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【10】気を遣ってグレながら(将来の)宰相と渡り合っていたら忘れていた。②
問題はそれよりももう一つの懸念材料だ。
その日の夜、俺の部屋の扉は再びノックされた。
兄が帰って2時間ほど後のことだった。
時計は8時をさしている。気が重くなりながら、俺は返事をした。
「失礼いたします。本日も薬草を煎じたお茶をお持ちいたしました」
そう。そうなのである。毎日ユーリスは、決まって8時にやってくるのだ。
ここもグレて遠ざけたいのだが、そうすると正妃様に悪い。最悪母の立つ瀬がなくなってしまう。現在まで、母と正妃様は実に良好な仲なのだ。そこに水を差すのはためらわれる。
「そこへ置いて出て行け」
「いえいえ。今日もいつも通り、ちゃんと召し上がっていただくまでは帰れません」
ユーリスは、人の良さそうな笑顔でニコニコと笑っている。
俺はこれは作り笑いだと確信している。こいつは腹黒い。
仕方がないのでさっさと飲むことにする。波風は立てたくない。ごくごくと飲み込みながら、さっさと帰れと俺は思っていた。そして今日までの間、実際俺が飲んだ後ユーリスは早々と帰っていた。
しかしこの日は違った。
「フェル殿下」
珍しく声をかけられて、俺は反射的に視線を向けた。
「なぜ武道会の日、わざと手を抜いたのですか?」
直球だった。まっすぐに俺を見て、微笑したままユーリスが核心に触れてきた。
思わず息を飲む。あまりにも突然だから、表情を作る余裕すらなかった。
「それにその魔力。練度が高すぎて一見無に思えるのでしょうが、完璧に制御しているからこその静止状態だ」
……気づかれている、だと?
気づくことが可能だとすれば、俺同様、相当の実力がなければ無理だ。少なくとも宮廷魔術師ですら表立って俺を疑っているものはいないというのに。ゾクリとした。こいつ、何者だ? いいや、単純にかまをかけているだけなのかもしれない。そうだと信じよう。たとえそうじゃなくともごまかさなければ!
「それは俺が魔術をうまく使えないと知っての嫌味か?」
「まさか。ただの純粋な好奇心です。ここ一ヶ月ほど近い距離にいて確信しました。俺は魔力に敏感なんです、生まれつきね」
「俺には魔力なんてほとんどない。出て行け! 顔も見たくない!」
「これはこれは失礼いたしました。ではまた明日」
ユーリスはそういうとあっさりとさがった。
しかし気づかれているという事実に、俺の心臓は、ばくばく言った。
……生まれつき魔力に敏感? そんな話は聞いたこともなかったぞ! あいつ、少なくとも前世でも隠し通していやがったな! うわああ本当に喰えない。気をつけなければ。俺は、前世でのユーリス・アルバースについて必死で思い出した。
だがどう回想してみても、文官だったという側面しか出てこないのだ。
とりあえず仕事はできる宰相だった。
しかし魔術も剣術も召喚術も使っているところなど見たことも聞いたことすらもない。
兄と結託して、俺を幽閉後処刑した相手だ。
現在の立場的に、今世でも宰相になるのは時間の問題だろう。
兎に角敵に回してはならない。あ、出て行けとか言わないほうが良かったか?
これからもうちょっと口調に気をつけて接しよう……。
そのようにして日々は流れた。
俺はわがままの限りを尽くした。そして兄は遠方への視察などの行事以外では必ず6時ごろやってくる。ユーリスは8時に訪れる。定期的な茶会には一応出ている。とりあえず俺は勉強だけドロップアウトし、あとは変な話だが、気を使ってグレながら過ごした。
そして、12歳になった。前世ではこの頃はすでに一個師団を任されて、魔族討伐に出かけていた記憶がある。俺が指揮していた師団は、決して王都への魔族の襲撃を許さず、事前に殲滅していた。
だから……まさか、王都に大量の魔族が襲来するなどということは想定していなかった。だって、だってだ。前世では事前に壊滅させていたから、襲来するなんていう事件はなかったのだ。
その日、火の海となった王都は、阿鼻叫喚地獄絵図と化した。
「フェル!」
燃えさかる城下町を、城の自室で俺が呆然と見ていた時、扉が開いた。
入ってきた兄のウィズは、強く両手を俺の肩においた。
「逃げるぞ! いいや、俺はこの王都を守るために残るけどな、お前は絶対に無事に逃がす!」
そう言ってウィズは強引に俺の手首を握ると走り出した。
途中で俺は、父である国王陛下と、母上をはじめとした後宮の人々の元の連れて行かれた。宰相府の人々も一緒である。その頃には、王宮にまで魔族は侵入を果たしていて、斜め前方で天井が崩れ落ちた。あ。まずい。俺は、王都に溢れかえっている嫌な魔力の気配と血の匂いに、思わず片手で唇を覆った。このままでは、被害は広がる。ただではすまない。
そもそも父の召喚獣は癒しの力を持つものだから戦闘には向かない。
兄の召喚獣は、消火には役立つだろうが、水系の攻撃を使えば王都には洪水が巻き起こる。他の貴族たちの召喚獣を前世の記憶から呼び起こしてみるが、召喚獣とは本当に契約できるだけで特別な存在だから、戦闘に向いているものは少ない。
ああ、駄目だ。
このままでは被害が広がり、多くの人が死んでしまうかもしれない。
俺は唾液を嚥下した。下ろしたままの手をきつく握る。駄目だ、本当に駄目だ、駄目なのに……俺は、こんなことは見過ごせない。
右手を上げて、ぎゅっと首から下げている指輪を握った。
魔力を込める。すると俺を中心に、その場に光で構築された召喚魔法円が出現した。
全身で強い力を受け止めながら、俺は呟いた。
「我が名の下に交わした契約に応じよ、ラクラス」
気がつけばそう呟いていた。
瞬きをした次の瞬間には、俺の隣に人型をとったラクラスが立っていた。
一瞥して俺は命じた。
「魔族を全て消せ」
すると喉で笑ったラクラスが、指を鳴らした。パチンと、その音がやんだ時には、王都に溢れかえっていた嫌な魔力は全て消えた。
「時間軸に干渉し、火を滅し家屋の復元を」
続けて言うと、今度はラクラスが指をくるくると回した。その瞬間、王都全域が復興した。心地の良い疲労感に襲われて、久々に全力を出した自分に気づいた。片手で汗を拭う。するとラクラスがこちらを見た。
「良かったのか?」
「ん? なにがだ? それよりもありがとう」
「みんな見てるぞ」
「!」
「お前って昔っから変なところでお人好しだよなー」
ラクラスはそういうと、不意に俺を抱きしめた。その腕の中で硬直してから、慌てて俺は帰還を命じた。「じゃあ飲みにでも行ってくるわ」と口にし、ラクラスはそのまま姿を消した。それから……俺は恐る恐る周囲を見渡した。引きつった笑みを浮かべてしまった。そこでは皆があっけに取られたようにこちらを見ていた。
「良くやったね、フェル」
沈黙を最初に破ったのは父だった。その声は穏やかで、まずは俺を褒めてくれた。俺はどうしたらいいのかわからないままそれを聞いていた。
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