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10.If Winter comes, can Spring be far behind?②
北斗は部屋に戻っていた。
「北斗くん」
部屋の奥にある椅子に腰かけている北斗に声をかけると、北斗ははっとしたように顔を上げた。別段音を立てないように入ってきたつもりはないが、北斗は呼ばれてようやく昴が入ってきたことに気がついたようだった。
「大丈夫? 水とか飲んだ?」
「あ、いや、全然、ちょっとのぼせちゃっただけだから」
昴の問いかけに北斗は立ち上がりつつ答えた。
「本当? もうすぐ夕飯だけど俺らだけでも時間ずらそうか」
「そんなそんな、本当に…… その、思ってたよりもずっと立派な旅館だからびっくりしちゃって」
微笑みを浮かべて話す北斗の様子に問題なさそうだと判断した昴は、同じように笑みを返す。
「俺らは高校の時にも一回来てるんだけど、その時からまた改装してるみたいで、正直俺もちょっと落ち着かないかな。あーでも鷹弘は時々来てるとか言ってたから、そんなに……」
と、もうひとつの椅子に座ろうとそちらへ足を向けた昴の腕が、決して強くはない力で引かれた。昴が振り返る前に、北斗はその肩へ自身の額を下ろした。
「…… ごめんなさい」
絞り出すように零された言葉に昴はその身を震わせた。
「あの…… あいつは……」
「―― 前に言ってた人?」
吹雪のことを指しているのがわかって聞くと、北斗は頷いた。そしてもう一度謝罪の言葉を口にしてくる。
「昴くんの、先生をやってる友達の同僚だって聞いた時に、まさかとは思ったんだけど、でも、本当にそうだとは思わなくて」
「うん」
昴は北斗の頭を撫でつつ彼をもともと座っていた椅子に座らせた。昴はいつも、誰にでも優しい。もちろん北斗にも。昴の腕に触れたまま、そこへぎゅうと力を込めると、彼は正面へ膝をついた。拒絶はされない。ふたりは、どちらからともなく互いの顔を近づけると、唇同士を触れ合わせた。離すと間もなく、北斗は昴の首に自信の腕を回した。
今日はずっと、吹雪のことばかり考えている。いや、その前からだ。北斗は昴に抱き着いたまま、彼の肩口に額を埋めた。背中をなだめるように撫でられて、もどかしさと嬉しさがないまぜになる。
「ごめん、ちょっと」
昴のスマホが鳴って、ふたりは体を離した。
「そろそろ時間だって。行ける?」
「う、うん」
大丈夫、と精一杯平静を装って立ち上がるが、顔の赤みを抑えきれている気がしない。口元を押さえつつ、北斗は昴の後を追った。
食事は魚中心だった。以前昴から聞いた通り、幼馴染同士の近況報告から話が進んでいく。
「じゃあ、昴に彼氏ができたこと以外は特に目新しい話はないと」
千晶が飲んでいるのはここ近辺で有名な地酒だ。冬真は同じものを飲みながら、吹雪にそっと目をやった。彼もまた、同じ酒を飲んでいる。
「千晶は?」
「ないなあ」
鷹弘の問いに、千晶が答える。吹雪は最近また新しい人と会ってますよね、と言いたかったが言わなかった。酒が完全に回っていたら言っていた。
「お前こそ、彼女は? さっき結構長く電話してたじゃん」
「あ、もう別れた」
突然の報告に、昴と冬真が軽くむせて、千晶が食事の手を止めた。
「…… なんで?」
長い沈黙を破ったのは冬真だった。鷹弘は天ぷらをほおばりながら、何か言いたそうに口を動かした。
「へんはへははひへ」
「なんて?」
「ふふはひほほは」
「あーなるほど」
どうやら真面目に答える気がないと判断して適当に相づちを打つ昴のそばで、冬真が「いやわかんねーよ」と突っ込みを入れる。
「…… お前はそれでいいわけ」
と、今のやりとりの間ずっと黙っていた千晶が言った。
「いいよ、俺は」
吹雪はさりげなく視線を千晶と鷹弘へ移した。今、明らかに空気が変わった。千晶から、千晶自身の詳しい話を聞いたことはない。とはいえ吹雪も、良さそうな相手を紹介してもらうだけで、そこまで詳しく自身の事情を話したりはしないが。
―― 例えば、そう、互いの本命の話、だとか。
「あ、すみません、電話……」
食事を一通り終えた頃、北斗のスマホが鳴って彼は「出てきます」と断ってその場に背を向けた。
「昴お前、あの人とちゃんとしてんの?」
「ちゃんとって」
地酒を味わいつつ昴が首を傾げると、千晶は続けた。
「だってお前、高校ん時の子にいつまでも手出さないでフラれたじゃん」
「おい、千晶」
思わず冬真がたしなめるが千晶は構わず酒を呷った。
「…… 酔ってんの?」
「心配してんの」
千晶は少しだけ赤らんだ顔で、酒のおかわりを注ぎながら続ける。
「待たされる方の身にもなってみろよ。普通の人間は好きな相手と付き合ってるにもかかわらず手出してこないと不安になって当然――」
カン、と盃を卓の上に荒々しく打ち付ける音があたりに響いた。
「―― そうですかね。そういうこと抜きにして付き合えてるって想い合ってる証拠だし、大事にされてるって、俺は思いますけど。…… 少なくとも、誰とでも簡単に寝るような人よりは、よっぽど誠実に思えますけどね」
静かな声で言いながら、吹雪はゆらりと席を立った。
「…… 酒が回ってきたので、お先に失礼します」
吹雪が千晶たちに背を向けた、次の瞬間だった。吹雪の膝ががくんと折れ、たちまちその場に手をついた。冬真は慌てて立ち上がり、駆け寄りながら彼の座っていた席を見た。そして、ああ、と額を押さえる羽目になる。
(飲んだのか)
本当に、こっちが思っている以上に弱い。どれだけ飲んだのか、まったく見ていなかった。
「冬真、俺こっち支えるから」
昴の手を借りて、冬真は吹雪を部屋へ運び入れた。
ベッドの上に寝かせると、赤くなった横顔に髪が張り付いて、妙な気持ちにさせられる。冬真は顔を逸らしてその場を去ろうとする。が、ふいに後ろから何かに強い力で引っ張られて動けない。振り向くと、吹雪が冬真の服の裾を握りしめていた。
…… 似たシチュエーションを、昴に借りた本で読んだことがある。風邪で弱っている男がヒロインの服を無意識に引っ張ってときめく、というようなシーンだったはずだが、この状況はそれに似ているようでまったく違う。第一に、握りしめる力が彼自身の手に跡がつきそうなほど強いし。第二に、その顔は弱っているというよりは、何かつらいことでもあるかのように眉間に皺が寄せられているし。
―― なんにせよ、手を離してもらわないと身動きがとれない。
冬真は吹雪の手を外そうと、そこへ手をかけた。途端、眉間の皺が深くなり、もともと険しかった表情の険しさがさらに増す。
「…… ん…… めん、なさ……」
吹雪の手を握ったまま、冬真はベッドへ腰を下ろした。そして、彼の手が自然と離れるまで、しばらくそうしていた。
「どうする? もう一回風呂行く?」
北斗とともに部屋に戻った昴は、彼を振り返りながら言った。
「あ、でも酒飲んだばっかだからやめたほうがいいか」
「僕はそんなにだけど、昴くんは結構飲んでたもんね」
うん、と頷いて昴が二つ並んだベッドのうち片方へ腰かけると、北斗も隣へ腰を下ろした。
「でも寝るにはちょっと早いよね」
「いいよ、のんびりしよ」
そう言って、昴はテレビのリモコンに手を伸ばした。それを横目に北斗が部屋の中に置かれている急須で茶を淹れていると、スマホがメッセージを受信して振動した。北斗は送信主を確認するとそのまま画面を下に向けてひっくり返す。
「いいの?」
「大丈夫」
昴の問いかけに答えつつ北斗は淹れた茶を昴に差し出した。
「親が、ちょっと…… お盆に顔出さないかって言ってて」
「出さないんですか?」
「…… めんどくさくて」
北斗はそう言って、茶を口にした。横で昴が同じように湯呑みに口をつけながら「千晶も同じようなこと言ってたな」と言って笑った。テレビでは、夕方のニュース番組が流れている。それをぼんやりと見つめている昴の横顔を、北斗はじっと見つめた。
「昴くん」
「ん?」
「今日、一緒に寝てもいい?」
北斗が尋ねた途端、昴は咳き込んだ。茶が気管に入ったのか、昴はしばらく咳き込んだ後ようやく落ち着いたのか手のひらを北斗の方へ向けた。そして、
「―― せ、せまくない……?」
と口にした。まだ喉に違和感があるのか咳ばらいをする昴の前で、北斗は「そうかな」と言って立ち上がった。それからベッドのところまで歩いていき、そのままベッドに乗り上がる。
「うちのベッドよりは全然広いし、余裕で寝られると思ったんだけど……」
音を立てて同じベッドに乗り上げてくる男の気配に、北斗は言葉を止めた。自身の頬に手が伸びてくる。昴の手が触れる。
「…………」
北斗は身を固くして待つが、昴の手はは少しの間北斗の頬に触れただけで離れた。え、と思う間もなく昴は立ち上がる。
「ごめん、鷹弘と二人で飲もうって誘われてるから、ちょっと行ってくる。北斗くんは先に寝てて」
「あ……」
昴が部屋を出て扉が閉まる音がすると、北斗の背中がすうっと冷えていった。どうしよう。ベッドに座り込んだまま、あー、と声に出して頭を掻きむしった。
「何してんだ……」
もう彼の気持ちを利用しないと決めたのに。
しばらく頭を抱え込んでいた北斗はベッドから立ち上がると、部屋を後にした。
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