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第4話 逆上

チカが話すには、チカの彼氏は相当なクズのβだった。未成年のチカを売春させ、チカの持って来た金で生活をしているような男だった。 チカの身体には所々アザがあって、怒ると叩かれると話していた。 それだけでも頭に血が上りそうな話だが、長年彼氏の言う事に服従していたチカにとって別れを告げることも、本当に別れても良いのか自分では判断のできない事だった。 今こうして俺を好きになっているのも、チカにとっては彼氏に悪い事をしたと怯える要因になっていた。 「チカ、俺と彼氏どっちが好き?」 「もちろんタツが好きだよ。でも...。」 不安そうにオドオドするチカを抱き寄せる。 自分の意図しない心移りだ、まだ不安が消えないのは無理もない。 「大丈夫、分かってるよ。怖いなら俺がついて行くから、一緒に話しに行こう?いいね?」 元親の頬を両手で包み、優しく言い聞かせるとチカは頷く。 抱き寄せたチカの額にキスをすると頭を撫でた。 俺よりも30cm近く小さいチカの心臓が緊張でバクバクと脈打つのを肌で感じる。 チカからは彼氏に対する緊張と恐怖を感じる。 俺はチカをこんな風にした彼氏を、最悪、殺すつもりで会いにいった。 しょぼいアパートの一室に「ただいま...。」と恐る恐るドアを開けるチカに怒号が飛んでくる。 「お前携帯も置いて何処いってたんだよ元親!!!」 男が玄関まで機嫌が悪そうな足音で近づいて来るも、チカの後ろに立っていた身長のでかい俺を見て怖気付いたのか言葉を失う。 「誰だよあんた...。」 「それについて話がある、中失礼するぞ。」 靴を脱いで強制的に上がり込む。 中は散らかしっぱなしの服やら、酒の空き缶やらタバコの吸い殻が散乱していた。 典型的なクズの家。 此処で話すのかと思うとかなり気が遠くなる。 チカは俺の後ろにくっついて離れなかった。 彼氏をそれ程に恐れていた。 そんなの恋愛とは言えない。 適当に座れる場所に座って、タバコに火をつける。 「俺は、井上辰公。元親と別れて欲しくて話に来た。」 要件だけ伝えるとふうとタバコを吐く。こんな汚い部屋で、どんなにタバコをふかそうと、誰も文句は言わないだろう。 「はぁ?何言ってんだお前。元親は俺のだぞ?αだからってなんでも手に入れられると思うな。なぁ元親。俺の所に帰ってこいよ。」 αの俺を目の前にして、男の表情に僅かな緊張を感じる。しかし、俺の横で震える元親を見て男のその表情の固さは消えていく。 「も・と・ち・か。聞こえてんだろ。一回しか言わねぇっていつも言ってるよな?」 びくりと元親の肩が跳ねると元親は握っていた俺の服を掴む手を緩めた。 元親の目が恐怖に染まっていくのがわかる。 元親はスッと立ち上がると、何かに脅されているように男の隣に座った。 「チカ...!!」 まさか元親が此処まで心を支配されているとは思っても居なかった。 彼氏がそれだけ今までに元親を怯えさせるような事をした積み重ねが元親を操り人形にしているのだとそう感じた。 運命の番だなんて嘘かもしれない、そう心に不安がよぎるほどに、元親の顔は彼氏からの支配と恐怖に包まれていた。 しかし、元親は覚悟を決めたように真っ直ぐに男の目を見ると土下座をした。 「ひーくん、チカねもうひーくんとは一緒にいられない...っ。ごめんなさい。」 土下座をした小さな体が小刻みに震え、潤んだ声で涙を流そうとしているのがわかる。 元親なりに、ちゃんとケジメをつけようとしていた。俺からではなく自分の力で。 「...はぁ??ふ、ふざけんな!!!!!!」 男も震えた声で怒鳴る。 動揺した男は元親の頭を踏みつけると髪を掴んで引き上げた元親の顔を殴りつけた。 ガッ、と鈍い音が元親に痛みを与える。 「ッあ゛...っうぅ...。」 元親は男に吹っ飛ばされると、痛々しく赤くなった頬を抑えて潤んだ瞳から涙を零しながらしゃがみ込んだ。 その途端俺は理性ってもんがどっかに行ったみたいに、男に飛びかかっていた。 体格差、持って生まれたフィジカルの違い。αの俺は簡単に男を組み敷くと、男の顔面を殴りつけていた。 煮えたぎった血が、手から溢れ出しているのかと思ったくらいに生温い血が手を覆う。 「やめて!タツ!死んじゃうよ!!死んじゃう!!」 顔を腫らした元親が俺の服にしがみつくも、その小さな体じゃ俺は止められない。 「殺す。」 ただ必死に追い縋る元親なんて頭にはなく、ただ大事な物を傷つけたコイツを『殺す』と、それだけで頭がいっぱいだった。 手から血が出ているのか、相手の鼻血がついているの分からないほど相手の顔も俺の手も血塗れになっていく中、ドタドタと大きな足音が玄関から近づいてきたかと思えば、気づいたら俺は殴られていた。 仰向けに倒れた俺に跨ると殴った奴は俺の胸ぐらを掴む。 「辰公おまえ...元親置いて、刑務所にでも行くつもりか!!!?ふざけんな!!」 俺に跨って、でけー声で怒鳴ってんのは、嶺緒だった。俺と元親が心配で、付けてきていたらしい。 「あぁ?嶺緒なんでお前が...。」 頭に血が上ってぼうっとした意識で嶺緒を見上げる。今でも思い出せる。嶺緒の、哀しさと怒りが混じったような複雑な表情。 嶺緒のお陰で少し怒りの熱が引いたと言え、俺はそう簡単に冷静にはなれなかった。 「なんでお前がじゃねーんだよ!元親、あとは俺に任せろ。タツ連れてタツんち帰れ。」 嶺緒は、錯乱しながらタオルで彼氏の顔面から流れる血を何度も何度も拭っていた元親を俺に押し付けた。 「でも...。」 戸惑う元親を押しのけると、嶺緒が倒れた男の溢れる血をタオルで抑える。 「心配すんな。な?行ってくれ。」 嶺緒は元親が不安にならない様に笑顔を向けると、元親はその場に残ろうとする俺を強く引いてクソみたいなアパートを出た。 俺と元親は俺の家に帰った。 俺は手の甲を派手に怪我していたが、殴っている時はアドレナリンが出ていたのか痛みも感じず気づかなかった。 元親は家に帰るなり大泣きして暫く俺のそばから離れなかった。 俺が居なくなるのが怖かったらしい。 ぎゅうっと抱きしめる小さな体が、しがみつくその背が、抱きしめ返せば壊れてしまいそうなほど華奢で、そんな元親にはもう俺しか居ないし、俺にはもう元親しかいない事を互いに感じる胸の苦しさで知った。 「ごめん...元親...。やりすぎた、怖かったな...ごめん。」 そっと壊れないように抱きしめると、大泣きしている元親が手を伸ばし、俺に顔を近付け、口付けをした。 「もうどこにも行かないで..!チカにはもうタツしかいないの...っ!悪い事して離れ離れになんてなりたくないよ!」 ぐちゃぐちゃに泣き喚く元親を包み込むように抱きしめ、何時間も何時間も抱き合ったまま俺たちは夜を過ごした。 もう離れないと約束する為に、その日俺は元親の頸を噛んで、番になった。 そっから暫くして店に顔を出すと、俺の噛んだ跡でショーに出られなくなった嶺緒が1ヶ月の療養中に傷害事件を起こして逮捕されていた事を知った。 あの日俺と元親を先に帰した嶺緒は、救急車を呼び、そのまま俺の肩代わりをする形で逮捕されたらしい。 男の怪我は鼻の骨折で済んで、10件以上の余罪が出たことから嶺緒はお咎めなしで済んだ。 これがもし俺だったら、冷静な判断もできず、ただ殴って、救急車も呼ばず見殺しにして、元親を1人にしてしまっていたんだろう。 嶺緒には今もその恩があるし、元親も嶺緒に感謝している。 俺は俺で、番になった事をきっかけに元親と籍を入れた。俺は元々仲の悪かった親に勘当され、元親は元彼と住んでいた家を出た。 俺は親に勘当された事で、αとしての地位も名誉も失った。 今回この件で、嶺緒も、泉も傷つけた。失ったものは多すぎた。 でも代わりに元親が俺のそばに居る。 俺は元親以外何もいらないと、今は思えるが、誰かに支えて貰わなければ俺も元親も幸せにはなっていなかったと感じる。 「元親がいなきゃこうもなってないが、元親がいないと俺は今の俺で居れないんだ。皮肉だよな。お互い好きってだけでどっちの人生もぶっ壊れた。まぁ別に後悔はしてないけど。」 辰公はまたタバコに火をつけると気怠そうにタバコを吸った。 「もう僕、『運命の番に憧れる』なんて言いません...。」 話の壮絶さにサッと血の気が引いてしまった雪は、夢が壊れて少しショックを受けていた。 「ハハ、そりゃいいね。いい事ばっかじゃねーよ。運命の番なんて。」 意地悪な顔でヘラと辰公が笑う。 「んで話逸れたけど、嶺緒は目の前で俺がおかしくなったのを見てる。俺と元親の周りが傷ついたり、壊れたりしてるのを知ってる。それであいつはΩで、βの泉と付き合えると思うか?泉の事が大切であれば大切である程、嶺緒は自分の中の本能が怖くなるのも仕方ないだろ。」 無言の泉が眉を顰め苦悶の色が見える。 確かにありえない事だとしても目の前で起きれば、『次は自分もそうなるかもしれない』と恐れるのは当たり前のことだ。 重い空気が漂う中、何も知らない嶺緒の声で皆は項垂れた頭を上げた。 「おつかれー、何の話してんの?」 いつも通り部屋に入ってくる嶺緒の右手には、機嫌の悪そうな元親がガジガジと噛みついていた。 「嶺緒さん...なんか腕噛まれてますけど...。」 誰もがぽかんと呆気に取られた顔をしていると、気にする様子もなく嶺緒は買い物袋を雪に渡した。 「雪、今日から正式入店でしょ?おめでと。甘いもの、好きだといいんだけど。」 渡された袋の中を見ると、高級洋菓子店のシュークリームが入っていた。 「これ...!すごく美味しいやつじゃないですか!」 雪が目を輝かせて嶺緒を見ると嶺緒が優しく微笑む。 「多めに買ってるからみんなで食べといて。」 そんな中でも「ウウゥ〜!」と唸ったまま嶺緒の腕に噛み付いている元親が気になってしょうがない。 チラチラと雪が嶺緒の腕に目線を当てると嶺緒が思い出した様に口を開く。 「あぁ、なんかチカがオーナーと腕相撲してて俺に挑戦して来たから、瞬殺してやったらチカ怒っちゃって...。」 「それで噛まれていると...。」 状況は理解できても納得はできない状況に雪は疑問符を浮かべ続ける。 「ムキムキ野郎〜...!腕折ってやる...!!」 元親はガジガジとよだれを垂らしながら噛み付くと獣のように唸りながら嶺緒を睨みつけた。 「チカ、俺が相手してやるよ、おいで。」 仕方がなさそうに、タバコを吸っていた辰公がタバコを灰皿に戻すと腕を捲り上げてテーブルの上に肘をついた。 「オッケー!!」 と意気揚々と駆け出した元親に齧りつかれテカテカと涎まみれになった腕を嶺緒は呆れる様子もなく静かに拭いた。 (元親さんっていつもあんな感じなのかな?) と、年上とは思えない無邪気さに雪は少し戸惑った。 「よーい、ドン!!」と勝手な合図で元親が辰公と掴んだ腕をグイーーっと曲げる。 辰公と元親はいい勝負をしながら、結果元親が勝利した。 「うわーい!!」 喜ぶ元親を横目に泉も嶺緒も口々に「過保護め。」「手ぇ抜いたな。」と呆れ顔で見つめていた。 元親は勢いで辰公に抱きつくとそのまま当たり前のようにキスをし、そのキスはどんどんエスカレートしていく。 「んぅ〜、タツぅ、すきぃ〜♡ 」 雪が赤面して2人を眺めるなか、嶺緒と泉は相変わらずの呆れ顔で、嶺緒は泉の隣に足を組んで座る。 「お前ら雪がビビってんだろ、個室でやれよ...。」 外から買って来たコーヒーを嶺緒は一口含むと、携帯を眺め誰かとメッセージのやり取りをしているのか何かを熱心に打ち込んでいる様子だった。 「そういえば嶺緒さん、昨日みんなより早めに帰ってたけど大丈夫でしたか?」 ピクリと嶺緒が反応する。 「な、何が?」 携帯からバッと顔を上げた嶺緒が雪を見る。 「店の前の路地の入り口付近で、喧嘩があったらしく、僕と泉さんが帰る時には警察とか倒れた男とか結構騒然としてたので...。」 「俺は知らないな。まぁーうちの周り治安悪いからなぁ。」 嶺緒は昨日の朝方の事を訊かれたわけではないとわかりほっと胸を撫で下ろした。 別に隠すことじゃないけど、何故だかあまり皆に知られたくはなかった。 「でもさ、あんな倒れて気失う感じでボコられてるやつ久しぶりに見たよ。やっぱこの辺治安悪いんだーって再認識したね。」 泉は前のめりに話すと、雪もうんうんと頷き随分と騒然とした現場だった事を物語る。 「雪、帰るときは気をつけろよ。」 相槌のつもりで話に入り、コーヒーを口にすると周りの視線が嶺緒に集まる。 「気をつけるのは雪じゃなくてお前だろ嶺緒。」 にぃっと辰公が悪い顔で笑むと疎ましそうに嶺緒が眉を顰める。 「あーもういいだろそれ以上は。」 何かこの先の話を遮るように嶺緒が声を張ると、元親もニヤニヤとしながらまるで噂をする近所のおばさまの様に話始める。 「嶺緒ちゃんは喧嘩っ早いデスカラネ〜!気をつけないとダメヨ〜?」 ひそひそと耳打ちをする様なポーズをとりながら辰公と元親がニヤニヤと笑みを向ける。 「嶺緒さんっていい所のお坊ちゃん...って感じの雰囲気有るんですけど、喧嘩なんてするんですか?」 雪が投げかけた質問に嶺緒はピクリと眉を動かすとクスクスと元親と辰公が笑い出す。 1番聞いて欲しくなかった質問が飛んできたことに嶺緒は憂鬱そうにしていた。 「嶺緒は皆に優しくて紳士にしてるけど、本当は真面目で頑固で、喧嘩になったらすぐ手が出っ—— 「それ以上は俺のイメージに関わるからやめろ。」 困ったように嶺緒が泉の喋り出す口を押さえると辰公と元親はゲラゲラと笑い転げた。 「最近は大人しくしてるだろ!?」 カッとなった嶺緒が声を張ると、それに負けないくらいの声量でゲラゲラと笑う声が大きくなる。 「ムキになるなよ嶺緒...。」 「図星みたいではずかしーよれお?..ぷぷぷ。」 ニヤニヤと見つめる2人に怒った嶺緒が「準備してくる!」と子供のように言い放つと休憩室へと消えていった。 「なんか...意外ですね。」 雪がぽけーっと嶺緒の後を眺めていると、泉が優しい笑顔で答える。 「可愛いでしょあいつ。みんなの前ではいい先輩で居なきゃって思ってんだよ。」 ショーに携わる人間なら誰もが憧れる『白川嶺緒』と言う人間は、予想以上に人間らしくて、実は可愛い人なんだと知った。 「あんな舞台上ではかっこよくて綺麗なのに、あんな風に怒ったりするなんてズルいですね。」 と雪が笑うと、「でしょ?」と泉も笑い返した。 「大分気分戻ったんじゃねーの?俺とチカは先に舞台に出るからもう部屋戻るぜ?」 辰公が安心したように泉を見ると泉は辰公に笑顔で返した。 辰公はそのまま腰を上げると元親と一緒に休憩室へ戻っていった。 「雪、ごめんね心配させて。僕ももう大丈夫だから、それぞれお仕事戻ろうか?」 泉も腰を上げ、雪はペコリと頭を下げるとオーナーの元へと戻っていった。 泉もペアの休憩室に戻ると、嶺緒がソファで目を瞑っていた。 「嶺緒?」 一声かけると嶺緒が目をゆっくり開く。眠そうにあくびと一緒に伸びをすると、開き切らない目で僕を見つめた。 「んー...ちょっと寝そうになってた。」 体を起こした嶺緒の横に座り、僕は嶺緒の口にキスをする。 嶺緒も静かに目を瞑ると、僕の腰に手を回して優しくキスを受け入れた。 僕は此処でしか嶺緒の恋人では居られない。 此処を出たら、嶺緒はキスも何もしてくれない。嶺緒にとって此処での僕とのキスや愛撫はあくまでもショーの準備なんだ。 まるでシンデレラの魔法が解けてしまうみたいにショーが終われば僕らはただの友達に戻る。 「今日早いな、どうした泉?」 いつもよりも早く僕が身体に触れてきた事に嶺緒も少し驚いているようだった。 「今日さ、僕とタチ変わってくれない?」 僕がネコになれば、βの僕は後ろは濡れないから、必然的に体の準備を嶺緒とする事になる。 そうやって触れられる時間を長くしてでも僕は昨日見た男の子と嶺緒の関係に対する不安を取り除きたかった。 「いいけど...具合でも悪いの?」 心配そうにする嶺緒が僕の額や首筋に触れる。僕はそれだけでも嬉しいんだ。今この瞬間は嶺緒は僕のものなんだって思える。 でもそうやってかまけていたから、嶺緒が奪われてしまいそうになっているわけだ...。 僕は馬鹿だ。もっと早くちゃんと嶺緒と向き合うべきだったかもしれない。 「今日は抱かれたい気分だっただけだよ。」 嶺緒の胸に抱きつくと、嶺緒は軽く僕の頭を撫でると立ち上がった。 「じゃーオーナーに言ってくるわ。そんな大した変更じゃないし大丈夫だとおもうけど。その間に準備しとけよ。時間ねーからな。」 そそくさと休憩室を出て行く嶺緒に置いていかれポツンと1人になってしまった。 残された休憩室で準備をしながら、小型のモニターを見るとすでに客が会場内に入ってきているのが見える。 「今日も多いなぁ...。」 ぼーっとモニターに映る人の流れを見る。 ボーイと客が話す姿や、客同士で席を行き来する姿。上からのカメラだとこんなにも綺麗に人の流れが見える。 今日観に来た客の中で僕と嶺緒を観にきた人間はどれくらいいるのだろうか。 僕と嶺緒はペアの中でもファンが1番多くついている。 嶺緒にもし好きな人なんてできたらどうなるんだろうか。 ペアですら居られなくなるんだろうか。 いつもは考えないようなマイナス思考が頭を巡る。それも昨日の彼を見なければこうはなっていなかったんだ。 はぁーー。 と大きくため息を吐くと嶺緒がガチャリと部屋に戻ってくる。 「オーナーがいいって。どーよ準備の方は。」 と、嶺緒が僕の横に座る。 「とりあえず準備はできたから後は慣らすだけかな...。」 僕がネコ側にまわるのは久々だ。 少し緊張しながら嶺緒を見ると、嶺緒が僕の腰に手を回して背を撫でる。 「久しぶりだもんな。俺が慣らしてやるよ。」 嶺緒が自身の膝を叩き、うつ伏せになる様に促すと僕はソファに座る嶺緒の上にうつ伏せになった。 嶺緒の腿の上に下半身を委ねるとズボンと下着をゆっくり降ろされ、部屋のヒヤリとした空気を肌に感じる。 背中から腰にかけてなぞる嶺緒の手によってゾクゾクとした感覚が腰に響いてきたかと思った途端に、ばちんと音がすると自分のお尻に痛みが走る。 「いてーっ!?何!?」 びっくりして振り返ると嶺緒が楽しそうに肩を震わせて笑を堪えていた。 「この間のお返し。俺がヒートしてるのに随分ヤってくれたからなぁ...。今日は覚悟しとけよ泉。」 振り返る僕の耳元でそう呟く嶺緒に期待をしてしまっている自分へ恥ずかしさで耳が熱くなった。 僕が嶺緒にめちゃくちゃにされたいと望んで変わってもらった今日のショーがどうなるのか僕の心中はドキドキして仕方がなかった。 「絶対僕の方が嶺緒を満足させられるよ。嶺緒はタチやるの久々だから、僕は満足出来ないかも。」 意地悪を言い返すと嶺緒は「はいはい。」と適当な返事を返し、ローションを指に塗ると泉のお尻にゆっくりと挿れこんだ。 「っつめたぁ....挿れるなら言ってよ!」 急に異物感を感じた事で驚いた僕はぴくりと身体を動かした。 「解すんだからじっとしてろー。」 嶺緒の指が僕の中でぐにぐにとうごめき、中の壁をさする様に出し入れされる指が、小さく水音を立て始める。 早く気持ちよくなりたいと、嶺緒の愛撫を期待するがいつまで経っても入れられた指は僕のイイ場所に当たらない。 「っんー...ぅ...嶺緒ー...、なんかもどかしいんだけど...。」 もぞもぞと足を擦ってしまう程歯痒く、僕の気持ちは準備ができていたのに、全くと言っていいほど嶺緒はその気配を見せない。 「慣らしてるだけだからな。イかれても困るし、本番まで待てよ。」 (本番って言ったって...。)と思いながらモニターをチラリと見ると、元親と辰公のショーがちょうど始まりを見せた頃で、インターバルを考えても後40分ほど時間がある。 そんな先までこんなに悶々としたまま待てと言われる方が地獄だ。 「イかないよそんな簡単に。嶺緒と違うんだからさー。」 ちょっと意地悪で煽ってみる。 嶺緒は無言のまま指を2本に増やすと、また念入りに鳴らし始める。未だに僕の下腹部はじわりと熱を持ったまま、触れられず寸止めされている様な気分で仕方がなかった。 「....ん...ねぇ、嶺緒...。触ってくれたっていいじゃん?」 「ケツなら触ってるだろー?」 わざとらしくぐちゃぐちゃと音を立てて後ろを触る嶺緒に少しイラッとした。 「あーそっか、嶺緒はタチ下手だから僕のイイ場所もわかんないんだ。」 その言葉にカチンときたのか、嶺緒の指が僕の前立腺に食い込み何度も指を押し込む。 「ふァっ...!きゅうにっ...!あんっ、うぁっ...?!!」 驚いた猫のように背中が跳ね上がるのを嶺緒が押さえるとそのまま僕の腹部にするりと流れる様に手を回し下腹部をゆっくりとさする。 「お前の好きなとこくらい分かるよ。何年ペア組んでると思ってんだ。ココが好きなんだろ?」 ぐいと押し込む指と膀胱を押し込む様に前から押す嶺緒の手に挟まれて中の膨らみが指で潰されビリビリと腰に快感が流れる。 「っア...!あぁっ...!挿れて...嶺緒...。」 快感に身を捩りながら嶺緒を求めるように見るも、痺れる様に震える腰を嶺緒は優しく撫でると「舞台でな。」と耳元で囁き、あっさりと指を引き抜く。 じわじわと嶺緒に触れられた跡に熱が残ったまま、触って欲しいというもどかしさを抱えたまま、諦めた様に僕も衣装に着替える。 突然の責めに全身の感度が上がった様な気がして、衣装を着るのも落ち着かない。 そんな僕のことをわざとなのか、気にも留めずに嶺緒が話しかける。 「泉ー、この新しい衣装の着方わかる?隙間多すぎてどこに手ぇ通すんだかわかんねーよ....。」 下半身だけ衣装を着た嶺緒が腹部や胸部が開いた衣装に戸惑っているのを見兼ねて側に寄るとねじれた衣装を解く。 本当僕は嶺緒に甘い。お預けされたのは腹が立つけれど。 「ほら、ここに腕通すの。」 「ん。」 僕が促すと嶺緒が腕を通して衣装が綺麗に嶺緒の身体に合う。 締まった身体にへばり付く様に身体のラインを魅せる衣装がすごくいやらしく嶺緒から目が離せなくなる。 「嶺緒、きれい。」 好きだ。と続けていいそうになるのを堪え、嶺緒の身体に手のひらを当てると、筋肉の凹凸を一つ一つ感じ取るように胸元から、開けた腹部へと手を滑らせる。 「ん...。」 手の感触を感じ取る様に片目を閉じ、小さく声を出す嶺緒が何かに気づいたようにふと笑みを浮かべると僕の盛りあがった下腹部を指先でなぞった。 「勃ってるじゃん、泉。俺のセクシーな格好みて反応しちゃった?」 意地悪に指先で円を描くようにと動かす嶺緒にぴったりと身体をくっつけると、自身の股間を嶺緒の股間に擦り付けた。 「嶺緒だって、勃ってるじゃん。僕に挿れたくて我慢できなくなっちゃった?」 自身ありげに首を傾げると、嶺緒が僕のお尻を掴む。後ろの穴が開く様にぐいと掴まれると、中にたっぷり入れられたローションがとろりと滲み出るのを感じる。 「後からやめてって言ってもやめてやんねーからな。」 嶺緒が僕の頬を撫でるのを合図に僕が嶺緒に唇を重ねると、まもなく始まるショーに向けて、2人の体温が上がっていき2人だけの世界になる。 この時だけが僕が嶺緒の本当の恋人になれる瞬間だった。 コンコン。 と扉を叩く音と共に「間も無くお時間です。」とスタッフの声が扉の向こうから聞こえて来る。 「行くよ。」と唇を離した嶺緒が露出の多い衣装で体が冷えない様に上着を羽織ると僕の上着を広げて待つ。 僕が袖を通すと、2人で導線を通って舞台裏まで歩く中、所々にいるスタッフが僕らを見るとぺこりと頭を下げる。堂々と歩く嶺緒の後ろで、僕は手を振ってスタッフに挨拶を返すのが日常だ。 舞台裏の椅子に座ると、横のモニターに客席と舞台の様子が見えるように映し出され、舞台は幕が閉まり、スタッフがセットを変えたりなどの準備をしているのが見える。 「嶺緒...。」 僕が嶺緒を見て声をかけると、モニターを見ていた嶺緒が僕の方を向いて手を重ねると、分かっていたように唇を合わせる。 「んん...。」 熱を持った舌が絡み唾液を僕の口内から奪い取っていくと、重ねた嶺緒の手がじわりと汗ばんでいくのを感じる。 「んぁ...はぁっ...ぁっ...。」 重なった指を絡めながら、僕は舌を出すと舌同士が重なりあい、僕らにしか聞こえない程の小さな音で水音を立てながら互いに舐め合っていく。 「ん...ふぅ、ん..。」 嶺緒から漏れる小さな吐息や声も僕の甘い痺れに変わっていく。今度は室内の空気が舌の熱を奪い、冷えた唾液がそのキスの激しさを物語る様に唇の外側は冷え、口内は熱さを保ったままキスは続く。 時折瞑った目を薄く開くと、頬をほんのり赤く染めた嶺緒が切なそうに眉を顰めている表情が僕の快感を高める。 周りのスタッフ達が僕らの官能的なキスに釘付けになっているのはわかってはいても、僕たちはショーに出る前はスイッチが入って、周りなんて見えなくなってしまっている。 「お熱いねぇお二人さん。」 突然声をかけられ嶺緒が閉じていた目をパチリと開け声のする方を一瞥すると、ちゅっと最後にキスを軽く済ませて僕から顔を離した。 視線の先には辰公と元親がシャワーを浴び終わった様で、バスローブを着て休憩室まで戻ろうとしていた。 「ショー前の準備だよ。」 べ、と舌を出して邪魔するなという表情を嶺緒は辰公に向けると辰公は「頑張れよ。」と僕にだけ笑みを見せると元親と部屋まで戻って行った。 (頑張れよって、心を掴めって事??告白しろって事??ショーの事じゃ無さそうだし...。)と深く勘ぐっていると嶺緒がボーッとした僕の顔をぐいと自身の方へと向ける。 「ショー前だぞ、俺に集中しろよ泉。」 真っ直ぐと僕を見つめる嶺緒が離れてしまいそうな僕の意識を引き寄せた。 「あぁ、ごめん。」 僕はいつも君に意識を向けてるよ嶺緒。 でも嶺緒が見ているのは僕じゃなくて僕の後ろにある仕事を見てるんだと思うと、少し心が苦しくなる。 そう分かっていても、離れられない。 僕は叶わないと分かっていて、この仕事で嶺緒とひと時だけでも恋人になることを選んだんだ。 「お時間です。」と慣れたスタッフが体を寄せ合う僕らに声をかけると、僕と嶺緒は上着を脱いでいつものように舞台へと歩みを進めた。

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