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【7】-2
「うん、きみ。コノハナヒカル氏。仕事の上での評価で抜かれるわ、社長の寵愛は持ってかれるわで、純子さん、相当イライラしてたんだよ。此花くんのことも、最初はすごく可愛がってたのに、手のひらを返したみたいに八つ当たりするようになったでしょ?」
「あー……」
「此花くんてさ、確かに変わってるし、言うことキツイから、たまにみんなとぶつかるけど、チーフが言うほどみんなはきみのこと悪く思ってないからね?」
あんまり気にしないほうがいいよと慰められて、「へ?」と目を瞬く。
別に何も気にしたことはなかったが、井出の気持ちがありがたいような気がしたので、一応礼を言ってみた。
「ありがとございます」
「あ、もともと全然、気にしてなかった?」
「はい」と頷くと、井出が「あはは」と笑った。
「社長に決まった相手でもいれば諦めも着いたんだろうけど、社長ってああ見えて仕事が恋人みたいなもんでしょ。淳子さんは淳子さんで、プライドめっちゃ高いから、今さら妥協してほかの男に行けないしって感じで、そうこうしてるうちに三十路も半ばになっちゃってさ、彼氏いない歴何年てなるにつれて、だんだんおっかない人に……。あ……」
井出が慌てて周囲を見回す。「こういうのも、今はセクハラになるんだよね」と言って、低いパーテーションで区切られた打ち合わせブースに身を潜めた。
そろそろ帰って仕事に取り掛かりたいと思い、資料をバッグに仕舞い始めた。
井出は、慌てて「話の落ちだけ聞いてってよ」と引きとめた。
「それでさ、そんな淳子さんに、最近ついに社長に代わる本命が現れたらしいんだよ」
じゃじゃーんと手を広げる井出に、「へえ。よかったですね」と返して、立ち上がる。一緒に立ち上がった井出はブースを出てエレベーターホールまでついてきた。
「ほんとよかったんだよぉ。あの人の機嫌がいいと、僕たちもすごく楽になるから」
光がいなくなってからというもの、松井の不機嫌の矛先がどこに向くかわからなくて、みんなひやひやしていたらしい。「あの人の攻撃を一手に引き受けてたんだから、此花くんは強いよねー」としみじみと言う。
「この前もほっぺたひっぱたかれてもビクともしてなかったし。顔は女の子みたいだけど、中身は|漢《おとこ》だなあって、俺、感心したよ。俺なんて、高い位置から見下ろされただけでタマがこう、ヒュッて縮むもん」
松井はヒールを履くと百七十センチ代の後半になるので、平均身長の光や井出は常に見下ろされる形で話をすることになる。「あんなに踵の高い靴を履かなくてもねー」と、井出は唇を尖らせた。
「でね、その本命彼氏、かなり背が高いんだよ。この前、帰りにちょっと見かけたけど、すごいイケメンでさ。まあ、あの堂上社長から乗り換えるくらいだから、並みの男であるわけがないんだけど」
サラリーマン風で、腰の位置も異様に高かったと羨ましそうに続ける。松井が見上げていたくらいなので、堂上と同じくらいあるだろうと言った。
「百八十五センチ以上ってこと?」
「あるね。でも、年下かな」
けっこう若そうだったから、と言いながら、井出は硝子張りのエレベーターホールで足を止めた。
ホールからは隣接する本店の店舗が見下ろせる。ミラー硝子を使用しているので、店舗側からこちらが見える心配はなく、仕事の合間にここで店の様子を見るのは、いい気晴らしになった。
二階のティールームを見下ろしていた井出が「あ、あれ」と言って、窓際の席を指差した。
「噂をすれば、ほら」
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