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第11話 夕立
暦は不成就日。
天気は曇り後雨。
こんな日に、嶺緒に僕は告白の返事を聞くことになっている。
神様が「お前はダメだ。」って言ってるみたいで、既に負けムード一色。
家を出る体も億劫で、スニーカーの靴紐は踏んづけちゃうし、髪は湿気でもっとくるくると跳ねて決まらないし。
とにかく僕はまだ振られてもないのに最悪の気分。
何度も何度も携帯の画面を光らせると、嶺緒からの連絡で『今日そっち行くから。』とだけ見える。
『うん』
とだけ返すと、また僕はお尻のポッケに携帯を入れたり、やっぱりすぐ見れるように手に持ったりと、自分でもよくわかるほど動揺している。
胃がキリキリ痛み始めて、浅い呼吸がただ歩く出勤の道のりをとても遠く感じさせた。
「はぁぁ〜...こわい...。」
足元見ながら歩いている僕を、夕立が一瞬で僕をずぶ濡れにし、店に着いた頃には雨は上がっていた。
「ホントにさいあくかも...。」
泣きべそかきながら店に入るとギョッとした顔の元親が僕の周りを回りながらじろじろと見上げる。
「雨なんか降ってたかなぁ??」
純粋無垢な笑顔に僕のびちょびちょの心はじんわり温かくなって、ついその可愛い小さな元親をぎゅっと抱きしめた。
「うわわ!いずちゃん!?チカのお洋服濡れちゃうよ〜!」
うわぁ〜と腕の中で暴れる元親を僕の腕のからひょいと抱え上げると、よこで呆れたように見下ろす辰公が気味悪そうに濡れた姿の僕をみた。
「雨降ってなかったろ。」
「僕が外出たら降ってきちゃったんだよぉ〜!」
そのまま辰公の足に縋ると、辰公は汚いものでも見るように怪訝そうに眉を片方顰めると足を引き抜いては僕のせいで濡れた足元を見て小さく「うわ」と声を上げた。
めそめそといつまでも床に伏している僕を見兼ねてか、辰公は僕を控室まで引き摺ると、僕の服を引っぺがしては手際よく衣裳用のハンガー型のドライヤーにかけた。
「しばらくすりゃ乾く。」
はぁ、とため息が聞こえてすぐに辰公がソファに沈む音がする。
顔を上げると、腕を組んで相変わらず気怠そうに目を閉じて、辰公は静かに口を開いた。
「んで、いつまでそんなふわふわした関係でいるつもりだ?」
辰公は僕がこの後嶺緒に振られる一大イベントがある事は知らないんだろう。
「丁度今日お返事貰うんだよ。」
半ば諦めた口調で捨て置くように言葉を吐くと、「そうか。」とだけ口にした辰公はそれ以上何も聞かなかった。
そのまま静寂が、たった数秒が、僕の中で振られるイメージを何パターンも写して、心まで雨に濡れた気分になった。
ドライヤーのファンの動く音だけが鳴り続けて、たまに「うぅ...えと...。」と何か気の利いたことを言いたそうな元親があたふたするのを辰公の大きな腕が元親を撫でて静止した。
そうこうしているうちに、あっという間に服は乾いて、パンツ一丁に濡れた癖のある髪の僕は、捨てられた犬からデルタの長瀬泉へと戻ることができた。
乾くまでの時間、ただただ時が流れるばかりで、その間僕はあの日嶺緒が僕の返事を...断ろうとした、あの瞬間を思い返していた。
今から振られるんだ。
と思うと、焦るように告白してしまった事も、そもそも告白してしまおうと思ってしまった事も後悔しても仕切れないほどだ。
正直今までよりも僕と嶺緒との距離は離れてしまった。
これを恐れてずっと言わずにいたのに、僕は馬鹿だ。
後悔の渦に飲み込まれ、何度も何度も自分を責めたのにも関わらず、時計の針は僕に後悔の時間を与えたいかのようにゆっくりと進んだ。
「いずちゃん?」
ぼぅっと自分の世界の中に引き摺り込まれていた僕を、元親の心配そうな声が現実へと戻した。
自分が思っている以上に部屋のライトは明るくて、眩しく思うほどの白い壁に一瞬瞬きをすると元親の方を見た。
「いずちゃん、れおとはいつ...」
「もうしばらくしたら来てくれるって。」
僕の顔を見て何を思ったのか、いや、可哀想と思ったのか、元親は不安そうな顔のまま辰公を見ると辰公が代わるように口を開いた。
「嶺緒と話した後、仕事始まるまではチカがお前とお話ししたいんだとよ。」
心配そうな表情の元親を見て、じわじわと目頭が熱くなる。
「もとちかぁ...ありがとぉ...っ」
小さな元親の体をぎゅうっと抱きしめると、元親もうえーんと子供のような泣き声を上げながら大きな目に小さな粒を光らせていた。
その声で僕もなんだか止まらなくなった涙が、元親の肩を濡らした。
しばらくして、僕の気持ちも落ち着いた頃。
コンコン
と、扉を叩く音が聞こえると扉の隙間から雪が顔を覗かせた。
3人の視線が雪に集まると、雪は空気を感じ取った様に縮めた体で部屋を覗き込むと「泉さんが心配で...。」と口を開いた。
本当に僕はいい人達に恵まれたと、失った元気を少し取り戻すことができた。
「あーちょうど良かった、雪、コイツ頼む。」
辰公は重石でもつけた様に腰をゆっくり上げると、元親の肩を抱いてどこかへ行くのを窺わせるように机に置いた財布をポケットへ仕舞った。
「タツ?どっかいくんだっけ?」
思い当たる節が無いのか、元親は辰公を見上げると心配そうに僕の方に視線を寄越す。
「め・し。食ってなかったろ、朝も。食わずにこっそり冷蔵庫にしまってんのも分かってんだぞ。」
伏せた目が元親を責めると、悪戯がバレた子供の様に「ごめぇん。」と辰公に抱きついた。
「じゃーチカに飯食わせてくるから。あと、メソメソすんな。あいつはそんな弱そーな奴好きになんねぇぞ。」
フッとしたり顔で視線を流すと、元親の肩を抱いた辰公はドアの横に小さく避けた雪の横を堂々と抜けていった。
「飯食わねぇとずっとちびのままだぞ。」
「元からだよーっ!!」
と、2人の痴話喧嘩をする声が遠くへと離れた。
いつも通りの2人に僕自身も憂鬱な日ではなく、普段に戻れるような気がしてくる。
2人の声が廊下から反響することがなくなると、雪が小さくおずおずと声を出した。
「...今日、嶺緒さんとお話しするんですね...。」
「負け戦...なんだけどね。」
冗談めかしく笑って見せるも、雪は口を固く結んだまま僕の下手な笑い声だけが壁から戻ってくる。
「な、なに〜雪ぃ〜。僕は大丈夫だって〜!」
後輩に悲しい思いをさせまいと笑って肩なんか組んで、いつもの僕でいようとしたのに、背後の僕へ顔を向けた雪の瞳には並々と涙が溜まり、今にも溢れそうだった。
「だって...!ずっと昔から好きだったんでしょ!?勇気出して告白して、それで、そんな悲しいこと、言わないでくださいよ...っ!」
現実逃避か、後輩への威勢か、明るく見せようと思ったのに僕以上に真剣な雪に一瞬で引き戻される。
あぁ、ほんと。
「ダメだなぁ...僕、先輩なのにさ...。」
僕の思いを吸い取って感じているかのように、小さな体の雪が悲しげに俯く。
まるで、嶺緒に初めて会った時の僕が今そのまま目の前にいるような気がして、僕はあの頃から大人になれていないんだと気付かされたようだった。
告白するって決めたのは僕だ。
ずっと遅れて嶺緒に何も言えなかった。でも一歩前に進めたじゃないか。なのに結局「負け戦だ。」「振られるんだ。」って結局心は逃げてばっかりだ。
ちゃんと言おう、もう一回。
ちゃんと思いを伝えよう。
「雪、ごめん。僕が弱虫だった。気づいたよ。ありがとう。僕ちゃんと嶺緒と向き合う。」
雪とハグをする。雪もぎゅっと抱き返してきた。
鼻を啜る音が、僕の胸元から篭って聞こえる。
雪はきっと僕が何を言ってるかわからないだろう。
でも、僕はちゃんと決心した。
どんな結果でも、僕は僕の気持ちをしっかり持とう。
はぁ〜...と、溜まった悪いエネルギーをため息と共に吐き出すと、雪が「頑張れ!」と力強く僕を抱いた。
「んんん〜ありがと雪ぃ〜....!俺頑張るよ!」
自然と滲む笑顔に、雪もニコッと笑みを返した。
少しスッキリした〜。と思うや否や、お尻のポケットが機械的に揺れてギョッとする。
慌てて携帯を取り出すと、画面に『ついた』とだけ嶺緒から送られてきていた。
「あわわ...泉さん...。」
画面を見た僕と雪が見合って焦り出す。
「い、行ってくる!大丈夫!」
休憩室から心配そうにひょっこり顔を出す雪には気づかず、僕は廊下を小走りに走った。
——
「んんー...。」
寝起き、体は重く、僅かなカーテンの隙間をベット越しに指先で広げると外の天気も雨が降った後といいう感じだ。
今日は休み。でも店に行く。
それは、泉に、告白の答えをしなければいけないからだ。
「つら...。」
泉とは高校の頃から“良好な関係”だと思っていた。
それは、俺が泉の気持ちを知っていながら言及せず、泉もまた俺に答えを求めなかったからだ。
今になって泉への罪悪感が募る。
俺が答えを出して、あいつとの距離は変わらずいられるのだろうか。
ふと泉のあどけない無邪気な笑顔が思い浮かぶ。
でもその顔は一瞬で悲しそうに俯く。
俺の中で何度も泉を悲しませる想像がループされていく。傷つけたくない。でも、こればかりはちゃんと答えなくてはいけない、俺は...
「奏好きになっちゃったんだもんなぁ....はぁ...何で今なんだよ2人とも...。」
奏を好きになったのは俺の勝手。
でもこんな時に現れなくてもいいじゃないか。
シャワーに打たれながら漏らしたこともない唸り声を壁に響かせながら嗟嘆した。
憂鬱な気持ちは流れ落ちないまま、浴室の透明なドアを開けると、縦鏡に映る自分が少し痩せているように見えた。
「ん...こんなだったかな?」
直ぐにバスローブを纏って体は見えなくなり、泉のことで頭がいっぱいになると自身の体型についてはすぐに忘れた。
濡れた髪を解かして乾かす。
お気に入りのシャンプーの匂いが温風で蒸発すると共にふわりと香る。
スッと吸い込むと、気持ちを落ち着かせるように深く息を吐いた。
乾いた髪を軽くオイルでまとめると、気合を入れるように化粧水を顔に打ちつけた。
ふうーーと呼吸をゆっくり整えながら、身支度を終えると、いつも通り家を出た。
いつも通り。
普段だったら、「またあの店配送来てるな。」とか、「花屋の花が変わったなぁ。」とか、「もうコンビニで酔い潰れてる奴いるな。」とか何気ない日常に目を当てられるのに、今日は気がついたら店の前にいた。
ぼーっとしてたんだ。
店はまだ開店時間ではないため派手なネオンは光ってない。
それでも、豪華で大きなな外観は明らかに他とは“別世界”だということがわかる。
泉とは一緒になれない。友達だから。
でも俺は奏とは“別世界”に居るんだ。奏とも、俺は一緒にはなれない。
こんな俺を好きだと言ってくれるのに、俺は...。
自然とため息が漏れる。
今日泉とも会って、奏とも会う。
心が追いつきそうにない。
店の裏の路地で壁にもたれながら泉に連絡をした。
もうすぐ泉と会って、関係が変わってしまうかもしれない。
不安と罪悪感に苛まれながら、俺はただ泉からの連絡を待った。
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