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第百七十六話

 愁も玲真も、凛も雪緒も、咲楽も―― 京之介の放った眷属たちの“夜空を支配する刃の軌道”が、周囲の“人間もどき”を瞬き一つの間に 切り裂き、五人の足元にわずかな休息の空間を こじ開けていく。  彼らの頭上を、黒鋼の十機が縦横無尽に舞う。  直線ではない。  予測不能の三次元機動。  重力・慣性・物理法則すら嘲笑う軌道で。  生体強化された視力ですら追えない速度。  敵の攻撃動作が“意識に上る前”に、すでに頸椎は飛んでいる。  老人型の金属義肢は、摩擦すら許されず瞬断。  巨躯の肉も骨も、触れられた事実に気づく前に二つへ分かたれる。  どんな形状であろうと、すべて“対象”として 処理されるだけ。  その通過後に残るのは、毛糸の束のように ほどけた肉片と黒い血の霧だけ。 ***  愁は光刃を鞘に収め、ガントレットが 《充電中》を示す赤文字を表示したのを確認。 そのまま迷いなく、腰のホルスターから 超硬ナイフを抜き放つ。  「玲夢、食事は終わった?」  玲真は銀紙を剥いた携行食の最後の一欠片 を押し込み、もごもごと咀嚼したあと乾いた声で答えた。  「ああ……。けど、やっぱドーナツ食いたい」  口元の装甲がシャコ…と閉じ、落とした銀紙を無造作に踏み潰しながら拳を固める。  「だったら早く終わらせて帰ろうよ、 玲夢ちゃん♪ 明日もお仕事だからねー♪」  凛が、愁の代わりみたいに無邪気に笑う。  『大変そうだな……。頑張れよ』  玲真はマスク越しに、声だけで苦笑する。  「お前も、一緒に頑張るんだけど」  愁が軽く息を吐きながら釘を刺す。  『はッ!? ちょ、待っ――』  「じゃ、行こうか凛」  「うん♪ ふたりの“愛の共同作業”……頑張ろうね、愁ちゃん♪」  玲真の抗議も空を切り―― 愁と凛は、石畳を砕きながら跳んだ。  軽口とは裏腹に愁のナイフは“人間もどき”の 頚椎を分断し、凛のワイヤーが胴体を十字に 切り裂く。  輪転する肉片と臓物の花弁が、彼らの進路を示す血の矢印となって散り。  ――その勢いのまま、二人は“群れの中心”へ飛び込む。  凛のワイヤーが虚空に幾何学模様を描き、愁の刃がその線上に沿って命を刈り取る音を撒き 散らす。  一方――  雪緒は、咲楽の横で刀を握り直した。 呼吸は荒れていない。むしろこれからが本番だと言わんばかりに、赤い瞳だけが鋭く光る。  「咲楽……“それ”慣れたか?」  咲楽は弾の尽きたTAR-21を足元へ投げ捨て、 ぎこちないながらもガントレットから伸張した ブレイドを構え直す。  「まだまだ。今度、訓練付き合ってよ」  雪緒は短く鼻で笑った。  「なら、俺の射撃訓練にも付き合え」  咲楽は口角だけで笑って返す。  「いいよ……そのあと、ケーキでもどう?」  雪緒は一瞬だけ硬直し、耳の先が赤く色づく。  「……生き延びたらな。ほら、行くぞ咲楽!」  「うん……♪」  雪緒は照れを誤魔化すように、地面を蹴り 飛ばす。  咲楽はその背を追い、ふたりの影が並んで 跳ねた。  ――交差する刃。  雪緒の刀が骨を削り、咲楽のブレイドが筋を 断つ。  角度をずらした二本の軌跡は、“人間もどき”の身体を迷いなく “X” に裂いていく。  噴き上がった肉片が滝のように崩れ、ふたりの靴底に積み重なるたびに拡がるのは――  息を合わせた連撃の証。  雪緒と咲楽は、愁と凛の背中を追いながら、 殲滅速度を加速させていった。 ***  京之介はすでに―― ひとりで「屠殺場」を完成させていた。  斬った、でも倒した、でもない。  細かく、丁寧に、“処理”した。  《群体》も“人間もどき”も、弾けた骨と肉片、黒い血飛沫の雨だけを残し、音を立てて地へと 腐れ落ちる。  それでも、真紅のロングコートにはひと滴すら触れない。  血の雨のほうが、京之介を避けて落ちていく。  「んーー思うとったより…… あんま手応えへんな……もっと強いのんは いーひんのかいな?」  軽く首を傾げる京之介へ、背後から飛びかかった“人間もどき”がいた。  だが――投げられた漆黒のナイフが眉間を貫き、頭が爆ぜるように吹き飛んだ。  「そういうこと言うと、“また”余計な面倒に 巻き込まれますよ」  淡々とした声とともに、愁が京之介の傍へ歩み 寄る。  「あーーー愁っ♡」  途端に表情が蕩け、たたっと駆け寄り、ヒールの踵を内股気味に揃えてもじもじする京之介。  「もぉ〜いまの、うちの獲物やったのに……」  愁はそんな彼を少し見上げ、微笑む。  「まだ山ほどいますよ。どれを斬っても同じ です。それに――」  四方八方から、軋む義肢と腐った脚音。  老人型の群れが、一斉に迫り来る。  「あ……?」  彼らは“強者に群がる本能”があるのか、 “命令された奴隷”なのか。  どちらにせよ――  京之介と愁の間に割って入る、それは最悪の 選択だった。  愁を誰より愛する京之介にとって、 ふたりの間に割って入れるのは――葵と凛以外、 ありえない。  「……野暮は、好かんよ?」  次の瞬間、表情がふっと冷える。  笑顔の奥で、静かにブチッと音がした。  許されない者たちに残された未来は、細切れになって地を赤黒く汚すことだけ。  京之介は駆けた。  稲妻のような速度で小太刀が閃き、女でも 子供でも巨躯でも赤ん坊でも等しく刻む。  追いつける者は――愁だけ。  「飛ばし過ぎです。先は長いですよ」  愁の声は冷静だが、その刃は迫る首と骨を 正確に狩り取る。  「……せやけど。折角、愁と……ふたりで……」  ひと息、恥じらいの色を帯びた声音。  そこへ、更なる群れが牙を剥き押し寄せた。  無数の継ぎ接ぎの顔面、唸り声と肉を裂く音の混ざった醜悪の波。  「そやさかい……邪魔かてぇぇぇ!!!」  「はぁ……」  次の瞬間―― 二条の“雷”が、地面ごと敵を断ち割った。  金属の義肢が粉砕され、弾けあがった赤黒い 血潮が、夜空に花火のように咲き散る。  破裂音。  断末魔。  飛び散る肉片。  それらを踏み砕くヒールブーツ。  愁が隣にいる。  それだけで、京之介はときめき、胸の奥が 幸せと嬉しさでいっぱいになってしまう。  ――だから  彼に触れようとする影。彼との時間を邪魔する存在は、全て細切れにして消し去る。  稲妻が走るたび、視界から醜悪が削除されて いく。  残るのは臓腑の匂いと、ふたりが刻む―― 大量の血に濡れた道だけ。 ***  愁が、最後の一体を細切れに断ち終えた刹那。 刃から滴った血が石畳に落ちる。  「……これで――」  言い切る前に。  「愁っ♡」  背中へ、熱を帯びた腕が回り込んだ。  京之介が全身で甘くしがみつく。  「……まだ、たくさん残ってるんですよ……」  戦場とは不釣り合いな、この甘い香り。  愁の頬が僅かに火照る。  「だって……あんたが飛び降りる前に、 あないな“きっす”するさかい…… 早う、会いたかってんもん……」  その声音は、少し寂しげで。  愁の胸の奥をくすぐる。  「終わったら――またしますから……いっぱい、ね?  それから言い損ねてましたけど――」  眼鏡の奥の揺らめく瞳を見て、愁は優しく 笑った。  「眼鏡、とっても素敵ですよ♪」  その一言で、京之介の頬はふわりと色づき。  「っ……ほんま!?♡ なら、今度は、この眼鏡かけたままで――」  『いつまでイチャついてんだぁぁ!!』  言葉を飲み込むように、通信が怒鳴った。  『こっちは大変なんだぁぁ!!』  凛の抗議がイヤホンを震わせる。  愁は肩を揺らして笑った。  「これ以上待たせると、本気で怒られますよ。行きましょう」  「むぅ……しゃあないなぁ……」  名残惜しそうに腕をほどきながらも、京之介は唇を指先で隠して微笑む。  「でもな?  約束やで……終わったら……」  「はい。頑張りましょう♪」  愁は軽やかに笑い、血の匂いの中へ駆けだ した。  「うん……♡」  京之介の視界に残るのは、愁の背中。  それだけで胸が高鳴る。  小太刀を構え――  次の呼吸と共に、地を蹴る。  その速度は、さっきより明らかに速い。  《群体》が束で襲いかかったところで、五秒後には血煙と肉片に変換される。  京之介の周囲だけが、愁を追うために空けられた真っ直ぐな道となる。 ***  エッフェル庭園は、もはや死骸を被った 地獄だった。  花壇があった場所には、人間だったものの肉が泥のように積層し、樹の影は四肢を失った骸が 互いを支え合う血の塔へ変わっている。  足裏に伝わる感触は、柔い“土”ではなく、 砕けた肋骨。踏みしだく度に、どこかの誰かの 頭蓋が葡萄のように潰れる音がする。  息を吸えば、鉄と腐敗と臓腑が混ざったぬめり気を帯びた空気が喉を撫で、肺の奥が囁く―― 「ここは墓場だ!屠肉場だ!」と。  頭上では十機の蝙蝠型三次元デバイスが、 夜天の鎌として羽ばたいていた。  薄膜の刃を宿した翼が旋回するたび、赤黒い 残骸が紙吹雪のように降り注ぎ、首を落とされた“人間もどき”が 無言で崩れ落ちる。  一機、また一機が軌道を交差させ、庭園を 肉挽き器の中へ放り込む。  削がれる皮膚。  飛ぶ眼球。  縫い合わせられた悲鳴が、断ち切られるたびに快楽のような静寂が訪れる。  それでも終わらない。  無尽蔵の悪夢が、地の深淵そのものから湧き 続ける。  その渦中――  雪緒は、咲楽の背に寄り添い動いた。  「咲楽、切り抜けるぞ!」  咲楽が振り下ろしたブレイドが生む隙。  そこへ滑り込むように雪緒は老人型の義肢を 斬り落とす。  まるで、咲楽の呼吸が見えているかのように―― 背中を守る刃が、連続して死角を切り開いた。  「……後ろは俺に任せろ!」  短く、冷静な声。  もう怯えていた影はどこにもない。  雪緒は斬り、斬り、斬り――迫る腕を、脚を、 顎を、次々と血の花弁に変えていく。  刃越しに、温度が伝わる。  咲楽は嬉しさを隠しきれず微笑みながら、その背を預けたまま前へ踏み込み――  (……雪緒くんが……僕を守ってくれてる……)  胸が跳ねる。  頬の火照りが、地獄の熱だけじゃないと知る。  「……まだ終わりじゃない! 皆に追いつくぞ!」  雪緒が叫ぶと、咲楽は僅かに笑い返した。  「当然っ! 置いていかれる気はないよ。」  血と臓腑を踏み砕きながら、ふたりは交差する刃の中で、確かに並び立っていた。  ――互いの生を守るために。 ***  玲真はマスクと同様に無表情のまま、掴み上げた“人間もどき”の頭蓋を何の感慨もなく片手で 握り潰した。  砕けた破片と脳漿が足元へ落ちる。  踏み締めれば、柔らかな何かが潰れる音が した。  動きは精密な機械そのもの――  だが、その獰猛な拳の奥で、鋭い疑念が 渦巻く。  (……どういうことだ。 “製造人間”が、ひとりもいない…… ノイン。お前は、今どこで何を……)  その刹那、巨躯が振り下ろした拳が玲真のいた地面を叩き割る。  石片が飛び散り、玲真のマスクへ小さくカン、カンと当たった。  『……死に損ないが生意気な』  女の声を模した、冷たい機械音。  玲真の赤と金の瞳が、マスクの奥で細く尖る。  『――この拳、受け切れるか?』  次の瞬間。  足音一つなく、玲真が消えた。  否、視界が追いつけなくなっただけ。  七つの影が一斉に躍り出る。  豪速の拳が巨躯を、周囲の群れを、大地へと 還元していく。  砕ける。弾ける。潰れる。飛散する。  肉片が赤黒い雨になって降りしきる。  拳が振るわれるたび、巨躯の腕が弾け飛び、 老人型の義肢がひしゃげ、ねじ切れ、歯列が空中でバラバラに砕け散る。  (……ヤツが造ったなら、壊す……でなければ、 ドーナツの食べれない世界になる……)  玲真の拳は止まらない。  呼吸すら必要ないというように、ただ冷徹に、精確に、無限の殺戮を積み上げていく。  ――その背には、今なお消えない“疑問”だけを抱えたまま。 ***  凛は、ほんのちょっと……いや、かなり怒っていた。  バチバチと弾ける赤い瞳。《レベナント》が 牙を剥き、迫る“人間もどき”の群れを次々と ワイヤーで細切れにしていく。  「愁ちゃん……また京兄ちゃんと……イチャついてぇぇ……ッ!!」  怒りのままに、地を這う“赤ん坊爆弾”を次々と蹴り飛ばし、その醜い泣き声ごと産みの親へ叩き返す。  刹那、腹を破裂させながら親子まとめて肉片と化す血飛沫が凛の頬を濡らした。  だが――その血混じりの地面に散らばる頭蓋の一つに足を取られた。  「ほわっ!!」  肉塊の床に尻もちをついた瞬間、巨躯の肥大した腕が影を落とす。  「ちょっ……!?」  振り下ろされたその腕は、凛ごと地面を粉砕する寸前で――爆ぜた。  「ッ……」  肉の破片だけが雨のように落ち、拳が通り抜けた空間に、愁が立っていた。  血溜まりを軽い足取りで踏み砕きながら。  「凛、油断は禁物だよ。」  「べ、別にっ……助けなんて、いらないもん……!」  むくれながら尻もちのまま口を尖らせる凛。  けれど愁は、どこか困ったように、でも凛だけに向けるあの優しい笑みでそっと抱き上げた。  「そう言っても……つい心配しちゃって。」  「……だったら、傍に居てよ……ずっと……」  視線を逸らす凛の胸の奥で、熱が跳ねる。  本当は、今のまま抱きしめていて欲しい―― けれど前方では、醜い顔面の群れが津波のように押し寄せていた。  愁は凛をそっと立たせ、まだむくれている頬へ柔らかな笑みを向ける。  「うん。ずっと一緒にいるよ。」  「……あぅ……うん……♡」  その言葉だけで、胸の鼓動が一気に跳ね上がる。  愁を見上げる自分が、もう笑ってしまっているのも分かってしまう。  だからこそ――トドメの一言が落ちた。  「凛は、笑ってる顔が一番可愛いよ――」  「っ……!? や、やめ……ほんと、もう……!」  震えた声が漏れた。  鼓動が、戦場の音よりも大きく聞こえる。  「それじゃ、行こうか。」  愁はナイフを逆手に握り直し、血霧へと軽やかに駆け出す。  「あっ……ちょっと待って!  これ終わったらボクにも――たっくさんキスだからねッ!!」  叫びながら凛も追いかける。  愁と並べば、自然と動きが重なる。  呼吸さえ、戦いよりも先に合わさっていく。  ふたりが踏み出すたびに――  地獄の地面が爆ぜ、肉の山が裂け、血霧が赤く揺れた。  それでも、ふたりの影だけは並んだまま。  約束のキスへと、真っ直ぐ駆けていった。

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