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第6話 ときめき

『僕、嶺緒のこと好きだよ。』 申し訳なさそうに、でも真っ直ぐ言葉を伝える泉が頭から離れない。 自分の過去の事を精算できないまま、ズルズルとトラウマという甘えを引きずっている。 いつかは向き合わなければいけないのに、自分が恐ろしい事は全てトラウマにして怖がって逃げている。 俺は臆病者だ。 泉の事だってそうだ。分かっていたのに、付き合っても、断っても、何らかの変化が起こるのが怖かった。 泉のことは友達として好きだ。 でも付き合うことは、考えられない。 「はぁ...来週か...。」 それまで泉と上手くやっていけるだろうか。 悶々と募っていく罪悪感や不安に独りで帰る夜道は堪える。 誰かに、相談したい。思いの丈をぶちまけてしまいたい。 そう思って連絡先を見ても、殆どがデルタのキャストばかり。 キャストのことキャストに相談しずらいし...。 「はぁ。。」 重いため息が何度も口から溢れる。 最近連絡を取り合った履歴を見ても、泉以外とは殆ど会話がない。 その中でポツンと、奏の文字が見える。 「奏...。」 奏は俺の仕事の事も知らないし、なんとなく暈して話せばバレないだろうし。 少し心が楽になるかもしれない。 『よかったら明日話せる?』 気づいたら俺は、奏に連絡をしてしまっていた。 淡白なメッセージを送りつけた後、その横に表示される送信時間を見て後悔。 [3:50] と表示されたその時間は、一般的な生活を送る人間にとっては深夜に当たる。 凄く迷惑な時間にメッセージ送ってしまった...。 後悔しながら、帰路を歩いていると突然音を出して鳴り始める携帯にびくりと肩身体を強張らせた。 慌ててポケットから取り出すと、画面には奏の文字が見え、急いで電話を取る。 「も、もしもし!?」 『ふあ...嶺緒さん...?どうしました??』 猫のように眠そうに緩まった声が心を落ち着かせる。 「ごめん、起こしたよな。明日でもいいから、もう少し寝たら... 『んあぁ、だいじょぶです....今聞かせてください....。気になって寝れなくなっちゃいますから。』 奏の柔らかい声に、俺は心底ホッとした。 それは、奏に迷惑を掛けたからではなく、ひとりが怖かった夜が少しでも奏のおかげで落ち着くことが出来そうだからだ。 「相談...だから。長くなっちゃうかも。」 『嶺緒さんの声が聞けるなら、相談でも嬉しいです。...目も覚めちゃいましたし、何かあったんですか?』 帰路への歩みは動かしたまま、奏に相談した。 高校の頃から仲が良かった”泉“と言う友人がいる事。 そして泉とは、約2年前から一緒に働き始めて二人三脚で仕事をこなしてきた事。 泉が俺を好きだと言う事。俺は恋愛が苦手な事。 相談は長くかかり、相談途中にあっという間に家について、最終的に自宅のソファで寝転び、リラックスしながら奏と話した。 「好きとかさ、そう言うの、よく分かんないんだよね。どんな気持ちになるかも知らないし、俺恋愛とかできないよ。」 諦め半分にそう言葉にする。 恋愛って本当なんなんだろう。 見上げた天井が真っ白で自分の何もない心を見ているようで虚しくなる。 『今嶺緒さん何してますか?』 突然突拍子もない質問に疑問符が生まれる。 「何って...ソファーで寝ながら奏と話してるよ。」 自分の行動をそのまま伝えると、奏が嬉しそうに笑いを含んだような声を出す。 『ふふ。今何してるのかなぁとか、自然と何もない時に思い出す相手がいたらそれは少し好きになってるんじゃないですかね。あとは、1人でやる時とか、想像する相手が居るならその人でしょうし。』 「1人の時にかぁ。」 自分の日常的な行動を思い返す。 仕事が深夜3時か4時に終わって、帰ってご飯食べて、風呂入って、少し外みてぼーっとして、ベットに入って就寝。んで昼間起きて、体動かして、夕方仕事...。 ぼーっとしてる時間、俺何考えてるっけ。 奏とは時間合わないし、キャストとはプライベートまで連絡いっぱいするわけじゃないし。 奏と時間が合えば連絡取り合って...最近は奏ばっかりだ。 じゃあ1人でやる時...オナニーする時って事だよな?待って...俺家で一回も抜いてないかもしれない...。 尚更わからなくなってきた...家で抜かないし、職場では泉とセックスしたりキスしたり、でも泉は家にいる時俺の脳裏に出てこないから仕事の関係でしかみてないって事でいいのか?? いつも奏はよく何やってんのかなっては思うけど、セックスもキスも、手も繋いだ事もないし...。 混沌としていく脳内に終止符を打つ。    「...もうわかんない。」 俺本当に、特殊な生活しているんだなと改めて思い知る。 仕事でセックスしすぎて、セックスが恋人と愛し合うための行為という印象が薄くなっていく。 『来週の泉さんの答えの日まで時間ありますから。焦って答えを出すものでもないですよ。...気晴らしに今日お昼に何処か行きますか?』 奏とお出かけ。この前とっても楽しかった記憶が蘇る。 このまま1人でいても、自分を責めてばかりになるなら、気を紛らわしたほうがいいかもしれない。 「ほんと?それすげー助かるかも。」 ホッとした事で笑いを漏らすと、息遣いで笑ったことが分かったのか、奏も電話口で小さく笑っていた。 『よかった。じゃあ嶺緒さんいつも起きるの遅いですし14時頃にしますか。』 奏の声が落ち着いた声から少しウキウキしたような明るいトーンに変わっていく。 可愛い。癒される。 「楽しみにしとく。ありがとう、こんな遅くに。」 『僕も楽しみです。また明日。』 ぷつりと通話が切れると、糸を切ったように身体の力が抜ける。 頭の中は随分スッキリして、ぐるぐると泉の事で悩む事も少なくなった。 今はその悩みに被せるように明日のことが楽しみになってくる。 「すげー、奏パワー。」 ぐったりとだらけたままの体勢でまた天井を見る。今度は先程話した奏の小さな笑い声と優しい声を思い出す。 『自然と何もない時に思い出す相手がいたらそれは少し好きになってるんじゃないですかね。』 同時に思い出した言葉に顔が熱くなって、起き上がる。 「風呂はいろう...。」 熱くなった体を起こして風呂場へと向かう。 一人暮らしなのに今日は独り言がやけに多くて、いつもと違う妙な気持ちだった。 ____ 深夜に突然音を出した携帯に驚いて目を覚ました。 音の原因は嶺緒さんからのメッセージだった。 深夜の連絡なんてしてくる相手も滅多にいないけど、居たとしても普通は返事を返さない。 でも嶺緒さんには返す。 嶺緒さんは特別。 僕は嶺緒さんが好きだ。 でも話の内容は、長い付き合いの友人から告白されたという内容で正直僕はショックを受けた。 僕は嶺緒さんにとってまだ知り合いでしかないのに、嶺緒さんは付き合いの長い、男性に告白されて答えに迷っていたのだ。 迷う程、信頼や好意があったという事。 だが嶺緒さん自体も、恋愛に関してかなり臆病な様子だったのが見受けられた。 それも答えを悩んでいた理由の一つではあった。 話を聞く限り、泉さんという人は優しくてとてもいい人そうだった。 お節介で、愛情表現も多かったようで、僕は嶺緒さんが何故泉さんと付き合うことにそれ程怖がっているのかわからなかった。 僕にとって泉さんは、ライバルだけれど、それでもきっと僕は嶺緒さんと泉さんがお互いすれ違っているだけなら応援してしまうだろう。 僕は嶺緒さんが幸せであれば僕が相手じゃなくても仕方がないと思っている。 でも願わくば嶺緒さんには僕を好きになって欲しい。僕を見て欲しい——。 「はぁ〜嶺緒さん〜....好きだ〜。」 心に募って吐き出しようのない感情を枕を抱きしめてぶつける。 抱きしめた枕は締め付けられ圧迫されて萎んでいく。そんな様を見つめながら嶺緒のことを考えているとピンポーンとインターホンが鳴り顔を上げる。 僕の家に尋ねてくる人なんて1人だ。 緩んだ顔を整えると、インターホンを見る。 父さんだ。 オートロックを開けると、父さんがモニターから消える。 画面越し言葉も交わさずに部屋で待っていると、数分して部屋のインターホンがなった。 ドアを開くと、表情のない父さんがずっしりとした重い空気をかもしながら カチッとしたスーツ、一般企業の重役にも見えるが父は警視庁の重役だ。見た目通り、かなり厳しい父だ。 「どうだ、調子は。」 僕がちゃんと真面目に生活しているかたまに様子をみにくる。 過保護なんだ、父は。 父の事が好きだが、その過干渉な部分に少し困っている。 「順調だよ。父さんは?ちゃんと家帰れてる?」 「まぁ、帰れているよ。薬は?毎日ちゃんと飲んでるか?」 「うん。...もちろん。」 リビングの椅子に腰掛ける父にお茶を出す。 薬は、2ヶ月に一回、2ヶ月分製薬会社から送られてくる、保険外の高価な薬。毎日朝夕2錠飲まなければいけないのだが、僕はひと月目にして必要以上に薬を飲んでしまって残りは僅か。最後まで持ちそうにない。 でもそんな事父に言えない。 高価である事以上に、父にこれ以上僕に干渉してほしくないという理由からだ。 病気の治療薬で有れば必要だが、個人的なメンテナンスのために飲んでいるにすぎないこの薬を欠かしても問題ないはずだ。また再来月薬が届くまで大人しくしていればいいだけの事だ。 父の正面の椅子に向かいに座る。 父とは楽しい会話はない。 事務的で報告をするだけの会話。 背筋を伸ばし、膝に手を置いて、心を構えて真っ直ぐに父を見る。 父はゆっくりとお茶を飲むと、コトンとテーブルにグラスを置いて僕を見た。 「これからも勉強に励んで、正しい生活をしなさい。特に問題はなさそうだから今日は帰る。また顔をみにくる。」 「はい。父さんも気をつけて。」 父さんの優しさ。でも僕の枷になる。 コップ一杯のお茶も飲み切らずに父は立ち上がると、僕に背を向ける。 「それと、母さんが会いたがっていたぞ。たまには実家に帰ってきなさい。」 「うん。そうします。」 僕の返事を聞くなり、見送りはいらないというようにリビングのドアを開けると、そそくさと帰って行った。 連絡くらい寄越してくれればいいのに、勝手な父親だ。 時間は朝の6時。 今帰りだったのか、今から仕事だったのかはわからない。 緊張が解かれ疲れがドッと襲いかかる。 嶺緒さんとの電話終わっててよかった...。 自室のベットに倒れ込むと、眠気がふわりと襲ってくる。 お昼からお出かけだし、あとちょっと寝ちゃおう...。目を閉じると、すぐに夢の中に落ちて行った。 ___ 今日はいよいよ出かける日。 駅の改札を出ると、奏が携帯を触りながら大きな広告の前に立って俯いている。 「奏、お待たせ。ごめんね今朝は。」 パッと顔を上げた奏がじわじわと唇の線を震わせ、目をキラキラと輝かせる。 「どした?」 「いや、なんか...、かっこいいなって...。」 恥ずかしそうに俯く奏と共に俺も恥ずかしくてキョロキョロと視線を泳がせる。 「あ、ありがとう。」 友達と出かけるなんてこと、学生時代以来だし、あんまり友達と呼べる相手も多くなかった俺からするとなかなか緊張するイベントとなる。 いつも通り、あんまり目立たないように帽子をかぶる。 メガネやマスクを併用するほど有名人でもないし、マスクは奏から病気を心配されそうだった事から、着けてこなかった。 相変わらず奏は、縁の太い眼鏡をかけている。 服装は眼鏡とは違っておしゃれで清潔感がある。 可愛いのに眼鏡がその顔を隠している。勿体ない。 「何にも考えずにきちゃったけど、どっか行きたいとことかある?」 「僕の大学の近くに、美味しいカフェがあるらしいんですけど、1人じゃ行きづらくて...。」 昼過ぎ、お腹も空いたし、俺はカフェが好きだ。いつも同じところばかりだし、新しい所に行くのは少しワクワクする。 「俺もカフェは好きだし、行こうか。」 二つ返事で承諾した嶺緒に驚きながらも、嬉しそうに奏はカフェまで案内した。 歩けば歩くほどどんどん自分の家の方角へ近づいていく。 「この方角って...。」 「僕の大学のキャンパスがある方です。鹿瑛大の医学部なんです、僕。」 俺のマンションは駅と、鹿瑛大に挟まれるような場所に立っている。 奏の通う大学は俺の家の近くだった。 そして、鹿瑛大医学部は国でもトップクラスの医学部だ。俺も同じく鹿瑛大の医学部に入って、αと揉めて退学になった。 あんまりいい思い出じゃないけど、結果的に今稼いでるし、未練はない。 だがこんなところで共通点ができて、正直嫌な思い出があったがこの時だけは鹿瑛大でよかったと思えた。 「俺も鹿瑛大医学部だったよ。辞めちゃって19歳から今の職場で働いてるけど。」 「嶺緒さんも、医学部だったんですか?!」 奏が嬉しそうに目を輝かせる。こんな共通点があるなんて俺も思っても見なかった。 「そ、第二性科学を専攻したかったんだ。すぐ辞めちゃって、全然勉強できてないけどさ。」 第二性科学は、αやΩのある第二性について研究する学科だ。医者ではなく研究者になる為の学科。俺はαやΩの偏見や差別を減らしたくて、第二性科学を学びたかった。 「...僕、第二性科学専攻です。」 「え?本当に?」 奏は信じられないというような表情を見せた。大学の学部の人数は多くても、一般職に就けば同じ学部の人間と出会うことは殆どない。大抵が医療従事者になるからだ。 なのに、こんな形で出会うなんて。 「もうすぐ4年が終わるので学士が取れるんです。」 「頑張ってるんだな。4年が終わったらお祝いしないとな。」 奏に笑いかけると、奏が嬉しそうに俺を見る。 初々しい反応に、満たされるような、なんとも言えない感情が胸を埋めていく。 「嶺緒さん、着きました!入りましょう!」 自然と俺の手を握って、カフェに引き入れる奏が可愛くて、握った手の緩い温かさが心臓を揉んで、細い指先が綺麗で、奏から湧き上がる情報が多すぎてパンクしそうだった。 席に着くと嬉しそうにメニューを見る奏を頬杖をついてじぃっと眺める。 「嶺緒さんはどれにしますか?」 パッと視線を上げた奏と目が合うと、奏が恥ずかしそうに笑顔を向ける。 心臓がキューっと締め付けられる様な感覚に悶えながら、奏の前で表情を変えない様に耐える。 「奏が気になるやつもう一個選びなよ。半分こすればいいし。」 「は、半分こですか!?」 何に驚いたのかモジモジと黙り込む。 「え、半分こ嫌?」 潔癖症とかだったのかな、と心配すると、曇った俺の表情に奏が慌てる。 「いや...!凄く嬉しいです...その、意外だなって。」 「意外?」 予測していない言葉に首を傾げる。 「嶺緒さんはかっこいいし、見た目綺麗で、不思議な雰囲気で、“半分こ”なんて可愛い言葉使うイメージなくて。」 ふにゃりと眉を下げる奏は、少し申し訳なさそうに、でも嬉しそうに微笑む。 奏の顔を見ると胸の痛みが続いて、治らない。 「俺別に何も不思議なとこ無いよ。寧ろ奏の方が不思議。」 「僕が?どうして?」 きょとんとした顔を向ける。 メガネの奥の目が窓から差し込む日差しに輝いて虹彩の奥行きが奏の純粋さを表す様に透明感となって美しく見せる。 下心も無しにこんなに近づいてくるやつも珍しいし、俺自身がこんなに他人を気になるのも初めてだ。 「色々ね。俺はあんまりプライベートで人と出かけたりしないけど、奏とはなんだか一緒に居ても楽だ。」 頬杖をついて奏を見つめると、奏は目を逸らす。 好意を持って話したつもりだったけど、なんか変なこと言ったかな。 「お待たせしましたー。」と、タイミングよく届いた食事を皿に分けてやるとにこにこと笑顔を絶やさずに手を合わせる。 「いただきます...!」 と待ち侘びたように早速口に食事を放ると、幸せそうに食べ進めていく。 そんな姿を見るだけでもこっちまで幸せになるようで、俺は食事に手もつけず届いたコーヒーを飲みながら奏の食事姿をじっと見つめていた。 いい家に住んでいるだけあって食べ方も綺麗で、それに加えて無邪気な表情がどれだけ見つめても飽きない。 「嶺緒さんは食べないんですか?」 「奏が好きなだけ食べてからでいいよ。俺はもうちょっと眺めとくよ。」 食べる手を止めて、眺める俺を見るとムッとむくれてまた一口放る。 「美味しい?」 「おいしーですよ。」 ムッとしたままの奏が手招きする。 何かと思い顔を近づけると、奏が一口サイズに切り取ったパンケーキを唇に押し付けてくる。 「む、 「ほら、食べて。」 意地悪に笑む奏が片側の口角をくいと上げる。 観念するように口を開けると、甘ったるい蜂蜜とクリームの味が口中に広がる。 甘いものは好きだ。 でもこの甘ったるさを感じているのは味覚だけじゃ無い。 俺がゆっくりと咀嚼をしていると、奏がしたり顔で笑う。 小悪魔のような表情にぞくりと身体がなびき、経験のない感覚に困惑する。 「嶺緒さん?」 不思議そうに見る奏のフォークを奪い取ると、自ら口に運んだ。 「自分で食べるから!」 意地を張って黙々と食べていると奏が笑いを堪えきれず吹き出す。 「っぷは!案外子供っぽいとこあるんですね。」 見つめる奏の表情なのか、目なのか、俺の心臓を掴んだまま手のひらで転がされているように感じる。 仕返しと言うように奏は頬杖をついて俺が最後まで食べ切るのを最後まで眺めていた。 「美味しかったですね!また行きたいです。」 店を出ると、晴れた空と涼しい風が満たされた腹部の重みを軽くする。 「前みたいに“高級”なとこじゃなくてよかったよ。」 嫌味っぽく冗談を言いあって笑った。 奏のおかげで、自分が経験できなかった青春を今経験しているよな気持ちになれた。 「因みにさ、なんで第二性科学なんて専攻してるか聞いてもいい?」 少し踏み込む。 もっと共有できる部分が多ければいいなと、少しだけ欲を持った。 「僕、好きじゃないんです。第二性に振り回されて生きてるの。αやΩって、レッテル貼られて...僕にはあんまり理解できません。」 俺が期待していた答えを奏は答えた。 同じ考えで居たら、どれだけ奏と合うだろうと、もう一つくらい共通点の奇跡が起こってもいいんじゃないかと、そう思っていた。 奏には自分の内側を見せてもいいのかもしれない。 信用できる人間を多く持たない嶺緒にとっては、奏は新たにできた信用できる人間となろうとしていた。 「はは、そんなんとこまで俺と一緒なんだ。嬉しい。奏と話してて気が楽な理由がわかったかもしれないな。」 「色々お話しもっとしたいです。もっと嶺緒さんとの共通点を見つけたい。」 にっと笑う笑顔に俺は今日どれだけ救われただろうと、嬉しくなると同時に、昨日起こった出来事を思い出して胸が痛くなる。 「ありがとう。きっといっぱい共通点あるよ。」 そんな事を話していると俺の胸の痛みに反応したように電話が鳴る。 画面を見ると元親と表示が出ており、滅多にかけて来ない事から不安を感じた嶺緒は電話を取ることにした。 「奏、ごめんちょっと電話。10分くらい掛かっちゃうかもしれないから、そこのベンチで待ってて。」 「ゆっくりいいですよ!」 奏から振られた手に手を挙げ返すと、電話を取った。 「れお?ごめんね?起きてた?」 いつもは明るい元親が、申し訳なさそうな声を出す。 「起きてたよ。何かあった?」 大きな木陰のレンガの上に座ると、元親はしばらく唸って声を絞り出す。 「うーん...、今ねいずちゃんはチカの家に一緒にいてね、いずちゃんに謝ったんだけどれおにも謝っておきたくてさ...。」 謝る? 別に俺はチカに何かされた覚えはない。 思い当たらない事を考えながら電話口のチカに耳を傾ける。 「れお、ごめんね。チカ達の所為でれおが、いずちゃんとお付き合い踏み出せなかったの分かってるよ...。だからね、頑張っていずちゃんがれおに言った言葉、怖がらずに考えてあげてほしいの。」 チカは、俺が恋愛を怖がっていると言う事は知っていても、過去に辰公と何があったかは知らない。 俺が恋愛を怖がるのは、きっとこの件だけが理由じゃない。俺の性格と生きてきた中での経験もその要因になっていると思う。 「チカの所為じゃないよ。ちゃんとそこは気にせずに答えは出すつもりだから。心配しないで。」 優しく返事を返す。 チカは明るくて、雰囲気も独特だが、かなり心配性で優しい一面がある。 精神的にも強いとは言い難いチカに、俺と泉の事でこれ以上心配をかけたくない。 「うん...わかった。お返事がどっちでも、今まで通り仲良くできるかな?」 「俺はいつもと変わらずにいるつもりだよ。」 不安そうな元親が、俺の言葉で少し元気を取り戻す。 すると後ろから辰公の元親を呼ぶ声が聞こえる。 「あっやばっ...!タツには、れおには何も言うなって言われてたの!この事内緒にしてね!それじゃまた!」 「うん。ありがとうね。」 「今いくよー!」と慌てる元親の声と共に電話が切れる。 辰公が俺に、何も言うなって言ったのは、俺を気遣っての事だろう。 元親に謝られた事で、辰公との過去を思い出してしまったのは事実だ。 俺がもう過去を振り返らないように、タツとチカのあの時の事にはもう触れないように気遣ってくれたんだ。 チカは泉への優しさで電話をかけてきて結果的に俺は一瞬ではあるが振り返ってしまった。 「はぁ。」 自然とため息が漏れる。 ざわざわと風で気が揺れて、雲で太陽が影って涼しくなる。 俺の周りってなんでこうゴタゴタしちゃうんだろうか。 そう思いながら奏が待つベンチへ戻る。 奏に癒してもらおう。 伏せた目を上げるが、ベンチには奏は居ない。 「奏ー?」 声を出してみたが、返事はない。 電話で連絡をしても、少し待って見ても奏は現れない。奏からの連絡もない。 少しずつ不安になってくる。 俺みたいに変なαに絡まれてたら? 噛まれてたらどうする? 奏がα相手に抵抗できるのか? 嫌な想像が止めどなく湧いてくる。 「奏っ...!」 どこへ行けばいいかもわからないまま、奏を探して俺は走り出した。 ___ ベンチで座って携帯を見ていると頭上から声がした。 「ねぇ。」 顔を上げると、男が2人立っていた。 知っている顔。 「宮 奏じゃん。」 同じ学部の、石本と中尾。2人ともαで高圧的な態度が目立つ、典型的なα絶対主義を持つ奴らだ。αは強くてそれ以下はゴミだと思っている思想。αが多いエリート大学には必ずこういう奴らがいる。 「何?僕、人を待ってるんだ。だから...。」 「前から言おうと思ってたけどさ、お前Ωって言われてるけどマジ?Ωが同じ学部にいるなんて、マジで虫唾が走るよ。」 嫌悪感でいっぱいの眼差しで見下ろされる。 こういう奴らが僕は1番嫌いだ。 「僕の第二性がなんだって言うんだよ。勉強して入った学部だから、対等でしょ?」 「はぁ?お前俺と対等だと思ってるわけ?」 胸ぐらを掴まれる。僕は背が高くない。相手はαで背も高い。こうやって僕はいつも舐められる。でも、友達が少ない僕を狙うのは、利口だ。だって、報復される事もないんだから。 「ちょっと来いよ。お前が本当にΩか確かめてやるよ。」 「っいた...はなせっ...!」 髪を掴まれ痛みで抵抗もできず引き摺られる。 面倒事はごめんだ。 眼鏡をかけて地味に生きて、虐めのターゲットにならないように静かに大学生活を送ってきたのに、ここでこんな奴らに目を付けられるのは想定外だった。 僕にはこの大学を卒業するという目標がある。だから、ここで何があっても耐えなければいけない。 何処かのタイミングで逃げ出すか、耐えるかの二択。 ビルとビルの隙間の細い路地風が通って、僕を吸い込むように暗く奥が深い。 石本が僕の眼鏡を奪い取り片手で頬を掴む。 大きな手が僕の頬骨を捉えて離さない。 「返せよ。」 「Ωってさぁ、昔は数少ない性を繁殖で増やす為に綺麗な顔立ちの奴が多かったんだってな。お前にはその名残があるからΩの癖に誘う様な顔してんだろうな。」 眼鏡を石本が落とすと、中尾がぐしゃりと踏みつけて笑う。 「眼鏡つけて、Ω隠そうったって俺たちαには分かるんだよ。その暗い性格と低い身長でさぁ。」 石本が僕の首を片手で掴むと少しずつ締め上げていく。 片手でも安易と僕は吊り下げられる。 圧倒的な体格差だ。 「っァ...お前らだろ、学部のΩ辞めさせてるの...ッ!」 息が苦しくなるよりも先に、首の血管が押されて頭がぼーっとし始める。 血が流動する音が耳元でザーッと音を鳴らし、行き詰まった脈が石本の手の中で跳ねる。 「そうだよ。選民しねーとΩが勘違いすんだろうが。俺らと対等だって。」 石本が鼻先が当たりそうなほどの距離でそう呟くと、中尾が楽しそうに煽る。 「ほら謝れよ。Ωなのにαに反論してすみませんでしたって。学校辞めるから許してくださいって言えよ。」 「言えんのか?首絞まってんのに?」 「あぁーそうだった。」 ケラケラと見下すように笑うと首を絞めていた石本が手を解く。 突然気道を通る空気が肺を逆流して、僕がゲホゲホと咳をするとまた嬉しそうにあいつらは笑った。 「そういやαが頸噛んだら、Ωは従順になるんだったなぁ?」 今度は中尾が僕を壁に向けて押し付けると髪を握って僕を無理矢理俯かせる。 頭を俯かせた事で露わになった僕の首筋は中尾の指で撫でられ、悪寒と怒りが走る。 「かわいそーに。俺らαは他の奴にも手を出せるのに、噛まれたらΩは噛んだ奴にしか発情しなくなるんだもんなぁ?」 石本も鼻で笑いながら僕を侮辱する。 こんな奴らに手を出したくもなければ問題も起こしたくない。 耐えれば大丈夫。早く終わらせて、嶺緒さんの元に戻らないと悟られてしまう。 「僕はΩじゃない!!時間の無駄だ!離せ!」 壁に押し付けられながらも、威勢は衰えず強く言い放つと押さえつけられた力で再度壁に僕を乱暴にぶつけて、僕が怯んだ所で今にも殺してしまいそうな低い声で中尾が唸る。 「じゃあ試してやるよ。」 熱い息が首筋にかかる。中尾は頸に唇を当てる。 「っ...!僕は謝らない。僕はオメガじゃ—— そう言いかけた時、僕の視界の端、2人の奥に嶺緒が立っているのが見えた。 「俺のツレにさ、何してんの?」 ニコニコと貼り付けた不気味な笑顔の嶺緒が前髪をかきあげて帽子を被り直す。 嶺緒の不気味な笑顔に、叫んで熱くなった身体が一瞬で冷え切った。 「は?誰お前。俺たち宮のトモダチなんだけど。」 僕たちに近づく嶺緒に引かず中尾は僕から手を離すと前に出る。 「なぁ、宮。」 にこにこと見下す様な下卑た笑顔の石本が僕を見る。 「へー。頸噛もうとしてたけど、αはそんな犬みたいなスキンシップとるわけ?笑えるね。」 鼻で笑い、片眉を上げた嶺緒が2人を煽る。 嶺緒よりも、数センチ、そして体格もいい2人が目の前の嶺緒を見下ろす。 「お前、舐めてんの?」 イラついた中尾が先程まで浮かべていた笑顔を消すと、嶺緒の胸ぐらを掴んだ。 「てめぇだろ、俺のこと舐めてんの。」 貼り付けた笑顔が一瞬、鋭い目つきで消えると嶺緒が自身よりも大きな体格の中尾の腹を片足の蹴り1発で後方へ蹴り飛ばす。 「ッぐあ!!!」 飛ばされた中尾が後方へ飛ばされ、僕の目の前に仰向けに倒れ込む。 僕も石本も凍りついた。 体格的に嶺緒よりもでかい中尾が、本当に一瞬でのされた。 嶺緒は掴まれていた胸ぐらの皺をパンパンと音を立てて払うと、落ちてきた横髪をピアスの開いた耳にかける。 喧嘩しているとは思えないような綺麗な横顔がフラッシュで焼きつけた写真のように僕の頭に焦げ付く。 「ッくっそ!!!」 慌てた石本が殴りかかるも、拳で鳩尾を突かれると口から逃げきれない空気と共に胃液を吐き出す。 「うわっきたねっ。危なく汚れるとこだった...。」サッと避けた嶺緒がゴホゴホと苦しそうに四つん這いになった石本の髪を掴み上げる。 「ねぇ、次奏の前に現れたらまじで殺すから。お前らがまだ学生だから見逃してやるよ。」 その表情は一瞬見えた綺麗な表情ではなく、脅すような鋭く瞳孔の開いた獣のような目。 奴らが僕を見下ろしたような目で、Ωの嶺緒がαを見下ろす。 乱雑に掴んだ手を離すと、僕に見せる顔は、何事もなかったかの様ないつもの表情にゆるりと戻る。 あっという間のことに呆然としている僕の腰に嶺緒が腕を回し小さく笑みを見せた。 「奏いこーぜー。」 嶺緒は平静を装っているが手は小さく震えている気がした。 路地を抜けて、ベンチがある場所まで戻ると嶺緒が僕を突然抱きしめた。 「奏っ、ごめん...。1人にしてごめん...。」 抱きしめる力が強いのか、震えているのか、力が篭った抱擁に身を任せると、嶺緒の胸元からドクドクと心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。 怯えるような、怖がるようなその心臓の音に抱きしめられているのは僕の方なのに、僕が嶺緒を慰めているように錯覚しそうになる。 「嶺緒さん...大丈夫です。ありがとう、助けてくれて。」 嶺緒の背に手を回し、見上げると、嶺緒も僕の動きに気づいて肩口に交わした頭を持ち上げると僕を見下ろした。 視線は繋がっているように、目という抽象的なものではなく、瞳が、虹彩が、瞳孔が吸い込まれるようにお互いを見る。 嶺緒は不安そうに、恐るような目で。 僕は襲われていながらも冷静で、嶺緒の不安を静めるような目で。 顔の距離は数センチ。 僕が少しつま先で立てば、嶺緒が少し身を屈ませれば、僕らはキスをする。 自然と目を瞑って、嶺緒を待つ。 僕からキスはしない。 選ぶのは嶺緒さんだから。 目を瞑って数秒、一瞬嶺緒の吐息が唇にかかるも、離れて、キスはせずに僕の頭を撫でた。 「怪我はなかった?」 「大丈夫です。噛まれてもないし、嶺緒さんのおかげで。」 ニコッと笑顔を見せる。 今の嶺緒さんには僕が無事だったということを見せる必要がある。 僕は驚くほど、冷静だ。 僕が本当にΩであれば、兎のように恐怖に怯えて震えていただろう。 「そっか...よかった...。あいつら奏の知り合いだよね?」 安堵に緩んで嶺緒がため息を放つ。 嶺緒さんは僕が冷静で、震え一つ見せない事に気づかない。きっと嶺緒さんの方が正気ではいられなかったんだろう。 「同じ大学の同期です。僕にしたみたいに、ああやってΩの生徒を退学に追いやってるって、噂で聞きました。」 一息ついてベンチに座ると、嶺緒も一緒にベンチに座る。 「...俺のせいじゃなかった。」と小さく呟くとまた安堵の息を吐く。 俺のせい? 嶺緒の小さな呟きを疑問に思ったが、深くは追求しなかった。 「俺はさ、Ωだけど見た目こんなんだし、平気だけど、奏は1人でいると危険だから、何かあったら俺を呼んで。もうあんな目に合わせないから。」 嶺緒さんは僕をΩだと思っている。 僕は———、Ωじゃない。 嶺緒さんはΩなのに強くてかっこよくて、優しい。 Ωなのにって言ったら君は嫌がるだろうな。 でもαは強くてΩは弱いという、生まれ持ったハンデを克服している嶺緒さんが僕にはすごくかっこよく見えた。 「僕、そんなに頼りなく見えますか?身長も低いし、弱そうかな...?」 はははと冗談混じりに笑いながら話すと、嶺緒は真剣な目をして言った。 「弱そうとか頼りないとかじゃなくて、友達が困ってたら助けるのが普通だろ??」 第二性なんて関係ない。みんな対等なのが普通だと思っているこの言葉が、僕が人と関係を築く上で1番求めていた言葉だった。 「僕、嶺緒さんのそういうところ好きです。」 ヘラと笑ったあと、僕は、結構とんでもないこと言っちゃったかもと後悔すると顔の熱が上がっていった。 「あー...ヤバい。」 嶺緒も一緒になって赤面すると帽子を深く被って俯く。 暫く2人で無言の時間を過ごす。 「眼鏡も割れちゃってたし、買いに行かないとな。」 嶺緒の言葉で気づく。 そうだった、僕眼鏡壊されちゃったんだった。 結構お気に入りの、変装眼鏡だと思ってたのに。 「近くの百貨店でもいくか。」 歩みを進める嶺緒の横に小走りに僕は並んだ。 「でも眼鏡ないほうがいいって...。」 不思議そうに嶺緒の顔を見上げると、嶺緒が真っ赤なまま口を抑えてモゴモゴと言いづらそうに声を出す。 「可愛すぎて眼鏡ないと...ヤバい...。」 その言葉に僕も嶺緒も余計に真っ赤になったまま、嶺緒は眼鏡屋さんで僕が眼鏡を試着するまで俯いて目を合わせてくれなかった。

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