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 その言葉を発した途端、龍巳はぴたりと動きを止めた。けれど、その腕は暁を抱き締めたままで、離す気配はない。  後ろを振り返って表情を確かめようとするが、ますます強固に、痛いほど抱き締められ、もはや拘束されているように身動きが取れない。  顔を、見せたくないのかもしれなかった。 「……何か、見たのか」  長い沈黙の末、ようやく吐き出された龍巳の声は、震えていた。 「うん。……これを」  身動きが取りにくかったが、なんとかポケットを探って紙を取り出す。それを見た龍巳がひったくろうとしてきたので、その拍子に緩んだ隙に腕から逃れ、紙を死守する。 「暁。紙を」  伸ばされた手を払いのけると、龍巳は台所へ向かった。  龍巳が刃物を取り出すのを見て、少しひやりとしたが、不思議と心は冷静だった。 「暁。ほら、早く」  むしろ焦っているのは龍巳の方で、刃物を持った手が震えている。 「龍巳さん」 「……めろ」 「龍巳さん」 「やめろ!!」  名前を呼びながら近付くと、龍巳は叫びながら突進してくる。避けようとは、思わなかった。刺されても構わなかった。  ただ、この秘密の意味を、真実を知るまでは死ねない。  だから、わざと足を踏み外したふりをして、後方へ転ぶ動作をすると、龍巳は包丁を投げ出し、暁を引き寄せた。  必ず助けてもらえると確信があったわけではないが、既に体に馴染んだ体温に抱かれ、この判断が正しかったと知る。 「龍巳さん」 「……なんだ」  今度は怒り出したりせずに、龍巳は返事をする。 「教えて。このDNA鑑定書、どういう意味?どうしてこれを持っていたの?」 「……」  写真立ての裏側にあった紙切れは、龍巳と暁のDNA鑑定書だった。そこには、親子ではあり得ないほどに低い値が記されている。  こんなに焦る龍巳を見たのは初めてだ。誰にも暴かれたくなかったことに違いない。  だが、それならばなぜ、すぐに処分してしまわなかったのか。そして、この鑑定書が意味するのは、間違いなく。 「龍巳さん」  再度呼びかけると、龍巳は深い溜め息をつき、遠い目をしながらぽつりと言った。 「俺が、殺したんだ。お前の両親を、この手で」  言葉が耳をすり抜ける。理解しようにも、できない。  呆然としている暁を前に、龍巳は包丁を拾い上げ、暁に差し出すようにその柄の部分を向けてきた。 「本当はお前が、これを俺に向ける資格がある」 「とう……さん、……」 「俺はお前の父親じゃない。いろいろしてきて今更だが、本当に父親じゃないんだ。お前は、もう十分大人になった。これを俺に向けるか、俺を檻に入れるか選べ。お前はもう、一人で生きていける」  その言葉は、殺人犯がその被害者の息子に向けるには、あまりに。 「龍……巳さん、どうして」  両親を殺したのか、どうして今まで父親として自分を育てたのか、それは贖罪の意味で、それだけだったのか。  どうして自分を抱いたのか。  言葉がいくつも浮かんできたが、龍巳の全てを諦めたような目を見て、音になる前に胸の内で消えていく。 「……少し、考えさせてください」  暁の答えを待っている龍巳に、そう言うのがやっとだった。  翌朝、龍巳の家を出た暁は、仕事に行く前にある人物に連絡を入れることにした。電話をかけると、ワンコールで相手は出た。 「……暁?」 「うん。ごめん。ずっと電話に出られなくて」 「ううん。俺の方こそ、自分から別れ話したのにしつこかっただろ」 「全然」  電話の相手は、別れたばかりの元恋人、滉一だ。実は昨夜、電話の履歴を調べると、春音の他に滉一からも何回かかかってきていた。メッセージでは一言謝りたいとあり、かけてみることにしたのだ。   「メッセージで謝りたいとか言ってたけど、俺は全然……」 「暁、ごめん」  気にしてない、と言いかけた声に被さるようにして、滉一が謝ってきた。 「いや、だから俺は気にしてないって」 「それでも。俺はせめて、暁の理由を聞くべきだった。急かしたり、勝手に思い込んだりせずに、暁が話してくれるまで待つべきだったんだ」「……」  また、春音のように理由を言えと言われるだろうか。身構えかけた時、滉一の言葉がするりと入ってきた。 「言ってなかったけど、俺、警察官やっていてさ。言い訳に聞こえるだろうけど、疑うのが仕事で……」 「滉一?」 「ん?」 「頼みがある。俺の両親の死の真相を突き止めたいんだ。協力してくれないか」 「……死の、真相?殺されたとか?」  その犯人が龍巳かもしれないとはまだ言えなかった。 「……いや。それも分からないから、調べたいんだ」  沈黙が返ってくる。やっぱりだめかと思いかけたが。 「分かった。過去の事件や事故の資料を見せてもらえないか聞いてみる。できればフルネームと、何年ぐらい前のことかを教えてくれ」 「フルネームは……また調べたら言う。年数は、恐らく二十年くらい前の……」  話を終え、電話を切る。暁に包丁を持たせようとした龍巳が脳裏に過る。まだ確かな証拠を掴むまでは、龍巳の言葉を鵜呑みにするわけにはいかなかった。  滉一に任せきりにせずに、自分の方でも調べてみることにして、これからのことを考え始めた。

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