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2.snowslide②

「おー、久しぶりじゃん」  終電に飛び乗って数駅、そこからしばらく歩いたところにあるバーに顔を出すと、カウンターの一番奥の席にいた男が言った。吹雪はどうも、と短く挨拶すると男の隣に腰かけた。 「何飲んでます?」 「お前には飲めないようなやつ」 「同じのください」  男の言葉にむっとしてマスターに言うと男は「ばか」と笑って 「拓さん、こいつに軽くて飲みやすいやつちょうだい」 と注文した。 「いや俺もうすでに少し飲んでるんで……」  吹雪が文句を言うが、男は「どうせまた缶チューハイだろ」とあしらう。 「ちなみに何本?」 「…… 三分の一」  口にした瞬間、男は噴き出した。笑い方から察するに、顔には出ていないがもう結構酔っているらしい。 「千晶さん明日休みなんですか?」 「めちゃくちゃ仕事」  じゃあ早く帰れよと言ってやりたいのをぐっとこらえてポケットから煙草を出す。横で灰皿を差し出してくれる千晶に、吹雪はそういえばと口を開く。 「先週の人とはうまくいってますか」 「もう別れた」  千晶は煙草の煙を吐き出しながら言った。 「お前は?」 「あんまり連絡取ってないですね……」 「せっかく紹介してやったのに」  千晶の言葉に吹雪は申し訳なさそうにすみません、と謝った。 「まーお前の好みじゃなかったか。顔は清楚っぽいからいけると思ったけど、アイツ中身ドエロだからな」  その相手は向こうが気に入ってくれたらしく、いわゆるそっち側の人間からはとんとモテなかったので紹介してもらったのだが、千晶の言う通りホテルに入るなりこう…… なんだかすごくて正直ついていけなかった。 「お前顔綺麗すぎるからなあ」  大学に入ってから数人の女性と付き合ったが、どの相手もうまくいかずに別れた。北斗と今度こそ決別しようと決めて、じゃあ男はと思って付き合ってみるもなかなか難しかった。 (ていうかそもそも、自分のセクシャリティが正直よくわからない……)  いい歳して恥ずかしいとは思うが、今まで一人の人間しか好きになったことがないので統計を取りようもない。 「シャンディ・ガフです」  目の前に置かれたグラスの中身は、薄い茶色のような、オレンジのようなそんな色をしていた。泡が立っていて、ビールに少し似ている。ここに通うようになってからまだ数か月で、カクテルはまだそれほど詳しくない。以前ここのマスターにビールは苦手だという話をしたら、じゃあこれはどうかとこのシャンディ・ガフを勧めてくれた。 「次の奴紹介しようか?」 「うーん……」  何をしても文句や苦言を口にせずにいてくれた叔母が唯一いい顔をしなかったのが煙草だった。「吸うの…… そう……」とはっきり口には出さなかったが明らかに嫌だという顔をしていたので家ではあまり吸わないか、吸う時はベランダに出ることにした。 「お前が俺に誰か紹介してくれてもいいけど。なんか近くに俺より背が高くて男らしくて真面目そうな奴いない?」  言われて思い出したのは、高橋冬真の顔だ。 「…… 千晶さんてでかい男めちゃくちゃ好きですよね……」 「え、だって興奮するじゃん、自分よりでかい男を組み敷くの」  まったく理解できないという顔をすると、千晶はまたへらへらと笑った。吹雪にはよくわからない性癖だ。いや、根本的には吹雪の好みと似たようなものなのだろうか。好みとは言っても、前に紹介相手を選ぶ参考にするからと千晶に聞かれたときに適当に答えたものだ。正直好みなどと言われてもぴんとこなくて北斗の特徴を挙げ連ねる羽目になった。  それなのに、だ。全然違うタイプの男と、よりによって同僚と、あんな。 「何、酔った?」  急に沈黙した吹雪を千晶がのぞき込んできて、吹雪は昨晩から今朝までの出来事を説明すべく口を開いた。 「お前…… いつからそんな子になっちゃったんだよ」  要点だけをかいつまんで説明したのが悪かったのか、千晶はようやく少し赤くなり始めた目元を掻いた。 「もうそいつと付き合うの?」 「いや、もうなんか向こうは知らんぷりというか、何もなかったみたいに……」 「本当に何もなかった可能性は?」  散々願って視野に入れた可能性を示唆されて、吹雪は下を向いた。吹雪の顔色を見て瞬時に察した千晶は、信じられないという様子で口を開く。 「え、お前もしかして抱かれたの?」  店内に人も少ないとはいえ、直截的な物言いをされて吹雪は年上相手であるにもかまわず睨みつけた。千晶は一瞬怯むも、すぐに口元に笑みを戻して吹雪を見つめてくる。 「俺が抱いてやろうか」 「…… 勘弁してください。変な性癖を植え付けられそうなので」  あのあと結局酔った千晶を家に送り届けて、帰ったのは空が白みはじめた頃だった。もうとっくに朝と言える時間だったので、佳澄と冴子のために簡単に朝食を用意することにする。 「あれ、早いね」  準備をしていると佳澄が起き出してきてまだ眠たそうな顔を吹雪に向けた。 「ゆうべあのあと友達が近くで飲んでるって聞いたから、ついさっきまで一緒に呑んでた」 「なんかホットケーキっぽいにおいする~」  生地をフライパンに流して焼いているとタイミングよく冴子が起きてきて言った。 「ご名答。冴子さん何枚?」 「さんまーい」 「佳澄ちゃんは?」 「同じく」  了解、と答えてホットケーキを粛々と焼く吹雪の横に待ちきれない様子の冴子がやってきて「何かお手伝いする?」と言ってきたので戸棚から皿を出してもらう。 「二人とも何時に出かけるの?」 「特に決めてないけど…… まあ適当に」 「ふうくんも一緒に行く?」 「いや、いいよ」  冴子に尋ねられて、吹雪は苦笑いした。 「全然寝てないからもう眠いし、ちょっと寝たら授業の準備しようと思ってるから」  朝食を食べてしばらくすると、身支度を整えて佳澄と冴子は出かけて行った。  吹雪は少し床を掃除してから、椅子に座ってぼんやりしていた。  寝るとは言ったが、まったく眠る気になれない。こっちに来てすぐの頃も、夜になっても全然眠くなくて勉強ばかりしていた。リビングのテーブルで、吹雪はノートパソコンと教科書を開いた。とりあえず何か作業をしていると何も考えずに済むし、周りに自分以外の所有物がたくさんあると安心できる。  結局、冬真と何があってそうなったのかは思い出せないままだ。 (…… いや、もう忘れよう)  あの冬真の態度は多分そういうことだ。というかこっちだって何かあったら困るし。何もなかったことにしておくのが一番良い。  吹雪は自分に言い聞かせながら、キーボードを打つ手を速めた。

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