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第13話

 当直明け、何もする気は起こらず、静はシャワーを浴びた後、与えられた自室の布団の中にこもっていた。  花村もとっくの前に帰宅しているだろうが、あまり顔を合わせたくない。腹も空いていなかった。  山田はあの後、意識を取り戻したが、話を聞ける状態ではなく、静は坂元に迎えにきてもらい帰署した。  後に刑事課員が教えてくれたが、熱中症と脱水症状で山田は倒れていたらしい。今は容態も安定しており、誰かに襲われて気を失ったということもないことが判明している。  そこは安心した。しかし自分を責める気持ちがやまない。  地域警察官として、自分は何をしているのだろう。それに花村からの質問に全然応えられず、呆れられてしまった。  あの冷たい声を思い出すと、泣きそうになる。  嫌われたかもしれない。『無理』になってしまったかもしれない。  顔は怖くて見れなかった。 (呆れられたかも……)  そのことをショックに感じれば感じるほど、自分の中で花村の存在が大きくなっていることを自覚する。  もう隠せないほど、花村への想いが育っていることには気がついていた。  花村は好意を隠そうとしない。静が嫌だ、と言ったので、一目惚れという言葉は使わないが、好きだ、愛している、とストレートに伝えてくる。ちょっと強引なところもあるが。  医者で、何でも出来そうな顔をしているのに、家事や料理が全く出来ないところが面白かった。だけどそれを努力でカバーしようと、静に教えを乞い、今では弁当まで持たせてくれている。  家では柔らかで、和やかな表情と雰囲気をしているのに、仕事中はキリッとしている。そのギャップが可愛らしくて仕方ない。  でも、きっと静が男性だと認識したら、花村は離れていくだろう。 (くそ、恋愛なんか絶対しないって決めたのに)  ふと寝ぼけた花村からキスされた時のことを思い出した。  あのキスの続きを強請ったら、どうなるのだろう。  あのまま気持ちよくて、優しいキスを続けてくれて、その先の気持ちいいこともしてくれるだろうか。  しかし、元彼のように『無理』だと片付けられてしまったら、どうしよう。今度こそ、立ち直れないかもしれない。  無意識に指先で、自分の唇に触れた。柔らかく、そして熱い。 「あ……」  身体の奥のわだかまった熱がだんだん身体を支配していく。  花村とキスしたい。キスがダメなら抱きしめるだけでもいい。  いや、そこまで高望みはしないから、手を繋ぐだけでもいい。  けれど、花村はどう思っているだろう。  花村は静のことを仕事ができない警察官だと思ったかもしれない。慌てると何もできなくなる役立たずだと感じたかもしれない。  静は枕を抱きしめた。何だか心細かった。  特に花村にはそういう風に思われたくはない、と思った。 「花村……」  思わず呟く。  呼んでも、来るわけがない。今、一番会いたくて、会いたくない相手だ。  思わず鼻を啜った時である。 「静くん、寝てる?」  声が掛けられた。花村の声だ。静は飛び上がりそうなほど驚いた。 「お、起きてる!」  襖越しに聞こえた声に静は思わず大きな声で応えた。  何だ、どうして来たんだ。  ドキドキと胸が鳴っている。思いもよらないことが起こり、緊張する。  すると花村から意外な言葉が掛けられた。 「ドライブに行こうよ、連れて行ってあげたい場所があるんだ」     車のライトを消すと一切の人工的な光がなくなる。 「すごい……」  波が静かに寄せては返す音が心地いい。時折、潮の香りを孕んだ風が頰をくすぐる。 「チェアを持って来たんだ。どうぞ座って」  花村がアウトドア用の椅子を、海の方へ向けて置く。 「ありがとう」  静は椅子に座り、夜の水平線を眺める。横に花村が座ったのが、気配で分かった。  今は午後九時頃。夏とはいえ、もう夜間帯であるため、外は真っ暗だ。  辺りには民家もなく、蝉や静ではわからない虫の声が響いていた。 「綺麗だ……」  静の目の前で、星と海が混じっていた。  空には満天の星が輝いている。それらがひとつひとつの粒が海に反射し、もうひとつの星空が海に浮かび上がっている。  控えめに輝いている月が波の間を揺らめいていた。  こんな景色は見たことがない。夜の警らで管内の様々なところを回るので、穴場は知っているつもりだったが、ここには初めて来た。 「だろう? ここは僕のお気に入りのスポットなんだ。近くの人しか知らないところだよ」  どうぞ、と言って、コップを渡してくる。冷たい麦茶が入っていた。 「ここは小さい時から、僕だけの秘密の場所だから、誰も連れて来たことがない。友人も、昔の恋人も」 「え?」  どうしてそんなところに静を連れて来たのだろう。 「ここはね、悲しいことや何か嫌なことがあった時に必ず来る場所なんだ。小さい時からいつもそうしてる。ここで海と星が美しいことを確かめて、また日常に戻るんだ」  「なんでそんなに大切な場所に、俺なんか連れて来たんだ?」 「静くんを元気づけたかったからだよ」  ふふ、と小さく笑い、花村はコップの麦茶を飲んだ。  花村の横顔を見る。なんとなく色々なことを察している気がした。  その話に触れずにいるのは何だかむず痒い。  静はため息をついた後、口を開いた。 「山田さんは俺のせいで……、俺がもっと早く回っていれば、こんなことには……。俺の、せい……なんだ」  俯く。言葉にすると、更に責められているような気がして、コップの中の麦茶がぼやけた。 「地域警察官なのに、交番のお巡りさんなのに。何にも役に立ってなかった。昨日の現場だって、山田さんが死ぬかもしれない、と思っただけで、何も考えられなくなって、坂元に怒鳴られるし、お前にも呆れられるし……」  ぽろぽろとわだかまっていた辛さが漏れていく。  言葉に詰まり、唇を噛み締める。しかしそんな静へ花村は意外な言葉を掛けた。 「山田さんも、山田さんの家族も、静くんに感謝していたよ」  花村の優しい声が降ってくる。それに少し安心感を覚え、静は身体の力を少し抜いた。 「お巡りさんが見つけてくれて、窓を割って入ってくれたから、おばあちゃんは助かりましたって言ってたよ。それに子供達が新聞が何日間も溜まっている家を見つけたら警察に通報しなきゃって思ったのも、毎月静くんが作っている広報誌に書いてあるからだろう?」  握りしめた手に花村の手が重なった。 「役立たずなんかじゃないさ。静くんは誰から見ても良い警察官だよ」  弱気になっていた心に花村の言葉が深く刺さる。しかし痛みはない。暖かな気持ちと共に嬉しさが溢れ、静は自分から花村の手を握った。  花村はその手を握り返してくる。静は涙を堪えながら何度もこくこくと頷く。 「指先、怪我してるね。山田さんの家のガラスを割った時に切っちゃったのかい?」 「ちょっと切っただけだ。すぐ治る」 「家に帰ったら手当てしてあげるよ」 「……頼む」 「今はこれだけ」  傷に触れないよう、手の甲にちゅ、とキスを落とされた。  嫌ではなかった。もっと色々なところにキスして欲しいとさえ思ってしまった。  以前はあんなに嫌だったのに。  静は恥ずかしくなって、もらった麦茶を一気に飲み干した。  よく冷えている。顔や身体の熱さを少しでも冷ましたかったが、なかなか熱は引いていかなかった。

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