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9.If Winter comes, can Spring be far behind?①
「こんなもんでいいよな……」
一泊二日だし、と北斗はひとりごちて、着替えや充電器など身の回りの物を詰めたバッグを肩にかけた。そろそろ時間だ。昴の友達のうち、家が近いふたりが一緒の車に乗り、昴の運転する車がもう一人の友達を乗せて北斗のマンション近くのコンビニまで迎えに来ることになっている。それからもう一人の友達の同僚も同じ車に乗ってもらうらしい。昴からの連絡がまだないのを確認してコンビニに向かうと、見知った車がコンビニの駐車場に入っていくのが見える。
昴の車だ。待たせては申し訳ないと小走りで近寄って、北斗は後部座席から出てきた姿に思わず足を止めた。整った顔立ちにかかる髪をかき上げるその姿に、視線を奪われない人間は多分いないだろう。
「…… 吹雪……」
冬真は昴の隣で、陳列棚の向こう側から店の外にいる吹雪と北斗の様子を窺った。ひょっとして―― ひょっとすると、
「あの人って……」
飲み物を選んでいた昴がふと口を開いて、冬真は我に返った。何、と問えば昴はいやと大したことではないというふうにレジへ行こうとした足を止めて手を振る。
「歳、いくつかなと思って。冬真の同僚ってことは、歳近い?」
「二年目って言ってたから今年で二十四のはずだけど」
「あ、へえ……」
そう言って店の外に目をやる昴を横目で見ながら冬真は、
「あのふたりが知り合いって、すごい偶然だな」
と口にした。
「ああ、でもお前はあの人に聞いたりしてたか」
「…… いや全然……。お互い、昔のこと話したりしないし。前に」
なんかあったのかなとは思うけど、と言いかけて、昴は飲み込んだ。
「前に、何」
「いや何も」
昴は首を振って今度こそレジに向かった。
「…… 知らなかった。彼の友達の同僚が来るって話は聞いてたけど」
君とは思わなかったと北斗が口にする横で、吹雪はしばらく黙っていたが
「俺も知らなかった」
と呟くように口にした。
「…… 高橋先生には色々迷惑かけてて、困ってるみたいだから誘いを受けたんだけど。…… 君が嫌なら、俺……」
「何、帰るの?」
北斗の声は今までになく厳しかった。いつにない北斗の態度に吹雪が黙りこむと、北斗は店内に足を向けた。
「…… 好きにしたら。僕には関係ないから」
言い置いて、北斗は店内に入っていった。
「…………」
彼の後ろ姿を振り返ることなく、吹雪はコンビニの窓にもたれた。怒らせるつもりなんてなかった。―― ただ、昔から自分のなかには、彼に嫌われることを第一に恐れる小さな子どものような存在がいるのだ。それに抗うすべを、吹雪はまだ知らない。一生わからないままなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、店内にいた三人が出てきた。
「はい、先生のぶん」
冬真は自動ドアから出てくるなり吹雪の方へ向かってきて、プラスチックのカップを差し出した。
「ブラックでよかったですか」
「あ―― はい。どうも……」
受け取ると、カップはすっかり汗をかいていた。再び車に乗り込もうとすると、吹雪のいないところでそういった会話がなされたのか、今度は冬真が後部座席に、北斗が助手席に乗った。
「気分悪くなったらすぐ言ってください」
と昴が北斗に告げて、ようやく気付く。北斗は昔から、乗り物には弱かった。具合が悪くなった北斗に付き添うのはいつも吹雪の役目だった。
車内にラジオが流れ始めた。ぽつりぽつりと建っていた工場が消え、辺りには田園風景が広がる。この先数キロは変わらないだろう景色の先には、くっきりと山が浮かんで見える。
一時間半もすると、車は目的地に到着した。小綺麗な温泉旅館だ。駐車場では既に千晶と鷹弘が到着していて、昴たちが来たのがわかるとこちらに向かって手を振った。
「はじめましてー」
昴の友達です、と鷹弘と千晶が続けて挨拶して、北斗がわずかに緊張した面持ちで自身の名だけを口にした。続いて鷹弘が吹雪にも挨拶をして、千晶がようやく吹雪の顔を見た。少しの沈黙の後、何でもない様子ではじめまして、と挨拶したので吹雪も同じように挨拶した。
「夕飯七時だって」
「じゃあ、温泉が先?」
「だな」
鷹弘たちが口々に言って、一行は部屋に向かった。後から来た四人はそろって旅館の中ををきょろきょろと眺めながら部屋までの道のりを歩いた。建物の雰囲気としては和と洋を合わせたような感じで、辺りには上品な、言ってしまえば高級そうな空気が漂っていて、落ち着かないのは多分吹雪だけではないだろう。
「昴は彼氏さんと一緒の部屋がいいでしょ?」
「は?」
「冬真と先生はそっちの部屋ー」
鷹弘はさも当然のように言いながら、昴と北斗には自身と千晶の左隣の部屋を、冬真と吹雪には反対の右隣の部屋を指した。
「…………」
なんだか部屋割りを聞いただけで不安が募るが、彼らも気を遣ってくれてのことだろうと吹雪は自身を納得させようとした。吹雪とて、酒さえ飲まなければ醜態は晒さないわけだし。そう、飲むからいけないのだ。飲みさえしなければ問題はない―― 多分。
大浴場の人の入りはまばらだった。混む時間帯はこれからなのかもしれない。あるいは、露天風呂の部屋もあるのでそちらに入る客の方が多いということも考えられる。
「余計だったかな?」
「なにが」
湯に浸かりながら口に出された鷹弘の呟きに、隣にいた千晶が反応した。
「いやほら、昴とさ……」
「彼氏? ―― つったって、ツインしか残ってなかったんだろ?」
じゃあこの分け方しかないじゃん、と言う千晶の横で鷹弘はうーんと納得していない様子で唸りながらゆっくりと自分の体を沈めていく。
「あの先生だって、今日あったばっかの俺らより冬真との方が過ごしやすいだろうし」
そう言って、千晶はちょうど湯に足を入れようとしている吹雪に目をやった。視線が合った吹雪が一瞬、眉間に皺を寄せて危うく噴き出しそうになる。
「そういやお前、彼女は?」
「彼女はって」
「どうなの、最近」
付き合い長いだろと指摘されて鷹弘はああ、とようやく思い立ったように宙を仰いだ。
「長いつっても別に―― でももう五年か」
「六年」
「すごい。俺より俺のこと知ってる」
交際の報告を受けた時期から数えて告げれば、鷹弘が笑った。
「何の話?」
と、そこへ昴が入ってきて言った。後ろから北斗も入ってくる。
「鷹弘の彼女の話」
千晶が答えると昴は
「あの、高校ん時から仲良かった子? まだ続いてんだ」
と言ってきた。
「最初は普通に友達だったよな?」と思い出しながら言うのは冬真。
「向こうから告られたんだっけ?」
「うん」
「そんな簡単に切り替えられるもん?」
「なにが?」
冬真の主語のない問いかけに、鷹弘が首を傾げた。だからさ、と冬真は質問を続ける。
「付き合ったのって就職してからだろ? 数年友達やってて、急に恋人同士になれるもんなの?」
その瞬間、そう離れていない場所でゆったりと湯につかっていた北斗と吹雪の顔がふっと上がった。
「そりゃ無理だろ」
鷹弘が答えるより先に、千晶が断言する。
「一回友達と思ったらそういう見方に変わるなんてレアケースだろ。最初からお互い無意識にそういう気持ちがあったんじゃねーの?」
「あー……」
そうなのかな、と鷹弘が真っ先に納得したような声を出す。
「いや、なんで本人がわかってない……」
「すみません、僕ちょっとのぼせちゃったみたいなので、先に出てますね」
突っ込みを入れようとした冬真の声に重ねるように北斗が言って、湯を出ようとする。
「え、大丈夫?」
思わず心配する昴を北斗は「大丈夫」と制する。
「大したことないから、昴くんはゆっくりしてきて」
きっぱりと言われ、去っていく足取りも落ち着いていたので昴は一旦は浮かせた腰を仕方なく下ろした。
…… 連れてきたのは間違いだったかもしれない。だってまさか、彼が来るとは思わなかった。彼が多分、前に北斗が言っていた人だろう。
昴は湯の中から立ち上がった。
「俺、やっぱ北斗くん心配だから見てくる」
昴を横目で見送ると、冬真は吹雪に視線を移した。今の話を聞いていたのかいないのか、ぼんやりと外の景色を見つめたまま動かない。なんだか心配になって、冬真は声をかけた。
「白峰先生は大丈夫ですか。―― 白峰先生?」
声をかけても反応がなかったので、もう一度呼びかけると彼は「え?」と驚いたような顔でふりかえってくる。
「のぼせましたか?」
冬真の表情がいかにも心配そうだったのか、吹雪は焦ったようにいやと否定した。
「大丈夫です。少しぼんやりしてしまって……」
そして、再び外に目を向ける。火照った頬が、酒を飲んだ時の彼を思い出させる。更には濡れた髪が皮膚に張り付いて、魔性とも呼べそうな色気を放っているかのように感じる。
「冬真ー、俺らももう上がるけど」
千晶の声で、冬真は我に返った。
「お―― 俺も出る。白峰先生は……」
「俺はもう少しだけ入っていきます」
振り返って聞けば吹雪は外の景色に視線を戻して答えたので、のぼせないようにとだけ告げて冬真は千晶たちと一緒に大浴場を出た。
…… 正直、吹雪を連れてきたのが正解だったのかよくわからない。先ほど昴が言っていた言葉がふと脳裏をよぎる。『前に』…… 何かあった? 北斗と、昴の間に?
吹雪との話の中で以前、好きだった人が、という言葉が出た。北斗という、男の名も。…… 多分、そうなんだろう。
ばらばらだった情報が集まり、認めたくなかった仮定が確信となった途端、どうしてか冬真の胸がつきりと痛んだ。
「誰か携帯鳴ってる」
浴衣に着替えながら言った千晶に、鷹弘が「あ、俺」と反応した。そして手早く浴衣を身に着けると鳴り続けているスマホを手にして
「ごめん、ちょっと出てくる」
と断り浴場を後にした。
「…………」
「俺らも部屋戻るか? ―― つってもまだ時間……」
「なあ、サウナ行かね?」
「は?」
鷹弘の背中を見つめている千晶の横で時間を確認しながら言うと、唐突な提案が返ってきて冬真は肩眉を上げた。
「浴衣着る前に言えよ」
「急に行きたくなった。行こうぜ」
知るか一人で行け、とは言いたくても言わせないのが千晶である。行こうぜ、という言葉は誘いの言葉では決してなく「行くに決まってるよな?」というほぼ命令に近い言葉なのだ。千晶の言葉には昔からこういう、有無を言わせない力強さがあって、鷹弘も昴も逆らおうとしない。
反抗しようと思ったことはない。する必要がないからだ。現に冬真が昴への気持ちに気づいた時、真っ先に蓋をしようとしたのは千晶だった。昴も鷹弘も、千晶が大切にしているものを知っている。冬真も、彼らが大切にしているものが何より大切なのをわかっている。
昴が二人目の彼女と別れた時、冬真は自身の想いに完全に蓋をすることを決めた。きっと自力では蓋をすることができなかったから、千晶がいてくれてよかった。
「あいつ、なんか最近彼女とうまくいってないらしくて」
サウナには、冬真らの父親ほどの年齢と見られる男性がひとりいるきりだった。その男性も少しすると去ったので、サウナ室は二人きりになる。
「…… へえ」
「ここしばらく喧嘩続きで…… っていうか彼女が一方的に怒るみたいな感じらしいけど」
「聞いたのか」
「教えてもらった」
聞き出したんだろうな。冬真はすぐに察した。無理やり問いただしたということはないだろうが、千晶と鷹弘のことだ。千晶の巧みな誘導に鷹弘も容易く乗って何もかも話したのだろう。
千晶はらしくない様子で重たいため息を吐いた。鷹弘と彼女は、恋人期間だけを考えてもまあまあの付き合いの長さだ。気が合っていたふたりだけに、簡単に別れるとは思いたくないが、冬真としてはこのまま鷹弘が彼女との交際を続けるとも思わない。
「…… 昴と彼は部屋かね」
ぽつりと千晶が思い出したように言って、冬真はびくりと肩を震わせた。当然千晶も気づいただろう。そう思っていると、彼はいかにも冗談っぽく笑みを浮かべながら
「どうする、夕飯の時間になっても部屋から出てこなかったら」
「馬鹿」
複数の意味を込めてなじるが、あまり気に留めない様子で千晶は立ち上がった。
「鷹弘の電話、そろそろ終わったかな」
「俺、もうちょいいる」
「あ、そ」
じゃあまあ気分悪くならないように、と忠告して千晶はサウナを出た。
冬真はさっきの千晶と同じように深くため息を吐いた。わかっていたことだが、かなり来る。女性との時も似た気持ちにはなったが、その時とは少し違う。昴の選んだ彼が男だということが、去年からじわりじわりと冬真を痛めつけているようだった。
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