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第39話 【番外】忘れ物
現実でも恋人同士になって、三週間目。時の流れは、あっという間だ。
本日は朝がかなり早いらしく、ヒースは俺を起こさずに帰っていった。
「ん……」
微睡んでいた俺は、日が高くなってから目を覚ました。そしてあくびをしながら、毛布から出て、ベッドから降りた。いつもヒースは、俺が眠っている間に体を綺麗にしてくれる。それは本日も同様だったが、毎朝シャワーを浴びるのは、俺の日課だ。朝と夜、俺は浴室に行く。
気だるい体で鏡を見れば、沢山のキスマークが散らばっている。ヒースの愛を感じるみたいで嬉しくなりながら、体を洗った後、俺は上がってバスタオルにくるまった。
髪は後で乾かそうと、喉が渇いたので部屋に戻る。そしてふと寝台を見て、ベッドサイドに光る銀色の時計を見つけた。
「あ」
歩み寄ってまじまじと見れば、それはヒースの時計だった。
「忘れてったんだな……」
――次に来た時に、返せば良い。理性はそう述べたし、忘れていった事については、今夜VRで話すか、トークアプリで送れば良いのだ。
が……手に取って時計をじっと見たら、胸が疼いた。前に、聞いた事があるのだ。
『この時計は、俺がVR医療を専攻する事に決めた時、恩師がくれたんだ。この時計をしていると、研究に身が入る。無いと、なんとなくやる気が出ないんだ』
ヒースにとってこれは、非常に大切なものなのだと、話していた時に伝わってきた。微苦笑していたヒースの顔を思い出してしまう。暫しの間迷ってから、俺は棚の前に立って、そこにしまってある、ヒースから送られてきた宅配便の箱を見た。
住所が書いてある……。
「届けた方が良いよな?」
感情がそうしろと言った。単純に俺が、ヒースが帰ってしまって寂しいから、というわけではないと思う。
「どうせ日中、俺は暇なんだし……新東京なら、日帰りも出来るしな。ちょっと届けて、すぐ帰るなら、迷惑にもならないよな……?」
ブツブツと呟いた後、俺はヒースのマンションへと届けに行く事に決めたのだった。
いつもは出迎えるだけのモノレールのホーム。
カードでゲートを抜け、俺はホームドアが開くのを待って、自由席に座った。昼下がりのモノレールは、それほど混雑はしていない。これまで俺は、新東京にほとんど行った事が無いから、とても遠いイメージだったのだが、いざ出発してみれば、すぐに到着してしまった。
現在、午後の三時半。そこから新東京地下鉄を乗り継いで、俺は新青山という駅で降りた。俺は鞄の中に、小さな箱にいれて大切に持ってきた時計を見る。マンションの宅配BOXにいれて、ヒースに連絡しようと考えていた。
住所を携帯端末に入力して、ナビを表示して俺は歩いた。すると――小雨が降ってきた。慌てて鞄をコートの下に回す。万が一時計が濡れて壊れてしまったら困るからだ。
「次は、フードつきのコートを買おうかな」
パラパラと降ってくる冷たい雨で、俺の髪が少し濡れた。その後霙が降り始めたのだが、その時には既にマンションが目視できたので、俺は走って難を逃れた。
巨大なエントランスホールがあって、コンシェルジュさんの姿が見える……。
俺は一階にポストや宅配BOXがあるはずだと、勝手に想像していたのだが、そんなものはなかった……。ただ、コンシェルジュさんがいるのならば、渡してもらえば良いのかもしれない。ぐるぐるとそう考えていると、二人いるコンシェルジュさんの片方と目があった。不思議そうな顔をしたその人は、フロントを出ると俺の方へと歩み寄ってきた。自動ドアは、そこで初めて開いた。
「何か御用ですか?」
「あ、あの……こちらに恋び……友じ……知人が住んでいるようで、俺の家に忘れ物をしていったから、届けに来ました」
「――お名前を伺っても良いですか?」
「ヒースです」
「? 外国の国籍の方なのですか、貴方は」
「え、あ、俺ですか? 俺は、子安高螺 と言います」
子供の子と、螺旋の螺――螺子……だから俺の渾名は、ネジなのである。
「では、ヒース様とはこちらのマンションにおられる方だと?」
「ええと……渾名です! 知人の名前は、荒地晃嗣 さんです」
「そうですか」
「もしかして、このマンションじゃありませんでしたか?」
「ご入居されている方のお名前をお伝えする事が出来ません。直接、ご連絡をなさって下さい」
それを聞いて、俺は何度も頷いた。セキュリティが硬いのだろう。確かに、もう、見るからに高級マンションで、マンションというよりホテルみたいだ。ひっそりと邪魔にならないように届ける予定だったが、仕方がない。
俺は携帯端末を取り出して、トークアプリでメッセージを送った。
『忘れ物を届けに来たんだけど』
『今どこにいる?』
『新東京』
『だからどこだ?』
『宅配便で見た住所のマンションに来たんだけど、すぐに帰るよ』
そんなやりとりをしていると、既読がついたままでメッセージが止まった。
――やっぱり迷惑だったのだろうか。
というより、住所を見て来訪するなんて、ストーカーみたいだったな、俺……。
「子安様ですね?」
その時、もう一人のコンシェルジュさんが出てきた。俺と、先ほどまで話していたもう一人が、そちらを見る。
「ただいま、荒地様よりフロントにご連絡がございまして、お通しするようにと」
「そうですか。これは、失礼いたしました。どうぞ、お入りください」
二人にそう言われて、俺は目を丸くした。それから促されるがままに、中へと入る。
「部屋番号は、101です。どうぞエレベーターで10階へ。ひと部屋しかひと階にはございませんので」
「は、はい……え? 行く? 俺がですか? 忘れ物はこちらでは、預かって頂けないんですか?」
「荒地様がすぐにお通しするようにと」
ヒースは、家にいるのだろうか……。
ただ、来いと言われているのだから、行こう。届けよう。それが目的だ。
頷き、俺はエレベーターに乗った。
10階に到着してエレベーターを降りると、目の前にホールがあって、その正面に扉があった。左右には窓がある。霙が降っている。エレベーター脇の観葉植物を一瞥してから、俺は扉に歩み寄った。そしてインターホンを押そうと考えた丁度その時――扉が勢いよく開いた。
「ネジ!」
「あ、ヒース……いきなり、悪いな。あ、あのさ、忘れ物――」
「濡れてるじゃないか。早く入れ」
「いいよ、すぐに帰る」
「風邪でもひいたらどうするんだ。いいから入れ。入れと言ったら素直に入れ」
険しい顔で、ヒースが不意に俺を抱きしめた。口調は俺様だが、優しい温度だ。
ヒースが俺の腰に腕を回して、グイと引き寄せると、中に入った。
エントランスもすごく広い。こんな高級マンションは、動画でしか見た事がないので狼狽えてしまう。靴を脱いだ俺は、ヒースに引っ張られるがままに、中へと入った。真正面にはリビングがあって、正面と右横の壁の部分が大きな窓だった。ビルが沢山見える。
俺はヒースの忘れ物を取り出して、テーブルの上に置いた。
そしてお洒落なソファや家具を見ていると、ヒースがタオルと服を持ってきた。
「シャワーを浴びて来い」
「え、いいよ? 大丈夫だって、このくらい」
「ダメだ」
ヒースが怖い顔で、俺を引っ張って、浴室へと連れて行った。オロオロしながら、俺は中に入る。二十四時間、お風呂が沸いているらしい。説明モニターがついていて、そう表示されていた。広いお風呂で、小さな温泉みたいだ。
せっかくなので、シャンプーも借りた。するといつもヒースから漂ってくる良い匂いがした。なんだかヒースに抱きしめられているような気分になってしまう。
そしてお風呂から上がると、タオルはそのままで、俺の服は……無かった……。ただ、代わりにシャツが置いてあった。
「ヒース、俺の服は?」
「洗濯に出した。すぐに洗って乾燥機にかけて持ってくるだろう」
「え?」
「それまで俺のシャツを着てろ。下着は新しいものをおろした」
俺は困惑しつつも、言われた通りにする。下着はなんとかはけるサイズだったが、シャツは完全にぶかぶかだった。手が半分ほど隠れているし、鎖骨も見えそうだ。体格の違いを思い知らされた気がする。
「水だ」
リビングに戻ると、ミネラルウォーターのペットボトルを渡された。お礼を言ってから、キャップを捻って飲んでいると、ヒースが時計を手に取った。そしてそれをはめながら、俺を見て苦笑した。
「有難う。今日は一日、これがなくて落ち着かなかったんだ」
「迷惑じゃなかったか? 来たの」
「迷惑? お前が来て、嬉しい以外の感情は、風邪をひいたらどうするのかという心配くらいだな。あとは――目に毒だな」
ヒースはそう言うと、俺の前に立った。ミネラルウォーターのボトルをテーブルに置き、俺はヒースを見上げる。
「このくらいで風邪なんかひかない。だけど迷惑じゃなくて本当に良かった。目に毒っていうのは、なんだ?」
「彼シャツ」
「へ?」
「ぶかぶかの俺の服を着てるネジは、犯罪級に可愛い」
「な」
その言葉に、俺は思わず赤面した。ヒースはそんな俺を抱きすくめる。そして俺の首筋を撫でながら、触れるだけのキスをした。
「着たばかりで悪いが、脱がせるぞ」
「え?」
「下だけ」
「!」
ヒースがもう一方の手で、さっき借りたばかりのボトムスをあっさりと脱がせた、下着ごと。突然の事に驚いていると、ヒースがニヤリと笑った。シャツが長いせいで、俺の太ももの途中まで隠れてはいるが、その下には俺の陰茎もまた隠れている。
「ぁ」
ヒースがその時、シャツの上から、俺の乳首をつまんだ。ピクンと俺の体が跳ねる。
「座れ」
「う、うん」
頷き、俺は、少し熱くなった体で、ソファに座った。そうしたら、その場で押し倒された。横になっても余裕がある広さだ。慌てて俺は起き上がろうとした。そしてペタンとソファの上に座り、足の間に両手をついた。するとヒースもまた起き上がっていて、俺をまじまじと見た。
「その姿勢は、なんなんだ?」
「え?」
「可愛すぎるだろ。狙ってやってるのか?」
「?」
「ネジに限ってそれはないな。寧ろ俺を思って、狙って欲しいレベルだからな」
ヒースの言葉の意味がよく分からなかった。その後、顎を持ち上げられて、何度も何度もキスをされた。この日、結局俺は、ヒースの家に泊まる事になった。なんでも朝は早かったが、その分ヒースは、早く帰ってきたため、マンションにいたのだという。
――この日の夜も体を重ねたが、ヒースは穏やかに俺を抱いて、一度だけ出すと、あとは腕枕をしてくれて、そうして寝るまでの間、俺達はずっと雑談をしていた。
一眠りすると、陽光が窓から差し込んでいた。
「次からは、必ず連絡をよこせ」
その後、ヒースがマンションのルームサービスで頼んだ朝食を一緒にとっていた時、そう言われた。ルームサービスがあるなんて、本当にホテルみたいだ。ただ冷蔵庫もあって、昨日の夜は、ヒースがご飯を作ってくれたのだったりする。
「うん」
素直に頷いた俺は、その後帰る前に、再びヒースとキスをした。昨夜の内に、俺の服は届いていたので、今日はそれを着て帰る。ヒースが俺に、マフラーを巻いてくれた。
「ネジ。愛してる。早く一緒に暮らしたい」
「俺もヒースが好きだけど、ちょっと生活レベルが違いすぎるぞ……俺、ここは自信がない」
「すぐに慣れる。まぁ、新居を探すのも良いけどな」
そんなやりとりをしてから、二人でマンションを出た。
新東京から戻るモノレールの中で、俺は本当に慣れる日が来るのだろうかと思案したのだが――……その不安は、後に解消される。しかしそれは、別のお話だ。
【終】
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