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第40話
「明日は店、休みな」
ローラがそんな事を言ったのは、藍円寺さんが来なくなって二ヶ月目の事だった。もう季節は、初秋である。
「藍円寺さんが来ないからって、仕事を休んじゃダメだよ。いつまで休むの?」
「あ?」
僕の言葉に、ローラが眉間に皺を寄せた。
「関係無ぇよ。誰だっけ、それ?」
「あ、あはは」
「明日一日だけだ。客が来るんだよ」
「あ、そうだったんだ? お客様……それも珍しいね」
何だ一日だけかと、僕は一人頷いた。なお、考えてみると、現在は年中無休状態であるから、お休みがもうちょっとあっても良いのかもしれない。ただ、基本的に娯楽でやっているに等しいし、休みたい日はOPENを出したまま、店を見えなくする暗示でもローラにかけてもらえば良いだけでもある。
こうして――引越し後、初めての個人的な来客者が訪れた。
「はじめまして、砂鳥くん」
「はじめまして、夏瑪先生」
僕は、手を差し出されたので、握手した。訪れたのは、火朽さんのゼミの教授であり、ローラの吸血鬼仲間の、夏瑪夜明教授だった。ナツメヨアケ先生である。夜明けの吸血鬼という小説を漠然と思い出しながら、僕は久方ぶりに、珈琲を淹れた。火朽さんは出かけている。例の無視していた人と最近親しいようで、よく出かけるのだ。それに夏瑪先生は、ローラという旧友に会いに来たらしい。
「夏瑪は、最近、調子はどうだ?」
「調子? 餌の話かね?」
どこか演技がかった喋り方をする夏瑪先生は、非常に余裕がある表情で、悠然と微笑した。持ち上げた口角の端までを、ぺろりと舌で舐めた彼は、それから思い出すように瞳を煌めかせた。
「霊能力が高い土地において、中でも高能力の学生が集まっているキャンパスにいるのだからね。困る事は全く無い」
「そうは言っても、お前が吸血鬼だって気づいて無い連中の集いだろ? たかが知れてる」
「いいや。知っている先生も生徒も大勢いる。噂だとして信じていない学生はいるがね」「――そうなのか?」
「無論だよ。私に気づけない程度の低い人間ばかりと侮ってはならない。今の時代、如何にして友好関係を築き、維持していくかが重要なのではないかな?」
「まぁな。概ね同意見だ」
「別に僕は、暗示をかけて教職に預かってるわけでは無い。請われたんだ。僕よりも人間の知る民俗学に詳しい人間は、少ない」
「少ないっていうのがミソだよな。ま、いいや」
ローラの機嫌が今日は良さそうだ。
二人は、本当に古い親友らしい。
夏瑪先生は、白髪というより銀髪……むしろ僕には、北欧の金髪のちょっと薄い程度に思える絹のような髪をしている。少しだけ癖がある、柔らかそうな髪だ。その前髪をなで上げてから、彼は、僕が淹れた不味い珈琲の入ったカップを手にした。一口飲んで、カップを置く。外見は三十代半ばだ。二十代後半のローラと比較すると、圧倒的に彼が年上に思えるが、聞いた話だと(これは昨夜口頭で)、夏瑪先生の方が若いらしい。二人は、スラヴで出会い、流れで一緒にしばらくの間旅をしていた事があると聞いた。
ちなみに、僕は、吸血鬼に会うのは、ローラを除けば初めてである。
決して、吸血鬼という存在は、世界に多くはない。
かと言って、覚という妖怪が多いかと言われたら、僕には分からない。
何せこちらに至っては、僕は、自分以外を知らない。更に、時々本当に僕は、自分が覚なのかも分からなくなる。僕が当該妖怪だと判断したのはローラだ。出会って数百年になるが、他の誰かに『貴方は覚ですね』と言われた事は無い。
「それにしても、面白い土地だよな」
「だろう?」
「――なんて言うんだ? 霊能力者が多いっていうか、ほら、あれだな。そういう一族やらその分家やらが大量に、なんていうか」
「ああ。玲瓏院かい?」
「ま、まぁな。そ、ういえば、あれだな。玲瓏院といえば、この辺の地域だと、何だったか、あの、廃寺に等しいボロボロの寺……あー、名前が出てこねぇ」
ローラがその時、それとなく言おうとして失敗しているのを、僕は目撃した。
しかし夏瑪先生は、何も知らないので、普通に微笑したまま答えた。
「ああ、藍円寺くんのお宅かい?」
「あー、それ。そういえば、そんな名前だったな。いやぁ、客が噂してて」
「彼の所は、玲瓏院と違って、民間でやってる分、安いからねぇ。繁盛しているみたいだねぇ。玲瓏院は、プロだからね」
僕は、お寺であっても”民間”という扱いなんだなぁと、ぼんやりと考えていた。では、プロって何なんだろう……? ちょっと上手く、想像がつかない。
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