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第239話◇ほんとにもう。

「先輩、飲み物、買いますよ。何が良いです?」 「――――……麦茶」  ちょうど定時前のこの時間。  帰りたい奴は急いで仕事をしているし、長く残る奴は、もう少し早めに休憩を済ませているから、オレはあんまりこの時間にここには来たことはない。他の人もそうみたいで 休憩室は奥に一組が居るだけ。  お茶とコーヒーを持って、奥の一組からは離れた所に向かい合って座った。 「ありがと」  お茶を渡すと、にっこり笑って、先輩は一口飲んだ。 「三上、仕事平気だった?」 「大丈夫ですよ」 「ごめんな、なんかさ、相手の人が出張から帰ってくるのが遅くなってさ。昨日も見たんだけど、また工場見まわったり、あちこち回ってたから連絡も出来なくて」 「そうなんですね。いつ帰ってきたんですか?」 「昼前にやっと帰って来てさ。一緒に昼食べにいって、そこで色々話してから、そのまんま帰って来た」  まあ、なんとなくそんなことだろうなーと思ってはいた。  ……ちょっと心配はしてたけど。 「お疲れ様でした。運転はずっと先輩?」 「うん、そう。替わるか聞かれたけど……部長に運転させて、ゆっくりしてる訳にはいかないじゃん?」 「まあ、そうですね」 「あ、途中で、ソフトクリーム買ってもらった」  嬉しそうなその言葉に、クスクス笑ってしまう。  ……可愛いな。と思ってしまった。 「美味しかったです?」 「うん。メロンのソフト。美味かった」 「良かったですね」 「ん」  思い出してるのか、すごい笑顔で頷いてる。 「あー、ね、今度さ」 「うん?」 「広い、店がいっぱい入ってるサービスエリア、行きましょうよ」 「ん」 「美味しいものいっぱいあるしさ。で、そのまま、どっか温泉」 「――――……いいよ、行こ」  ふふ、と嬉しそうに笑うのが、嬉しい。 「いつ行きます? 今週末はさすがにあれかな。来週とか?」 「今週末って。明日?」 「別にオレはいいけど」 「……んー、考えよ、後で」  先輩はクスクス笑ってそう言ってから、麦茶を一口。 「三上、仕事の進捗、どう?」 「んー……まあ、終わりにすることもできます。来週頑張るんで」  オレがそう言うと、そっか、と笑って、それから、うーん、と腕をあげて背筋を伸ばした。 「じゃあ、あとはオレだね……とりあえずパソコン開けてメールチェックする。スマホに直できたのは、向こうでも対応したりもしてたけど……」 「オレの仕事は、もうどうにでもできるから、先輩の手伝うから」 「ん。手伝ってくれんの?」 「はい。手伝いますから――――……早く帰りましょうね?」 「……ん」  何を思ったんだか、一度少し黙ってから、じっとオレを見て頷く。  余計な事、また会社で言うと困らせそうなので、何も言わず。 「そろそろ行きましょうか」  そう言って立ち上がろうとしたオレを見上げた先輩が。 「三上」  そう呼んでから、先輩はちょっと周囲を見回した。 「何ですか?」  立ち上がりかけたのを戻して座ると、先輩はオレを見て、にっこり笑った。 「三上の顔見て、なんかホッとした」 「――――……」  返事も出てこず固まったオレ。  先輩は気づかず、言った事で満足したみたいに、すぐに。 「戻って仕事しよっか」  そう言って立ち上がって、まだ残ってる麦茶を持った。 「行こ、三上」 「あ、はい」  オレも立ち上がる。けど。  ――――……はー。……不意打ち。  何なの、もー。オレには変なこと言うなって言ってるくせに。  今のは変なことじゃねーの??  ただの後輩に言わねえよな? てことは、そういう意味のことだよな??  もー、ほんとに……。  色々心を乱されて考えて、黙ったまま、エレベーターの前で立っていると。  隣の先輩が、のぞき込んできた。 「……頑張って早く終わらせるから」  ふ、と口元に笑みを浮かべて、オレを見つめる。  終わらすから。  ……何?  ……そっちは、聞けない。  聞いたら、きっと、トイレにでも、連れ込んでしまいそうだから。  あーもーこの人は……。  ……ダメだ、オレ。しっかりしろ。  ――――……早く終わらせて、帰る。でもって、好きなだけ、触れる。  そっちを優先する事にした。

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