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第16話
男は先月、駅前で花村の鞄を奪い、逃走した犯人でもあった。
男が奪った鞄の中には花村が人に譲ろうとしていた貴金属品や骨董品などの明細が入っており、それらを狙って侵入したらしい。
最初、花村は寝ており、侵入に気がついていなかった。しかし坂元たちが来てから起き、事情を説明され、四人で邸内を検索しているところ、犯人の男に襲われかけている静を発見。あのような状況になったらしかった。
あれから静は寝ずに夕方まで署内で残業をしていた。捜査報告書を作ったり、公務執行妨害になるので、調書を取られたり、写真を撮影したり。疲れていたが、やらなければいけないことが終わったのは夕方頃だ。
花村は簡単な事情聴取と被害届の提出、調書などだけなので、静よりも早く帰っているだろう。仕事は休んだ、と聞いている。
帰りたいような、帰りたくないような気持ちで道を歩く。
花村が身を呈して静を守ってくれた時、あの時は必死で何も考えることができずにいたものの、時間をおいて思い出すと、不覚にもかなりときめいている自分に気が付いた。
嬉しかった。最後には無事を確かめるようにひしと抱かれ、静はそれを受け入れたのだ。 しかし警察官としての自分はそれを許せない。花村は被害者だ。一般人を危険に晒し、守ってもらうなんて、警察官として失格だろう。それにあの時は花村が心配で、坂元の制止を振り切って先に飛び出して行ったり、窓ガラスが割れていて、真報の可能性が高かったのに報告を怠ったり、と山のように反省点が挙げられる。
実際、坂元には指導を受けていた。
警察官としての反省点は仕事で返せばいい。今は花村のことが気になっていた。
花村の気持ちは一体、どちらなのだろう。
実はあの時、久しぶりに花村の顔を見たのだ。
それまで静を避けていたのは花村の方だ。キスをしてそれから、という雰囲気の中、静は花村に拒否された。
しかし自分の身を挺して、静を守ってくれたのも花村だ。
思わず自分の顔に触れる。
そんなにこの顔が好きなのだろうか。それとも本当に静のことを思っているのか。
暴漢から被害者を守る、という行動は警察官として当たり前の行為だ。しかしあの時、自分は警察官としての職責以上のものを花村に感じていたし、最後の抱擁を拒めなかった。
最後、抱きしめられたのはなんだったんだろう。
純粋な心配、安堵感から静を抱きしめただけだろうか。普段から大袈裟に自分の感情を表現する癖のある花村だ。それも有り得る。
カレーの香りが漂ってくる。花村邸に近づくにつれてその香りも濃くなっていく。
不意に泣きそうになった。花村が疲れているであろう静を思い、カレーを作ってくれている。
以前、花村が作ったにんじんが生煮えのカレーを思い出す。あれから何度か一緒にカレーも作り、花村の料理の腕はかなり上達していた。
花村はいつもいつも、静に対してストレートに好意を伝える。
一目惚れをした、好きだ、愛している。
静は玄関の戸の前で顔を覆った。
花村の身体の暖かさが離れていった時の寂しさ、惨めさを思い返す。
花村は静にキス以上のことは求めていないことは明白だ。
愛していれば身体も欲しくなるのは自分だけなのだろうか。
目が痛い。鼻がつんと刺す。冷ややかな涙が手のひらを濡らした。
このまま戸を開け、中へ入ると、出てきた花村に縋ってしまいそうだ。
ここまで来て、他人からの好意を素直に受け取ることのできない自分が嫌になりそうだった。
花村は静の『顔に一目惚れ』したのだ。
(くそ、泣きやめ!)
必死で目を擦っている時である。
「おかえり、静く……あれ?」
戸が開いた。普段着の花村が顔を出す。
花村は静が泣いていることに気がつき、顔を青くした。
「どうしたんだい? もしかして夜の事件で怪我でもした? どこか痛い所があるのかい?」
「っ、いい! 怪我もしてない! 後で入る!」
差し出された手を振り払おうとして、逆に掴まれてしまう。ぐい、と引き寄せられた。
「こら、暴れないで。どこが痛いんだい? 診てあげるから」
強引に玄関に入れられる。
「大丈夫かい? 落ち着いた?」
優しく囁かれる。花村は静を本気で心配しているだけだ。
それだけでも嬉しくて、身体が震えそうになる。浮きかけた熱が中を巡った。
「どこも……痛くない、怪我なんかしていない」
「だったらどうして、泣いてるんだい? 君が悲しいのは嫌だ」
「ぁっ、だめだ!」
腰を抱かれた。ぐいと腰を引き付けられて、静は思わず身体を離そうとする。
どうして、とでも言いたいような花村の表情を見てざわつく。
静は少し俯く。恥ずかしくて目線を合わせられない。
「ダメだ、身体がくっつくから……」
「どうしてそれがだめなんだ」
詰問するような声色は少し怒りを孕んでいるように聞こえた。
「だって、前、迫った俺を拒んだじゃないか……、男の身体に興奮できないからだろう? だから……」
どうしたらいいか分からなくて、目が泳ぐ。 花村は静の肩を掴んだ。そして目線を合わせ、真剣な目で静を見た。
「僕はいつでも、君のことを愛している」
真摯な言葉だ。それを上手く受け取れない自分に腹さえ立ってくる。
静はまた泣きそうになった。
「俺も……お前が、好き」
ようやく思いを言葉にすることができた。
静の告白を聞いた花村はいつものように優雅に、柔く、優しく微笑んだ。
「同じ気持ちになってくれて嬉しいよ」
それを聞き、静は黙り込む。同じ気持ちではないだろう。
「一目惚れだろう」
「ああ、一目惚れだ。君しかいないと思った」
「違う、違う」
首を横に振る。自分で言わなければいけないなんて、なんて惨めなんだろう。
「俺の、顔に一目惚れしたんだろ?」
「顔?」
花村は不思議そうな表情をした。首を傾げて、眉を寄せている。
「確かに、静くんの顔は美しいと思う。目元は君の内面の強さや正義感が滲み出ていて、意志の強そうな眉にはすごく惹きつけられる。鼻もしっかりと筋が通っていて、神々しいものを覚えるし、その中で唇は小さくて控えめで熟れているみたいに赤いからいけない気持ちになってしまうし、肌も白くて、跡がつきやすそうだなって……」
「そこまで褒めろとは言ってない!」
「けど、僕は、ひったくり事件の時に危険を顧みず、僕を守ってくれた君のかっこいい背中に一目惚れしたんだ」
「なっ……」
予想外の言葉に思わず口を開けたまま、見つめてしまう。
(せ、背中って……、何だそれ)
流石にそんな理由で好きになられたことはない。
「顔なんか見なくても、僕は君に同じことをしたよ」
何だか予想外すぎて、これもまた素直に言葉を受け取れない。
「あ、で、でも! 俺からキスした時、部屋から出てっただろ……乱暴に押しのけて、しかもそれから俺のこと避けてたし……」
何となく歯切れが悪くなる。その時のことを思い出すと今でも辛い。昔のトラウマがフラッシュバックするような気持ちになる。
「君を傷つけてしまって、すまない」
花村はまず静に謝罪した。そしてもう一度、ひしと抱きしめた。
「君からのキスが嬉しすぎて、我慢が効かなさそうだったんだ。いい歳してがっついているなんて思われたくなかったし、君の前ではスマートな自分でいたかった。それに我慢が効かないまま乱暴にしてしまったらどうしようって怖かったんだ」
今更だろ、という言葉が出そうになったが、流石に我慢した。
「勃起した俺のが当たって、男の身体だって改めて認識して……嫌になったりだとかは……?」
「ありえないね!」
肩を持たれ、真剣な眼差しを直に受けている。熱のこもったそれは嘘をついているようには見えない。
「君が欲しい、心も身体も、全部」
花村は優雅に微笑んだ。
(あぁ、王子様みたいだ)
静はじっと花村の視線を受け止める。
歯の浮くような恥ずかしいセリフでも花村ならサマになってしまう。
そして、初対面の時も同じことを思っていたことを思い出した。
「俺も、お前が欲しい……寄越せよ」
恥ずかしさを誤魔化すため、静は自分から噛み付くようにキスをした。
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