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第90話◇愛しい

「――――……先輩」 「……うん?」  先輩、と呼び掛けてみると。  ちょっとホッとしたように、微笑む。  よっぽど「陽斗さん」はだめなんだなあと思うと、またそれも可愛い。 「さっきの聞いてました?」 「ん、聞いてた」 「――――……」  あ、一応ちゃんと、聞いてたんだ。   「オレも、まだ帰りたくない…」 「――――……」 「なんか昨日から、すっげえ楽しかったし」 「――――……」 「なんか……三上と2人でいるの……」  そこで止まってしまった。  ――――……続きをしばらく待っていたけれど。 「先輩?」 「――――……何て言っていいか、よく分かんないかも……」 「――――……」  ……オレと2人で居るのが、何なんだろう。  ――――……でも、なんかものすごく照れくさそうだし。  絶対悪い意味じゃねえんだろうなと思って。    はは。  ……ほんと、可愛い。 何も言えなくなるとか。  全部言われてないのに、嬉しいとか。  ――――……こんな事、あんまり、無いかも。 「先輩、嫌だったら、良いんですけど……」 「ん?」 「後ろから、抱き締めても、いいです?」 「――――……」  とってもびっくりした顔で、先輩がオレを見つめてくる。 「あ、嫌なら、良いです。ちょっと、くっついてみたかっただけなんで」  思わず笑ってしまう。  そんなに、目をぱちくりされると。  なんか、先輩、髪の毛濡れて、落ちて来てると、幼さが増す。  27か。……会社に居る時は相応だと思ってたけど。  今はとても、年上には、見えないな―……。 「――――……三上、あのさ」 「ん? 何ですか?」    ぽそ、と呟いた先輩を見つめると。 「ここではもう何も、しないなら……いいよ?」 「ん?」 「後ろから、ってやつ……」 「……あ、抱き締めてもいいの?」 「ん……」  小さく頷くのが可愛くて。  思わず、くす、と笑ってしまうと。 「何で笑うんだよ」  途端にムッとする。  ――――……今は絶対年上とか、思えない位可愛いけど。  ……普段、しっかりしてる年上っぽい先輩も浮かぶから。  なんかギャップがありすぎて、余計可愛く感じる気がする。 「――――……」  腕を軽く掴んで、オレの方に引き寄せる。  オレは、浴槽の端に背を付けて寄りかかって、脚の間に先輩を引き寄せた。    ……なんかこれ、反応したらすぐバレそう。   良かった。さっき、しといて。  なんて、先輩には言えない事を考えていると。 「……これ、すげえ恥ずかしくない?」 「――――……うん、まあ……」  クス、と笑ってしまう。 「よっかかって、先輩」  ぐいと引いて、先輩の背をより近づけて、オレの胸に寄りかからせる。  最初は硬直してたけど。その内、息を吐くとともに、ゆっくり力を抜いてく。  少し斜め上を、2人で、見上げている感じ。  駅から近い場所だから、星はそんなには見えないけれど、月だけはとても綺麗に見える。 「すげー、綺麗……なんか温泉入って、見上げると月って……贅沢だなあ」  ゆったりとした口調。  笑みを含んでいるみたいな、声。 「……先輩」 「――――……ん?」 「また、一緒に、どっか行きましょうね」 「……ディズニーランドだろ?」  クスクス笑う先輩に、苦笑いが浮かんでしまう。 「――――……ああ、そうでしたね」 「何だよ、忘れてた?」 「先輩は覚えてたんですか?」 「当たり前じゃん。………楽しみにしてるのに」  最後の言葉に、ふ、と笑ってしまう。 「――――……誰か、女の子じゃなくて、オレでいいの?」 「……オレ、今、三上にしか言ってないけど」 「――――……」  ……ほんと、何なんだろうなー。   ――――……愛しくてたまんないとか。  すでにその域な気がする。

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