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第3話

 あれから四年、僕は十七歳になった。  最初は、早く帰ってこないかなと思って、緩慢すぎる時の流れを残酷に思いさえしていたけれど、気が付けば日々の経過は一瞬で、随分と僕の背も伸びた。旅立ち前は、僕とジェイスの背丈は同じくらいだった。筋肉は鍛錬していたジェイスの方があったけれど。今は、どうなんだろう。そんな事を考えながら、僕は水面に映る己を見た。緑色の瞳、ありがちな色彩の平凡な僕。  ジェイスの噂は、この辺鄙な村にまで届いてくる。  今ではただの冒険者ではなく、『勇者』と呼ばれているらしい。国王陛下にも謁見したなんて話を聞いた。平凡な僕とは異なり、手が届かなくなってしまった存在になってしまった。  村の日常は長閑で、僕はゆったりと畑仕事に精を出している。  いつかジェイスが帰ってきたのならば、僕は名産品の黒苺のジュースを、真っ先に振る舞いたい。 「帰ってきたら……」  ……帰って、来るよね?  僕は昔必死で練習した笑顔を、無意識に今日も唇で形作った。勇者の快進撃の噂話を耳にする度に、怪我はないのかと、そればかりが気にかかる。 「馬鹿だなぁ、僕。流れ星にお願いするべきだったのは、『無事に』とか『怪我をしませんように』とかだったなぁ……今夜あたり、流れ星を捕まえに行ってみようかな」  ブツブツと呟きながら桑の木の世話をする。  そうだ、そうしよう。今夜は、あの丘に行ってみよう。  日が落ちてから、僕は一度家に帰った。僕の両親が亡くなったのは、昨年の事だ。この村で疫病が流行って、二人共急逝した。口の悪い人は、『魔王の禍だ』と言った。『勇者の出身地だから目をつけられているんだ』と、悪し様にジェイスの事を話題にあげた。僕はそれが許せなかった。だから反論したら、睨まれた。 「ただいま」  誰もいない家に、黒苺の入るカゴを置いてから、僕は外へと出る。水車のついた壁を一瞥し、それから水で手を洗った。そのまま丘を目指す。到着した頃には、宵の明星が輝き始めていた。僕は茂みに寝転がり、空を見上げる。僕以外誰もいない虚しい家にいるようりも、鴉が線を引く空を見ている方が、気が休まる。何より、空はどこにいても共通だから、同じ色をジェイスも何処かで見ているかもしれないと感じると、心が温かくなる。  その内に、僕は微睡んでしまったようだった。 「ん……」  気づいたのは、焦げ臭さを感じた時だった。右手の甲で、瞼の上を擦ってから、両目を開けた。バチバチと、そんな音が聞こえた気がした。すっかり空は暗くなっているというのに、妙に明るい。何だろう?  上半身を起こし、僕は丘の上から見渡せる村全体へと顔を向けた。 「!!」  そして目を見開き、息を呑んだ。燃えている。歪な四角を築いていた村の輪郭が分からないほどに、激しく炎が揺らめいている。夜空の紺と火の橙色が混じり合い、クレアシオンの村を覆っている。舞い散る火の粉、焼き尽くす焔、崩れ落ちていく村の皆の家々。  背に蝙蝠のような翼がついた異形の者達が飛んでいて、緑色の人型の手に持つ松明を投下していく。魔物だ。村が襲われている。村のみんなの阿鼻叫喚を認識し、僕は震えた。逃げる人々の姿が目視出来る。  僕はこの夜、燃え落ちていくクレアシオンの村を見たまま、ずっと丘の上にいた。呆然としたまま、蹲っていた。平凡な僕には、何も出来る事なんて無いのだと言い訳をしながら。言い訳ではあるけれど、それは事実でもあった。僕に限らず、平穏に村で暮らしていた人々のほとんどには、魔物と相対出来るような武力など無い。 「勇者の出生地は、完了だな。これに懲りて、勇者も村に戻れば良いのだが」 「ああそうだな、我らの土地への進軍を止めさせなければ」 「それもそうだが、魔王様に害なす勇者の故郷が滅ぶのは気分が良い」 「村人ども、恨むのならば、勇者を恨む事だな」  頭上からそんなやり取りが聞こえた。けれど魔物達は、僕に気づいた様子は無い。  その日、空が白む頃になって魔物達は飛び去った。  村はそれから三日三晩燃え続け、四日目の朝になり、漸く鎮火した。  村へと続く坂道を降りた僕は、全てが焼けてしまった村で、他の生存者達と合流した。元々二百名も暮らしていない村落だったのだけれど、生存者は十二名しかいなかった。僕がそれを確認していると、人々が話し始めた。 「どうしてこんな」 「聞こえた、聞こえたんだよ。魔物達が言っていた。勇者を恨めと」 「ジェイスが魔王討伐の旅になんか出たばかりに」 「昨年の疫病だってやっぱり」 「しわ寄せばかりこの村に」 「世界の平和と比べたら俺達の生活はどうでも良いっていうのか?」 「あいつ、何を考えて」 「全部焼けてしまった」 「逃げ遅れて、お父さんが死んじゃった」  怨嗟の声が強い。泣き崩れている者も多い。  僕は唇を噛んだ。僕だって、魔物の声は聞いた。だけど――。 「ジェイスは、平和を願ってるだけだよ。魔王を討伐しない限り、いつだってこういう悲劇が繰り返されるかもしれない。でも、ジェイスなら、きっと魔王を討伐して、そしてもう、どこの村も焼けないようにしてくれるよ」  ――思わず僕が言うと、視線が僕に集中した。僕は下ろしたままで手を握り、必死に昔覚えた作り笑いを顔に貼り付ける。 「だから、まずは死者の埋葬と、復興を」  胸倉をねじり上げられたのは、その時の事だった。 「綺麗事を言うな。あいつさえ、余計な事をしなければ、この村はずっと平穏だったはずだ」  掴みかかってきたのは、僕とジェイスの二つ年下のガイルだった。  まだ十五歳だが、ガイルは僕よりもずっと背が高く体格が良い。 「世界平和のために犠牲になれっていうのか? 馬鹿げてる!!」 「そうじゃない、ただ――」 「ただ、なんだ!? 大体、こんなに全部、無くなっちまって、焼けちまって、どうやって復興なんてするんだよ? 無理だろ!! 俺から村も、家族も、全部奪っていきやがった。ジェイスが全部悪い」 「ジェイスは悪くない。悪いのは魔物だ。魔物が火をつけたんだ。ジェイスが火をつけたわけじゃないよ」 「ジェイスが勇者になんてならなければ、魔物に目を付けられる事は無かった」 「責任転嫁だ」 「そんな事は分かってる。でもな、やりきれねぇんだよ!!」  ガイルはそう言うと、僕を突き飛ばした。周囲の多くも、ガイルと同じ見解のようだった。僕にはそれが、辛い。ジェイスが帰ってくる場所、温かく迎えられる村でありたいのに……現実は非情だ。  この日、クレアシオンの村の名は、王国の地図から消えた。

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