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第百七十二話

  凱旋門を中心に八方へ広がる放射道路。  その全方位から、夜気を裂く音が雪崩れ込ん でくる。  嗄れた雄叫び、女の裂けた喉の金切り声、 幼児の四足走行が石畳を削る擦過音、老人の義肢が火花を散らす金属音……。  それら全てが混ざり合い、一つの巨大な “腐肉の奔流”となって押し寄せる。  道路という道路、壁という壁を黒く埋め尽くす “人間もどき”の大群。  普通の部隊なら一個師団どころか、国家が震える規模。  だが――。  その奔流の正面に立つ愁と玲真。  愁の暗い血の色の瞳も、玲真の氷のように冷えた瞳も――  微塵も揺れてはいなかった。  愁はTAR-21を肩付けし、群れの中心線へ照準を滑らせる。  単射。単射。単射。単射。単射を繋ぎ、 顔、眉間、喉――視界の端に入ったものすべてに 即死の点穴を打ち込む。  乾いた発射音が脈動のように続き、弾倉が空になる。  即リロード。  弾倉を抜くと同時に新しい弾倉を叩き込み、 ボルトを引く。  動作は“人の形をした機械”のように滑らか だった。    撃つ。撃つ。撃って、撃って、撃ち続ける。  外れ弾は一発もない。  足元の焼けた薬莢が墓標のように散らばる。  対照的に玲真は、TAR-21で最初のマガジンを撃ち尽くした瞬間――  銃を投げた。  ひゅ、と軽い音を立てて空を飛んだ銃は、義肢でアスファルトの上を這う老人の頭蓋に突き刺さり、そのまま顔面を潰し、老人は壁から落下して地面でぐしゃりと肉塊になる。  次の瞬間、玲真は踏み込む。  拳が、風よりも速く唸る。  真正面から叩き割られた“人間もどき”の頭蓋が破砕音と共に爆ぜ、眼球と破片が弾け飛ぶ。  続けざまに、別の“元・女”を掴んで回転。  その身体を武器として横一列の肉壁をまとめて砕く。  拳が速すぎて残像が浮き、触れた瞬間に “人間もどき”が無残な物体へ変貌していく。  削げ落ちた腕、ねじれた脚、潰れた頭―― 四肢の残骸が層になって足元を埋めていく。  血潮を踏み切り、玲真は軽やかに宙へ跳ね、 着地と同時に愁の背へ、ぴたりと無音で並ぶ。  愁は空になったTAR-21を背へ滑らせて放り、 瞬きすら許さぬ流れでショルダーホルスターから二丁のG19を抜き放つ。  義肢をガチガチと鳴らして迫る、 “老人の顔を貼り付けた塊”の列。  愁はその額へ、点穴を正確に突くように弾丸を叩き込み続け、撃ち抜かれた顔面が花弁のように弾け飛ぶ。  『……ちょっと、囲まれた気がするな』  玲真は淡々と零しながら、襲い来る“異形”の 頭蓋を手刀で次々と首ごと切断。  鮮血が放物線を描き、石畳へ狂った花火のように咲き乱れる。  「まぁ……お前が“ここで戦う”って言ったから?」  愁は肩をすくめるように返しつつ、空になった弾倉を指の癖だけで落とし、即リロード。  銃口を向けた先の、目だろうが鼻だろうが関係なく――生の中枢へ迷いなく弾を突き刺す。  『俺は、“あそこは狭い”って言っただけだろ?』  玲真は指先についた肉片を嫌そうに払う。 その隙を見計らったように殴りかかる雑兵―― 生意気な腕と、その頭を手刀一閃、まとめて床に転がす。  「けど――玲真に行き先任せたら、ここに着いたし?」  愁は淡々と告げ、撃ち尽くしたG19をホルスターに戻す。  迫る蜘蛛型の群れの頭を踏み潰しながら前進。  すぐさま腰のホルスターからもう二丁のG19を抜く。  四つん這いする“赤ん坊の形をした爆弾”―― その頭部を次々撃ち抜く。  頭部を撃ち抜かれたそれらは、赤く光り、 周囲の仲間を巻き込み連鎖爆発していく。  爆発特性は、もう熟知していた。  「凱旋門……見たかったんでしょ?」  愁は一旦跳躍して玲真の隣へ滑り込み、 ふっと微笑んでみせる。  『なッ!?』  玲真はほんの一瞬、動きを止めてしまう。 慌てて距離を取り、  『そ、そんなわけないだろッ!!』 と叫びながら蜘蛛型も女型も雑兵も、まとめて 肉霧へ変える。  石畳は砕け、血と臓物が雨のように降り注ぐ。  ――パンが大好きな玲真。  玻璃のPCでパンの画像を漁ったとき、 この凱旋門が妙に背景に映り込んでいた…… 見たいと思った自分を否定するのは難しい。  『……変な言いがかりするな』  小声の否定が落ちる頃、その周囲には既に―― 赤黒い肉塊の山が層を成し、蒸気を吐き続けて いた。  愁は軽く笑い、 「そういうことにしとくよ」  と短く返すと、足元の血の池を滑るように踏み抜き這い寄る老人型の義肢を掴み―― 捻り、千切って顔の皮が剥がれかけた老人の額へ引きちぎった義肢を杭のように突き刺し、放り 捨てる。  「それにしても……遅いな」  愁は腰と両脇それぞれのホルスターからG19を一丁ずつ抜き、指先の癖だけでリロードを完了させながら迫る影を睨む。  ふたりが会話と虐殺を同時に行って空けた空白は、すでに再び閉じようとしていた。  そして――  凱旋門を囲む全ての通りが、波打った。  それは風ではない。地震でもない。  地面が――蠢いている。  闇の底。ビルの谷間。視界の死角という死角 すべてを埋め尽くす無数の巨大な影―― 街中に呻き声を吐かせながら近づいてくる。  《群体》  数百体の死体を繋ぎ合わせたムカデ。  いや、都市を呑み込む巨大な屍の龍。  三十メートル超の胴体。  継ぎ接ぎの肉が波打つたび、骨の節がきしみ、 背面の無数の腕脚が這い、掴み、引き裂く。  石畳は紙のように砕け、低層の建物がぶち折られながら飲み込まれていく。  前方には、五つ以上の頭部が縫合された顔。 どれもが別の方向を向いているが、焦点の合わない眼はギョロギョロとこちらを凝視する。 ――どこにも死角はない。  前方に寄せ集められた数百の手足は、刃物の 博覧会のように凶器を縫い付けられていた。  包丁。チェーンソー。鉈。手術具。鎌。 サーベル。斧。《刃》と名のつく全て。  ただ動くだけで周囲の仲間を踏み潰し、ひき肉へ変換しながら迫りくる。  さらに――  腕の一部が抱えているのは、赤ん坊爆弾。 皮膚の薄い赤子の肉塊が、狙いをつけられるたびに投げ捨てられ――泣き声と同時に火花のように 爆ぜる。  そこにあるのは――地獄の建造物だった。  「……ふふっ♪」  愁は囲まれながら笑う。  狂気ではない。  ――すべて、彼の計算通り。  「やっと来た」  この広場に移動してくるまでに、《群体》や 巨躯といった大型のものが存在するのは分かっていた。  だからこそ――この場に。“射程範囲”に寄せ集めて、一網打尽にするため待っていた。  『……で? “それ”、本当に使えるんだろうな?』  玲真の視線が、愁の背に横たわる黒鞘―― “星薙”に触れる。  愁は左腕ガントレットのパネルを開き、 指先で滑らかにコマンド操作。 「……まぁ、その点は心配いらない、かな」  背中の“星薙”のロックを解除し、腰の位置に 鞘を持ち直す。  (多分……信頼してるけど、この鞘の充電量で どこまでの威力が出るか……)  愁はそう思いながらも、最後の承認へ指を 伸ばす。  ピッ――。  「っ……!」  パネルに表示された赤文字に、一瞬肩が跳ねて頬が赤くなる。  『……どうした。急げ。もう詰められてるぞ』  「っ……玲真。少しだけでいい……耳を塞いでて」  『は? なんでだよ』  「い、いいから!!!!」  押し寄せる“人間もどき”の波が、 二人を包囲する半径をみるみる侵食していく。  視界を覆うのは―― 絶望の肉壁、のみ。  愁は、耳まで真っ赤に染めたまま吠える。  「――跳べ!!」  反射で玲真が宙に跳躍。  そして。  愁は鞘を腰に構え―― 羞恥に震える声で、解放の“声紋”を叫んだ。 「唸れ“星薙”ッッ! そして薙ぎ払えッッ!!  星ごと奴らをォォォ!!!』  ――刹那。  鞘を裂いた青白い光が、夜を縦に割った。  ガントレットの警告音が低く唸り続ける。  《最大出力――解放》  蒼い刀身が、噴流になる。  空気を押し潰し、愁の黒髪を蒼く照らし、荒々しく後方へ攫う。  愁は鞘を捨て、両手で柄を握り締め、  「……消えされぇぇぇぇぇッッ!!!」  星薙を――回した。  光速の回転。一閃。  世界が、水平に断たれた。  《群体》数百体ごと。  死肉の大軍数十万を抱えた大地ごと。  外壁も、舗装道路も、空気も、塵さえも――  美しすぎる断面を残して。  次の瞬間、断たれた上半分が、静かに崩れ 落ちる。  刹那の沈黙。  轟音は、遅れてやって来た。  愁と玲真の視界は、“血と肉の雨”で赤く染 まる。  抉れた赤ん坊爆弾達が喚き散らしながら次々と破裂。  爆風が吹き荒れ、断ち割られた《群体》は屍の津波となって崩れ落ちる。  数十万の手足が空へ高く舞い上がり、やがて 重力に引きずられるようにして巨大な一つの肉塊へと還りながら――完全に動きを止めた。  斬られた建物も次々と倒壊し、血霧が夜光を 浴びて、赤黒い燐光を纏う。  『…………』  玲真が、静かに着地する。  愁はひとつ息を吐き、落ちていた鞘を拾い 上げ、白煙を上げる“星薙”をそっと収める。  頬は、光の刀身よりも熱い。触れたら火傷しそうなほど真っ赤だ。  『“格好良すぎる”……想像以上だ。 マジで 凄いな、それ! 名前なんだったっけ?』  沈黙を破ったのは――玲真。  彼の言葉は少年のように真っ直ぐだった。  愁の胸の奥で渦巻いていた羞恥が、少しだけ 和らぐ。  苦笑が零れ、肩から力が抜ける。  「“星薙”……最大出力の射程は……5~600メートルって聞いてたけど……倍くらい斬れてるね……」  ガントレットに表示が走る。  《冷却中:—再充電まで 60分》  世界は、さっきまでの喧騒が嘘のように夜の 静寂を取り戻していた。  『いいな、それ。今度、俺にも――』  興奮冷めやらぬまま言いかけた玲真の言葉を、 最後に崩れ落ちた凱旋門の轟音が、大きく飲み 込んだ。  ゴォォォォォン――!!!!!  遅れて夜空に響き渡る破壊音。  玲真はビクリと肩を震わせ、慌ててそちらを 振り返る。  『……は? はぁ!?』  そして愁へ、また凱旋門のあった方へ、もう 一度愁へと視線を往復させる。  『……あれは、やり過ぎじゃないのか!!  俺、まだよく見れてなかったのに……』  最後の文句は小声で、本人以外にはほぼ聞こえなかったが、指先だけはしっかりと崩壊跡地に 突きつけていた。  愁は、そのマスク越しの抗議を気まずそうに かわしながら、  「いや、あそこだけ避けるなんて無理でしょ……?  ちょうど上に玲真が浮いてたし、刃を逸らしたら、お前が蒸発しちゃうなって思って」  言われてしまえば、玲真は『ぐっ……』と口を噤む。  愁はさらに捲し立てるように続けた。  「それに、ほら。結果的にさ……  一番近くで最後を見届けたの、玲真だし……  それでよくない? ね?」  玲真のマスクの奥で、瞳がふるりと揺れた。  悔しさと、少しの誇らしさを滲ませながら。  『……ま、まぁ、そう……だけど』  言い淀む玲真へ、愁はまるで何でもなかった ように言い放つ。 「ほらほら。今のうちに栄養補給、ね?」  強引な話題転換。  玲真のマスクが、口元からカシャッと開いた。  その瞬間。  愁がふと何か思い出したように、真っ直ぐ玲真に歩み寄ってきて――細い腰を、その腕で抱き寄せる。  『なっ……!?』  跳ね上がる肩。息が詰まる。  玲真の喉が、ごくりと不器用に鳴った。  唇が、触れそうな距離。  マスクの内側で、半分赤い瞳が大きく揺れる。  だが――愁の唇は触れず。  腰の後ろからTAR-21の予備弾倉を四つ、器用に抜き取った。  「ほら。途中で放り出してたでしょ?  弾がもったいないかなって♪」  唇を近づけたまま、無邪気に笑う。  『~~っ……!』  玲真は背を反らせ、ほんの少し距離を取ると、 ポケットから銀の小袋を取り出し、破った。  チョコのバーを、嚙み砕くように急いで口に 押し込み、飲み込むかどうかも曖昧なうちに カシャリとマスクを閉じる。  「……?」  どうしてそんなに慌てて食べるのか。  愁は小首を傾げた。  その一瞬に見えた玲真の頬は、仄かに―― 赤かった。  『……い、行くぞッ!  凛たちのとこにも、こいつらみたいなの行ってるだろ!』  クシャクシャになった銀紙を乱暴に放り捨て、 顔をそむけたまま、手だけで進むべき方向を 指す。 「っ……そうだね、急ごうか。」  慌てた理由にようやく合点がいった愁は、 手早く弾倉を交換。  次の瞬間にはふたりとも―― 瓦礫だらけの凱旋門跡を跳び出していた。  背後では、落ち損ねた赤ん坊爆弾たちが 無様に “パンッ、パンッ” と断末魔を上げる。  闇を切り裂く靴音。  血に濡れた都市の奥底へ―― 二つの影は、再び戦場へ駆けていった。

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