175 / 183

第百七十五話

 世界は、赤く……爆ぜた。  休みなく、途切れなく、容赦なく。  音速の連打が空気を裂き、爆風そのものを 叩き出す。  拳が振るわれるたび、世界に赤黒い閃光が 走った。  皺に覆われた醜悪な顔面が、継ぎ接ぎの胴が、 義肢・骨・皮膚――  粉砕。  破裂。  蒸発。  老人型は触れられた瞬間、意志も形もまとめて消し飛ぶ。  倒れるより早く死が追い越し、連打が叫び声すら許さない。 ……静寂。  あの喧噪が嘘だったかのように、ただ赤い霧と鼓動だけが残る。  咲楽は震える睫毛を上げ――視界の中心に “彼女”を見つけた。 「……玲夢ちゃん!!」  呼ばれた名に、玲真がゆっくり顔を向ける。 そのマスク越しに変声機が低く響く。 『……お待たせ、しました――先輩。』  機械的な女性の声。  しかし―― その奥に、ほんの少しの照れが滲む。  同時刻。  雪緒を取り囲んでいた異形の群れは、気づく より早く――壊れていた。  首が、胴が、継ぎ接ぎの四肢が次々と空に 散る。  斬られた痕跡すら置き去りにして。  それは―― まるで 風に触れた瞬間、崩れ落ちる砂像。  光の軌跡が、雪緒の背後に着地する。  「愁さんっ!!」  雪緒の声が弾けるように明るくなった。  愁は振り返り、穏やかな笑みを浮かべる。  「お待たせ」  その声は、嵐の中心のように静かだった。  「まだいける?」  「当然です!」  わずかな言葉に、信頼が満ちていた。  凛は素早く《レベナント》へ新たなカートリッジを装填。転がって浴びた砂埃もそのままに、 真っ先に咲楽のもとへと駆け寄った。  「咲楽ッ! だいじょぶ!?」  咲楽は息を整えながら、照れたように笑う。  「玲夢ちゃんのおかげで……なんとか、生きてます」  その顔を見た途端、凛の肩から力が抜ける。  ほうっと大きく息を吐き、でもすぐに眉を 寄せた。 「はぁぁ……ほんと良かった……。けど、ああいう時はさ! まず自分を守りなよ!! すっごい 危なかったんだから!」  言いながらも、咲楽の返事に凛の怒気は霧散していく。 「すみません……。でも、考えるより先に……身体が動いちゃって」  少し恥ずかしそうに笑うその表情が、また凛を黙らせる。 「……もぉー……」  怒りたいのに怒れない。  そんな自分に、さらにむず痒くなる。  そんな空気をすっと断ち切るように、柔らかな声が降りた。  「凛。ごめんね。待たせちゃった」  振り返れば愁が立っていて、凛は瞬時に表情を輝かせる。  「ううん! そっちも大変だったでしょ?  なんか……すごい音がして――」  言い終える前に、愁の指先がそっと伸びて くる。  凛の頬に残った砂を、羽根で撫でるように やさしく払った。  触れたのは、一瞬。  でも凛の心臓が大きく跳ねるには、十分 すぎた。  微笑を浮かべ、親指の温もりを残したまま愁は凛の瞳を覗き込む。  「俺たちの方は大したことなかったよ。…… それより、凛たちが無事で良かった」  その言葉に、凛の耳がみるみる赤くなる。  胸の奥まで優しく包まれるようで――嬉しさ が漏れ出す。 「もぉ……どんだけボクのこと好きなのさ……♡」  照れ隠しに小さく身を揺らしながら、笑う凛。  愁は苦笑を浮かべ、ふと思い出したように TAR-21を手に取ると、まだ少し距離を取っている咲楽へ差し出す。  「え、愁さん……?」  「俺は大丈夫。咲楽が使った方が効率がいいと思うから。」  そこにも、確かな信頼があった。  咲楽の胸に熱いものがこみ上げる。  「……ありがとうございます!」  ボルトを引く金属音が、力を取り戻した合図のように響いた。  「いいなぁ、咲楽……」  雪緒は小さく呟く。嫉妬というより、羨望の 混ざった声で。  その瞬間、玲真が静かに呟く。  『……来ます。全方向から』  緩みかけた空気が、瞬時に研ぎ澄まされる。  五人は何かを言わずとも、互いの背中を支え合うように輪を組んだ。  瓦礫と砂塵で濁った視界の奥――  腐肉を引きずる無数の脚音が、四方八方から 地面を震わせていた。  倒壊した建物の影から、無数の《群体》が のたうつように迫る。  百足にも似た巨大な胴体が、進むたびに仲間の肉塊すら踏み潰しながら近づいてくる。  建物を踏み砕き、壁を擦り潰すその軌跡は、 逃げ場など一切残さない。  そしてその背後には、塔のように細長い女型が何百本も聳え立つ。  子宮めいた腹部を脈打たせ、泣き喚く“赤ん坊爆弾”を次々と産み落とし続ける。  落下するたびに、腐った笑い声のような衝撃音を撒き散らし“赤ん坊爆弾”は瓦礫の上を這いずりだす。  その隙間を埋めるように、無数の“人間もどき”と、背骨の反り返った老人型が義肢を鳴らし、蠢き、群れを成す。  皮膚の裂け目からは虫が湧き、泥濘を引きずるような音が耳を支配する。  五人は背中合わせ。  死角を互いに埋めるように武器を構える。  咲楽が照準を合わせながら、乾いた息を漏ら した。  「……偵察任務だったのに……。 今更だけど……」  玲真は愁に向き、不慣れな敬語で問いかける。  『さっきの……“解放”使えないんです?』  「今は通常モードで限界。――怖くなった?」  そこで、マスクの奥の声がわずかに笑った。  『冗談。……途中で死んだら、許しませんよ』  愁は短く笑みをにじませる。  「心配ありがと。」  その距離感がどこか気に入らないのか、凛が ふたりの間にぐいっと割り込む。  「ちょっとちょっと。何そのいい感じな 雰囲気。玲夢ちゃん、惚れてないよね?」  ぷい、と視線を逸らす玲真。  『……惚れてません』  凛はまだ疑いの目を向けつつ、もごもごと文句を呟いた。 「怪しいんだよなぁ……もぉ……」  そんな愛らしいやり取りを横目に、愁の隣へ 雪緒が歩み出る。  彼は迷いなく前方へ刀を構える。  「愁さん、どこまでもついていきます!」  「ああ。頑張ろう」  短く視線を交わす。  ――その一瞬の静寂が終わり。  地の底から蘇るような咆哮が響いた。 ***  五人は四方八方から襲いくる“人間もどき”を、容赦なく屠り続けていた。  どこにでもいたはずの人間は無理やり改造され、ねじ曲げられ醜悪な残骸にされた――  前腕を千切られ、代わりに錆びた鍬を埋め込まれた少年が、嗚咽とも悲鳴ともつかぬ声を漏らしながら高速で地面を掻きむしって迫る。  両腕から包丁やナイフを何本も生やした女は、 腕を振り回し、自分の肉を削り飛ばしながら 笑っているのか泣いているのかわからない顔で 飛びかかってくる。  背骨を老人の様に折れ曲げたまま固定され、 鉄杭の束を両肩に縫い付けられた男が、獣のように地を這い、低く唸り声を漏らして突進して くる。  そのすべてが、泣きながら、叫びながら、 ただ“殺すため”だけに造り替えられた動きで無数に襲ってくる――  まるで腐臭を撒き散らしながら流れ込む 濁流のように。  その瓦礫と血飛沫が混じる中心で―― 愁の動きはまるで“旋律”。  雪緒へ迫る死角を読み取り、刃が触れる前に 光刃がそこを薙ぎ払う。 「雪緒っ!」 「はいっ!!」  愁の一刀で生まれた、ほんの一呼吸。  その解放を得た雪緒は――本来の限界を超える 速度で踏み込み、刀が十、二十、三十と閃光を 描く。  斬るたび、“人間もどき”は細切れの赤い雨と なって地を染める。  咲楽はTAR-21を片手射撃で正確に頭部へ。  接近すればガントレットのブレードで喉元を 裂き、呼吸ひとつ乱さず進む。  だが――彼は本来、狙撃手。  前線では息が詰まりそうになる。  その乱れを補正するのは、凛。  両手首の《レベナント》が空へ鋭線を描くたび―― “人間もどき”の首や、脚や、胴が、ばら撒かれるみたいに飛んでいった。  そして玲真。  “製造人間”としての武装化能力を解放し、拳はグローブの中で鈍い金属色へと変貌。  打ち抜かれた頭部は潰れるのではなく―― 破裂する。  手刀一閃、腐肉は縦にも横にも裂ける。  転がる“赤ん坊爆弾”は見つけるたびに蹴り 上げ、敵陣で凄まじい連鎖爆発を生み出した。  それでも――  敵は減らない。  押しては引き、引いては押す、無限の腐肉波。  「ハァ……ゾンビ映画の主人公の気持ち……分かってきたぁ……」  着地した凛が愚痴る暇もなく、左右から新手が跳びかかる。  「っ!」  しかし右は雪緒が、左は愁が斬り捨てた。  「凛、油断しないの!」  「凛さん、まだまだいきますよ!」  叱咤と応援を受け、凛は息を深く吸い―― そして。  「みーっけぇ♪」  蜘蛛のような義肢で這う老人型をワイヤーで 串刺しに。 「気ぃ抜いた分はぁ――これで取り返すよぉぉ!!」  モーニングスターのように振り回す。  義肢に触れた肉は挽き肉となり、ワイヤーが 撫でた場所は全て切断。  悲鳴すら形を保てず宙に散った。 ***  五人はそれぞれが“全力”で立ち向かっていたが―― 押し寄せる“数”が、常軌を逸していた。  「全然、減らないな……玲夢、お腹は?」  愁は七つの頭を持つ“巨躯”の首を同時に全て 刎ねながら、横目で玲真を見る。  玲真は別の巨躯の膨れ上がった腹を素手の手刀で真っ二つに裂きながら。  『……まだ大丈夫だ。ただ、この数相手だと……二十本くらいチョコ味食いたいな』  冗談めいて言いながらも、視線は鋭く奥を 探る。  そこには―― 数百体の《群体》。  互いに押し潰しながら、百足のような巨体が 蠢き、建物を削りながら向かってくる地獄。  『……いや、店長さんのドーナツがいい。チョコソースたっぷりの』  「確かに……帰ったらお願いしよう」  愁は短く笑みを漏らし、次の敵へと瞬きひとつで間合いを詰める。  その時、通信越しに雪緒の声。  『愁さん! “フック”はいつ頃ですか!?』  雪緒の位置へ振り向くと、彼は老人型に囲まれ、咲楽の援護があっても追いつかないほどの 数に押し潰されかけていた。  愁は瓦礫を踏み砕き、一瞬で雪緒の傍へ。  「雪緒、京之介さんの下で任務についたこと あったかな?」  肩越しに声を掛けつつ、迫る老人型を連続で 首から落とす。  切断というより、像が崩れる一瞬のそれ。 「今回が……初めてですッ! くっ!」  雪緒は義肢を弾き返しながら必死に応戦し、 皺に覆われた身体を真っ二つに裂く。  愁は息ひとつ乱さず言う。  「多分、“フック”は来ないよ」  戦術輸送機が着陸不能な状況下でも、 “戦闘特化体”は退路を失わない。  低空を滑空するCQC対応型戦術輸送機の側面 ハッチから射出される《アーク・フック》―― 伸縮性の高い高強度ワイヤーがある。  着地の衝撃を前提にしない撤退手段。 常人では瞬時に骨が粉砕され、腕が引き千切れるほどのG負荷がかかるそのワイヤーを、彼らは 躊躇なく掴める。  だが――京之介の直接指揮なら、撤退の二文字など存在しない。 「えっ!?」 「こんな面白そうな状況でしょ?」  愁は笑い、次の瞬間、周囲の敵が同時に五方向へ裂け飛ぶ。 「面白そうって……」  雪緒は呆れながらも、皺だらけの顔面を踏み砕き、残敵を捌く。  見渡す限り、濁った波は尽きない。  むしろ、さらに膨れ上がっていた。  それでも―― 愁は刃を止めない。  止まらないどころか、敵の出現速度より速く 斬っていた。  光刃が閃く。  血肉が遅れて地へ落ちる。  一振りごとに三、四体。  息継ぎごとに十、二十体。  瞬きひとつで、視界の汚物が入れ替わる。  愁の存在が―― 敵群そのものを、“追い越していた”。  だが――濁った波は止まらない。  斬り裂いても、踏み潰しても、終わりの兆しは欠片も見えない。  それでも愁の刃は淀みなく走り続けていた。  縫い合わされた肌色を、糸を解くように滑らかに。  肉の継ぎ目を正確に断ち、敵影を次々と細片へと変えていく。  鮮血が弧を描き、愁の視界は赤い雨に煙る。  それでも、その足は止まらない。  「多分、そろそろ――」  呟いたその瞬間。  『愁ぅ、うちのことぉ……待っとってくれたぁぁん♪』  イヤホン越しに、妖艶な色気が絡みつく。  甘いのに、血潮よりも濃く、媚薬のように神経を侵す声。  愁の赤い瞳に、ほんの一瞬だけ、戦場では似つかわしくない柔らかな光が宿る。 「……ええ。絶対に来ると思ってましたよ、 京之介さん。」  その刹那――風が、変わる。  腐臭漂う瓦礫の大地。 濁流のような“人間もどき”の悲鳴。  その全てを断ち切るように――空から舞い降りる影。  真紅のロングコートをたなびかせ、朱を含んだ髪を風に遊ばせながら、京之介が、微笑んだ。  九機の蝙蝠型三次元デバイスが、彼の周囲を 守るように、貪るように旋回する。黒い軌跡が 幾重にも交差し、その度に火花と風圧が弾ける。  その姿は悪夢に咲く、優雅な処刑人。  小太刀を抜き放ち、片足のつま先だけを、滑空していたデバイスの背にそっと預ける。  その一瞬で、落下に纏わりついていた重力の 暴威がまるで礼儀正しく膝を折るように “静まり”。 次の瞬間――蹴り。  『ほなぁ――その期待に応えなねぇ♪』  デバイスが音速の悲鳴をあげて吹き飛び、 京之介は夜気と星の間へ跳び上がる。  重力がその細い肢体を引きずり落とすよりも 速く。  「あぁ……恋と一緒で……堕ちるのって、気持ちええ……♪」  笑った声が風にとけ。  重力が加速へ変わる。  真紅の線が落ち、小太刀はただ一度―― 振り下ろされた。  大地に触れる前に。  《群体》の長い巨体が、悲鳴すら追いつけずに縦へと裂ける。  音すら置き去りにして大質量の肉塊が左右へ 沈む。  切断面から吹き上がる黒赤い蒸気と血潮が、 京之介の降り立った地を真紅に染め上げる。  「んふふ……♪ ほな、試してみよか――」  眼鏡のブリッジへ指を添え、わずかに角度を変えただけ。  それだけで主である京之介の周囲を旋回して いた黒鋼の眷属が、間髪も置かず全方位へ解き放たれる。  薄膜の翼が空気を裂く音は、肉を断つ音よりも静か。静寂が先に走り、遅れて首と四肢が雨の ように落ちる。  老人型の義肢が紙のように裂ける。  巨躯の分厚い肉が滑らかに両断される。  男だったものも、女だったものも、少年だったものも―― 全て例外なく“断面”へ変わる。  十の眷属は息を揃え、京之介を中心に五重の 黒い円環を形成。  回転、交差、離脱―― わずか一息。  数千の悲鳴が、音として成立する前に消えた。  「うーん……」  ヒールの先が瓦礫を コツ と鳴らすたび、黒い円は広がり続ける。 楕円形の死の領域―― そこへ侵入した肉は、もれなく形を保てない。  残されたのは、切り揃えたかのように平坦な 断面が幾重にも連なる“血の庭”。  その中心で、京之介は真紅のコートを静かに揺らしながら―― まるで散歩でもしているかのように愉しそうに 笑って、ちょっと肩を竦め。  「なんやろ……これ便利やけど、やっぱおもろないなあ……。」  退屈そうに吐息を漏らすと同時に、十の眷属は愁達のほうへ飛び、彼らの周囲の“人間もどき”を無慈悲に刻み始めた。  そして――京之介自身が動く。  小太刀を構えた瞬間、彼の姿が“霞”になった。  五秒で十、百、“人間もどき”が吹き飛び、斬撃はデバイスの処理速度すら簡単に上回る。  真紅のコートが翻るたび、そこにあったはずの醜い肉体はただの肉片に変わるだけだった。

ともだちにシェアしよう!