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第20話

 ――何とも言えない、背徳感がある。妄想で天使を汚してしまった罪悪感もある。  それもあって、翌日の俺は、店の前を通り過ぎた。  決して、最近だと来店翌日は体が楽だというのが、理由では無い。  だけど、多分明日はまた行ってしまうだろう……。  そう考えながら、帰宅した時、電話が鳴った。身内ならlineで通話してくるから、珍しいなと思いながら社務所の電話の子機を手に取る。 「もしもし」 『ああ、儂じゃ』  俺が知る限り、『儂』という一人称を使うのは、俺の師匠たる玲瓏院のご隠居だけである。声でもすぐに分かった。 『実はのう、例のお化け屋敷――取材に入った若造タレントが余計な事しかせず、何一つ解決できず、結界が完全に破れるだけの結果となった』 「え」  その言葉に俺は驚いた。そうであるならば、今頃俺の肩こりは最悪になっているはずなのに……へ? そこまで……あの天国的なマッサージには、何らかの効果があるのだろうか? そう考えて、俺は冷や汗がこめかみを伝うのを感じた。  ――よくよく考えてみれば、そうに違いないのだ。  マッサージが肩こりを取ってくれるのでは無いと、俺は直感的には知っている。  それは即ち――あのローラと言う青年にも霊能力……なお言えば、除霊の才能がると言う事にほかならないではないか。 『しかしのう、絆の関係で、事務所側から、問題を起こして欲しくないと要請があってな。好敵手といえども、余計な諍いは、避けたいのが芸能界というものだと言っておったわい』 「そ、そうですか……」 『かと言って、この地を守る玲瓏院が完全に手だしせぬわけにもいかぬ』 「まぁそうですよね。周囲からも頼まれるだろうし、周囲の目もあるだろうし、将棋にも行きづらくなりますよね」 『その通り。よくぞ分かったな。特に将棋仲間が煩くて叶わんのじゃ』 「ご隠居なら、サッと出かけて、さらっとどうにか出来るんじゃ?」 『だからして、絆の件がある。儂とて孫は可愛い』  俺も甥っ子が可愛いので、なんとなくその気持ちは、分からなくはない。  だが、あのお化け屋敷は――俺から見ても放置するのは危険だ。しかし近寄るのはもっと危険だ。決して単独で歩み寄ってはならない場所の一つだ。 『よって、玲瓏院の古くからの分家筋にあたる藍円寺に頼みたいという次第じゃ』 「――へ?」  寝耳に水だった。 『行ってくれぬか?』 「無理です。俺じゃ、即座に呪殺されるレベルのお化け屋敷です」 『――一人で行けとは言わぬ。御遼神社の若造神主も出ると言っておる。瀧澤教会は出ぬと言うが、他にも新南津市心霊協会の組合連中が、何組が合同で事に当たる。お主に期待しておるのは、”玲瓏院関係者も顔を出した”という事実を作る点だ。儂とて、弟子の実力を見誤ったりはせぬ』 「な、なるほど……え、っと、いつ行けば良いんですか?」 『結界再構築準備を組合は二ヶ月かけると言っておる。その間、御遼神社が、家屋周囲に些か遠い距離からではあるが御遼神道式の縄を張るそうだ。それで少しは霊障被害は減少するじゃろうて。他の者は、それぞれで、可能な限り除霊・浄霊準備をする事になっておる。お前の所属は、こことなる。不安であるならば、誰かを連れて行っても良い。昼威は最近元気にしておるのか?』 「――聞いてみます」  が、俺ぼっちです……とは、言えなかった。更に、オカルト否定派の兄が来てくれない事は、既に分かっている。  なお、新南津市というこの街には、心霊協会という組合が存在する。霊能力者達の集いであり、グループ代表か、個人事業主(例えば俺)は、基本的に所属する事になっている。お祓い現場で鉢合わせるのを避けたり、揉め事が起きた時や、料金未払時に仲裁に入ったりしてもらっているのである。現在の会長は、玲瓏院の現当主の縲さんだ。俺は最初、難しい漢字だから、読めなかった。ルイさんというらしい。ただ彼は、玲瓏院の血は引いていない。前ご当主の亡くなった奥様が、ご隠居の娘さんで、その旦那さんという続柄だ。 『良い。してなぁ、組合連中であるが、率直に言って、お主以下だ』  嬉しい褒め言葉では、決して無かった。つまり、このお祓いには、不安しかないという現実を聞いてしまったという事である。 『御遼神社の若造等、論外である。よって、玲瓏院の名と言うよりも――お主には、期待が高まるだろうて』 「……そんな事を言われても」 『その上、今回は、市外からも除霊師が何班か訪れるそうじゃ。物見遊山気分かは知らぬ。お手なみ拝見といったつもりの可能性もあるが――組合連中は、負けぬとほざいておる。己の実力も上手く把握できぬくせにな』 「……え、それで、ええと?」 『しかしながら、儂も負け戦は嫌いじゃ。祓う必要は無いし、結界構築が万全になればそれで良い――が、決して部外者にこの土地を侮られてはならぬ。それが、玲瓏院の血脈の矜持であるゆえ、心していくが良い』 「……」 『返事』 「は、はい」  このようにして――……俺は、半泣きで電話を切った。無理だ。無理すぎる。だって俺、あそこ、かなり遠くからでも視界に入るだけで、怖気が走って足が凍りつきそうになるのだ。ちょっとどころか、嫌な感じしかしないし、かなり怖い感じなのである。  しかし――恩人の言葉でもあるし、断る事は出来ない。  分家にとって、本家の言葉が絶対だというのもある。  それより、この土地では、玲瓏院に逆らったら生きてはいけない……。  こうして……この日から、俺は作業に追われる事になった。  無論除霊の準備――では無い。  如何にして、俺の身を守るか、その準備だ。

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