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【8】-2
「散歩にでも行くか?」
シートから降ろしながら聞くと、まだ明るい空を見て茶色の大きな目を輝かせる。日曜でもないのに、外で遊べることに驚いているらしかった。
使い込んで少し傷んだキルティングのリュックから着替えを出し、洗濯機に入れ、所定の場所に荷物を片付けてから外に出た。
手を引いて歩き出そうとすると、汀が庭に目を向ける。
このところ砂遊びにハマっている汀は、散歩に行くか砂遊びをするか迷っているのだ。
光は庭の隅の物置から汀の砂場セットを取り出して、小さなバケツと一緒に手に持った。
「大きい砂場があるところに行こう」
「おっきいおしゅなば?」
茶色い大きな目をいっぱいに見開いて、キラキラの笑顔で汀は頷いた。
確か近くに大きめの公園があったはずだ。記憶を頼りに、汀と手をつないで五分ほど歩いた。
だが、目的地に到着すると、光の足が止まった。
公園にはたくさんの親子連れがいた。広い砂場は子どもでいっぱいだった。
山を作ったり型抜きをしたり、それぞれ好きなように遊んでいる。
汀の小さな手が光の手をぎゅっと握り返した。汀も緊張しているのだとわかったが、こういう時にどうすればいいのか光にもわからなかった。
黙ったまま二人で立ち尽くしていると、近くに立っていた母親グループの何人か視線を向けてきた。
ふだんならその視線を避けて立ち去るところだが、今、ここでそんなことをしたら、汀は公園で遊ぶことができない。
光は恐る恐るマスクを外して、誰にともなくグループ全体に会釈を返した。すると、母親の一人が子どもに声をかけ、何人かの子どもが汀を指差し駆け寄ってきた。
汀の手にしたスコップ入りのバケツを見ると、もう一方の手を掴んでぐいぐい引っぱる。
光は息を止めた。
汀の目が不安そうに光を見上げる。慌てて「大丈夫だ」と大きく頷いた。
安心したようににこりと笑った汀が、子どもたちに手を引かれて砂場に走ってゆく。それを見送りながら、止めていた息をゆっくり吐いた。
背中にたくさん汗をかいていた。
これが「公園デビュー」というやつか。
こんな厳しい試練を乗り越えて、みんな子育てをしているのか。母親たちというのは、なんと勇敢なのだろうと思いながらごくりと唾を飲んだ。
うまく対応できたのかはわからなかったが、とりあえず汀は楽しそうに遊んでいる。冷や汗をかきながら、黙ってそれを見ていた。
時々チラリと母親たちから視線を投げかけられ、その度に必死に硬い笑顔を作って会釈を返した。
作り笑いなど二十七年の人生で一度もしたことはなかったが、やればできるものだ。今日初めて知ったのだけれど。
日が傾き始め、ほかの子どもたちが帰り支度を始める。光も汀の近くに行って声をかけた。
「そろそろ、帰るか?」
周囲を見回し、人の姿が減ってゆくのを見た汀は素直に頷いた。
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