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第5話

それから一週間ほど共に過ごして、分かったことがある。彼は、意外にも共同生活に向いている人間だったということだ。 「今日のゴミ出し、俺がやっとくから」 「明日早番だろ。先寝てていいよ」 「買い出し行くけど、なんか必要なもんある?」 家政夫、とは言われたが、家事全てを一方的に押し付けられた訳ではなかった。彼は自分でやれそうな時には自分でやったし、壮馬がやり忘れても特に怒ったりはしなかった。そして壮馬の家事に対して、理不尽に文句をつけてくることもなかった。直して欲しい所は面と向かって言ってきたし、言い方にも嫌味が無くて不思議と腹が立たなかった。 (…………ヤバいだろ、このままじゃ) あまりにも居心地が良過ぎる。バイトの頻度も減って家にいることが増えた。その分、理一と共にいる時間も増える。彼といる生活に慣れてしまう。このまま暮らして、いざ捨てられたらどうなってしまうか、考えたくもない。 (……家、探しとくか) 金は幸い余る程貰っている。すぐにでも家を借りられるが、仕事のことを考えるとある程度の貯蓄はあった方が安心だろう。それまで、ここに居させてもらうだけ。そうでもしないと、駄目になってしまう。 「……悪いけど、そういうことだから」 理一には「やっぱり良心が咎めるから」と偽って家を出ていく旨を告げた。 「…………そうか」 理一は少しだけ残念そうな顔をして「じゃあしょうがないよな」と頷いた。引き留められるなど思ってもいなかったし、これで良かったのだ。傷は最小限に済ませたかった。 そう思ったのだが、その日を境に理一の生活態度が徐々に悪くなり始めた。 まず、部屋の散らかり方が以前の比ではなくなった。とりあえず詰めました、といった具合だった棚から物が溢れていることが増えた。机の上だけで済んでいたのが、床の上まで広がった。それから、煙草の量が目に見えて増えた。 「……流石に吸い過ぎじゃねぇの」 灰皿の掃除も壮馬がしている。明らかに増えた吸殻に口を出すと、理一は面倒臭そうに「壮馬には関係ないだろ」と一蹴した。 それと、関係ないのかもしれないが、セックスがねちっこくなった。さらに、昼からの接触も増えた。彼から触れられる度におかしくなりそうで、参っていた。 「……仕事、上手くいってないのか?」 「ん……?」 事後の気怠そうに煙草を吹かす彼にそう尋ねてみる。理一は煙草の先を灰皿に擦り付けると、伏せた壮馬の背中に頭を乗せて寝転がった。 「なんで?」 「最近荒れてるだろ。仕事、トラブってんのかなって」 「全然。でも、なんていうか……」 「……?」 壮馬の背中に頬をくっつけたまま、理一は平坦な声で独り言のように呟いた。 「満たされないんだよなぁ……」 その一言で、パキ、と心の内側にヒビが入った。壮馬では足りないから、満たされないのか。ああ、そうか。 「……家、決めたから」 「え、早」 嘘だ。本当はもう少しここにいるつもりだった。彼の誕生日が来月だから、それを祝ってからにするつもりだった。でも、もうこれ以上は耐えられない。 「週末には出てく」 「……早くない? そんなこと一言も」 「言う必要ねぇだろ」 流石の理一もカチンと来たらしい。起き上がって壮馬の肩を掴み、仰向けにさせる。 「誰の家だと思ってるんだよ」 「お前の家だろ。だから元々俺がいる方がおかしいんだよ」 「俺が良いって言ったんだから良いんだよ。なんでそんなに急ぐんだよ」 「これ以上お前と一緒にいたくないからだよ」 「っ……」 理一はあからさまに動揺した様子だった。一瞬心が痛んだが、彼はさらにそれを超えるような発言をしてきた。 「でもお前、俺のこと好きだろ」 「は……」 心臓が止まるかと思った。理一は肩を掴む手に力を込める。 「なんで出てくんだよ。俺のこと好きなら、一緒にいればいいだろ。一緒にいたくないって、なんでだよ」 「……それを分かってて、なんで一緒にいられると思ってんだよ」 理一はギュッと唇を噛み締めると、途方に暮れたようにぽつりと零した。 「……お前も花菜も、同じこと言うんだな」 「は?」 「好きだからもう一緒にいられないって。意味分かんないよ、好きなら一緒にいたいんじゃないの、普通」 花菜、は恐らく前の奥さんの名前だ。言葉から察するに、同じことを言われて別れたらしい。 (こいつといるの、しんどかっただろうな) 人の気持ちが分からない。自分の価値観でしか物事を考えられない。それなのに優しい。振り回すだけ振り回しておいて、自分は悪くないと思っている。 「……自分のこと好きじゃない奴と、一緒にいたいなんて思わねぇよ」 半分嘘だ。一緒にいたくない訳じゃない。でも、一緒にいると苦しい。 「好きじゃないなんて、言ったことないだろ」 「好きだとも言われてない」 「っ言わなくても分かるだろ!?」 「分かんねぇから言ってんだろ!!」 ベッドから跳ね起きて手を振り払う。理一は勢いを失って、呆然と手を浮かせたまま壮馬を見つめていた。 「お前は、自分がどんなことしてるか気づいてねぇのかよ……」 金を払って囲い込み、優しくするだけ優しくしておいて、肝心な言葉は何も無い。部屋の中で飼い殺されているのと同じだ。 「お前は俺にどうして欲しいんだよ。なんで出ていってほしくないのか、言えよ。ちゃんと、自分の言葉で!」 ぜえ、と肩で息をする。言い切って少し気分が落ち着いた。理一は迷子になった子供のような顔をして、微かに震える声で呟いた。 「……さみしい、から」 たどたどしい言い方は、まるで初めて人の感情を知ったロボットのようだった。ぽつぽつと、自分の中の感情を吐露していく。 「壮馬に一緒にいてほしくて、金出してまで家に来させたのに、出て行くって言われて、何も手につかなくなった。でも仕事はちゃんとしなきゃいけないし、壮馬はどんどん素っ気なくなるし、もう、なんか、どうしたらいいのか……」 分からない。長い背丈を小さく丸めて、完全に俯く。細長く溜息を吐いて、両手で顔を覆った。 (……馬鹿だこいつ) どうして、肝心なことが分からないのだろう。人の好意には敏い癖に、機微には疎い。自分の感情にすら振り回されている。可哀想な男だ。 「なんで一緒にいてほしいんだよ」 「寂しいから……」 「なんで寂しいんだ」 理一はギュッと拳を握り締め、シーツの上に置いた。涙を溜めた瞳が、壮馬に縋りつく。 「壮馬のことが、好きだから……」 「……それをもっと早く言えよ」 「だって、伝わってると思った……」 「伝わる訳がねぇだろ、エスパーじゃねぇんだぞ」 「俺は分かってたのに?」 「……お前が人を疑うってことをしなさ過ぎなんだよ」 裏切られたらどうしよう、違っていたらどうしよう。そういうことを、多分彼は考えない。こうだと思えばこうだし、大体予感が外れたことはないのだろう。頭の良い人間はこれだから嫌いだ。全部、自分の思い通りになると思い込んでいる。そんなこと、あるはずがないのに。 「……金なんか寄越さなくても、好きだって一言言ってくれれば、それだけで良かったんだよ」 身体から始まった関係だ。名前の無い、強いて言うならセフレの関係。それがいつの間にか拗れに拗れて、出ていくだの行かないだのと言い合う羽目になっている。 「……好きだ」 胸の奥がじんと熱くなる。理一が壮馬の背中に腕を回して抱き締める。触れ合った胸から微かに鼓動が伝わってきた。 「行かないで。一緒にいてほしい」 「……満たされないって、何だったんだよ」 「壮馬がいなくなるって分かってるのに、満たされる訳ないだろ……」 「……お前はもっと、自分の気持ちを言葉にする練習しとけ」 「壮馬はもっと、素直になる練習した方がいいと思う」 「うるせぇな」 一向に離れる気配の無い彼に溜息を吐き、ぽんぽんと頭を撫でる。 「……出て行くのはやめる。けど金は本当にいらねぇし、仕事もちゃんと探すからな」 「うん……」 感情を出したら疲れた。抱きつかれたまま彼の身体を押し倒して、二人でベッドに横になる。差し出された腕に頭を乗せて、布団を被った。 瞼を閉じると、理一が小さく「おやすみ」と囁いて額にキスを落とした。そういうことも出来るんだな、とは言ってやらなかった。

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