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第33話 【番外】afterwards⑧ …… 朝食
朝――いつもはセットしているアラームで目を覚ます俺だけど、昨日はセットする前に眠ってしまった。目を覚ますと、俺はヒースに抱きしめられていた。ゆっくりと瞬きをした俺は、目を伏せているヒースを見て、思わず唇を近づけた。
ヒースの薄い唇に、触れるだけのキスをする。
その瞬間、俺の後頭部に手が回ったから、ビクリとして思わず唇を開けると、ヒースが俺の口腔を深々と貪った。舌を絡め取られた俺は、焦ってヒースの胸を押す。
「起きてたのか……」
「短時間睡眠だと言っただろ? 寝ていたらどんな反応をするかと思ってな。まさか、寝込みを襲われるとは思わなかった」
楽しそうに笑ったヒースの声に、俺は激しく照れてしまった。だから逃げるように、首を動かして浴室の方向を見る。
「シャワー、浴びてくる」
「一緒に入るか?」
「え」
「冗談だ。俺は、お前が寝ている間に、勝手に借りた。悪いな」
「別に良いけど」
「それと、キッチンを借りても良いか?」
「へ? 良いけど……――ご飯の準備とか、気にしてくれなくて良いからな? 昨日炊いたご飯と、後簡単だけど納豆とか冷蔵庫に入ってる。俺が用意するよ」
折角来てくれたヒースの事を、俺はもてなしたい。だからそう述べたのだが、ヒースは軽く首を振った。
「やらせてばかりじゃ悪いからな。少し、食べ物を持ってきたんだ」
「昨日のだけじゃなかったのか?」
「ああ」
「ヒースって、料理が好きなの?」
「――別に。出来なくはないが、好きというほどじゃない。単純に、ネジの事を想ってるだけだ」
さらりとそんな事を言われて、俺は嬉しくなってしまった。顔が熱い。蕩けそうになってしまう。俺がヒースの事をずっと考えているように、ヒースも俺の事を考えてくれているらしい。ゲームの中では、後半いつもそうだったが……ここは、現実だ。ヒースは、ちょっと俺に甘すぎる気がする。昨夜は意地悪だと思ったけれども。
着替える服を持って、俺は浴室へと向かった。そして温水をかぶりながら、正面の鏡を見る。そうしたら、首筋に紅い痕が一つあった。キスマークだ。一体いつ付けられたのだろう。昨夜の事を思い出して、俺の胸がドキッとする。
「ああ、俺……ヒースとヤったんだな……夢じゃなく。ヒース、俺の事変だとか思わなかったかな?」
己の痴態を思い出し、思わず俺は両手で顔を覆う。しかしヒースにばかりご飯の準備をさせるわけにはいかないと思い出して、慌てて髪と体、顔を洗った。
浴室を出ると、きちんと俺の服があったので、ちょっとだけホッとした。
そして気づいた。良い匂いが漂ってくる。ヒースは何を用意しているんだろう? そう考えながら、俺は服を着て髪を乾かした。そしてキッチンを見る。キッチンの前を通り抜けた場所に、浴室とトイレがあるのだ。ヒースは、既にご飯の準備を終えていたようで、こたつの前にいる。
「ほら」
俺の姿を見ると、ヒースがコップに入った水をくれた。我が家にはミネラルウォーターは無かったのだが、こたつの上にはペットボトルがあった。麦茶の出番は無いようだ。
「有難う」
受け取り、俺は喉を癒す。そうしながら、こたつの上を見る。そうして、目を丸くしてしまった。ご飯は、昨日のあまりだと分かるのだが、まずお味噌汁が出来ていた。油揚げとネギが見える。納豆も俺の冷蔵庫にあったものだと分かった。しかし他が輝いていた。
ほうれん草の胡麻和え、お魚……サワラの西京焼きだろうか? 綺麗な形の厚焼き玉子。旅館やホテルの和食メニューみたいに見える。完璧な和食の朝食だ。
「これ、今作ったのか?」
「いいや、作り置きしておいたものを少し加工しただけだ」
「ヒースが作ったのか!?」
「昨日は院が忙しかったから、一昨日少しな」
「少しってレベルなのか、これ……」
俺とはスキルが明らかに違う。ヒースは料理までガチ勢なのか……?
こう考えると、俺は人生が色々と中途半端だ……もっとヒースに相応しいように、頑張りたい。今は釣り合わないかもしれないけれど、絶対に別れたくない。俺は、ヒースが本当に好きでならないからだ。
「食べよう。出かけるんだからな」
「あ、うん。いただきます」
コップを置いて、手を合わせるた俺を見て、ヒースもまた手を合わせた。
こうして朝食が始まったのだが、あんまりにも美味しくて、俺の頬が落ちかけた。うっとりしながら、俺は箸を動かす。
「ゲームと同じだな」
「え?」
「ネジは、食べるのが遅い」
「う……だ、だって、味わって食べないと、料理に失礼だろ?」
「箸を綺麗に使うんだな」
「それはヒースこそ」
確かに我が家は、父の教育で箸の持ち方だけは叩き込まれた。だが、ヒースの方がよっぽど上品に見える。
「お前と毎朝、一緒に食事が出来たら幸せだろうな」
「ヒース……お、俺もそう思ってる」
「大学は、来季に復帰するんだったか?」
「うん。来年の春復学して、ただ事態が事態だったから、特別に一年で卒業させてくれるみたいだ。留年にはならないから、きちんと四年生になれるんだって。ただ三年次後期の必修はやらなきゃダメみたいだけどな。他はあらかた単位もとってた。俺もナチも」
俺は大学について、ヒースに説明した。
「そうか。一年か――長いな」
ヒースがそう言ったので、俺は首を傾げる。一年で無事卒業できる事になったから、俺としては最短だ。
「長いって何がだ?」
「卒業したら、一緒に暮らそうと言いたかったんだ」
「えっ」
「嫌か? 既に進路が決まっているのか?」
「ううん、まだ全然就活もしてないけど……え? 一緒に? 嫌じゃないけど……嬉しいけど! だけど、それって……」
……――俺達は、恋人同士なのだから、同棲するという事ではないのだろうか?
そう考えたら、俺は顔から火が出そうになった。ボッと真っ赤になってしまい、箸を取り落とした。焦って箸を拾う。
「新しい箸、とってくる」
そして俺は逃げるように、キッチンへと向かった。嬉しい、本当に、嬉しい。ヒースの言葉が嬉しくて仕方がない。
深呼吸して、騒ぐ鼓動を抑えてから、俺はこたつの前へと戻った。
「俺は院に残るし、卒業後も付属の研究室に行く。だから、ネジに新東京に来て欲しい。俺のマンションには、ネジのために開けられる部屋があるし、そこが嫌なら、ネジと二人で新しい家を選んでも良いと思ってる」
「ヒースの家? え、え、あ……新東京……」
あまり都心に行ったことがない俺は、上手く想像できなかった。だが、ヒースと一緒に暮らしたいというのは本心だ。
「じゃあ俺、新東京で仕事を探すよ。就職先」
「何かやりたい事があるのか?」
「うーん……とりあえずログアウト不可になる前は新SPIの講義は取ってたけど……漠然としか考えてなかったんだ。ただ、俺さ、人の話が聞くのが好きなんだ。だから本当は、進学したいんだ、院に」
「そうなのか。だったら、すれば良いだろう。院に行くとコミュニケーションがとれるというのは、具体的にはどういう事か聞きたいが」
「俺心理学科に通っててさ、院で今、VRカウンセリングが学べるからさ。ただ、院に行けるほど、俺、頭も良くないし、金銭的にも厳しいからさ」
苦笑しながら述べると、ヒースが腕を組んだ。
「院に行かないとVRカウンセラーの資格は取得できないのか?」
「VR心理士の資格は、新専門職大学院の卒業が条件なんだ」
「なるほど。俺の院にも、心理学科はあるが、詳しくは知らなかった」
「いやいやいや、ヒースの通ってる所って、難関大の院だろ? それも院自体もすっごく難しい事で有名だし……」
ホテルで雑談中に聞いた学校名を思い出して、俺は吹き出して、首を振る。
「――ああ。確かに国内でも有数の難関校だ。ただ、奨学金制度が他大より整っている。合格者の中には、学費をほとんど出していない奨学生もいる。政府の新制度だ」
「それ、受かったら、だろ? 俺、頭が……」
「どんな問題が出るんだ?」
「VR学の基礎と、心理学の基礎と、英語」
「心理学の基礎は、どの程度理解しているんだ?」
「そりゃあ……俺、一応好きで通ってるから、大体分かってると思う。院用の参考書も、受ける気はないけどなんとなく買って、タブレットに入ってるんだけど、ほとんど暗記した」
一応、俺も入学当初は、院も視野に入れていたのだ。だが、奨学金は、卒業後に返さなきゃいけない事が多いし、俺には中々ハードルが高い。今のご時世では、VR関連の学費は本当に高いのだ。
「学費はともかく、何が不安なんだ?」
「VR学と英語」
「その二つなら、俺が教えてやれるぞ」
「へ?」
「VR学は、VR医療でも必須だ。英語は、俺は日本での高校三年間に当たる期間、留学していた」
「え」
「どうせこれからは、毎週末と空いている日には、ネジに会いに来る予定だ。ネジが本気なら、俺はいくらでも教える」
その言葉が嬉しかった。ヒースが俺の夢について、真剣に考えてくれるのが分かったからだ。
「受験だけでも、してみたらどうだ? 受かったら、学費無料の手続きをすれば良いだけだ」
「ヒースと同じ大学院?」
「そうだ。就職活動は、別に受験後でも遅くはないだろ?」
俺は、ゆっくりと、瞬きをした。
――何事も、中途半端な俺だけど、これからはリアルライフでガチ勢を目指して、ヒースの隣を歩いていくのに相応しくなりたいと、考えたばかりである。だから、俺は決意し、ヒースの目を見て、小さく頷いた。
「うん。そうだな! ヒース、俺やってみる」
そのような話をしながら、朝食の時間は流れていった。
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