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第30話 【番外】afterwards⑤ …… 鍋

 明日は金曜日だ。夜、ヒースが泊まりに来る。ヒースは金曜日と土曜日、俺の家に泊まって、日曜日に帰るそうだ。早く会いたい――と、思いながら俺は、掃除機を見た。床の上をくるくる回りながら動いている。俺は窓を拭いている。今日は、一日中掃除に明け暮れていた。元々そこまで汚かったわけではないが、ヒースがやってくるのだから、ピカピカにしておきたい。 「ええと、次はシンクかな」  その後キッチンを俺はピカピカにした。1DKの室内だから、掃除も大変ではない。食器類も確認し、冷蔵庫には麦茶が作ってあるのも最終確認した。 「ああ……ドキドキする……」  ベッドは勿論一つしかない。だが、たまに泊まりに来るナチが置いていった寝袋があるのだ。広げると布団になる。毛布は幸い二つある。 「ヒースにはベッドで寝てもらおう……それとも、一緒に……」  想像した俺は、一人で赤面した。ゲームの中で教えられた快楽が、体の内側で燻った気がする。だが、ヒースが俺の体を欲しているとは限らない。男性同士のSEXは、VRの中だけで良いという層も一定数いるからだ。  俺はチラリとベッドの抽斗を見た。中には――本日コンビニで買ってきた、ゴムの箱が入っている。人生で初めて買った。緊張した。VRの時のサイズを思い出して箱を選んだのだが、しっかりと俺の体がヒースの事を覚えているという事実に、愕然としたものである。無論、俺は現実では性経験が無いままなのだが……。  その夜は、ヒースに早く会いたい気持ちと緊張が心の中で同居していたから、寝つきが悪かった。そして翌朝は、妙に早起きしてしまった。  ――こうして、金曜日が訪れた。俺は、ヒースを駅まで迎えに行った。  今日は、ヒースとマオは別々に来るらしい。マオは仕事を遠隔でも可能だから、少し早く来たようで、もうナチと合流したようである。俺は一人、ホームで冬の風を感じながら、ヒースを待っていた。  アナウンスが流れて、ヒースが乗っているはずのモノレールが到着する。  指定席の番号を聞いていたので、その番号の扉の前で待っていると、少ししてヒースの姿が見えた。降りてきたヒースは、俺を見ると、前回とは異なり、不意に微笑した。その表情があんまりにも綺麗に見えて、ドキリとしてしまう。 「ネジ」 「……あ、うん。えっとだな、この後は、地方線のモノレールに乗り換えて、三駅で俺の家の最寄りにつくんだ」 「そうか。行くか」  頷いたヒースが、何気なく俺の手に触れた。思わずビクリとすると、手を握られた。  既に男同士の恋愛は珍しくないから、誰も気にする者はいない。  俺達は並んでエスカレーターに乗り、別のホームへと向かった。そして丁度到着したモノレールに、ホームドアが開いてから乗り込む。俺達は手を繋いだままで、扉のそばに立った。現在は夕方の六時であるから、チラホラと帰宅する社会人の姿がある。  冬であるから既に暗い。そのせいで、イルミネーションが先日よりもよく見えた。 「確か、鍋をするんだったな?」  ヒースの声に、俺は視線を戻した。 「ああ。野菜、切っといた!」  鍋ならば、失敗はないだろうと、俺は踏んだのである。去年の冬、ナチと割り勘で買った土鍋と小さなコンロが、活躍する日がやってきたのだ。昨年は、二人でクリスマスに、闇鍋をしたのである。ほぼおでんが完成したのだったな……。  液体状の鍋の素と、お肉も買ってある。ただ、不安なのは、ヒースは美味しいものを食べ慣れていると思うのだ。俺が買った三割引だった海鮮鍋セットで、果たして満足してくれるのだろうか。まぁ、腹は膨れるだろう。 「気を遣わせて悪いな。ネジ、もっと気楽にしてくれていいんだぞ?」  ヒースがその時、指先に力を込めて、ギュッと俺の手を握った。ドキリとしてしまう。丁度その時モノレールが俺の最寄駅に到着した。降車した俺達は、街路を歩いて、俺の家を目指した。俺の家は、一応デザイナーズマンションだ。ただ大学が斡旋してくれたから、家賃は安い。一つの階にひと部屋がある細長い建物だ。そのエレベーターに乗り、俺は六階のボタンを押した。  エレベーターが到着してすぐ、正面にある自宅の扉の前で、俺は鍵をかざして開ける。そして中を見てから、ヒースに振り返った。 「どうぞ」 「ああ。お邪魔します」  ヒースが中へと入り靴を脱ぐのを見守りながら、俺は施錠した。そして鍵を鞄にしまってから、ヒースに貰ったマフラーを首から解く。既にこたつの上に、鍋の準備はしてある。座布団も用意済み――というか、二つしか座布団はなく、ナチが来る時のために、いつも出しっぱなしである。一応他の家具としては、一人がけ用のソファもある。 「綺麗にしてるんだな」 「……掃除した」  正直に俺が述べると、ヒースが喉で笑った。 「俺は気にしないぞ」 「本当か? なんか、ヒースって綺麗好きそう」 「掃除は嫌いじゃないが、業者を入れてる」 「セ、セレブだな、やっぱ」 「そうでもない」  別段、俺の家も貧乏というわけではないのだが、掃除を外部に頼んだ事はない。エアコンだって、自分達で綺麗にしていた。 「座ってくれ」 「ああ」 「よし! 食べるぞ。ヒースは、キノコが好きだって言ってたよな?」 「そうだな。お前は豆腐が好きだって言ってたな」 「うん」  鍋の具材は、昨夜トークアプリで相談したのだ。俺はコンロの火をつけて、土鍋を見る。こうして鍋が始まった。菜箸で俺は、鍋奉行をする事に決めた。ヒースはコートを脱いでいる。俺はそれに気づいて、壁にかかっているハンガーを見た。 「あの辺にかけておいてくれ」 「悪いな」  ヒースが一度立ち上がったのを見ながら、俺は煮えにくい野菜から先に、鍋に投下していった。戻ってきて座り直したヒースは、持参していた紙袋から、箱を取り出した。 「それは?」 「箸休めにでもと思ってな」  そう言うと、ヒースがテーブルの空いている場所に、いくつかの皿を置いた。そしてラップが外されると、色とりどりの野菜の浅漬けや、こんにゃくの刺身、ちくわの磯辺揚げといった副菜が見えた。 「これ、ヒースが作ったのか?」 「ああ」 「お前、料理までガチ勢なのか?」 「自分が食べたいものを用意しただけだ――と、言いたいが、正直な話、何かしたかっただけだ。ネジにばかりやらせたくない。お前のためなら、料理を極めても良いとは思いはするけどな」 「!」  ヒースは冗談めかして言ったのだが、嬉しくて俺は硬直した。優しい……。  その後食べた鍋は美味で、ホッとする味がした。  一緒に鍋を囲んでいたら、なんだか緊張感もほぐれてきた。ヒースは、ヒースだ。少し意地悪そうな部分もあるが、根は本当に優しいと思う。何より、俺を愛してくれているんだなぁというのが、伝わって来る気がして、泣きそうなほど俺は嬉しかったのだった。  ――食後は、お風呂に入った。ヒースが先に入り、俺が次に入った。体をいつもより念入りに洗ってしまった俺は、意識のしすぎなのかもしれない……。 「あれ?」  そして浴室を出ると……俺が用意していたはずのTシャツが無かった。下もない。ボクサーもない。あれ? バスタオルだけはある。首を捻っていると、ひょいとヒースが顔を出した。手にはミネラルウォーターのペットボトルを持っている。俺は慌ててバスタオルで、下腹部を隠した。 「あのさ、俺の服……」 「着るのか?」 「――え?」 「どうせ脱ぐのに?」 「!」 「いらないと思って、ソファの上に置いてきた」 「な」  俺はヒースから手渡されたペットボトルのキャップを捻りながら、真っ赤になった自信がある。こうして――俺達の夜が、改めて始まった。

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