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第14話 長瀬泉
生まれてから24年。
好きになったのは、嶺緒1人だった。
今は少し珍しい仕事についているが、生まれながらに普通だったと思う。
母も父もβで、仲が良い夫婦だ。
優しい2人に育てられて、僕は大きな問題にも直面せず、生真面目な両親おかげで良い高校にも大学にも進学させてもらった。
髪は生まれつきブロンドで、目も茶色い。
祖父母に欧州の方の出身の血が流れているらしい。
この時代には珍しいことじゃないが、βでありながら身長もそこそこの高さに恵まれ、なんら苦労せずに生きてこれた。
自分で言うのも気恥ずかしいけど、所謂“人気者”だったと思う。
「長瀬〜!!今日も飯食って帰ろ〜ぜ〜!!」
「おー!いこいこー!!」
高校1年の春。
中学の同級生も数人いるなか、新しくできた友達も変わらず僕と仲良くしてくれた。
「長瀬くん、これ良かったら4巻の続きなんだけど...。」
「え!?借りていいの!?この漫画の続き気になってたんだよね〜!」
漫画やアニメ、音楽。
基本的に偏見や苦手意識がなく、好奇心が強い僕にとって友人がどんなタイプであれ仲良くしてくれることが嬉しかった。
友達と肩を組んで、おしゃべりして、女の子とも分け隔てなく仲が良かった。
ただそれは、僕の中である意味、誰も特別では無かったからだったんだと思う。
「長瀬くん、私、長瀬くんの事が...。」
「長瀬がさ、偏見ないんだったらさ、俺なんか彼氏にどうかな...?」
僕の幅広い交友関係は、いつのまにか恋愛へ発展。相手は僕を“好きな人”として見ることも多かった。
「あ...僕さ、あんまり好きとか、恋愛とか分からなくてさ....。」
断ったりもしたし、趣味が合う子とは付き合ってみたりもした。でも僕があまりにも友人と恋人を同列に扱ってしまう事に嫌気が差して離れることを選択する子もいた。
人間関係はとても円滑だったが、恋愛となると
途端に興味が失せた。
一方学業はというと至って普通。
自分なりに親に孝行するには、成績をよくするのが一番だと思っていた。
頑張っても普通科の中で上の方に行けるくらい。
Sクラスには到底敵いそうもなかった。
そもそも、優秀なαの集まりであるSクラスに勝てるわけが無い、と生まれだけで諦めていた部分も少なからずあったと思う。
そして何も変わらず、2年次へ。
楽しかったが、何も印象に残らないまま1年を過ぎて、こんな風にあっという間に大人になるんだろうとぼんやり思っていた頃だった。
「おい聞いたかよ。SクラのΩがα殴ったって。」
「え!?あの小さい方!?」
「違うよ!でかい方だよ!めっちゃ美人の。」
「ええー?!おとなしそうなのに...こわぁ。」
元からSクラスにΩが2人居ると有名だった。
Sクラスはαしかいないのが基本。αでも学力のある一握りの人間しか入れない。
そのSクラスにΩが居るのは前例のない事だった。
そして嶺緒の見た目はαに引けを取らない美しさがあった。
それだけでも勝手に有名人にされてしまうのに、嶺緒はさらにαを殴ってSクラスから転科させられる事で大きく話題になってしまっていた。
「なぁ長瀬、そんっな美人の訳アリΩとかさ、ちょー惹かれねぇ!?見に行ってみよーぜ!!隣のクラス、今日から居るんだってよ!」
「うーん、、気になるけどさ、野次馬みたいでなんか悪いよ。」
「俺1人で行く勇気ねぇってー...。な?ちょっとだけ!」
「わかったよー...!ちょっとだけね。」
友人と2人で隣のクラスへ行った。
正直噂話には興味がなかった。
ただの付き添い。
「白川くん、本当に美人だったね!!」
「俺男だけどさ、あの顔だったらイケると思っちゃったもん。」
すれ違う男女が話題にしているのは、その噂のΩ“白川嶺緒”の事だった。
「すげー、マジで人気なんだな。」
友人が感心したように話しながら横切る男女を目で追いかけた。
「やけにざわざわしてるなと思ったらそういう事だったんだね。」
隣のクラスの入り口にはいつもは見ない量の人集りができていた。
ざわざわと噂で駆けつけた生徒たちがドアから覗き込む。
人混みから少し頭を出して教室の中を見るが、生徒が多くてどれがその人物か分からずにいた。
「えー?どれー??」
「あの奥のやつじゃね?」
「窓側の席のがそうだって!」
「あっち向いちゃってるよ。」
覗き込む生徒たちがコソコソとお目当てを探す。
聞こえてきた情報を元に奥をのぞいてみると、頬杖をついた黒髪の男子生徒が窓の外を見ているのが見える。
だが髪が黒いという情報以外何もわからない。
彼が本当にその“白川嶺緒”なのか、誰も確証を得られなかった。
「長瀬〜ありゃ野次馬が居るからあっち向いてんだろー??残念だけど、顔は見れなそうだな〜。」
友人が残念そうに肩を落とす。
今回は見るのを諦めて廊下に集まった人混みから抜け出した。
「でもさ、クラス近くなったんだしまた見れるよ。」
僕が宥めると、「そうだな!」と友人は僕らのクラスとは逆方向へと歩みを進めた。
「あれ?どこ行くの?!」
「とーいれ〜」
クラスの少し奥にあるトイレに吸い込まれていった友人をぽかんと見つめると、「何だトイレか」と肩を撫で下ろした。
これ以上周りでうろうろするのはちょっと気が引ける。僕もトイレ付近で待つか...。と教室の扉を横切ろうとした時だった。
「ちょっと、どいて。」
面倒だという色が混ざった声が僕の背後から投げかけられる。
「あっ、すみません。」
咄嗟に謝って避けた。
声の主が横をするりと抜けるその一瞬。
きっと1秒くらい。
一瞬だけ見たその綺麗な横顔が、なびく真っ黒で綺麗な髪が、一瞬だけ香った洗剤の香りが、僕の中に焼き付いて離れなくなった。
心臓は高鳴って、息をするのを忘れて、遅れて大きな深呼吸をした。
改めて思い返せば、一目惚れだったんだと思う。
「おいおいおい!!いま、スッゲェ美人な奴とトイレですれ違ったんだけど!!今のが白川じゃね!!?」
「うわ!びっくりした!!!」
正面から戻ってきた友人にも気が付かないほど、僕は一瞬だけ違う世界にいたような感覚だった。浸るまもなく現実に戻されて、僕は友人の会話の内容を思い返して返事をした。
「あ、あぁ...たぶんそう。すごく綺麗だった。」
「だよな!?だよな!?あれΩなの嘘だろ!せぇたけぇしなんかオーラあったぞ!?」
興奮する友人を他所に、僕は何度も何度もあの一瞬を思い返した。
白い肌だった。
まつ毛も長くて、サラサラとした髪が、光に当たって紫色や緑色に見えた。
アニメやゲームに出てきそうな、整った顔立ちは当然周りの目を奪うだろうと納得できた。
「長瀬...?おーい長瀬〜?」
「あ、ごめん!ぼーっとしちゃって...。」
「見惚れるよなぁ。あんな見た目してたらさ。もっと見てみたいけど、もうすぐ授業だー。」
元来た道へ歩き出す友人の背を追いながら、僕は何度も振り返ってはトイレからもう一度出てきてくれないかと期待した。
周りの人だかりも、トイレの入り口に視線を集め、口々に白川嶺緒に対する感想を言い合っていた。先ほどよりも廊下の群衆の声は大きくなっていた。
最後にちらりと振り向いた時に、トイレから戻り側の嶺緒と目が合った気がした。
その後僕が休み時間に嶺緒の元へ向かったのは言うまでもない。
自然に嶺緒と関わりタイミングを待っていては、友人としても知人としても関係を築くことはできないと思った。
それほどに嶺緒は、誰も寄せ付けないようなそっけない振る舞いをしていた。
嶺緒にしつこく絡んだ事もあって、僕は見事に嶺緒と友人になれた。
心を開いてくれるまで随分と時間がかかったと思う。
僕は嶺緒が好きで、こうして友人としての時間も永遠に続いてくれないかとそう思った。けど、大学が別れた事で僕たちは連絡をぱったり取らなくなった。
何度も何度も携帯を見ては、嶺緒から連絡が来ずため息を吐いた。
嶺緒が学業とアルバイトに追われていることは知っていた。
高校の頃も忙しかったが、大学で医学部となると比にならないほど大変なのも覚悟はしていた。
だが、全く連絡がない事は想定外だった。
自分から連絡しても「忙しかった」と短い文章で返事が来るだけでそれ以上の近況は何も聞くことができなかった。
僕は『避けられているんだ』と思った。
今までの僕の嶺緒に対する言葉や行動が波のように押し寄せて、何か嶺緒に嫌なことをしてしまったんじゃないかと怖くなった。
それから僕達は1年間会う事はなかった。
だが、再会は衝撃的だった。
「離せよ!!」
大学の同級生と呑み明かし、帰ろうとしている時だった。コンビニの近くで男の声が響いた。
場所は繁華街。
酔っ払った輩が揉めてるんだろうと、目線を声の方に移した。
暗く、繁華街のライトと街灯だけでもはっきりとわかった。
声の主は嶺緒だった。
細身の男に腕を掴まれ、嶺緒は怪訝な顔で腕を振り払っていた。
足早に過ぎていく嶺緒を、男は追いかけて2人はどんどん離れていく。
厄介事だとわかっている。でも僕は今逃しては2度と会えないようなそんな気がした。
聞きたいことがいっぱいある。
もう一度あの時みたいに仲良く話したい。
「あれ、泉〜!?どこ行くんだよ〜!」
友人達を置いて駆け出した僕は数メートル先でまた嶺緒と掴み合っている男の肩を叩いた。
「ちょっと、嫌がってますよ?」
駆け出した息は少し上がって、僕の顔を見た嶺緒の顔は豆鉄砲を食らった鳩のようだった。
「え...いずみ..?」
「なんだよ、お前に関係ないだろ。」
嶺緒の前に立ちはだかる様に立つ男は僕の手を力強く振り払うと機嫌が悪そうにタバコに火をつけた。
「嶺緒...、」
この後何を言っていいか分からなかった。
久しぶり?
何やってたの?
声は出ないまま男の傍を通ると嶺緒の手を掴んで、僕は歩き出した。
とりあえず嶺緒をこの男から離さないと。
しかし掴んでいた手はグッと止まって、僕の手の中からするりと離れた。
振り返ると、申し訳なさそうに、困惑した様に眉を下げた嶺緒が目も合わせずに口を開いた。
「ごめん、泉...俺今コイツと一緒に住んでるんだ...。仕事の事でちょっと揉めてただけで、心配しなくていいから。」
そう弁明する嶺緒の腰を男は馴れ馴れしく抱き寄せると、「友達か?」と嶺緒に聞き、嶺緒は小さく頷いていた。
この2人の間には入れない。
お前には関係ない。と示された気がしていい気分はしなかった。
「嶺緒、かえるぞ。」
億劫そうにタバコをふかした男が嶺緒を見ると、嶺緒は申し訳なさそうに僕に背を向けた。
「待って嶺緒...!!大学は!?まだ行ってるの?後で連絡するからさ、今度また会おう!」
嶺緒の背中に声を浴びせた。
嶺緒は振り向いていいものか悩んでる様だった。
見かねた男が僕に近づいてきて、一枚の黒い名刺を渡してきた。
「俺とコイツ、ここで働いてるから。見る根性あるなら来いよ。後は2人で勝手にやってくれ。」
黒い名刺にはチーフマネージャーという肩書きと共に“井上辰公”と書かれていた。
裏面には会社のロゴであるようなΔのマークが施されていた。
名刺と残された僕はただ2人の背を見つめるだけで、追いかける事さえも出来なかった。
家に帰って、名刺に記載されている会社を調べて、僕は思い知らされる。
嶺緒は大人向けのアダルトショーを営んでいる店で働いていると言うことを。
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