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第百六十八話
戦術輸送機――その搭乗員室は、後部の貨物室
よりわずかに明るく、床からは機体の振動が低く伝わってくる。
その薄明かりの中、凛の装甲服は静かに息づき、戦いに向かう気配の裏でほんの微かな不安を忍ばせていた。
腰のベルトには、ザ・クリーナーから
“友情の証”として渡されたいくつもの小型トラップと予備弾倉。右太ももにはグロックG23、隣の座席にはTAR-21が立て掛けられている。
左右の手首に装着された《レベナント》に不備はないか、ワイヤー射出部から指先で順に確かめていく。
その仕草はいつも通りの点検に見えるが、どこか落ち着きがない。
足先も、視線も、さっきから静かに揺れ続けている。
装備が増えたせいではない。
胸の奥にひっかかる別の心配が、凛の呼吸を
ひそやかに乱していた。
そんな凛を見て、向かいの座席の咲楽が不安
げに首を傾げた。
白のメッシュが入った黒髪がふわりと揺れる。
「凛さん、どうかしました?」
自分の落ち着きのなさに気づき、凛は慌てて表情を整え、先輩らしい柔らかい笑みをつくった。
「んー? なんでもないよ。それより……咲楽ちゃん、その装甲服、もう慣れた?」
安心したのか、咲楽は口元をほころばせた。
「はい、なんとか……ピーキーな性能で遠距離専門の僕に“なんで?”って思ったんですけど……
使いこなすと意外と便利で」
肩の狼の刻印が航空灯に照らされ、鋭く光る。
咲楽は右腕のガントレットに触れ、収納式ブレイドを展開してみせた。
「ただ、これだけは……まだ使ったことないんですけどね♪」
ふくらはぎ部分の小型噴射装置が、“ピッ”と
起動チェック音を鳴らす。
咲楽は苦笑し、凛は小さく肩をすくめた。
「ザ・クリーナーの趣味って感じだけど、いい
じゃん。備えあれば憂いなしってね♪」
そう言いながら凛が視線を横へ移すと、雪緒が静かに座っていた。
肩と腰のショルダーホルスターにはG19が
四丁。
どこか愁を思わせる、無駄のない姿勢と空気。
「ね、雪緒くん?」
声をかけると、雪緒はわずかに肩を跳ねさせた。
「ッ……あ、はい」
返事は真面目なのに、どこか影がある。
凛は理由が分かっていた。
「愁ちゃんが貨物室だから、寂しい?」
雪緒はそっと視線を落とし、膝の横で
“杖のように立てていた”刀の柄へと手を添えた。
それは二年前――幻躯廊での訓練中、愁の速さに追いつけず、受け損ねて折ってしまった刀の代わりに、愁が雪緒に手渡してくれたものだった。
「……そんなことは……ありません。ただ……久しぶりに愁さんの動きを近くで見て、学べると思ってたので。今回は“新人”の教育係ですし……」
凛は「やっぱりね」と小さく笑った。
「大丈夫だよ。ずっと離れ離れってわけじゃないんだし。合流したときに、たっぷり観察すればいいじゃん」
雪緒はまっすぐ頷く。その瞳は真剣そのものだった。
「はい。遠くからでも愁さんの動きを目に焼き付けます」
「えらいえらい♪ でも愁ちゃんの真似しすぎると危ないから、ほどほどにね?」
「はい!」
咲楽は、そのふたりを横目で見つめながら、小さく呟いた。
「……雪緒くんって……愁さんのこととなると
本当……。ちょっと、妬いちゃう……」
声はわずかで、誰にも聞こえない。
「なんか言った?」
雪緒が振り向くと、咲楽はぷいっとそっぽを向いた。
「っ……なんでもないでーす」
咲楽は照れ隠しのように分解したTAC-50の
パーツを一つひとつ慣れた手付きで滑らかに組み戻していく。
雪緒は首を傾げるばかりだった。
(……“新人”……か……)
凛の心の奥に、また不安が寄せてくる。
任務そのものが怖いわけじゃない。
そんな段階はとうに過ぎている。
だが、どうしても凛の意識は、後ろの貨物室へ引っ張られていた。
(……あのふたり……まーた距離縮めてる気が
する……)
そう思うたびに胸がざわつき、集中が削がれるのを自覚してしまう。
一方、前方の席では――
そんな凛の内心などまったく知らない京之介が、足を組んで優雅に座っていた。
深いワインレッドの三つ揃い。
腰かけただけで布地が波打つように形を変え、
胸元のリボンタイはゆるやかに揺れる。
照明が落ちるたび、朱を含んだ髪が艶めき、
香り立つような存在感を放っていた。
場違いなのに――その場の空気さえ支配する。
大人の色気が形を持って座っているよう
だった。
凛はちらりと見て、また胸がざわついた。
(……京兄ちゃん、なんでそんなに余裕なの……? 貨物室には天然ジゴロな愁ちゃんと
玲真がふたりきりだよ? そしてなんでそんな
色気出るの? それだけで人倒せそうだよ……?)
京之介はそんな視線に気づいても、靴先を軽く磨きながら「んふふっ♪」と艶やかに笑うだけ。
そこへ操縦席から京之介のイヤホンに通信が
入った。
『九条様、十五分程で目標地点に到達します』
「らじゃ〜♪」
軽やかに返事をして通信を切ると、京之介は
すっと立ち上がった。
磨きたてのヒールが“コツ、コツ”と鳴り、
凛達の方へ歩いてくる。
「さぁ、そろそろ降下予定ぽいんと。準備は
ええかい?」
「もちろん、京兄ちゃん」
「了解!」
「いつでもいけまーす♪」
三人の声を聞いて、京之介は艶やかに口元を
ゆるめた。
「みーてぃんぐ通りに行動。凛ちゃんがおつむ
やし、雪緒と咲楽は遅れへんように。」
凛は軽く胸を張った。
「大丈夫! 二人とも優秀だからさ♪」
雪緒と咲楽は同時に背筋を伸ばす。
「はいっ!」
「はーい♪」
搭乗員室に、任務前の緊張、仲間の空気、若さゆえの息づかいが積み重なる。
京之介はそれを、どこか保護者のような眼差しで見つめた。
「ほな……あっちにも伝えとかなあかんね」
指先でイヤホンのスイッチを撫で、後部の
ふたりへ通信を繋ぐのだった。
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