5 / 28

第3話 Fαte.

「い、泉さんどうしたんですか?」 泉が露骨に落ち込んだ表情でキャスト陣に囲まれているのを見た雪が心配そうに声をかける。 いつも明るい笑顔の泉さんがこの落ち込み様、只事じゃ無さそうだ。 合同休憩室には、井上夫夫と雪、泉に、その他ボーイをやっている男達が各々のソファやテーブルで休んでおり、嶺緒はまだ店に来ていないようだった。 「あー、嶺緒が他の男と出かけてんの見ちまったらしい。」 タバコを吸いながら億劫そうに辰公は落ち込んで目を腫らした泉を見やる。 「あははははwww泉フラれてんじゃんウケる!!ww」 泉の背中をバシバシと叩いて笑い転げているのは辰公の結婚相手の元親だ。 「フられてんのはいつもの事だろ、それ以上虐めてやんなよチカ。」 フォローしてるつもりの辰公が泉の傷ついた心を抉ると、泉は「ウッ。」と心臓を突かれた様な声を上げた。 「座れば?」と辰公が促すと雪が頭を下げて泉の隣に座る。 「てっきり僕は泉さんと嶺緒さんは付き合ってるもんだと...。」 チラと泉を気にしながら雪が辰公に聞くと、辰公はまた億劫そうに煙を深く吐く。 「んー、まぁそう見えても仕方無いだろうな。泉が1番仲良いし...。でも嶺緒が無理なんだよ。」 何か訳が有り気な言葉に、雪は引っかかった。 「無理って言うと....。」 一般的に、βとΩが付き合ったり結婚するケースは全く珍しくない。 寧ろ望んだ結婚をする事に難があるΩにとっては普通に扱ってくれるβとの結婚は多い程だ。 だが... 「嶺緒は“運命の番”が現れるのが怖いんだよ。だから誰とも付き合わない。」 “運命の番”が現れるのが怖いとはおかしな話だ。 大半のΩが運命の番という存在に憧れる。 白馬の王子様の様なものだ。 この世界中でたった1人、出逢ったらその人以外考えられなくなると言う遺伝子的に最高の相性を持った2人の事を言う。 過去も今も、関係なく互いを求め合う。運命としか言い表しようのないαとΩ——。 学者の中には、古代同じ地域で居た2人が、とか、魂が結ばれている、とかそう言った御伽噺の様な事言う者も居るが、実際可能性としてたった1人と出会うなんて不可能なわけで。 結局そんな話、ただの御伽噺でしかないと思う人間の方が多い。 僕もそのうちの1人だ。 「“運命の番”は確かにロマンチックな話ですけど、信じられないしホントだとしても出会うなんて不可能です。」 恐る以前に、ありえない。 「俺達もみんなそう思ってたよ。でも...。」 辰公が苦虫を噛み潰したような顔で口籠る。 話をしたくないと言うような様子でそのままタバコを口に咥えると、先ほどまで項垂れていた泉が代わりに声を出した。 「その辰公と元親が、“運命の番”なんだよ。」 泉の一言で場の空気が一瞬にして凍りつく。 「え....、そんな事ってあるんですか??」 雪は目を丸くすると辰公と元親を見つめた。 「その運命の2人が出逢わないとわかんねぇよ。見た目だけじゃ何も。でも本やテレビであるほどロマンチックで生易しいもんじゃない。互いの今までの人生がぶっ壊れるんだ。」 僕らが可愛いアニメや映画で見る様な“運命の番”を題材にしたストーリーを想像する上で『人生がぶっ壊れる』だなんて物騒な事、微塵も想像付かない。 僕自身、もしそんな運命的な出逢いがあるのならば、『楽しくて嬉しくてハッピー』みたいな、そんな空気を想像していた。 でも、ここに居るみんなが、険しい顔でその話を嫌がる程、“運命の番”とは幸せと紙一重なんだと思い知る。 「みんな顔こわー。チカ、オーナーと遊んでくる〜。」 つまらなさそうにした元親が部屋を離れると、仕事の時間のアナウンスが鳴り、ボーイ達もオープンの準備で部屋を離れていく。 ポツンと雪と落ち込んだ泉と辰公だけが残る。 「お前が聞きたいなら話してやるよ。Ωなら興味あんだろ。」 元々クールな顔をしている辰公だが、タバコを消して話す準備を整えると、尚更表情から色が消えていく。 「いいんですか...?あんまり気分のいい話じゃ無さそうですけど...。」 「お前が夢見ないように話してやるって事だよ。」 厳しい言葉に一度は気が引けたが、覚悟を決めると「お願いします。」と話を聞く事にした。 辰公さんが語ったその話は、僕が思ってるより強烈な話だった。 今から2年前。 俺は25、嶺緒は22、泉は22だけどまだ入ってまもなく、泉は誰ともペアは組んで無かった。 元親は19だからそもそもこの店には居ない。 俺にとってこの業界は天職で、男も女もΩもβも顔が良ければなんでもいい俺は選び放題食い放題って感じだった。 その中でも俺が23の時に新人研修をした嶺緒は飛び抜けてセンスが良かった。 嶺緒はボーイの時からファンが着くほど人気だった。 1回目の研修から嶺緒とは相性が合う事も分かってたし、αにとってΩのフェロモンは媚薬でも使ってるような中毒性があった事から、舞台の上でも休憩室でもヤりまくってた。 あいつとヤった奴はみんなあいつを好きになる。それで嶺緒と一回でもペアになれば、ネコだろうがタチだろうが恋に堕ちて辞めていく。 だから俺はオーナーからの頼みで嶺緒専属のショー相手としてペアになった。 生憎俺は、特定の相手と恋愛をするタイプじゃなかったから、オーナーも俺が嶺緒とペアになるのが都合が良かったらしい。 嶺緒は今も昔もプライベートでセックスはしないし人付き合いも無い。それに比べて俺がどんな奴とヤっても嶺緒は俺に抱かれるし「好き。」とさえ言ってた。 俺にとって嶺緒は都合がよかった。だから俺も嶺緒を好きだった。 ショーに関しては、2年前は今の泉と嶺緒の立ち位置が俺と嶺緒だった。 「タツ、また別のフェロモンの匂いするけど。」 嶺緒が辰公の身体の匂いを猫のように嗅ぐと不機嫌そうに休憩室のソファーにもたれかかる。 「Ωとヤってきたから。」 悪びれた様子もなく答える辰公はタバコを吸った口でそのまま嶺緒の唇に触れる。 「やめろよ。俺タバコ嫌いなんだよ。」 入ってこようとする舌を拒むと、辰公から逃げた嶺緒はショーの準備の為に衣装である股上の浅いズボンを履こうとしていた。 「俺のことは?」 タバコを灰皿の窪みに置くと、辰公も衣装に着替えながら意地の悪い顔で嶺緒に質問を投げる。 「まぁまぁ好きかな。気持ちいいし。」 嶺緒が適当に答えると後ろから辰公の手が嶺緒の胸に滑り込んでくる。 胸の突起を優しく撫でると、嶺緒から小さく声が漏れた。 「本番前なんだからフェロモン出せよ、嶺緒。」 乳首を摘むと、爪先で軽く引っ掻き、また摘む。ピクリと小さく跳ねる嶺緒が余裕の無い表情へと変わっていく。 「ん...っ、タツ、まだ着替え、終えてない...。」 唇を噛み声を我慢する嶺緒の首筋からふわりと甘い香りが漂ってくる。 嶺緒の首筋に鼻先を当ててすーっと深呼吸をすると、身体を火照らせるような、ゾクゾクとした快感が内側から沸き立つように巡る。 「はぁー...、コレが無いとショーに出れねーよなぁ。」 嶺緒のフェロモンから得た快感をゆっくりと味わうように呼吸をすると、嶺緒の耳を舌先でなぞり軟骨に着いたピアスを引っ張るように噛む。 「んんっ...や、ぁ、くそッ...もういいだろ...!」 振り返る嶺緒の口内を犯すように舌を入れる。 「はンぅ...っおぃ、やめ...ろって...!」 タバコの味で嶺緒の顔が歪むも、受け入れた舌を絡ませると身体の力が抜けていった。 Ωは大抵そうだ。αの体液が入ると、従うように力が抜けていく。 Ωなのに俺と変わらないくらいの身長の嶺緒を、綺麗な顔を、俺が支配していると思うと、随分と気持ち良くなれた。 「ん、んぅ、タツ、もぉ...ちから入んね...。」 ちゅっちゅっ と響くリップ音が静かな休憩室に響いてゆっくりと嶺緒が地面へ落ちていく。 床に四つん這いになって荒く息をする嶺緒を見下げると手を差し出す。 「ごめん嶺緒。やりすぎた。」 嶺緒が手を取ると辰公の顔も見ずに静かに服を着替える。 嶺緒の機嫌を損ねてしまった。いつもの事だが。 着替え終わった俺は吸いかけのタバコを咥えると、丁度スタッフから声がかかり、俺と嶺緒は舞台裏までの導線を通った。 「...本番でヤればいいだろ。この絶倫。」 本番前に嶺緒が悪態をつくのは毎度の事だ。俺は嶺緒のフェロモンの香りで気持ち良くなって本番を迎えて、そんな俺の為に本番前に体力を使うのが嫌な嶺緒とはこうしてよく喧嘩になる。 んで俺が、嶺緒をショーで抱き潰す。 いつもの流れ。いつもの日常のはずだった。 しかしこの日のショーが嶺緒との最後のショーになるとは俺も嶺緒も思ってもいなかった。 露出度の高い服で、激しい音楽と共に舞台へ出る。フラッシュもレーザーライトも激しく、そんな中で観客の目の前に立つ、辰公のパンツを嶺緒が口で脱がしていく。 ずらしたパンツから、溢れ出る反り勃った辰公のモノを口に含むと舐める時間も与えず辰公が嶺緒の頭を押さえつける。 「ん゛くっ...はえーよ...!」 無理矢理口の中にモノを押し込まれた嶺緒が俺を見上げて睨みつける。 そんな嶺緒の後頭部を両手で掴むと、激しい音楽に合わせて出し入れを繰り返した。 「んぅ゛っ、ん゛くっ、う゛ぅッ、んぐ!」 いやらしい顔で苦しそうに喘ぐ嶺緒の顔が好きだった。こんなに苦しそうに声を上げていても客には届かない。 それ程の音が大きなスピーカーからガンガン音楽が鳴っていた。 音は聞こえないが嶺緒の口から溢れた俺のガマン汁なのか嶺緒の唾液なのかわからなくなった透明な液体が、糸を引きながら嶺緒の喉から胸に流れていく。 嶺緒の口から頃合いを見てモノを引き抜くと、自分でモノを扱いて派手に射精する。 「んあ...。」 下で口を開けた嶺緒の口内に入る様に、顔にかかる様に飛ばすと顰めた眉で嶺緒が俺の精液を飲み込む。 「脱げよ、嶺緒。」 嶺緒にだけ聞こえる声で話すと、大人しくズボンを脱ぐ。 嶺緒を仰向けに足を上げさせるとひっくり返ってしまいそうなほど抱え上げて挿入する。 「んア゛ぁ!!おまえ...ッ!!指くらい一回入れろよ...!!」 フェラと顔射だけでぐちゃぐちゃになった嶺緒のケツに無理矢理ねじ込む。 だが何度も俺のモノを咥え込んでいる嶺緒のケツは拒む事なくすんなりと俺のモノを受け入れる。 「準備なんて必要だったか?」 口角を上げると笑みを見せる目が細まり、悦に浸るような表情で辰公が見下ろす。 休憩室で触った時から溜まっていた愛液が穴と俺のモノの間から溢れ出し、嶺緒は悪態を吐きながらもとろりと表情が快感に負けた様に緩んでいく。 「んあぁ、や、ば...っ!アッ、んくッ!っう!」 余裕がない嶺緒が切なそうに顰めた顔ではぁはぁと整わない息をを漏らす。 嶺緒の言葉とは裏腹に滑りの良くなったナカを掻き乱すように何度もピストンを繰り返す。 「あ〜、ヤバ...お前、本当に抱かれるの上手いな。」 俺が腰を振って2回目の射精へ向けて、スピードを上げていく時点で、既に嶺緒は透明な愛液をモノの先から垂らし、自身の腹部を伝ってステージへ溢していた。 「お前、もうイってんぞ。嶺緒。あと少し時間があるってのに...。」 ニヤニヤと嶺緒を見下ろした時、ふわりと甘い香りが香る。嶺緒のフェロモンとは違う、嗅いだことのない匂い。 その匂いを嗅いだ瞬間から、ふと集中力が途切れた。一瞬で、セックスから突き放され、自分だけの静かな場所に立たされた様な感覚。 濃くて、深い、まるで俺を誘き寄せる為だけに咲いた花の蜜でもあるかのような不思議な匂いがー辺りを渦巻く。俺もまんまと引っ掛かった虫の様に匂いの元が何なのか、辺りをキョロキョロと探す。 「おい、タツ?」 嶺緒には、ショー中にセックスの動きが緩まった辰公が周りをキョロキョロと何かを探す様に見渡している事に疑問を感じていた。 そんな中俺は何故だか匂いの元が何処にいるのか何となく分かった。見渡す客席の1番奥に目を凝らすと、小柄な男が此方を見ていた。 目があった瞬間激しい電撃でも浴びたかのように脳が、身体が、痺れた。 同時に、高熱にでもなったかの様に身体が発熱していく。 ガンガンと頭の中で鐘が鳴る様に揺れ、目があったそいつの事以外何も見えなくなった。 そいつと俺だけの時間が流れる。 だがそいつはキョロキョロと周りを見ると何かから逃げる様に客席から逃げて行った。 そこから俺はよく覚えていない。 嶺緒の話だと暫くぼーっとしていたらしい。 「おい、タツ、タツ!!」 嶺緒が辰公を揺するも、はぁはぁと獣のように肩を上下させるだけで声は届かない。 観客もどうしたんだとひそひそと話し始める。 暫く揺すっているとどこかから戻ってきたかの様にハッとした辰公と目が合う。 「運命の...番だ。」 辰公の瞳孔が開き、獣の様な目で俺を見るとはぁはぁと肩を揺らし、苦しそうに息を吐く。 「何言ってんだよ...?」 状況が理解できない嶺緒が戸惑いながらも周りを見渡すと、ピンク色の髪の男が走っていくのが見えた。 (もしかしてアイツのことか...?) そう勘ぐっている隙に辰公がみるみるおかしくなっていく。 「ア゛アァ...クソッ、クソッ...!」 頭を抱えて苦しそうに呻く辰公が嶺緒の肩を掴み爪を立てる。 「イッ...て、...なんなんだよ...!」 痛みに耐えながら、嶺緒は必死に考えた。完全に理性が飛んでいる辰公と、どううまくこのショーを切り抜けたらいいか。 だが辰公は、居なくなった男を追うために腰を上げようとする。 「んあぁァッ...!!…っお前、何処いく気だよ...!」 未だ萎えない辰公のモノが、ぬるりと体から抜けようとするも嶺緒がしっかりと腕を掴みしゃがませた。 嶺緒の中で、いつもクールな辰公の獣の様な本能剥き出しの姿を見て辰公の言葉の信憑性が増してくるのと同時に、まさかという疑念が葛藤する。 掴んだ肩を握り締めながら辰公のダラダラと口から垂れる涎が、嶺緒の胸にぽたぽたと滴り落ちる。 「嶺緒ッダメだ俺、自分を...コントロール出来ないッ...!」 熱くも無いのに汗まで垂れてくる。 辰公の中で恐怖と、混乱と、欲望が冷や汗となって流れ出る。 嶺緒はそんな辰公に抱きつくと耳元で震えた声で言い放った。 「...お前、そいつのこと犯したいんだろ...!?だったら代わりに俺をヤれよ!そいつを客の目の前で犯して店潰す気か!?ここを潰したらマジでぶっ殺してやるからな!」 嶺緒が話切るとすぐに嶺緒は首筋に痛みを感じた。辰公の突き立てた歯が、首を肩を胸を何度も噛みながら、ナカをぐちゃぐちゃに掻き乱す。 「ッイ...ッア゛ァ、いってぇ...ん゛ンッ...クッソ...。」 噛んだ傷跡に唾液と汗が滲みていく。 まるで獣にバリバリと身体を食われている様な感覚に陥る。 (マジで抱き殺される....。) 痛みと同時に突き抜ける様な快楽が同時に押し寄せ、嶺緒の頭がキャパを超えそうになっていた。 「嶺緒...!嶺緒!!!」 遠のきそうな意識の中で声の方を向くとオーナーが舞台下からこちらを見ていた。 何やら異変が起きていると察知したんだろう。 このままオーナーと大きい声で話すと舞台下の客に全部聞かれてしまう。 そう思った嶺緒はカメラマンを呼ぶと、発情しているピンクの髪のガキを捕まえてくれと頼んだ。ショーはこのまま続ける。と。 恐らく、このまま辰公と彼が会えない様な事になれば、何かが良くないと直感的にそう思った。だから『追い出してくれ』とは言わなかった。 オーナーはカメラマンとひそひそと話すと、走って客席から裏口へと抜けていった。 余裕のあるオーナーがあんなに顔面蒼白になったのを見たのは初めての事だった。 嶺緒はトびそうな意識をギリギリ保ちながら、痛みと共に何度もイかされ、辰公の精子を何度もナカで受け入れながら、ショーの時間いっぱいまでそれが続いた。 暗転して、観客も「何かの演出の一部だったのだろう。」と思える程度には嶺緒が辰公を上手く収めた。 嶺緒は辰公を引きずる様に舞台裏へと連れてくると、思いっきり顔を叩いた。 誰も嶺緒を責める者は居らず、ただ舞台裏で俺の頬が叩かれた音だけが響き、スタッフもみんなまるでお通夜の様に静かに項垂れていた。 一方で、俺は散々嶺緒に欲望を吐き散らした事で少し正気を取り戻していた。 「ごめん。」 それしか出てこなかった。その日スタッフもΩは全員強制的に俺に近づけなくなり、嶺緒に投げ渡されたバスローブを着るのでさえ俺は情けなくなった。 「嶺緒!?傷だらけだ...どうして...。」 βとαのスタッフだけ残されたこの日、泉は嶺緒の学生時代からの友人ということで、怪我の手当のためにホールから呼び戻されていた。 嶺緒はバスローブの下で小さく震えたまま、何も話さない。 ただ、辰公の体や口の端に着いた小さな血痕で泉は状況を理解した。 「あんた...!嶺緒に噛み付いたのか!?」 辰公はただ、「ごめん。」と何度も言うだけでそれ以上何も言わなかった。 泉も憔悴した辰公の顔を見て、それ以上何も咎めなかった。 「嶺緒っ、頸は?!怪我は!?」 焦りを見せながら泉は嶺緒に抱きついていた。 「...俺は大丈夫、頸も、仰向けでヤってたから噛まれてない。それより泉、ちょっと俺疲れちゃった。肩貸してくんない...?」 嶺緒はストンとソファに座ると、泉の肩でスゥっと一瞬で眠ってしまった。 泉は嶺緒が眠りながら一滴だけ溢れた涙を見て心が痛くなった。 一方で、嶺緒が俺を抑えている裏でピンクの髪の男が、トイレで発情し震えているところをオーナーが保護した。その男が元親だった。 元親は、一度俺を外で見かけたことがあったらしくその時に何か運命的なものを感じたんだと言っていた。 でも19歳で未成年だったため店には入れなかった事を理由に一度は断念した。しかし発情期が来た時、俺を思い出しどうしても会いたくて受付の静止を振り解き俺に逢いに来たんだとそう語った。 表沙汰にはならなかったものの、今まで起きた事のないような異常事態に、オーナーもキャストも運命の番や第二性について重く受け止める出来事となった。 俺たち当事者はオーナーの提案で、俺も元親も一泊して冷静になってからオーナーや嶺緒含めて話し合いをしようと言うことになった。 次の日俺と元親は初めて顔を合わせた。 初めてなのに、互いを知らないのに、俺は目の前のただのガキが愛しくて仕方がなかった。 俺と元親は互いの名前も聞く前に抱き合って熱い口付けを交わした。 今まで言ったこともない「愛してる。」と言う言葉が何度も何度も勝手に出てきた。 元親も「愛してる。」と言いながらぼろぼろと涙を流していた。 今すぐ頸に噛みついてやりたいと思ったが、話し合いの為に元親は抑制剤を多めに服用していたし、俺は昨日の事を思い返し罪悪感でそれ以上の事をする気にはならなかった。 「これから仕事はどうするつもり、辰公。」 オーナーが真剣な面持ちで問いかける。 「暫く、他の人間は抱けません。」 いつもはタメ口で話す仲だが、その日は上司と部下として真剣に話をした。 俺の言葉を聞いて、はぁーっとため息を吐くとオーナーは頭を抱えた。 「でも、此処には居させてください。恩を返したいんです。何でもやります。」 俺が頭を下げる。オーナーは悩んでいる様子だった。もう二度とこんな事は起きないだろうが、次の日普段と変わらずに...とは行かない。その時、元親が恐る恐る話し始めた。 「僕、まだ19ですけど、もしオーナーが良ければ、ショーでも雑用でも何でもやります。この人が、このお店にとって大事なら、僕はこの人がお店に居られるように身体でも何でも使います。だから、僕のせいで、この人を辞めさせないでください。」 徐々に込み上げてくる涙が元親の頬を濡らす。 頭を下げていた俺も元親の声を聞いて何故か涙が止まらなかった。 「元親くん、この業界は本当に性に合わなければとてもキツい業界なの。生半可な覚悟じゃやっていけない。それでも辰公のために働くのね?」 「なんでもしますっ...!」 覚悟を決めた元親の真剣な目が、どんな苦しいことでも乗り越えてくれる様に感じ、入社を許可したと、その後オーナーは教えてくれた。 「辰公、暫く仕事休みなさい。その間元親くんにはボーイとして貴方の穴を埋めてもらうわ。その後貴方を何処で働かせるか決める。貴方が何処でだったら、働けそうかもその時改めて聞くわ。」 この決定がオーナーの最大の配慮だった。 俺は涙が止まらなかった。 何度も「ありがとうございます。」と頭を下げ続けた。 人生でこれ程誰かに感謝し、頭を下げたのは初めてだった。 またいつから元親が働くかと言う事に関しては、オーナーから追って連絡すると言う事で話がまとまり、俺と元親は会議室を出た。 嶺緒は話していたその場にこそ居なかったものの、ドアの横に立って中の話を聞いていた。 嶺緒はタートルネックでも見えてしまう噛み跡を包帯で巻いて隠しており、それ程激しくしてしまったのかと理性がトんで曖昧な記憶の俺は罪悪感に苛まれた。 「嶺緒、悪い...俺。」 「いいよ。別に。痛かった事はムカつくけど、店は無事だったし。」 それだけ言い返すとくるりと踵を返すし嶺緒はその場を離れる。 「お前さ、俺を...。」 「辰公を、何?」 『好きだったんだろう』と聞くつもりだった。 でも痛々しい表情で見つめる嶺緒に、それ以上何も言えなかった。 「なんでもない...。」 言ったところで、嶺緒を傷つける。 そして元親の横で、嶺緒と俺の関係を話す事は元親も傷つける。 嶺緒の優しさの結果が俺と嶺緒の関係を無かった事にする事だった。 俺と嶺緒の曖昧な関係は此処で終わった。 「ねえ、たつきみの事、タツ...って呼んでもいい?僕のことは、チカってよんでよ。」 大きな瞳で見つめる元親のいう事を俺は何でも叶えてあげたくなる。これが運命の力なのかと驚かざるを得ない。 俺は自分の為に生きてきた人間だ。他人の言う事を易々と聞くような性格ではなかった筈だった。 「あぁ、分かったよチカ。」 俺たちはぎゅっと抱きしめあった。 今まで抱きしめた何よりも愛情を感じた。 だがチカは浮かない顔をしていた。 何か引っかかるようなそんな面持ち。 「チカ?」 「タツ、あのね、チカはね...彼氏がいるの。だから...。」 元親がこの先何を言おうとしているのかなんとなく察しがついた。 俺と元親はすぐには結ばれない。 抗えなかった本能の前に、俺にもチカにも関わっていた人達がいる。俺とチカが結ばれる事で、今のままではいられない人間も多く居るんだ。 嶺緒や、元親の彼氏のように。 俺と元親の出会いをきっかけに、周りの人間関係は大きく変わる。そして同時に崩れて行くことにもなるのだった。

ともだちにシェアしよう!