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第百七十一話
凛と雪緒は、屋根の上を音もなく駆け
抜ける。風を切る速度は尋常じゃない。
だが――咲楽の視界から逃れることはできない。
高所に立つ咲楽は、銃身と肩を固定し、ふたりの動きに合わせてスコープを滑らせ続ける。
(……まだ、よく見えない。けど、確実に“いる”)
微かに揺れる影は逃げもしない。まるでこちらを待つように、じっと潜んでいる。
スコープの索敵プログラムが視界の温度層を
塗り替える。赤外線、残留熱、形状解析――
何も該当しない。
(……強いて言えば……人間……だけど……)
そこだけ、自然が欠けていた。
「凛さん、雪緒くん。進行方向……屋根の切れ目、十字路を抜けます。その先、注意を」
『了解。』
ふたりの影が、月を裂くように伸びる。
瓦の軋む音さえ、風が飲み込んだ。
(……誘われてる?)
一瞬、咲楽は思う。
でも止まる選択肢はない。
敵の正体を掴む必要がある。
『そのまま直進。距離五十――四十……二十』
そして、ふたりが建物の切れ目を跳び越えた
瞬間。
視界に飛び込んできたのは、月明かりに
晒された 黄色いスクールバス。
「……子供の声?」
雪緒の耳が、か細い泣き声を拾う。
凛が周囲を見渡し、眉をひそめた。
灯りの失われた街の中で――
そこだけ、生活の呼吸が残っている。
不自然すぎる。
「行くよ。」
「はい。」
「咲楽はそのまま上でカバー。」
『了解。』
スクールバスの周囲に散らばる十数人の子供たち。泣き顔、放心した顔、ただ宙を見つめるだけの顔――
だが、どの目も“誰も見ていない”。
街の闇の中、彼らは異様に溶け込んでいる。
雪緒がゆっくりと手を下げ、怯えさせないように気を配りながら、フランス語で声をかけた。
「大丈夫……怖くないよ。俺たちが……家に
返してあげる」
その言葉は、本来なら救いになるはずだった。
だが――
すべての子供が、その瞬間に止まった。
泣き声が、切れたテープみたいに ぶつり と途切れる。
俯いていた顔が、ゆっくりと持ち上がって
いく。
笑わない。泣かない。動かない。
虚無の瞳が、月光を溶かしたように白く光り――
均一に、ふたりへと向けられる。
「っ……!?」
雪緒の胸がわずかに跳ねた。
ガギギッ……!!
耳を抉るような異音。
子供たち全員の首と背骨が、前へ折れる方向で 曲がった。
四つん這いのまま、地面を掴む。
皮膚が擦り切れ、黒い血が滲む。
「雪緒っ! 跳んでっ!!」
凛の声が、夜を裂いた。
ふたりは同時に跳躍し、屋根へと飛び退く。
直後――
子供たちが、獣の加速でふたりに襲いかかる。
壁面を四肢で掻きながら、巣を駆ける蜘蛛の
様に、いや、それよりも速く。
伸びた指先がコンクリートに喰い込み、引き
裂く音が上へ連なる。
雪緒の顔から、血の気がさらわれた。
(……人間じゃない……)
先頭で迫る“子供の死体”の胸部――
服越しにもはっきりと赤く膨張していた。
血管が蛇のように皮膚の上で蠢き、蛍光の赤が脈打つたび、光が皮膚下を走る。
『ッ……! 危険反応です、凛さん! 過負荷の爆発パターン!』
咲楽がスコープ越しに息を呑みながら告げる。
「雪緒ッ! ボクの後ろッ!!」
「ッ……!」
凛は迷いの欠片もなくTAR-21を構え――
トリガーを引く。
連射の震動とともに、弾丸が子供達の胸を叩き
割り――
轟音ッ!!!
夜の街が揺れるほどの爆発音。
血肉は一瞬で霧散し、衝撃波が瓦屋根を丸ごと吹き上げた。
瓦礫が砕けて雨のように降り注ぎ、濃厚な肉の臭いが夜気を塗り潰す。
「……こんな……子供なのに……」
雪緒の声は震えて、言葉の奥が壊れそうだった。
しかし――凛は弾倉を交換しながら容赦なく
言い放つ。
「雪緒、見て。あれはもう “子供” じゃない。」
その横顔には、先ほどまでの気安い笑みは一片もない。
鋭く、研ぎ澄まされた殺意の視線だけ。
「ためらったら死んじゃう。
雪緒が死んだら、咲楽が泣くんだよ!」
雪緒の呼吸が止まる。
その間にも――
闇は蠢いていた。
路地裏の裂け目。
崩れたビルの影。
口を開けたマンホール。
あらゆる穴から、“人でなくなったもの”が
這い出す。
皮膚が剥がれた腕。
ねじ切れた脚で地面を叩きながら、蜘蛛より
速く、獣より低く。
濁った白目が、一斉に上へと向けられる。
男も、女も、老人も、赤子の死体さえも――
すべてが、ひとつの“目的”で動く肉塊。
その無数の“口”が、声にならない断末魔の残響を絞り出し、屋根の上の生者を――
見つけた、次の瞬間。
全方向から、駆け上がってくる。子供の個体は影のように速く、老人は義肢化した蜘蛛の脚で
壁を逆さに駆け、巨躯は変形した両脚で地面を
蹴り、獣の跳躍を見せた。
迫る殺意に、雪緒は一瞬だけ硬直する。
「っ……雪緒!!」
凛が迷いなく雪緒を抱え、宙へ跳ぶ。
直後、屋根を粉砕する黒い爪が、さっきまで
彼らが立っていた場所を抉り取った。
狭い路地へ着地。
凛は振り向きざま、叫ぶ。
「走れっ!!」
「ッ……はい!!」
ふたりは“人間もどき”とは逆方向へ
駆け出した。
凛は走りながら、腰のホルダーから薄い円盤状のトラップを二つ引き抜く。
鈍い銀色の表面。縁の極小アンカーが、獣の
歯のように光った。
まずは左の壁、続いて右の壁へ。
カンッ! カチリッ!
トラップが壁に触れた瞬間、アンカーが壁の
セメントを抉るように射出され喰い込む。
凛はガントレットを叩いた。
円盤の中央に刻まれた発射口が開く。
赤い光糸が弾けるように射出され、壁で反射しながら、殺戮の網を編む。
突っ込んだ“人間もどき”が、一歩踏み込んだ
瞬間――
ズァアャッ! バギュッ!
皮膚が線で裂け、筋繊維が糸状に弾け飛び、骨が粉塵と化して霧散する。
断ち切られた臓腑と血液が路地に泥流を描きながら積み重なり、瞬く間に脈動する肉壁が
形成された。
だが――
その肉壁の上に、まだ温い血を滴らせながら、
新しい個体が這い上がってくる。
「っ……まだッ!!」
凛は叫び、二段目の起動スイッチを叩く。
再び閃光。
再び血潮。
それでも――また這い上がる影。
立ち止まれば、命はない。
***
駆ける、駆ける、駆ける。
背後では、なおも溢れ続ける“人間もどき”が四肢を弾ませ、瓦礫を蹴り割りながら迫ってくる。
凛が一人なら、射出ワイヤーで夜空へ逃げら
れる。
だが、今は雪緒がいる。
その身体を抱えたままでは、あの速度は出せ
ない。
凛は雪緒を見捨てない。
雪緒は、それを理解しているから叫ぶ。
「凛さんっ! 俺はいいですから!! 置いて
――」
キッ、と凛の眼が雪緒を射抜く。
「うっさいバカッ!! あともうちょっとだからっ!走れぇ!!」
その喊声を裂くように――
『雪緒、凛さん……左右!!』
咲楽の声がイヤホンを叩いた。
反射で跳ぶ。
直後。
路地の奥から、咲楽の重狙撃の雨が降り
注いだ。
TAC-50。
咲楽は立射体勢のまま、ボルトを機械仕掛けの
様な精度で回転させ続ける。
――カチリ。
――シャコ。
――カチリ。
――シャコ。
と鳴り続け、視界とトリガーは完全に同期し、
銃弾はいびつに変形した頭蓋が一直線に並んだ
瞬間を狙いまとめて撃ち抜く。
咲楽の脚部装甲からは、オーバーヒート気味の噴射装置が白いガスを吐き続けていた。
だがそのおかげで、高速で屋根を駆け抜け、
路地を真上から射線に収められるここへ、最短
時間で辿り着けた。
間に合った。
その安堵を弾頭に乗せて、咲楽は引き金を
引く。
着弾の瞬間、三つの頭が同時に破裂した。
返り血が壁を赤く染めるより早く、次弾が新たな頭を砕く。
その規則正しく続く狙撃が、雪緒の乱れた
呼吸、震える心拍を強制的に整えていく。
相手がなんの罪も犯していない人間だったと
しても、子供でも、女でも、老人でも、今は
排除すべきただの敵――
雪緒の頭が、そう理解した。
「凛さんっ!!」
叫ぶ赤い瞳に迷いはない。
凛は笑み、頷く。
「……よし、いくよぉッ!!」
雪緒は鞘を左手に持ち、柄を握りこみ――
一瞬で残像になった。
迫る子供型の喉元へ、一閃。
跳んだ血しぶきがまだ空にあるうちに反転、
巨躯の腹を斜めに裂き、内臓をこぼす。
老人型の蜘蛛脚を踏み砕き、跳躍し、背後へ
抜けざまに首を刈り落とす。
着地と同時に、腰のホルスターからG19を
跳ね上げ、刀の反対側へ身体を捻って構えると、
走りながら六発。六つの頭蓋を迷いなく
撃ち抜く。
決意した雪緒の動きは無駄がない。
踏み込みの衝撃も、視界の揺れも、喉奥まで
上がる息の熱さすら――
すべてを斬撃へと変換していく。
跳ね、滑り、捻り込み、放った刃は連続する
線となり、迫る肉塊を次々と切り裂いた。
その刹那の隙間を、咲楽の狙撃が正確に撃ち
貫く。雪緒がこじ開けた“穴”を、寸分狂わず補完していく。
二人の殺意が、同じ軌跡を描いたとき――
追いすがる肉の軍勢が一瞬、怯んだ。
まだ“痛み”と“恐怖”を思い出せる身体だった
のだ。
そして――
凛は重力を振り切って、空へ跳んだ。
「凛さんっ!?」
雪緒の驚愕が追いつく前に、凛の両腕の
《レベナント》が咲き開いて空中へ三本
のワイヤーを射ち出す。
右 → 左 → 前。
順番など意味をなさない速度。
射出されたワイヤーが、建物も肉体も区別なく貫く。
壁ごと、柱ごと、人間だったものを杭のように串刺しにしながら――
凛の身体が軌道を幾重にも描き、空を自在に
舞う。
「いっくよぉぉ!!」
低く叫んだ声とともに、凛は真下の化け物の
頭部へ彗星の様に急降下。
――轟ッ!!
膝が頭蓋を砕き、地面に赤黒い花が咲く。
粉砕と同時に別方向にワイヤーを撃ち込み、
再び跳躍。
その動きは、猛禽の一閃。
いや――
“死”そのものが跳んでいる。
旋回。反転。次の瞬間――
「ッ♪ いいのみっけぇぇッ!!」
射出したワイヤーが老人型の頭部を貫き、
凛はその生き腐れた肉塊を、モーニングスター
代わりに勢いよく振り回した。
鋭利な義肢は刃そのもの。振るうたびに周囲の“人間もどき”を数十体まとめて切断していく。
ワイヤーが輪転し、腕ごと脚ごと千切れ飛ぶ。赤い雨がスコールになって降り注ぐ――
「あははっ……♪ まだ来るんだぁ? いいよぉぉ! ぜぇぇんぶぅ、ぶっ壊してあげるからぁぁぁッ!!」
竜巻。それは凛という殺戮の竜巻。
咲楽はその凛の異常軌道を読み切り、凛の
殺し残す“死角だけ”を正確に撃ち抜く。
一撃ごとに、頭部が花開く。
雪緒は躊躇なく、凛の作る空白へ滑り込み――
刀と拳銃を交互に閃かせて、進路を拓く。
三人の動きが一つの巨大な“殺戮の螺旋”と
なり、夜の路地を真紅の渦で塗りつぶした。
どこにも逃げ場はない。
あるのはただ圧倒的な破壊だけ。
***
そして――
ついに、“人間もどき”達の動きが止まった。
血の海の中、じり……と全体が一歩、後ろへ。
撤退ではない。
「何か」に引かされている。それが凛には
分かった。
彼は血飛沫の中に静かに降り立ち、ワイヤー
射出装置のカートリッジを交換しながら、
息を吐く。
「……っはぁ……なんとかなったぁ……」
雪緒は刀にこびりついた血の糸を振り落とし、鞘へと収めてから凛に笑みを向けた。
「凛さん……すごかったです……!」
雪緒は肩で息をしながら、それでも瞳には興奮の炎が燃えている。
凛はその視線を受けて、少し照れたように
笑った。
「えへへ……♪ 雪緒も、よく頑張ったよ」
その一言に、雪緒の強気な炎が一瞬で弱まり、眉がしゅんと下がる。
「……すいませんでした……ご迷惑をかけて……
凛さんと、咲楽がいなかったら……俺……」
「結果オーライ♪」
凛は軽く肩を叩き、冗談めかして言った。
「でもさぁ、雪緒がいないと……咲楽が泣いちゃうから? 気をつけないとね♪」
ちょうどそのタイミングで、イヤホンが
震えた。
『ま、まだ完全に終わってませんからねっ!!
――ひとまず後退したみたいですけど、
気を抜かないでっ!』
咲楽の声は動揺と羞恥が混ざり、耳の奥で震えている。
凛は小さく吹き出しながら、前を向いた。
「はいはい♪ じゃ、警戒しつつ予定通りに行こっか。……ちょっと遅れ気味だしね♪」
「はい!」
雪緒は深く頷き、再び気力を取り戻して凛の
背中を追う。
『……了解。援護位置、移動します』
咲楽はTAC-50を抱え、屋根の上を影のように動いた。
周囲は一瞬の静寂を取り戻している――
だが、その奥から湧き上がってくる気配は、
さっき斃したものよりも遥かに濃く、禍々しい。
(……ほんと、異常すぎるよねぇ)
凛は心の中で呟いた。
この街にはもう“生きた人間”の気配がない。
足元で、ちぎれた肉片がまだ痙攣していた。
凛は転がる老人型の頭部に視線を落とし、愉悦の笑みを浮かべる。
「ありがと、君。使い勝手――
最高だったよ♪」
――ぐしゃり。
軽く踏みつけた踵で、頭蓋は粘土のように
潰れた。
こうして――三人は、死臭濃い静寂を置き去りに走り出す。
***
――三人が去った、その直後。
地面が、うめき声をあげた。
崩れた建物の影。ひび割れたアスファルトの
隙間。
小さな指が、土の裏側から蠢きながら“表皮”を引き裂いた。
続けて、太い腕、痩せた腕、皺だらけの腕――
年齢も性別も滅茶苦茶な四肢が次々と地面を
掻き破っていく。
やがて割れ目は唇のように開き、ぎらつく歯列が無秩序に覗いた。
――ぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。
地面そのものが胎盤になったみたいに、無数の“人間もどき”が泥の子宮から押し出される。
子供の細い身体。
成人男の膨れ上がった肩幅。
中年女の骨の浮いた脚。
性別も年齢も肉付きも混ざり合った群体が、
何千、何万、いや……数を数える意味すら消えるほど溢れ続けた。
髪は腐った藻のように泥を引きずり、眼球は
裏返った白目の奥から黒目が這い戻るみたい
にじわりと浮上する。
誰もが、ちゃんと人間だった頃があったはずの顔。
しかし、そこにはもう思考も、自我も、祈りも残っていない。
あるのはただ――殺戮の衝動だけ。
「……ァァ……」
濁った呻きは、街そのものが呼吸しているか
のように響き広がった。
這い出たばかりの老いた肉塊たちは、立つことすらできない“元の身体”を背骨ごと裏返される
ように折られた姿勢で蠢きだした。
四肢の代わりに無理矢理接合された刃物のような義肢が――カチカチカチカチ……ッ!
と、恐ろしく速いリズムで地面を刻む。
その様は、まるで人間の顔を上向きに貼りつけた巨大な蜘蛛。
皺だらけの顔が笑ったままの老婆。
無表情のまま目玉だけ光を拾う老爺。
死後硬直を無理に破られたような顔が何千、
何万とアスファルトの上で、ひっくり返った状態で滑走する。
ドス黒い皮膚が波打ち、義肢の踏み痕が
火花を散らす。
――カチカチカチカチカチカチッ……!
不意に、ひとつの個体が壁を駆け上がる。
次に十。百。千。万。
気づけば周囲の建物すべてが、老人の顔で埋め尽くされていた。
口々が開閉する。
睫毛が震え、垂れた瞼の奥で濁った目が天を
向く。
壁一面が、アスファルトの地平線全てが、
カチカチカチカチカチカチカチカチカチ……ッ
と、狂った笑い声みたいな音を鳴らし続ける。
数百万を超える群れが、街という街に溢れ、
逃げ場という概念を、地図から消し去った。
そして崩落した道路の裂け目から、鉄骨が軋むような低い唸り声が響いた。
――ドン……! ドン……!
黒い影が、ゆっくりと地を踏みしめる。
一歩ごとにアスファルトが波紋のように揺れ、
亀裂が地面の血管みたいに走っていく。
その巨体を覆う皮膚は、白・褐色・灰青色――
様々な人種の肌が継ぎ接ぎで縫い止められ、
常に裂け、常に盛り上がり、筋繊維が獣のように脈打っていた。
ところどころ、皮膚が完全に剥げ落ち、鋼鉄製の骨格がむき出しになっている。
その鉄骨が重すぎるせいで、動きは遅い。
だが――
腕が、揺れた。
その瞬間、隣に放置された大型トラックが
紙細工みたいに潰れた。
金属片が雨みたいに降り注ぎ、地面が悲鳴を
あげる。
顔にあたる部分には、十数人分の表情が縫い
合わせられていた。
男、女、老人、若者……笑顔、無表情、
泣き顔、怒号。
それらがバラバラに震えながらまるで一個の
生物を否定するようにもがく。
「ァ……ォ……オォオ……」
濁った呻きが、巨大な肺と異常な声帯を反響
させ、壊れた警報機のように街を震わせた。
数は多くない。
――だが、ざっと見回して一万体以上。
遅い遅い死神たちが、大地を砕きながら同族さえ磨り潰しながら、前へ前へと進んでいく。
次に現れたのは――
女の形を“無理に”象った肉の塔。
複数人の女体の胴だけを継ぎ接ぎし、そこに
三十を超える人工子宮を縫い込まれた、繁殖器官の塊だった。
腹部は膨れきり、内側から蠢く無数の
“何か”が皮膚を波打たせ、裂け目を押し広げる。
ぼこっ……ぼこ、ぼこぼこ……。
その隆起は常に胎動し、まるで巨大な腫瘍が、
自分で増殖を続けているようだった。
やがてその腹の継ぎ目から、粘性の液がどろりと滴り落ちる。
滑り出たのは、赤黒い“卵嚢”。
幼児を模した形だが、生物兵器として調整された膨張性組織。
地に落ちた瞬間――
ビチッ!
内部で圧力が跳ね上がり膨張した嚢が、地面を抉る衝撃波を放つ。
産み落とす速度が追いつかない。
もし腹内で過負荷が起これば――女型ごと、
広範囲を更地に変える。
そのため彼女たちは、よろめきながら、群れの中心で休むことなく“産み捨てていく”。
ぼとっ……ぼとっ……ぼこっ……!
繰り返し、延々と。
数は多い。国を消滅させるには、充分すぎる
地獄の母数。
――新たな個体が、次々と凄まじい数が這い出て
くる。
蠢く群れの中央から、ひときわ異様な“個”が
姿を見せた。
身長は二メートルそこそこ。
だが存在感だけは、軍勢そのもの。
腹部から胸にかけて、人間の唇を縫い連ねて
作られた巨大な“口”がぱっくりと開いている。
その縫合の隙間から、血と唾液が止めどなく
垂れ、呼吸のたびに不規則な震え方をした。
頭には八つ、生気のない眼球が埋め込まれて
いる。
どれ一つとして視線の焦点が合っていないのに、全てが凛たちの作った血の軌跡を正確に追い続ける。
脚と腕は、肉体から切り取った筋肉を強引に
縫い合わせたもの。
右前腕には、赤黒い血がこびりついた巨大な
戦斧を縫い付けられ、動かすたびに傷口から
白濁の体液がぼたぼた落ちていく。
だが――
この異形の核心は、声だった。
腹の奥、何重にも入れられた喉が震えだす。
「ぐるるるるるる……」
縫い合わされた唇が、ひとつの巨大な穴として閉じ、開き――
「ァ゛――ァァア゛アア゛アァアア゛アア!!」
万の喉をまとめて震わせたような大音響。
そこには怒りも、知性もない。
ただ一つ、“追え”という、命令としての本能だけがあった。
その叫びを合図に、老人型が壁を埋め、
女型が胎嚢を撒き散らし、巨躯が地面を揺らし、
雑兵が波となって押し寄せる。
まるで都市全体が、一つの怪物となって凛たちを喰いに来るかのように。
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