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第15話 長瀬泉の苦悩

なぜ嶺緒が僕に背を向けたあの時、嶺緒を止められなかったのだろうとその時は思った。 嶺緒の事は、ネットで検索すればすぐに出てきた。 セックスショーパブ-デルタΔ-。 業界No. 1を誇るショーパブ。 名前は聞いた事があったが、こうやって調べるのは初めてだ。 ヒート状態でのショーが許可されているショーパブは日本でも厳しい監査の門をくぐることができた一握りの店舗だけらしく、怪しい会社で働いているわけではなさそうだと少しだけ安心した。 セックスパブ“デルタ”のキャスト紹介ページの嶺緒の欄には、“キャストデビュー予定・ボーイ”と記載がある。 キャストは宣材写真と個人のページが作成されており、ボーイの欄には写真と名前のみが記載されている。 嶺緒はボーイとして働いていた様だが、近々デビューするらしく、そのせいもあってキャスト欄に写真と名前が掲載されていた。僕の知っている嶺緒が、着ないような露出の高い服でプロから撮影されたであろう写真。 クラシックな椅子の上に片足を乗せて、乗せた足を抱え込む様なポーズは垂れた髪が嶺緒の顔を少しだけ隠して、妖艶という言葉しか思いつかない程、綺麗な写真だった。 プロの手に掛かったことによってか、嶺緒が変わった事が理由か、今まで見れなかった向こう側の嶺緒の姿を見れた様な気がした。 そして、僕に名刺を渡してきた井上辰公という男もキャストの紹介欄の1番上に表示されており、名刺の肩書きと紹介文の“デルタNo. 1キャスト”の表示からこの店でそこそこの地位の男だったと判明した。 写真も見下げるような高圧的な写真で、第二性がαというのも頷けるものだった。 写真を見て、今嶺緒がデルタで働いてる事を知って、その後どうしたらいいんだろう。 検索したサイトを開いたり閉じたり、携帯で嶺緒の連絡先を開いたり閉じたりしながら1時間ほど悩んだ。 嶺緒がこんな仕事、望んでるはずがない。 この仕事を選ぶまでに、何かがあったはずなんだ。...助けてあげたい。 ふと渡された名刺があった事を思い出す。 『見る根性あるなら来いよ。』 挑発とも呼べるその言葉と、億劫そうな顔を思い出す。 友達がセックスしてる姿を見に行く...いや、好きな人が他の男とセックスしているのを見に行くというのが正しいか。 あの辰公という男は、僕の嶺緒に対する感情を理解した上で挑発してきたんだ。 食えない相手だ。 きっとあの嶺緒に対する素振りも、あの発言も、同棲...も。 嶺緒と何かしらの関係を持っている事には間違いない...信じたくはないけど...。 でもこの挑発に負けたくはないと、僕は嶺緒のデビューの日にデルタへ行く事を決意した。 デビューの日まで、まだ1、2週間ほどあった。 それまで何度も、嶺緒に連絡を取ろうとした。 長い文章や短い文章、ラフな文章など、書いては[送信]を押せずにメッセージを消した。   いよいよデビュー当日。 いざ、家を出るとなった時に足を止める。 じわじわと酸素が薄くなる様に不安が立ち込めた。 嶺緒の舞台の上の姿を見て、僕は嶺緒を好きで居られるのだろうか。勝手に恋して勝手に失望なんて、したくない。 ...僕は正気で居られるのだろうか。 見たくない気もするが、嶺緒を好きでいる以上向き合わなくてはいけない事だ。 不安が縋って、止まった足を無理やり動かすと、マンションの廊下に出た途端冷たい空気が僕を冷やした。 きっと外はもっと寒い。 厚手のコートを身に纏って、買ったっきりかぶる事なかった帽子を深く被って店へと向かった。 嶺緒のデビューショーは、1番最後の部で行われるらしい。 普通なら寝ている時間に街を歩いて、不思議と新鮮な気持ちになれた。 繁華街に近づくに連れて、車の音だけだった世界がどんどん賑わっていく。 まだまだ人通りは多く、お酒で酔い潰れた人々もちらほら見える。 楽しく輪になって日頃の疲れを労う社会人もいれば、わいわいと歌ったり踊ったりと気分の良さそうな学生も見える。 僕の気持ちとは打って変わって世間は楽しそうだった。 あと少し奥まで歩けば、店だ。 小さな路地の角を曲がると、突然大きく煌びやかな建物が目の前に現れる。 入り口には今日のステージのキャストたちの写真、その上に大きく“Debut”と金色で華やかに装飾された文字とともに嶺緒の大きな写真が飾られていた。 周りにはまだデビュー初日だと言うのに、お祝いの花やバルーンが入り口の横にずらりと並べられていた。 僕は綺麗に飾られた花に20という数字バルーンが繋がっているのをみてハッとした。 今日は、デビューの日でもあり、嶺緒の誕生日でもあった。 一度だけ、嶺緒がふと口にした誕生日。 記憶に残っていたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた。 その時、胸に黒いインクが染みる様な嫌な感覚に陥った。 僕は嶺緒の事じゃなくて僕の感情ばかり優先していたんじゃないかと。 店に入る前に、今までは何とも思わなかった物や事が、店に行かない理由になろうとしてくる。 嶺緒にとっては今日は特別な日になる筈だ。 僕は水を刺してはいけないと、僕は今日嶺緒に声を掛けずに帰る事にした。 門の様な綺麗な入り口を潜ると、高級感のある絨毯と綺麗なシャンデリアにオレンジ色の光が灯る受付には人が多く押し寄せていた。 受付の前のサイネージには 『立ち見ならびにお席はすでに完売しております。本日デビューのキャストはご入場頂けなかったお客様の為に、閉幕後受付ロビーにてご挨拶をさせていただきます。』 と記載されていた。 その他の記載をじっくり目を通す。 嶺緒のショーの席自体は、もう2週間も前に売り切れていた。 立ち見席も数日前に売り切れ、当日券はキャンセル待ちという状態だった。 受付のごった返した人々は数人が足早に店の奥へと入っていき、数人が諦めた様子で帰って行った。 デビューの姿を見れない。 自分が不甲斐なく感じたが、諦めきれず受付の近くのスタッフに声を掛けた。 「すみません、今日の席って立ち見も空いてないんでしょうか?」 僕に気づいたスタッフは喧騒の中でインカムのイヤホンを外すと「招待券となる名刺などお持ちでないでしょうか?」と聞いてきた。 招待券??名刺...。 頭を巡らせると、すぐにそれらしきものを思い出す。 昨日会った、嶺緒の横にいた男から貰った名刺を恐る恐る見せると、スタッフは僕を人集りの中から離れた受付の横にある店の内観に合う綺麗なテーブル席に案内してくれた。 「お越しいただき誠にありがとうございます。こちらの紙にお名前とお電話番号頂戴してもよろしいでしょうか?ご案内のお便りもご入用でしたら、ご住所もお願いいたします。」 まるで結婚式の招待状のようなおしゃれな模様の紙に言われた通りに記入していく。 記入した紙をスタッフは受け取ると、受付から黒い首から下げる形のパスを持ってきた。 「こちら、ご優待させていただくお客様につけていただくパスになっております。お席にご案内いたします。此方へどうぞ。」 まるで高級ホテルの常連の様な扱いを受けた。 丁寧に揃えられた指で案内され、スタッフの後をついていく。 一般客が入る入り口とは異なる綺麗なエレベーターに乗ると、ショーの様子が俯瞰気味に見える2階席へと案内された。 2階席はガラス張りになっており、ソファや豪華なランプが設置された綺麗な部屋だ。 「お飲み物とお食事のメニューはテーブルの上にございますので、棚の上にありますお電話よりご注文ください。途中で退出される際はフロントにパスをお返し下さい。 お手洗いはお部屋に設置されています。 招待券のキャストが、閉幕後ご挨拶に参りますが、本日はデビューステージの為通常より少々お時間いただくと思いますがご了承ください。何かご質問などございますでしょうか?」 説明を一通り聞いた後に疑問が浮かぶ。 「あの、入場料や観覧料払っていないのですが...。」 おずおずと申し出る僕にスタッフはにっこりと笑顔で返す。 「VIPカードでのご招待のお客様からは、料金はいただきませんのでご安心ください。 お飲み物やお食事についても、金額の記載のないメニューは料金を頂戴しておりません。 料金記載のものに関しましては後ほど受付にて頂戴いたします。」 一般の学生だと体験しない様な対応に戸惑いを隠せない。 料金も、一流舞台の観覧料よりも割高な金額に設定してあるショーパブが無料で見れるなんて...。 受け取った名刺がどれほど価値のあるものだったかを思い知らされた。 同時に挑発とも思っていた男の行動の意味が不明瞭になっていく。 「他に何かございませんか?」 ぼんやりと考え込む僕にスタッフが声をかける。 ハッと我に帰った僕はぎこちなく「大丈夫です。」と返すと「それではショーをお楽しみください。」と深く綺麗なお辞儀をしてスタッフは出て行った。 ドアの閉まる音で、ふうと張り詰めていた空気が抜けていく。 ガラスから下を見ると、ステージが綺麗に見えて、入り口からどんどん入ってくる人々の姿まで一目で分かった。 本当だったら、あの中で見ていた...若しくは見れずにただ立って待っていただけかもしれない。 喧騒が遠く、僕は今その喧騒を見下ろしている。 これが嶺緒の選んだ世界なのかと思うと、とてつもなく遠く感じた。 僕以外にも、嶺緒を好きで見に来る人がいる。 嶺緒の姿に惹き込まれた人がいる。 僕もその大勢の中の1人でしかないんだ。 身の丈にそぐわない位置から眺める眺めは、さほど良いものではなかった。 そうこうしている間に会場が暗転すると、ステージだけが強い光に包まれた。 アナウンスが会場、部屋共に流れると1人の男が舞台中央から堂々と歩き出す。 青いシースルー生地が足や腕を薄く隠し、フェイスベールから鋭い目線が覗く。 背後から輝くバックライトが、シースルーを突き抜けて、体のラインをくっきりと見せる。 男は舞台中央にある椅子に座ると、くびれをくねらせ手を這わせて誘う様にゆっくりと踊り出した。 広げる手を、くねらせる腰を、追う様にふわりと生地が舞い、照明で強く輝く装飾品がキラキラと輝いた。 嶺緒だ。と、わかる。 身体は僕が思っていたより筋肉がついていて。それでもスタイルがいいと思えるほどに女性的で長い足が綺麗だった。 踊り子というには色気がありすぎるその姿に釘付けになってしまった。 もう1人、舞台の中央から遅れて出てきた男は、男らしい体格で嶺緒よりも露出が少なく、顔も同じくフェイスベールで隠れていた。 男は嶺緒の腰に手を回すと、持たれる様に力を抜いた嶺緒が男の首に腕を回してゆっくりと撫で下ろす。 男は嶺緒のフェイスベールをゆっくり剥ぎ取ると、薄いベールの下からしなやかな曲線の横顔が現れ、あまりにもあだっぽい表情に観客は一斉に心を奪われた。 同時にわーっと黄色い声や野太い声が会場を包んで、ベールは観客に投げ渡された。 そのまま男と啄む様にキスをすると、嶺緒の体を纏っていたベールを剥がし白い肌がどんどん露わになっていく。 目を覆いたくなる反面、生唾が出てきてしまいそうで、ごくりと喉を鳴らした。 男がいよいよ嶺緒の下腹部に手を伸ばす。 ゆっくりと腹部から這わせた手は垂れ下がる装飾品と布の間から差し込まれると、ぴくりと跳ねた嶺緒が緩やかに腰を震わせていく。 布の中で何が成されているのか、隠れていても分かってしまう演出に会場は声が上がり、僕も同じステージの上にいるかの様に、心臓が高鳴って緊張して、興奮した。 薄く開いた嶺緒の唇から、小さく声が聞こえる気がする。 会場に声をかき消されて分からないが、絶えず唇が小さく開いては閉じてを繰り返しているのが嶺緒が触られて感じている様に見える。 椅子の肘置きにもたれかかり、ゆっくりと力が抜けて崩れ落ちていく。 男は手を止めず、胸元にまで腕を回すと胸の先を弾いて、大きく嶺緒がしなった。 嶺緒が、男の手に落ちていくのを僕は今見ている。 グルグルと不明な感情が駆け巡る中、下半身だけはじわじわと熱くなっていくのが恥ずかしく感じた。 いよいよ嶺緒の片足を持ち上げると、今まで薄く隠されていた秘部が露わになった。 男は嶺緒のお尻を強く叩くとぱちんと音が響いてまた嶺緒がぴくりと跳ねる。 男は自分のモノを出すと、嶺緒のお尻に当てがってはゆっくりと挿入していった。 嶺緒の口が、モノが奥に入るにつれてゆっくりと開いていく。 気持ちがいいとああいう顔を、嶺緒はするんだろうか。あんなに綺麗な足だったんだろうか。 目の前で別の男と好きな人が交わっている。 でも不思議と嫉妬はしなかった。 多少なりとも嫌だとは思う。でもどうやったら嶺緒に手が届くか。そればかりを考えていた。 モノが何度も出入りして、嶺緒が身をよじって声を漏らす。 男が強く激しく腰を打ちつけて、びくびくと跳ねると、嶺緒の中からポタポタと白い粘液が漏れ出した。 きっと見応えのある部分だったんだろう。 でも僕には一瞬のように感じた。 興奮した観客たちが舞台の近くまで押し寄せて手を伸ばす。 嶺緒はぐったりと力が抜けた体を起こして観客を足元に、舞台際にしゃがむと何か一言を呟き、観客を背に今までのことが無かった様に舞台裏へと暗転と共に消えて行った。 嶺緒の言葉を聞いた観客がわっと湧いて収まらないまま舞台は暗闇になって、アナウンスと共に会場だけが明るく照らされた。 興奮冷めやまぬと言ったような観客たちがチップを投げたり、スタッフに渡したり、差し入れを投げたりととんでもない盛り上がりようだった。 結局最後までショーを見ることができた。 前のめりだった体を椅子の背もたれに預けると、どっと疲れが襲ってくる。 緊張していたのか、ため息が自然と溢れ出る。 コンコン と、ドアが鳴って驚いて後ろを振り向く。 「長瀬様、井上辰公がご挨拶に伺いました。お時間よろしいでしょうか?」 スタッフの単調な声に正気に戻る。 井上...辰公...。 正直ちょっと怖い。 煽られたし、仕事仲間の友人をデビュー日に呼ぶような感じだし...。 「ど、どうぞ。」 喉が閉まって上手く出せなかった声に焦りを感じて喉を鳴らしては普段の声が出るように整えた。 ガチャリと扉が開くと、この間会ったときのような私服で「どうも。」と部屋に入ると、スタッフが扉を閉めた。 座って見上げる相手は細身で足が長く、ラフな格好もかっこよく見えた。 どっかりと空いた椅子に深く座るとリラックスした態度で僕を見た。 「よく来れたな、好きな男が他の男と性交するってのに。」 驚きだと言ったように眉をあげると楽しそうに腕を組む。 僕を試しているのか、それともふざけているのか...。 「久々に会えたんです。少しでもきっかけを作りたいと思うのは間違ってますかね?」 丁寧な言葉を選んだけど、僕は少し怒っている。 この人は嶺緒と一緒に住んでおきながら、嶺緒を大事にしているようには見えない。 「いいや、そう来るだろうと思って。安心しろよ、アイツと俺は何もねぇよ。」 「何もない?一緒に住んでたんじゃ...。」 相手は少し地面を見たかと思えば、呆れたように天井をみた。 「あぁ。ただ研修やってる期間、仕事場が近い方がいいってあいつが使ってただけだ。」 面倒だというようにため息混じりに話すと、肘置きに頬杖を着きながら試すような目で僕を見た。 「んで、今日のこれ見てどうする?」 どうする?という言葉。 僕は案外苦手な言葉だ。 ヒントも何もないのに、質問する相手にとって正解答えなければいけない...そんな気持ちになってしまうからだ。 しかも友人の、セックスを見てしまうという普通じゃあり得ないような状況で、好きな人と関係を持っていそうな人に試されて...。 でも僕は、“どうするべきか”ではなくて、“どうしたいか”を答えとして出した。 「僕は、嶺緒にもう一度僕を見てほしい。」 友達としてでも、なんでもいい。 実際、気を遣って連絡するのをやめてから、僕達は疎遠になった。 僕が見ていない間に、嶺緒には何かがあって、ここで働いているんだ...。 僕に何も相談してくれなかった。 悩みも、何も。 だったら僕から嶺緒の側に近づくしかない。 嶺緒が頼れる友人に、少しでもなれたら。 「ふーん。じゃあ、これ渡しておく。どうするかは自分で決めろ。」 テーブルに出されたのは、名刺。 “オーナー 町田 アカリ” と書かれた、デルタの名刺だった。 「これって...。」 「ん、そろそろ時間かな?理由あって嶺緒とはあんまり話さないんだけど、もうすぐあいつも来ると思うから。」 携帯の画面でちらりと時間を確認すると、腰を上げてはそそくさと部屋を出ようと僕の話を遮った。 色々と聞きたいことがあるけど、僕の気なんて知らないというように相手は出て行った。 『あいつもくる』...って 嶺緒のことだよね...? 来ること言ってない...!! 見たことも言ってないし! どうしようどうしようと、椅子の周りをぐるぐると回っては、棚に置いてある鏡で髪を整えてみたりと落ち着かず、心が右往左往した。 すると、コンコンと扉の音がしてまたスタッフの声が扉からくぐもって聞こえた。 「長瀬様、白川嶺緒がご挨拶に伺いました。お時間よろしいでしょうか?』 心拍数は一気に急上昇。 何も準備をしていなくて、心がザワザワして、「はい!!」と上擦った声で返事をした。 友達とただ話すだけ。 そう自分に言い聞かせながら、嶺緒と話す覚悟を決めた。

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