27 / 28

第21話 変化

稽古後、シャワー中も嶺緒さんは特に言葉を発する事なく、俺への質問に答えるだけだった。 口数の少ない人で、ステージにたっている時から発せられるミステリアスな雰囲気は変わらずだった。 白い肌に流れる雫がまつ毛を伝って落ちる。 横顔も絵画のように美しくて、この人とほんとにヤったんだと思うと気持ちが浮ついてしまう。 嶺緒さんは外せない貞操帯を見ては小さくため息を吐くばかりで、やはりずいぶん疲れた様子を見てとれた。 「家まで送りますよ。」 「ん、今日はそうしてもらおうかな。」 案外あっさり許された事に少し驚く。 嶺緒さんがふと見せた笑顔に高校生の時のようにときめいてしまったのは自分の中だけに隠しておくことにする。 俺は嶺緒さんちが何処かも知らないまま、着いていくことにした。 「今日...どうでした?気持ちよかったっすか?」 話す事もなく...というよりは、俺のおふざけも今は逆効果な気がして、今日の事を話題に上げた。 しんどいなら、俺にだけ言ってくれれば北尾さんを止めたりできるだろうと考えたからだ。 「気持ちよくない...と言えば嘘になるけど、それ以上に...怖かった。」 嶺緒さんがこんなこと言うのは意外だが、あの時の表情から多少の察しはついていた。 「セックスなら大体分かるんだ。いつ来るとか、いつイくとか。でも分かんなかった。感覚もタイミングも....。」 深妙な面持ちで言葉を続けた嶺緒さんは地面に目線を落としたまま。 まだ慣れない感覚に戸惑っているようだった。 「慣れますよ。嶺緒さんなら、なんでもできますよ。」 言った後に、少し後悔した。 できない方が、よかったんじゃないかとか、向いてないから止めろって言ってやった方がいいんじゃないかとか。 「ありがとう。不甲斐ないとこ見せれないよな。」 自分じゃ気付いてないんだろうが、無理に笑顔を見せる健気な嶺緒さんを見て心が痛くなった。 No.1として堂々とステージに立って、自分に見惚れるのが当たり前のように手先まで魅力的に見えるあの嶺緒さんが、今は少し自信なさそうに小さく見えた。 「嶺緒さんちここっすか?結構近いんすね。」 「店の近くの家買ったからね。」 少しだけ自慢げにする嶺緒さんが可愛らしく見える。 背も俺とそんな変わんないデカさで、それでもΩだけど話ながら笑ってる姿も、笑ってる口に指を当ててお上品なとこもピンク色の唇も耳たぶのピアスも、何でも素敵に見える。 「じゃあここで。俺タバコ吸いたいんで、先に行きますね。」 「送ってくれたし...待ってるよ。」 そう言うと嶺緒さんはマンションの裏側にある喫煙ルームまで案内してくれた。 さすが高級マンション。喫煙ルームは換気されてて、暖房も効いてて快適だ。 「石黒、電子タバコ?」 「そうっすよ。」 「そ、じゃあ俺も中入る。」 喫煙ルームに入って吸っているが、俺の吸ってるタバコは殆ど香りを発さない。 寒い外に待つよりは中で暖まりたかったんだろう。 でも今時、紙タバコ吸ってる人なんて探しても滅多に見つからないのにわざわざ俺に確認してまでそんな心配をする必要があるんだろうか。 ふと先日喫煙所で会ったタツさんの事を思い出す。 「紙タバコ苦手なんすか?」 蒸気といえど嶺緒さんにかからないように顔を背ける。 「うん、匂い残るし苦いしね。」 まるで吸ったことがあるような口調...、いや、吸ってる人がこんな言い方しない。嶺緒さんは非喫煙者だ。きっとタツさんとの何かを思い出すからかもしれない。 嶺緒さんの横顔を見ていると、ぼーっと何も考えず緩んだ眉が、気を抜いた肩が、隙だらけに見えた。 「...俺のは、...苦くないっすよ。」 そう言って俺は嶺緒さんの唇を奪おうと顔を近づけた。 今なら、いけると思った。 嶺緒さんちの真下だし、運が良ければ家に入れてくれるかもって、運良く嶺緒さんが俺を意識してくれたら...なんて。 俺は嶺緒さんと暫く会ってなかった事もあって、嶺緒さんのガードの固さについて頭によぎりもしなかった。 嶺緒さんも顔を近づけて唇が触れそうになる直前で顔を避けると、俺の耳元に口を近づけて囁く。 「俺は、店の外ではヤらない。」 吐息の混じった、でも色っぽさではなく脅すような低音がかった声を受け取った耳は、俺を驚かしも苛立たせたりもせず、ただぞわぞわと血が早く流れるような感覚にさせた。 「勘違いさせたなら、悪い。でもつぎ同じようなことしたら、ぶっ飛ばすからな。」 交わした首を胸を軽く押して離す。 「あ...。すんません... と、俺の謝る声を置き去りにして嶺緒さんは喫煙ルームから先に出た。 まだ残ったタバコを吸いながら俺は嶺緒さんの声の余韻に浸って、タツさんの事との答え合わせをしながら、嶺緒さんとの関係をどうやって縮めるか考え始めていた。 煩悩だらけ。欲まみれだ。よくないよくない。 自分を戒めながら最後に息を吐くとカートリッジを捨てて何事もなかったかのように喫煙ルームから出た。 外では嶺緒さんが少し寒そうに壁に寄りかかって待っていた。 あんなことしても待ってんだから、マジにお人好しだなとおもう。 「お待たせしました。」 と喫煙ルームを出ると、嶺緒さんがチラリと一瞥して「送ってくれてありがとう。」とマンションへと消えていった。 返事を返す暇もなく、嶺緒さんの背中を見送って俺も自宅へと歩き出す。 こういう事されんの、慣れてんだろうなぁ。 思い返すと、あの時俺が迫っても眉一つ動かさない嶺緒さんは俺を簡単にかわした。 「くっそーーー。ダメかぁ〜...。」 イケるんじゃないかと思った自分が悔しい。 ずいぶん距離が近づいたと思っていたが、さすがに甘かった。 「フラれた男が増えるのもわかる気がする。」 みんな勘違いするんだろう。 今までは泉さんがいたから嶺緒さんに近付く人も少なかったが、泉さんがフラれたなんて噂が経てば更に俺みたいに隙を狙う男は増えるだろう。 明日からもまたこうやって嶺緒さんとの稽古が始まる。 嶺緒さん自体こういうことも初めてで、だいぶ疲弊している様に見えるが、大丈夫なんだろうか。 嶺緒さんのことで頭がいっぱいの中ぼんやりとしているといつのまにか家に着いていた。 ___ 「どーしたのその顔、嶺緒にでもぶたれた?」 俺の腫らした頬を見て、昨日嶺緒さんに変なことでもしたのかと北尾さんは思ったらしい。 したっちゃーしたけど....この頬の盛大な腫れは別の人間の仕業だ。 「彼女に好きな人できたから別れようって言ったらこれっす。わんちゃん殺されるところでした。」 頬を保冷剤で冷やしながら事情を説明していると小気味よさそうに北尾さんが笑う。 「っふ...はははっ!ほんっとに素直だな石黒くんは...!」 上品にくすくす笑うと僕の目をまっすぐに言い当てる。 「嶺緒でしょ。好きな人って。」 びくりと心が跳ねる。 別にバレないと思っていたわけじゃない。 わけじゃないがこうもまっすぐ言い当てられると何故だか部が悪い。 「そ....そーっすけど....だめすか?同じ人好きになっちゃ。」 「いいや、彼は誰にでも愛される人間だから欲しくなるんじゃないか。」 それは本当に好きっていうのか!? と少々ムカつく。俺はまんまと嶺緒さんが好きになっちまってるようで、こーいう不純な動機の人が同じ人を好きだと思うと許せない気持ちになる。 「薔薇みたいだろ?愛されて、誰からも欲しがられるのに当の本人は棘だらけだ。だからこのショーでマゾヒストになれれば棘がなくなるかと思ってるんだけどね...。」 思い悩むように北尾さんは首を捻ると小さくため息をついた。 北尾さんの本当の目的はこうやって嶺緒さんを手懐ける事だったと思うとゾっとする。 そしてこういう事を躊躇なく言えるんだから、ドミナントなんだろうと感じる。 「嶺緒さんはそー簡単に棘を無くしてはくれないっすよ。」 「知ったような口ぶりだね。嶺緒に何か言われた?」 図星だ。墓穴を掘ったようなもんだが...。 まるで何でも手のひらの上だというような調子でニコニコと笑みを絶やさない北尾さんに押される。 こうやって相手の事を読み取るのもこの人の常套手段だ。 「別に何も言われてないっすよ。」 昨夜の嶺緒さんとの距離、色っぽい声、今にでも奪えそうな唇、全てを一瞬で思い返すと心臓が勝手に鼓動を早くした。 「そ、ならいいんだけど。」 全てを見透かしているような透き通った目が三日月のように弧を描く。 またその目を見ているともっと何か見られそうな気がして、逃げるように目を逸らした。 2人の間に静寂が流れ気まずさで重くなっている空気の中声を発したのは嶺緒さんだった。 「石黒、何その顔....気の毒だ。」 ドアを開けて深く被ったキャップの下から輝く目をのぞかせると、嶺緒さんは本当に不憫そうに俺を見た。 「好きな人できたって彼女に言ったらコレっすよ。」 正直に理由を話す。 あんたのセーでこーなってんだよって意地悪したくて。 嶺緒さんはじっと俺の目を見ると「ふぅーん。」とわざとらしく興味がなさそうなそぶりを見せると、抱えていた荷物を下ろしてキャップを脱いだ。 かきあげた前髪がするりと顔に落ちて、ボサボサになっていると表現したいが乱れた髪がまた色っぽく見えて俺は完全に虜になってると再認識する。 「んで、今日は?」 「今日も変わらず、だよ嶺緒。本番までずっと我慢だよ。」 にっこり笑ういけすかない笑顔の北尾さんに、嶺緒さんはまた怪訝そうな顔をすると、「わかった。」と断る事なく答えた。 俺たちにとっては楽だが、嶺緒さんにとってこっからは地獄だと分かる。 快楽あってのSEXだ。 快楽に到達できないまま痛みと絶頂の直前を味わうことがどれだけ苦痛...いやそれをも乗り越えた先の快楽を望むことができるか...。 そこがマゾとの分かれ道だ。 大きな快楽のためなら痛みをも問わないというのなら、完全に嶺緒さんがマゾになれたと言える。 でもその快楽を感じられるのは本番だけだ。 そこまで耐えれるのか俺は心配だ。 「じゃあ、今日もやろうか?」 北尾さんはまたにっこりと笑む。 自分のモノになっていく感触があるのか、あの人は終始楽しそうに笑うだけだ。 __ 「っあぁっ!!!っくっ!!」 昨日と同じくらいか、振り下ろされる鞭は嶺緒さんの腿や尻を赤く染め上げていく。 俺が止めようと不安そうに曇らせた表情をすると、嶺緒さんは必ず「大丈夫だから。」と止めさせてはくれなかった。 それがよほど気持ちよかったのか、北尾さんの愉悦に浸る表情を見ると、自分も同じように嶺緒さんに鞭を振り下ろしてみたいと思う。 いじらしく涙目で痛みに耐えながら、頬を赤らませて俺を見るんだろうか。 俺にも同じような表情を見せてくれるんだろうか。 今まで押さえていた加虐性が溢れてしまいそうで自分が怖くなった。 「んんっ...はぁっ!、っく」 嶺緒さんは痛みに耐えているだけじゃなく、自動でピストンを繰り返すおもちゃにも耐えていた。 つらそうに眉を顰めて、ひたいに汗を滲ませて、それでも白くてしなやかな体が時折びくりと跳ねるのが美しいとさえ思えた。 止めなきゃと思いながら、まだ見ていたいと願った。 最後にお尻とモノのギリギリをパチンと弾く音が聞こえた時、嶺緒さんの貞操帯からは白い液がジワリと溢れて「...れっど」という力ない声と共にベットへと倒れ込んだ。 勃起しない状態でイッたのがはじめてだったのか子供のようにしくしくと涙を流しながらベットに丸く蹲って動かなかった。 「嶺緒さん...。」 心配そうに手を伸ばすと弱々しく弾かれる。 「大丈夫だから」とだけ声を出すと体を起こして1人フラフラとシャワー室へと消えていった。 嶺緒さんの頬にきらりと雫が光っているのが見えて、俺はなぜ止めなかったんだろうと後悔した。 どう声をかけていいかもわからず、俺は椅子に座って嶺緒さんが出てくるのを待っていたが、北尾さんはしばらくするとシャワー室へと入っていった。 ついつい後をつけてこっそり見るとシャワーから上がったびしょ濡れで頭にタオルをかけた嶺緒さんの両頬を大事そうに包むと、北尾さんは見た事ないような優しい笑みを向けて一言二言交わし嶺緒さんは小さく頷いていた。 嶺緒さんと北尾さんの会話が気になる。 たった一瞬の出来事だが、自分だけ置いて行かれたような気がした。 暫くすると嶺緒さんが濡れてまとまった髪を掻き分けながら出てくるとそそくさと帰る準備を始めた。 こんな寒い夜に髪も乾かさずに外に出るなんて風邪引くに決まってる。 「嶺緒さん、一緒帰りましょう!」 俺の声に一瞬悩んだように足を止めると、 「うん」と小さく頷いた。 俺も慌てて荷物を手に取ると「じゃーよろしくね。」と北尾さんは先に帰っていった。 北尾さんが出たのを見て出て行く嶺緒さんに足早について行くと、前歩いた帰路と同じルートを、前よりは言葉少なげに返った。 少し足元を見て綺麗な横顔に影が入って、夜の暗さもあってか表情も見て取れない。 じっと嶺緒さんの表情を読み取ろうと見つめていると頬に小さく光る粒が流れるのが見えた気がした。 「嶺緒さん!?」 俺に見られていたことにハッと気づくと顔を背けてはその粒を袖で拭ってキャップを深く被った。 「...ごめん。」 「ごめんだなんて....!どうしたんすか、何か辛いことでも....」 「自分が不甲斐なくて....悔しいんだよ。」 嶺緒さんはポケットに手を突っ込んで顔を逸らしたままそう答えた。 足取りが少し遅くなると、すうっと息を吸って大きなため息を吐いた。 「上手くできない。こんなこと初めてなんだ。この仕事向いてると思ってたけど初めて自信を無くしてるよ。」 気を取り直したように笑顔を向けると、眉は困ったままで歩みをいつも通りの速さに戻した。 背中が小さく見えて、壊れそうな程脆く見えて、傷つけないように大事に扱いたいと感させられた。 それも嶺緒さんの魅力の一つなのかもしれない。 ほっとけない人だ。 「嶺緒さんは上手くやってますよ。本当に。そもそもやれてるだけで二重丸っすよ。アブノーマルなプレイなんてやるのすら無理な人がほとんどだ。」 歩いて上下する嶺緒さんをじっと見つめる。 時に歩幅が合って、時に踏み出す足が一緒で、そんなループをぐるぐると繰り返しているとあっという間に2人の時間は終わりを告げる。 「今日も送ってくれてありがとう。また明日。」 「また明日。」 綺麗で白い手をひらひらと振ると嶺緒さんはマンションのロビーへと消えていった。 「いつまでまた明日っていえんのかな。」 案外片思いでもこうやって帰る毎日は好きだ。これがあと数日で終わると思うと少し寂しい帰り道になった。

ともだちにシェアしよう!