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【8】-4

 庭に出て、青いベンチに腰を下ろした。  リビングからの明かりがあるので暗くはないが、一月末の夜の空気はさすがに冷たかった。  何度も訪れた清正の家は、自分の家と同じくらい馴染みがある。姉たちの手でリフォームされた実家より、ある意味懐かしい場所かもしれない。  冬の夜にはこの場所でよく清正と星を見た。  光も清正もはっきりと星の形を結べるのはオリオン座くらいで、理科の教材の星座盤で想像したよりずっと大きなその星座を見つけ、『でかすぎて、かえってわかりにくいから』と言って笑ったのを覚えている。  頭上を覆うように手足を広げる長方形の星座を見ていると、家の中から声が聞こえた。 「光。ここにいたのか」 「あ、お帰り。遅かったな」 「ああ、悪い。汀は?」  もう寝たと言うと、「そうだよな」と笑う。  サンダルをつっかけて光のそばまで来ると、脱いだコートを広げてふわりとその中に光を包み込んだ。 「寒いだろ?」 「平気。もう家に入るし」  ほんのわずかに漂った癖のある甘い香りに小さく胸が痛んだ。  清正の身体を押して腕の中から逃げる。  自分の中に濁った感情があるのを知って、軽い嫌悪感を覚えた。どうしても浮かんでくる昼間の光景を、無理やり頭から振り払った。 「……仕事。忙しいのか?」 「ああ。来月から元の部署に戻る気があるか、正式に希望を確認された」  研究開発の部署を離れる時、期間を三年以内と区切られたらしい。  それ以上長くなると、元の部署に戻るチャンスは極端に減る。営業かバックオフィスで働くことになるのだろうと、清正は言った。  汀が一歳になる少し前に、清正は朱里と別れた。二月の初めに今の部署に異動になったので、今月末でちょうど丸三年になる。 「戻るのか?」 「どうかな……」  戻らないという選択肢もあるのかと驚き、ふと、いつか聡子が言っていた言葉を思い出した。  ちゃんと自分のやりたいことをやれているのか、本当に生きたい人生を生きているのか、聡子は気にかけていた。 「汀が心配だから?」 「そういうんでも、ないかな……」  だいぶしっかりしてきたし、手もかからなくなった。汀は自分が大事にされていることをわかっていると思う。長い時間預けられるのは寂しいだろうが、なんとか頑張ってくれるだろうと信じていると言う。 「細かく気にかけてやる必要はあるけど、たぶん大丈夫だろう」  光は黙ってうなずいた。 「光も、仕事が忙しい時は、そっちを優先してくれていいからな。遅くなっても、汀は俺が迎えに行くから」 「ここにいる間は、俺が行くよ」  光の仕事は時間の融通が利く。  今日のように早く迎えに行って公園で遊ばせても、夜に作業をすれば済むのだ。 「ここにいる間は、じゃなくて、ずっといろよ。心配だから」 「大丈夫だよ。ちゃんとお金のことも考えるし、ごはんも食べる」 「一人にしておくのが嫌なんだよ」 「なんで?」  悪い虫が付く。  ヘンな冗談を言った清正に腕を引かれて、リビングに戻った。  光の肩からゆっくりとコートを脱がせながら、なぜか清正はため息を吐いた。 「ここにいたらいたで、心配だけどな」 「何が?」 「俺の理性が」  首を傾げると、黒い瞳がかすかに揺れた。

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