線が刺さってる気がして……余計に胸がドキドキする。 でも――それ以上に。 ……愁ちゃんが、当たり前みたいにボクを庇って立ってくれている、その温かさで……もっと ドキドキしちゃうんだ。 「降りようか、凛……はぐれちゃダメだよ?」 「……う、うんっ……♡ 」  駅に着いた瞬間。扉が開いて、人の流れに押されながらも、愁ちゃんの背中を追って一歩を踏み出した。 隣にいる――ただそれだけで、もう全部が特別に 思えた。 ***  そして、目的地の一カ所目――   水族館の中は、外の世界と切り離されたみたいに暗くて、足音さえひそやかに響く。 ……テレビとかで見たことはある……でも、本物は 見たことなかったから、デートコースに選んでみたけど……凄い…… ガラスの向こうで、光をまとった魚たちが 星屑みたいに泳いでて―― それだけで、ボクは胸がいっぱいになった。 「……ね、愁ちゃん。僕、水族館って初めて……」 「……俺も、だよ……」 「知らない生き物が……こんなにたくさん……すごい、ね……凄く綺麗……」 「……うん……とっても、綺麗……。一緒に見れて、良かった……」 愁ちゃんは少しだけ笑って、暗い中ではぐれないようにって、繋いだ手をきゅっと握り返してくれる。 「……ボクも……」  ガラス越しに大きなエイ……?が、翼みたいに水を滑っていく。  知らない形の魚、鮮やかな色の小さな群れ……次々に目の前を流れていく世界に、ボクは思わず子どもみたいに立ち止まってしまう。 「愁ちゃん、見て! これ、すごい……!」 呼びかけるたび、愁ちゃんは歩みを止めて、ボクと一緒に水槽を見上げてくれて 「凛、そのヒトデって……手裏剣みたいな形で…… 生きてるの……? 「みたい……武器として生まれたんだ……」 一緒に驚いてくれて 「うん……でも、投げるなら、こっちのウニの方が……ふふ♪」 楽しんでくれて――それがくすぐったくて、でもすごく嬉しかった。  そして――  海をくり抜いて出来たみたいな幻想的なトンネルを抜けた先―― ボクが下調べしてて、どうしても愁ちゃんと来たかった人気の“スポット”に到着。  大きく広がる薄暗い空間の壁一面には、果てしない深海をそのまま閉じ込めたみたいな巨大な 水槽があって。 「うわぁ……すごぉ……」 「……わぁ……」 ふわり、ふわりと浮かぶクラゲ……?が淡い光をこぼして、揺れるたびに星のきらめきのように ボクらを照らしてる。 ……ここ……凄いロマンチック……まわりに人も 少ないし……ここなら……  時間までゆるむみたいなその幻想の空間で、 ボクは…… 「ね……愁ちゃん……ここ、特別なとこ、なんだって……」 「特別……?」 「……恋人と……キス、するとこ……なんだって」 勇気を振り絞って囁く。 「え……」 瞬間、心臓が跳ねて、喉がぎゅっと締めつけられて。愁ちゃんは驚いたみたいに瞬きして…… それから、少し照れくさそうに目を細めて。 「……凛、ここ……平日とはいえ……人、結構いるんだけど……」 「だって……したいんだもん、愁ちゃんと……。 」 見上げながらそう言う自分の顔が、熱くてどうしようもない。 「ボクとじゃ……だめ……?」 ほんの一瞬、叶わないかもって思った。 でも――愁ちゃんは周りの視線が水槽へ集まっているのを確かめてから、少しはにかんで、そっと 顔を近づけてくれて。 「もう、そんな困った顔で、お願いされたら……断れない、でしょ……ン……」 唇が触れた瞬間、幻想の世界がふっと消えて、 心臓が大きく跳ねた。 ただの軽いキスなのに……胸の奥まで甘く痺れて、眩しさに目が潤みそうになる。 「ふ……ぁ……♡ ね……もっと、して……」 震える声で小さく願えば、愁ちゃんはやわらかく微笑んで―― 「……うん……」 「ン……ちゅ……♡ 」 手でそっと口もとを隠されながら、今度は長く、深く、唇を重ねられる。 甘くて、優しくて……でもとろけそうに熱くて。 心臓が暴れて、呼吸さえ忘れてしまいそうで―― もう、クラゲの光に包まれて、ボクたちだけの 世界みたいで。知らない景色を初めて見られた 幸せが、キスと一緒に胸に刻まれてく。 「……凄い経験しちゃった……」 唇を離した愁ちゃんが囁く。その声が優しすぎて、ボクは胸が痛いくらい幸せだった。 「うん……これは絶対忘れられないね……♡」 頬を赤くしながら呟くと、愁ちゃんは言葉の代わりにボクの手をもう一度ぎゅっと握り直してくれて。  そしてボクらはまた、次の水槽へ――まだ見たことない世界を探しに歩き出した。

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