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ex.佐倉つぐみ①
昴は女性の知り合いが多いらしい、というのは付き合ってから知った。
白髪まじりの年配の女性から、幼い子連れの女性まで。ロビーや駐車場の隅で話し込んでいる時がある。…… それに。
「千世ちゃん」
本棚の向こうから聞こえてきた恋人の声に北斗は慌てて身を隠した。別段後ろめたいことはなにもないのだが。
昴に名を呼ばれた、彼と同じか少し年下くらいの見た目の彼女はぱっと顔を輝かせた。
「珍しいね、平日のこの時間帯に来てるの」
「明日友達と会う約束してて、来られないから」
二人はいつも図書館で顔を合わせると、二言三言交わして別れている。下の名前をちゃん付けで呼ぶって、結構仲がいいんだろうか。このまえたまたま会話を耳にした時は、昴の友達だという高橋冬真の話をしていた。あと彼女の口から兄という単語が出たから、多分、昴の友達の妹と推察できる―― いや、問題じゃないのだ、彼女のことは。
『―― 斎藤?』
『…… さくら?』
先々週のことだ。ちょうど本を借りて図書館を後にするところだった昴を、一人の女性が呼び止めた。彼と反対に図書館に入ってきた彼女は昴と同い年くらいで、やや小柄だ。久しぶりだね、とかなんとか話しているのが耳に入ったが、それ以降どうなったのかは北斗も知らない。どういう関係なのかも聞けずにいる。
でも下の名前を、それも呼び捨てにするって相当仲良くないとしない気がする。ひょっとすると、元カノとか…… そういう相手だったりするのかもしれない。
聞いてみたいという気持ちと同時に、前に一度だけ女性と付き合った時に少し女性と話しただけであれこれ聞かれたことを思い出す。正直言ってものすごく面倒臭かった。自分もああはなりたくないし、昴に面倒臭いと思われたら恐らくすごく落ち込んでしまう。
…… 切り替えよう。そして忘れよう、あの女性のことは。
北斗は自分に言い聞かせながら仕事に戻った。
『…… 佐倉?』
『うん、久しぶり』
会うのは四年ぶりだった。以前とは少し雰囲気が違っていた。…… 元気そうでよかった。
(―― うん、よかった)
よかったことにしよう。
昴は自分に言い聞かせながらベッドに寝転んだ。
彼女と―― 佐倉つぐみと初めて付き合ったのは中学二年のときである。彼女は保育園と小学校が同じで、でもほとんど話したことはなくて。だからこそ彼女の口からそんなことを聞いた時は驚きを隠せなかった。
『あー…… えっと』
『あ、待って、返事はいいから!』
昴が口を開くと同時に、彼女はらしくなく声を張り上げた。
『もう本当、言いたかっただけっていうか、全然、今日言うつもりもなかったし、付き合いたいとか思ってないから……!』
『え、そうなの?』
頬を上気させてまくしたてられて思わず問いかければ彼女は言葉を詰まらせる。
『いやまったく思ってないって言われたら違うけど……』
『うん』
昴自身彼女が嫌いではなかったし、告白を受けたのも自分に対してあんな顔をされたのも初めてだったので。正直嬉しかったし。舞い上がってもいたし。
『じゃあ、付き合うということで』
その後ふた月と立たずに別れることになるなど思ってもみなかったわけで。
ただ、彼女との交際がそれから後の数回の交際に対するハードルを下げたのは確かだった。
『もう、好きでもない人と付き合うのやめたら』
彼女と別れたことを最初に報告するのはもっぱら鷹弘で、この苦言を呈したのもほかならぬ彼であった。
『いや、好きだよ。好き好き』
事実である。
『好きだって言われるともうその時点で好きになっちゃうもんな』
『それはそれで心配だよ』
事実なのだから仕方ないと思う。
女の子向けの物語に強く惹かれるのと同じ理由で、自分ではどうしようもないのである。
『―― あっ』
再会は、ふたりとも成人した後であった。
『斎藤? うわ、斎藤だ』
県内の企業説明会に参加した時で、当然だが中学の時とはずいぶん雰囲気が違っていた。
(―― あ、化粧してるのか)
けして濃くはないせいでわからなかったが、よく見ると頬や唇が薄く色づいている。
『斎藤はもうどこか受けたの?』
『いや、まだどこも。佐倉は?』
『私はほら、保育の学校だから、実習とかは行ってて……』
つぐみはふとうつむいて、何かを言うべきか言うまいか悩むようなそぶりを見せた。
『斎藤さ、今彼女とかいる?』
思い切ったように問いかけてきた彼女に昴は首を傾げつつ『いないけど』と答える。
『なんで?』
尋ねると、彼女はためらいがちに切り出した。
話の内容はこうだった。
最近バイト先の先輩に告白されたが、つぐみ自身その相手にそんな感情は持ち合わせていないので断るつもりでいる。
『でも、その人…… 実は、女の人で……。私そういう人に今まで会ったことないからなんか…… 中途半端な気持ちで付き合うのも誠実じゃないし、特に理由もないのに断るのも、ちょっと悪い気がして』
もう、ほとんど病気なんじゃないかと自分でも思う。
よりにもよってとっくの昔にフラれた元カノの恋人のフリなんて、それこそ中途半端な気持ちでするものじゃない。こんなふうに安請け合いしてふらふらついてくるから変な女が寄ってくるのだと冬真や千晶に言われたことがある。
『…… 俺が、言おうか? つぐみは俺と付き合ってるので…… みたいな』
昴自身、そんなふうに思ったことはないのだが。
つぐみのバイト先に向かう道中に申し出ると、彼女は慌てた様子で手を振った。
『いいよいいよ、そんなことさせられないよ……! 連れてきといて言うのもあれだけど……』
『でも困ってんでしょ?』
『そ……』
そうだけど、とでも言いかけたらしい口は何も言わないまま閉ざされた。少しの間を置いて、彼女は再び口を開く。
『こ、困ってるっていうか、その…… 時々、時々ね、スキンシップがちょっとだけ多いかなーって思うことがあったりなかったり…… あ、でも女子ってそういうものかとも思うし……』
『…… たとえばどういうの?』
まくしたてるように話す彼女に尋ねると、つぐみはえっと、と昴の手に自身の指を伸ばす。
『まず、普通にこう……』
手を取られて握られ、昴は時折手をつないだり腕を組んで歩く女性を見かけることを思い出す。まあ、珍しくないことのように思える。
『で、こう』
するするとつぐみの指先が昴の着ているニットの隙間から中へと入り込んで、手のひらから手首の内側を撫でた。思わぬ指の動きをされ、昴は彼女の腕をつかんだ。
『これ、こっ…… え? 普段こういうことしてんの、女子は? 男子の知らないところで?』
『わ、私はあんまり……』
したこともされたこともと返すつぐみに昴はよかった、と胸をなでおろす。その意味を考えれば、よくはないのだが。
『俺もこれされてるのが佐倉じゃなかったら声上げてたし上司にされたら確実にセクハラで――』
下を向いてしまった彼女に気づいて昴は言葉を止め、『ごめん』と謝罪した。
『無神経なこと……』
言うと、つぐみは無言でふるふると首を振った。
『私がはっきり思ったことを言えればいい話だから。何も言わないで、バイトも辞めないでだらだら今の状況でいる私が、悪……』
自ら口にした瞬間、彼女の目尻からじわりと涙がにじみ出す。
『でも私、先輩に嫌われたくない……』
恐らくこれが彼女の本音なんだろう。昴の手を握る手に力がこもるが、昴は何もできずにいた。
『―― そっか』
そうだよな、と涙を流す彼女のそばで、昴はようやくそれだけ呟いた。
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