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第12話
「なんか最近ぼうっとしてるな、静」
「そうか?」
「ああ、なんかあったのか?」
「いや……、何も、だけど……」
嘘だ。寝ても覚めても、花村のことが頭から離れない。
しかしそのことを坂元に言いたくはなかった。
今日は静がパトカーを運転している。夕方ごろ、近くの小学校の下校時間と重なるので、いわゆる下校時パトロールをしていた。
ランドセルを背負った子供たちはパトカーを見ると、無邪気に手を振ったり、敬礼をしてきたりする。
二人はそんな子供たちに手を振り返したり、返礼をしたりして、暖かな目で見守っていた。
花村のことが好きかもしれない、と思い始めてから、必死にその好意を否定している。
だが必死に否定する、ということ自体が既に花村への好意の証明となっていて、それに気がついた時、静は辛かった。
だって花村は一目惚れした静の顔が好きなだけなのだ。
(俺だってあいつの顔とか、そりゃ……かっこいいと思うけど)
だが拒否された時のことを考えると、素直に受け止められない。
今は余さず、静に向けられている愛情が『無理』になる瞬間には二度と立ち会いたくなかった。
交差点を右折した時、パトカーに気がついた小学生たちが静たちに手を振った。手を振り返そうとして、様子がなんだか違うことに気がつく。
手を振っているのではなく、こっちへ来て、という風に手をこまねいているのだ。
「ん? なんかおれらを呼んでるみたいだな」
「本当だ、誰か転んで怪我したか?」
子供たちの側に停車し、窓を開ける。
「どうした? なんかあったのか?」
坂元が子供たちに尋ねた。
すると上級生っぽい子が代表して、口を開く。
「あそこ、山田のおばあちゃんの家なんだけど、もう二日も姿を見てないの。いつも登下校の時は見守りをしてくれてるのに」
山田のおばあちゃんとは、交番にもよく差し入れをしてくれる山田タエのことだ。
そういえば最近、交番にも来ていない。
その子は俯き、心配そうな顔をしている。
「それに郵便受けに新聞も溜まってて……」
話を聞き、嫌な予感がした。
「ありがとう、山田さんはお巡りさんたちも知ってるから。一度尋ねてみるよ」
「お願いします」
坂元の言葉に小学生たちは少し安心したようだった。ペコリと頭を下げてそれぞれ下校していく。
「山田さん、通院してたみたいだし、病気とかあるのかも……」
最後に会った時、山田は病院へ向かっていた。何か病気が見つかったからかもしれない。
山田を最近見かけていないことに静は気がついていた。しかし日々の業務や書類仕事に忙殺されて、巡回連絡ができていなかった。
巡回連絡は地域課員の最も重要な仕事の一つである。
それを他業務の忙しさにかまけて、疎かにしてしまっていた。
「わからん、とにかく家に行ってみて確認しないと。案外、息子さん家に泊まってただけなのかもしれんし」
静の不安を和らげるためなのか、坂元は楽観的な声をしている。
「そんな怖い顔すんなよ、とりあえず行こう」
「……わかった」
静はパトカーを山田の家の方へ進行させた。
確かに郵便受けには新聞が溜まっている。二日間姿を見ない、と言っていたが、郵便受けの中には四日分の新聞が入っていた。
インターフォンを押しても返事はない。こんな時に限って、玄関に鍵もかかっていた。
「庭の方へ回ってみよう。あっちに大きい掃き出し窓が付いてたよな?」
「ついてる」
坂元の問い掛けに静は短く応え、急いで裏に回る。
そこで夏の暑い日、山田に麦茶をご馳走されながら、世間話や心配事などを聞いていた。「静ちゃんが来てくれるから、寂しくないわ」
静のことをちゃん付けで呼ぶのは、母親と山田だけである。
静の家族は母親だけなので、祖母も祖父も知らない。
もし自分に『おばあちゃん』という存在がいたら、こういう人なのかもしれない。そう思わせてくれたのが、山田であった。
無事であってほしい。ただの杞憂で、新聞を取り忘れていただけとか、旅行に行っていただけとか、そんな取り止めもない理由であって欲しい、と心から思った。
庭に出て、大きな窓から室内が見える。
カーテンは大きく開かれていた。リビングには山田が倒れていた。
「くそ! 窓を割る! 坂元は救急車を呼んでくれ!」
静は手に持ったガラスクラッシャーでリビングの窓を叩き割る。クレセント錠付近を割り、できた隙間から急いで鍵を開けようとすると鋭いガラスの切り口で指を切ってしまった。
「痛っ!」
しかしそんなことに構っていられない。
「山田さん!」
室内にはむっとした熱気がこもっていた。
急いで駆け寄り、山田の身体に触れると、とても熱を持っている。かろうじて脈と息はあった。だが意識はない。
このままでは山田が死んでしまうかもしれない。
そう思うと、ガツンと頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。
静はどうしたらいいのかわからなくなる。
「静! どんな状態だ!」
どんな状態、脈と息はあって、けれど弱々しくて、身体は熱くて、意識はなくて。
(このままでは、きっと死んでしまう)
どうすればいい。
そうだ、花村なら助けてくれるかもしれない。
「さ、坂元、救急車……、花村のとこへ……」
震える声で坂元にもう一度言う。
「本署から呼んでもらってる! 山田さんはどんな様子だっ! 怪我は⁉︎ 部屋は荒らされてないか⁉︎」
部屋の様子なんかどうだっていい。見る余裕もない。山田さんが死んでしまうかもしれないのだ。
「おい、静! しっかりしろ!」
きょろきょろと辺りを見回し、しかし何も出来ず、山田の細い手首を握りしめている。
脈は相変わらずか細い。瞼がわずかに動き、静が坂元に報告しようとした時だった。
「大丈夫ですか! 傷病人はどちらですか!」
救急救命士の着ているディスポーザブルガウンの青色が目に飛び込んでくる。
「静! 邪魔だ! どけ!」
坂元に腕を取られ、引っ張られた。
「お前、何してんだ! さっきから変だぞ!」
「あ、その……、す、すまん……」
坂元がため息をつく。
「本署へ報告はおれがするから、救急車に同乗して、病院まで行ってくれ。それで山田さんが意識を取り戻したら事情聴取だ。いいか? 出来るか?」
「……わかった、出来る」
「後で迎えに行くから。山田さんについていってやれ」
山田の搬送先はなかなか決まらなかった。 そして、ようやく花村総合病院が山田を受け入れた。
山田は搬送中も目を覚まさない。静は救急車の隅で処置されている様子をただ不安そうに見ていることしかできない。
山田がこうなったのは、自分のせいだ、という自責の念が責め立ててくる。
もっと早く家を尋ねていれば、山田はここまで酷いことにならずに済んだのかもしれない。
静は膝の上の拳を握りしめる。
救急車のサイレンが鳴り止んだ。救急車が病院へと着いたのだ。
入り口には花村が立っていた。白衣を着た花村が緊張を孕んだ表情をして、待ち受けている。
山田が担架で運ばれていった後、静は救急車を降りた。
「静くん! 患者はどんな状態だったんだっ?」
救命士から渡された資料を見ながら、花村が尋ねた。せかせかと小走りで中に向かっている。
静も慌てて後を追う。
花村の顔を見ると何故だか安心した。花村なら山田さんを助けてくれるかもしれない。
どんな状態だったか。倒れていて、意識がなくて、今にも死にそうな呼吸と脈で。
山田が死んでしまうかもしれない、と思うと、何を言えばいいのかわからなくなり、口籠ってしまう。
「えっと……、息はあって……」
「どんな息だっ?」
「どんな、えっと……」
花村から初めて大きな声を出された。それにも驚き、静はしどろもどろになり、上手く応えられない。
畳みかけるように花村が尋ねてくる。
「脈は? 何回ぐらいだった? 意識レベルは最初どうだった? 何か吐いてたりしてたか?」
「わ、わかりません」
思わず俯き、小さく応えると、ため息が聞こえてきた。
「そうか、今度からはちゃんとそれらも調べておいてくれ」
冷たい声でそう言うと、花村は処置室に入っていく。扉が閉められた。部屋の中から、慌ただしい声と音が漏れてきた。
何もできない静は処置室の前のベンチに座った。
山田の発見が遅れたこと、それにパニックになり、現場で何もできなかったこと、花村に失望されたこと。
あんな冷たい声で静に接する花村は初めて見た。突き放されたような印象を受け、心に鈍い痛みが走る。
様々なショックなことが重なる。静は項垂れて、山田の無事を祈ることしかできなかった。
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