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第百七十八話

 愁のガントレットに投影された警告表示が、 赤く、苛立つように明滅していた。  《充電率100%》  「……やっと、か……」  掠れた声で呟き、愁は一度目と同じ手順を なぞる。  確認。  制御解放――。  最後の承認へ、指を伸ばした。  ピッ――。  「……ッ……!」   次の瞬間、柄が生き物の心臓のように脈打ち、内部から湧き上がる振動が手のひらを 打った。  一度目とは、明らかに違う。  金属越しに伝わる震えは不規則で、規律正しく収束していたはずの力が、内部で噛み合わず、 軋み、暴れ回っているのがわかる。  ――嫌な予感が、背骨を這い上がった。  頭上では、京之介の蝙蝠型三次元デバイスが 十機。  低く濁った駆動音を響かせながら円環を描き、 愁を中心に旋回している。  薄膜の刃の縁に付着した肉片が、遠心力で千切れ飛び、血と脂の混じった雫が、死肉と瓦礫の 海へと雨のように落ちていく。  デバイスが影を落とすたび、地面の死骸が無造作に刻まれ、潰れた顔面や砕けた骨が、粘ついた音を立てて転がった。  「……京之介さん」  愁は視線を前に据えたまま、通信を開く。  「“星薙”、最大出力を解放します。 このまま だと、デバイスを巻き込みます。  ――全機、 上空へ退避を」  一拍。  インカムの向こうから、愉悦を含んだ声が 返ってくる。  『了解……♪ 派手にやりや』  直後、蝙蝠型デバイスは一斉に進路を変えた。  血霧を切り裂き、腐肉の風を巻き上げながら急上昇。  最後に一機が、愁の頭上を掠めるように旋回し、刻んだばかりの頭部を地面へ落としてから、 赤黒い霧の天井に十の影が溶け込んでいった。  続けて、愁はインカム回線を全開にした。  「……全員、高所へ移動して。 ――それと、出来るだけ遠くへ」  言葉が終わるより早く、地面が軋んだ。  死骸で幾重にも積み上がった地層を踏み潰しながら、巨躯と老人型が、なおも愁へ向かって 迫ってくる。  腐臭と血臭が、さらに濃くなる。  折れた骨が足元で砕け、踏み抜いた内臓が、 ぶちゅりと嫌な音を立てて潰れた。  愁は“星薙”を構え、再び柄に触れる。  ――震えている。  金属越しにもわかるほど、細かく、しかし確実に。内部に収められた刀身形成用クリスタルが、 限界を訴えるように、軋み、脈打っていた。  (……一回が、限度だった……か……)  愁は知らなかった。  それが――本来、二度目の最大出力を想定していない代物であることを。  だが、選択肢はない。  三次元デバイスはすでに退避。  構えた愁へ、肥大した巨躯の拳が影を落とし、 大量の老人型が、鋭利な義肢を鳴らしながら 雪崩れ込んでくる。  ここで引けば、押し潰される。  救援を要請しても――今さら、間に合わない。  「……やるしか、ない」  歯を噛み締め、愁はインカムへ叫んだ。  「出力解放――!!  全員、離れ――」  その瞬間。  血の奔流を割り、影が駆け込んできた。  玲真だった。  巨躯の膝を粉砕し、老人型の逆さまの頭部を 掌打で潰す。  骨と歯と脳漿がまとめて弾け、肉片が霧と なって宙を舞う。  玲真は止まらない。  愁へ向かっていた“人間もどき”を次々と肉片へ変え、砕き、叩き潰しながら、一直線に距離を 詰める。  「玲真!! 来るな!!」  愁が叫ぶ。  「退避しろ!  爆ぜる可能性が――」  『分かっている』  短い返答。  玲真は最後の老人型の胸部を貫き、肉ごと押し潰すように叩き割ると、そのまま愁の隣へ滑り込んだ。  周囲には、潰れた死骸と血溜まり。  一瞬だけ訪れる、耳鳴りのするほどの“静寂”。  「……離れろ」  愁は、なおも言った。  「ここまで一緒に付き合う必要なんてない」  玲真は答えなかった。  代わりに――愁の手を見る。  不安定に震える柄。  内部で何かが軋むたび、その微細な振動が愁の指先にまで伝わっている。  玲真は一歩、距離を詰めた。  ――そして。  その手に、自分の手を重ねる。  愁の握る柄を、逃がさぬように。  震えを抑えるように。  共に、強く。  『……お前に何かあったら』  一拍。  『店長さんが悲しんで、ドーナツが遠のきそうな気がする』  機械的な女性の声で、あまりにも場違いで、 それでも不思議と真剣な言葉だった。  意地でも離れない玲真に、愁は短く息を吐く。  「……はぁ……」  呆れと、安堵が入り混じった溜息。  こんな極限の状況で、ドーナツを持ち出す思考回路が可笑しくて――それ以上に、回りくどく 自分を気遣っているのが分かってしまって。  愁は、ほんの一瞬だけ、口元を緩め。  「……じゃあさ」  低く唸り続けるガントレットの警告音を背に、 横目で玲真を見る。  「一緒に叫ぶの、手伝ってよ」  冗談めかしたその一言。  だが―― 玲真は、即座に反応した。  マスク越しでもはっきり分かるほど、表情が、ぱっと輝く。  『――望むところだ!』  その声には、隠しきれない高揚が滲んでいた。  あの台詞は、格好いい。  彼は本気で、そう思っている。  そして――  実は、ずっと叫んでみたかったのだ。  『任せろ!』  「そ、そう……じゃあ……せーので……」  『ああ!』  応じる玲真の声は、迷いがない。  若干引き気味の愁のガントレットが、低く、 警告の唸りをさらに強める。  ふたりは並び立ち、構え、同時に―― “星薙”の柄を、力の限り掴んで。  『「せーのッ!!」』  ――抜刀。  刹那、声が重なる。  『「唸れ“星薙”ッッ!!   そして薙ぎ払えッッ!!   星ごと奴らをォォォ!!!」』  ――瞬間。  《最大出力――解放》  蒼い刀身が、噴流へと変わる。  空気が圧縮され、押し潰され、耐えきれず―― 爆ぜた。  衝撃波が放射状に走り、地面が唸り、死骸の山が波打つ。  玲真のマスクが蒼光に染まり、愁の黒髪が、 暴風に攫われるように荒々しく後方へ攫われた。  柄が――悲鳴を上げる。  不規則で、暴力的な振動。  まるで内部の何かが、破壊を拒みながら 暴れているかのように。  耐熱性のはずのグローブが、じゅ、と音を立てて溶け始める。  「くッ……!」  『ッ……!!』  先ほどとは違う。  これは――完全に“主へ牙を剥いた”振動。  地震の震源を、両手で直接掴んでいるかのような衝撃が、腕を通して全身を叩きのめす。  愁ひとりでは、耐えきれない。  玲真とふたりでも――限界は、すぐそこだ。  それでも。  愁と玲真は、焼け爛れる両手で、柄を―― さらに、強く、握り締める。 『「このぉぉおおおおッッ!!!」』  指が軋み、関節が悲鳴を上げ、 腕の感覚が、熱と衝撃に塗り潰されていく。  それでも――離さない。 『「……消ぃええされぇぇぇぇぇッッ!!!」』  両脚に力を叩き込み、死骸で歪んだ地面を踏み砕き、限界寸前の“星薙”を――  回す。  光速の回転。  一閃。  ――世界が、水平に断たれた。  蒼い断層が走る。  “人間もどき”も、老人型も、巨躯も、女型も、 《群体》も。  積み上がった死骸の山も、崩れた建造物も――  その射線上にあるすべてが、叫ぶ間もなく、 抵抗する余地もなく、等しく、無慈悲に、 切り裂かれていく。  肉は熱で蒸発し、骨は粉砕され、存在そのものが、断面だけを残して消失する。  蒼光は止まらない。  遥か彼方まで、地平をなぞるように走り――  最後にはエッフェル塔すら、静かに両断して いた。  そして――  限界を迎えた柄が火花を散らし、爆発寸前の 悲鳴を上げる。  金属が歪み、内部から破壊音がせり上がって くる。  『は、ぁ……なぁ、愁……これ……』  「……俺は、一応、逃げろって言ったよ……」  凄まじい熱。  愁と玲真のグローブは完全に溶け、灼熱の柄に貼り付いて、もはや剥がれない。  時間は――残されていない。  『外れないぞ……』  「……それに、指に力も入らない」  『俺もだ……』  言いながら、玲真はマスクの奥で、笑っているようだった。  愁も、ほんの一瞬だけ口元を緩める。  「……なぁ、玲真」  『なんだ?』  「……ありがと」  その言葉に、玲真はぷいと視線を逸らす。  『――別に。楽しかったから……いい』  最後にしては、あまりにも不器用で、 玲真らしい返事。  ――その瞬間。  「愁さんッ!」  「玲真ちゃん!!」  叫びと共に、戻ってくる影があった。  雪緒と咲楽。  退避など選ばず、迷いなく、ふたりの元へ駆け戻ってきた。  雪緒は背後から愁を抱き締め、衝撃と熱から 庇うように身体を覆う。  同時に、咲楽が玲真の背を全力で抱き留めた。  さらに――  「愁ちゃんッ!!」  凛が、獣のような速度で踏み込む。  狙いは一つ。  星薙の柄。  「このぉぉぉぉおおッ!!」  凛はグローブごと、愁と玲真の手を――力任せに引き剥がした。  皮膚が引き裂かれる音と同時に、凛は星薙を 掴み、空中へ放り投げる。  その軌道を――  「んふ……♪ ええ位置や」  掠め取った影があった。  稲妻のような速度で踏み込んだ京之介。  鞘に収めたままの小太刀を、躊躇なく一閃。  「さよなら満塁、“ほーむらーーんっ”!!」  凄まじい衝撃音。  星薙は弾丸のように、空高く、遥か彼方へと 打ち上げられた。  一拍の沈黙。  そして――  「退避や♪」  京之介の軽い一声で、全員が一斉に地面を 蹴る。  必死に、生きるために、走る。  ――次の瞬間。  遥か高空で、蒼白い大爆発が咲いた。  空が裂け、轟音と衝撃波が、街全体を薙ぎ 払う。  圧縮された空気が叩きつけられ、切断されていたエッフェル塔が軋みながら、こちら側へ倒れ 込んでくる。  京之介だけが走りながら、振り返り、愉しそうにその光景を眺めていた。  他の者たちは――  必死に、必死に、走る。  大爆発は街に蔓延っていた死臭と腐臭を、 すべて吹き飛ばすかのよう。  それは――  地獄の終焉を告げる、青白い、浄化の爆発 だった。 ***  夜明けの光が、かつてエッフェル庭園だった 場所を照らす。  昇りきらない朝日は淡い金色で、地面に積み上がり、そして“星薙”の一閃により崩れ落ちた肉塊の山を静かに撫でていく。  そこから伸びる影は、一本一本が歪み、まるで死者の腕のようだった。  先程まで“塔”だった巨大な鉄骨のほとんどは、 無数に裂かれ、砕かれ、潰れた“人間もどき”の肉片が、鉄の骨組みの隙間に詰め込まれている。  血の匂いは重く、甘く、喉にまとわりつく。  その中で、日光だけが――唯一、清涼だった。  三機の蝙蝠型三次元デバイスは、すでに 《戦闘終了》の巡回ルートを描き、低い羽音を 残して空へと去っていく。  その場に、再び静寂が落ちた―― はずだった。  そこに。  “奴ら”が、立っていた。  腹部から胸にかけて、縦に人間の唇を縫い連ねて作られた巨大な“口”が五つ。  ぱっくりと開き、  「「「「「ぐるるるる……」」」」」  縫合の隙間から、唸り声と血と唾液が止めど なく垂れ落ちる。  呼吸のたび肉は不規則に震え、四十の生気の ない眼球が飛び去る三次元デバイスを視界から消えるその瞬間まで、正確に追い続けていた。  ――そこへ。  ふんわりとしたブラウンの髪を揺らしながら、 少年が、愉しそうに現れた。  ぱっちりとした金色の瞳で、きょろきょろと 辺りを見回し、空のズタ袋を地面に引きずり ながら歩いてくる。  少年は、猫だった。  そうとしか表現しようがない。  本来あるべき位置に人の耳はなく、代わりに 頭頂から、髪色と同じ柔らかな猫耳が生えて いる。  気まぐれに揺れる尻尾まで、きちんと備えて いた。  白いフリルのブラウスの上から、黒いコルセットが細身の胴をきゅっと締め上げている。  編み上げの紐が、歩くたび無邪気に揺れた。  膝上丈の、ゆったりした黒のボトムス。  脚線を隠しているはずなのに、一歩ごとに、 幼さの残る可愛らしさが滲み出てしまう。  「ふーん……」  その全てを覆うように、明らかに噛み合っていない濃紺の軍用品風ジャケット。  胸や袖に縫い付けられた英文字と徽章。  少し大きめのそれは、寒さを凌ぐためだけに 選ばれたのだと一目で分かった。  「……まさか、ここまでやられちゃうなんて ねー♪」  軽い調子でそう言いながら、腹に大口を開けた五体へ、ぴょん、ぴょん、と近づく。  「ま、いいか。……お仕事お仕事♪」  次の瞬間。  少年は、跳んだ。  躊躇は一切ない。  軽やかな跳躍からの――手刀。  五体の首が、一息に斬り落とされる。  およそ二メートルの図体が鈍い音を立てて、 ゆっくりと崩れ落ちる。  腹の口は、首を失ってなお、何かを訴えるように唸り続けていた。  「にゃはは……♪ 怒んないでよ」  少年は楽しそうに笑い、斬り落とした首を ひとつずつズタ袋へ詰め込んでいく。  「僕は言われたことを、やってるだけなんだ から」  ぎゅっと押し込み、袋の口をきゅっと絞って、紐をリボン結び。  「ちゃんと良いの、取っといてよー。 じゃなきゃ、なんでか叱られるの、僕なんだ からさ」  そう言って、猫耳少年はズタ袋を担ぎ上げる。  次の瞬間には、朝靄の向こうへ、するりと 溶けるように姿を消した。  まるで、最初からそこにいなかったかの ように。

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